I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「臨床心理学」の記事一覧

混雑する境界

 「精神医学の診断はどんどん正常の境界に近づいてきている」とアレン・フランセスは言う。「その境界付近には非常にたくさんの人がいる。最も混雑している境界は正常との境界だ」
 「なぜですか」
 「あらゆる意味で社会が適合を求めるからだ。だんだんと異質であることが耐えがたくなっている。だから,ラベルを貼られるほうが楽だと感じる人もいるのだろう。それによって希望や方向性といった感覚が得られるからだ。『以前には,笑われて,いじめられ,誰からも好かれなかった私が,いまやインターネットで双極性障害に苦しむ仲間たちと話ができる。もう孤独を感じなくていいんです』というわけだ」彼は少し間をおいた。「一昔前までは,素行傷害やパーソナリティ障害や反抗挑戦性傷害といった,もっとひどいラベルを貼られていた子もいたかもしれない。小児双極性障害というのは,自分たちのせいで反抗的な子どもができてしまったのではないかと考えている親たちの罪の意識をうまく和らげてくれるのだ」
 「だとしたら,いいことづくしじゃないですか。小児双極性障害と診断するのはいいことなのかもしれませんよ」
 「いや,絶対によくない。そしてそれには非常に正当な理由があるのだ」

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.303

流行病

 ロバート・スピッツァーがDSM-IIIの編集者を辞任したとき,アレン・フランセスという精神科医が彼の後釜に入った。フランセスも,できるだけ多くの新しい精神障害とそれに対応するチェックリストを受け入れるというスピッツァーの伝統を引き継いだ。DSM-IVは886ページに膨らんだ。
 ドクター・フランセスとは,彼がニューヨークからフロリダへ向かう途中に電話で話すことができた。彼は,編集委員会はいくつかのひどい誤りを犯したと感じているといった。
 「精神医学で誤った流行病をつくるのは非常に簡単だ。そして,現在,流行しているとされる3つの病気については,不注意にも私たちがその原因をつくってしまったのだ」
 「その3つとは?」
 「自閉症,注意欠陥障害,そして小児双極性障害だ」
 「どうしてそういうことになってしまったんですか?」
 「自閉症については主に,はるかに軽症なアスペルガー障害を加えてしまったことが原因だ。そのため,子どもの自閉症は,2千人にひとり以下から,100人にひとり以上と,発症率が跳ね上がってしまった。少し風変わりだったり,ほかの子と違うというだけで,多くの子どもがいきなり自閉症のラベルを貼られるようになってしまった」

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.301-302

小児双極性障害の問題

 「米国では多くの病気で過剰診断がなされているが,小児双極性障害は,その影響を考慮すれば,最も憂慮すべき最新の例であると言えるだろう」
 イアン・グッディヤーはケンブリッジ大学の小児・青少年精神医学の教授である。彼は小児双極性障害という病気が存在するとは考えていない。米国以外で診療している精神科医と小児精神科医のほとんどすべてと,米国の医師の多くも彼と同じ意見だ。
 「この考え方の主唱者たちが述べている小児双極性障害の流行といったような現象は,疫学研究ではまったく発見されていない」と彼は言った。「双極性障害というのは青年期後期から現れる病気だ。実際,この病気にかかっている7歳未満の子どもに遭遇することは,非常に非常にまれなことだ」
 アメリカでは現在,莫大な数の7歳未満の子どもが双極性障害と診断されている事実を考えると,これはまったく奇妙な話だ。
 「そういう子どもたちは確かに病気かもしれないし,なかには非常に重症で,大きな問題を抱えている子もいるだろう。だが,彼らは双極性障害ではない」とイアン・グッディヤーは言った。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.300-301

製薬会社の反応

 DSM-IIIはセンセーションを巻き起こした。改訂版を含めると販売部数は百万部を超えた。一般人による購入が専門家による購入をはるかに上回った。精神科医の数よりもずっと多くの本が売れたのだ。西洋社会の人々はこぞってチェックリストを使って自己診断を始めた。多くの人にとってこれは天からの贈り物だった。自分のどこがおかしいのかがわかり,やっと自らの苦しみに病名がついたのだ。それはまさに精神医学における革命だった。製薬会社にとってはゴールドラッシュであった。なにしろ,一夜にして新しい病気が何百も現れて,数百万人の新しい患者のために治療薬を開発できるようになったのだから。
 「製薬会社はDSMの登場を非常に喜んでいた」とスピッツァーは言った。そしてそれはまた彼を喜ばせたのだった。「私たちは親から,『薬を与えるまで,あの子といっしょに暮らすのは不可能でした。あのころは夜も昼もありませんでしたから』といった話を聞くのがうれしかった。それはDSMをつくった者たちにとっての朗報だった」

 しかし,それから,何かがおかしくなり始めた。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.297-298

採用されたのは

 常々,DSMでサイコパスのことがまったく言及不思議でたまらなかった。それがなんと,スピッツァーの話によれば,ボブ・ヘアーとリー・ロビンズという社会学者のあいだに対立があったためなのだという。リーは,共感性といったパーソナリティ特性を正確に測定することは精神科医には不可能だと考えていた。彼女はそういうものはDSMチェックリストからはずし,明白な症状だけに着目するべきだと提案した。ボブは猛烈に反対したが,DSM委員会はリー・ロビンズの側につき,サイコパスは外されて,反社会性パーソナリティ障害が採用された。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.296

どう考えれば

 どう考えたらよいかわからなかった。世の中には,症状の現れ方が奇妙な病人がたくさんいる。そうした病人を,自分たちのイデオロギーではそれは病気ではないからという理由によって,基本的に正気と決めつけてしまうレディ・マーガレットや,サイエントロジストをはじめとする反精神医学主義者のやり方は不適切に思われる。診断基準に疑問を呈することと,実際にとても苦しんでいる病人たちの珍しい症状を馬鹿にすることの境界はどこにあるのだろうか?CCHRはかつて,ただ「鼻をほじっていた」という理由で子どもに薬物療法をしようとした両親を非難するプレスリリースを発表したことがあった。

 精神科医たちは,鼻ほじりから利他主義,宝くじや<アクションドール>で遊ぶことまで,すべてに精神病のラベルを貼ってきた。綴字傷害や算数障害やカフェイン離脱といったDSMに記載されている精神障害は,がんや糖尿病などの病気と同じくれっきとした病気であるという誤った考えを売り込んでいるのである。
   ——ジャン・イーストゲイト(国際市民の人権擁護の会CCHR会長),2002年6月18日

 じつは,この親たちは子どもがただ鼻をほじったから薬物療法を受けさせたわけではなかった。顔の骨が露出するまで子どもが鼻をほじったから薬物療法を受けさせたのだった。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.287-288

無題

 「連続殺人犯は家族をめちゃくちゃにするが」ボブは肩をすくめた。「企業や,政治や,宗教の世界にいるサイコパスは経済をめちゃくちゃにする。社会をめちゃくちゃにするのだ」
 これは,あらゆる謎のなかで最大級の謎,「世界はなぜこれほど不公平なのか?」に対するストレートな答えだ,とボブは言う。過酷な経済的不公平,数々の残忍な戦争,日常的に見られる企業の無慈悲な手口——それらに対する答え,それが,サイコパスなのだ。正常に機能しないサイコパスの脳のせいなのだ。エスカレーターに乗っているとき,あなたは反対側のエスカレーターに乗っている人々とすれ違う。もし彼らの脳の中に入り込むことができるなら,あなたは,私たちがみんな同じではないことを知るだろう。まわりにいるのは,善い行いをしようとしている善人ばかりとは限らない。私たちの何人かはサイコパスだ。そして,この残忍で歪んだ社会ができたのは,サイコパスのせいなのだ。彼らは静かな池に投げ入れられた石なのだ。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.141

ボブ・ヘアの経験

 1960年代の半ば——ちょうどエリオット・バーカーがオンタリオで,例のトータル・エンカウンター・カプセルを思いついたころだ——ボブ・ヘアはバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア重警備刑務所というところで心理学者として働いていた。近ごろでは,刑務所風のバーとかダイナーなんてのがあって,縦縞の囚人服を着たウエイターが,有名な収監者にちなんだ名前がついた料理を運んできたりするが,当時,刑務所といえば,野蛮な評判がつきまとうおっかない場所だった。エリオットと同じくボブも,自分が担当しているサイコパスたちは正気の仮面の下に狂気を隠していると信じていた。しかしボブは,エリオットほど理想主義者でなかった。彼が興味を持ったのは,サイコパスを回復させることではなく,サイコパスを見つけることだった。彼は何度も何度もずるがしこいサイコパスに騙されていた。たとえば,刑務所勤務の初日のこと。刑務所長から,制服が必要だから,刑務所内で仕立てを担当している収監者にサイズを測ってもらいたまえ,と言われた。そこでボブは言われたとおり採寸してもらい,その男がとても熱心にやってくれるのを見てうれしく思った。男は長い時間をかけてすべてのサイズを正確に測った。足のサイズや,脚の内側のサイズまで。ボブはその光景に感動した。このひどい刑務所のなかにも,自分の仕事に誇りを持つ男がいるのだ。
 しかし,あとでできあがった制服が届くと,ズボンの片脚はふくらはぎまでしかなく,もう片方は引きずるほど長かった。ジャケットの袖も同じく左右の長さが違った。ただのミスであるはずがなかった。明らかに,あの男が彼をピエロのように見せようと仕組んだのだ。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.117

妄想のない精神病

 19世紀の初めに,躁うつや精神病とは関連しない狂気があると最初に提唱したのはフランスの精神科医のフィリップ・ピネルだった。彼はそれを妄想のない精神病(マニ・サン・デリル)と呼んだ。患者は表面的には正常に見えるが,衝動を抑えることができず,暴力激発傾向があると彼は述べた。サイコパスと呼ばれるようになるのは1891年になって,ドイツの医師のJ.L.A.コッホが『サイコパス的劣等性(Die psychopathischen Minderwertigkeiten)』という本を出版したときからだ。
 振り返ると,ボブ・ヘアは登場する前には,定義はまだ固まっていなかったことがわかる。1959年の「イングランドおよびウェールズの精神保健法」では,サイコパスは単に「知能の遅れの有無にかかわらない持続的な精神の異常または傷害であり,その結果,患者は異常な攻撃的行為,あるいははなはだしく無責任な行為に至り,医学的治療が必要となる,あるいは治療によって治る可能性がある」と説明されている。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.85

レジリエンスが育つ場所

童話『3匹のくま』の女の子ゴルディロックスは正しかった。レジリエンスは,つぎのような要素がちょうどよく整った場所に育つ——接続しているが結びつきは強すぎず,多様であるが拡散しすぎず,それが有益であるかぎり他のシステムと連動するが,むしろ有害と見れば自らを切り離す。その姿は,戦略的な分散性,(戦略,構造,行動における)計算された流動性,(価値観や目的における)不変性によって特徴づけられる。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.347-348

マインドフルネス

マインドフルネスは,長期的な瞑想の実践によっても,ストレスが高まった時に意識を集中する手法を用いても,個人の精神的レジリエンスを高めることにつながる。しかも,どこでも実践でき,習得が容易で,費用は一切かからない。そして何よりも有望なことに,それがボナノの研究によって突き止められた比較的健康なコホート(世界中のジャックとベラ)のみならず,心の傷を受けやすい人々や,あるいはすでに傷を負った人々にも効果があることが繰り返し証明されている。私たちのコミュニティにおけるバールやリアにとって,個人のレジリエンスは心の習慣として身につけられるものなのである。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.187

立ち直った

5つのパターンが現れたことは意外ではなかった。ボナノが驚いたのは,グループ間の相対的な分布状況だった。フロイト派が正しければ,死別を経験したのに悲しみを乗り越える作業を行わずにいると必ず機能障害に陥るはずだ。ところが,調査対象者のうち,慢性的な悲しみや抑うつ状態によって衰弱したのはわずか25パーセントだった。また,先延ばしされた悲しみの兆候はごく一部にしか認められず(3.9パーセント),統計数値としてはとるに足らないものだった。残りのコホート(何らかの共通因子をもち,長期的に追跡調査を行う対象とされる集団)のうち,悲しみに暮れた人々の20パーセントは自然と回復し,45.9パーセントには衰弱を伴うほどの悲しみはまったく見られなかった。これは全体の半数近くであり,ボナノはこのグループをレジりエントと名づけた。
 繰り返しになるが,ボナノは感情や悲しみの欠如を指摘しているのではない。彼が言うところの「レジリエント」とは,トラウマに直面しても揺るぎない目的意識をもち,人生に意義を見いだし,前に進む勢いをもった人々を指している(これは本書におけるレジリエンスの定義と重なる——「システム,企業,個人が極度の状況変化に直面したとき,基本的な目的と健全性を維持する能力」)。レジリエントなコホートも誰もが死別後に深い悲しみを感じ,人生を大きく変える事態に直面して困難を味わっていた。しかし,彼らは適応し,ときには別離をきっかけに成長するなど,前に向かって進んでいた。しかも,悲しみの段階が顕著に見られることもなければ,悲しみを乗り越える作業を行わないからといって,フロイト派が予測したような結果に結びつくこともなかった。
 要するに,彼らは立ち直ったのである。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.165-166

ネクロフィリア

 臨床的に見て,ネクロフィリアには3つのタイプがある。
1.「情欲殺人」またはネクロフィリア的殺人。殺した後にレイプするために,被害者は計画的に殺される。
2.「通常の」ネクロフィリア。行き当たりばったりで,性欲を満たすために死体が使われる。
3.「空想の」ネクロフィリア。死体は実際には乱暴されていないが,死体とのセックスを空想してマスターベーションをするのが最大の楽しみとなっている。

 男性にも女性にもネクロフィリア愛好者はいるものの,大多数は男性で,ホモセクシュアル,ヘテロセクシュアル,そしてバイセクシュアルの順に多い。ネクロフィリア愛好者の知的レベルは標準であることが多く,精神障害者でもサディスティックでもない。むしろ,一貫してもっともよくみられる性格的特徴は,きわめて自己評価が低いことだ。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.246-247

嫌悪感の利用は

 嫌悪への感度が摂食障害の原因になっているかを検証する,唯一の実験がある。摂食障害のある女性にこっそり「4種類のひどいにおいのリンバーガー チーズ(悪臭で有名なベルギー産チーズ)」をかがせたところ,対象グループの健康で食事のできる人と同じように,気分が悪くなった。ところが,このチーズを使った操作は,被験者のセルフイメージ,食餌行動,体重を増やそう(または減らそう)とする作戦や高カロリーの食べ物への反応には何の影響も及ぼさなかった。言い換えると,嫌悪感を活用して悪い食習慣をやめさせるには,その嫌悪感が内面からのもので,しかも自分に向けられたものでなくてはならないのだ。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.166

ラプンツェル症候群

 保険会社のレスポンス インシュランスが2005年に行った調査によると,アメリカ人の17%が,運転中に鼻をほじっていて事故を起こしそうになったことを認めている。私の想像では,運転しながら鼻をほじったことのある人の割合は,ほぼ100%に達すると思う。にもかかわらず,運転中に鼻をほじるのは,携帯電話で話をするよりも危ないと考えられており,カナダでは運転しながら鼻をほじったら850ドルの罰金を科せられるという新しい法律が制定された。これは運転中に携帯電話で通話をしたときより,350ドル高い。
 私たちを社会に縛りつけているうわべのしきたりや教養ある行動をかなぐり捨てたら,一体どうなるのだろう?
 自分や他人の体液に好きなだけまみれたがるのだろうか?
 そうする人もいるだろう。ラプンツェル症候群は,髪の毛を食べることに矢も盾もたまらず惹きつけられてしまう病気である。誰の頭髪であろうとこだわらない。この症候群に陥った者は,あなたのバスルームに入ってきて,ヘアブラシから髪の毛をむしりとり,むさぼり食う。髪の毛を食べたい衝動が,毛髪の大きな塊を取り除くために胃の手術をしなければならなくなるほどに強くなる。こうなると,原始的な肉体的な欲求に従順なのも行き過ぎである。ところが,動物的な衝動と表向きの抑制との間の葛藤こそが,人間が人間たる真髄である。子どもにはこうした葛藤はない。人間は成長したらおもちゃを捨てなければならない。そのおもちゃが風変わりな発想から作られたものであろうと,身体がつくり出したものであろうとだ。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.75-76

ラポール

 多くの人は,人と馬が合うとき,無意識に“ラポール(親和)”状態になる。彼らは気づかずにお互いのボディランゲージなどを真似るようになるのだ。結果,カップルが向かい合ってレストランのテーブルに座って同じ格好をしているというよく見かける図ができ上がる。夜更けまで友達と2人で話し込んだとき,1人が椅子から床に座れば,ラポールを維持しようという欲求から,ほとんど間をおかずにもう1人も絨毯の上に座るはずだ。同じ理屈で,相手がそろそろ帰りそうだなとわかったという不思議な感覚を経験したことは誰にでもあるだろう(普通こんな話はしないだろうが)。突然空気が変わり,そこに何らかの力がかかったか変化が起こり,きみは相手が「そろそろ行こう」と言うだろうと察知できる。

ダレン・ブラウン メンタリストDaiGo(訳) (2013). メンタリズムの罠 扶桑社 pp.252

催眠手術

 催眠状態での手術という例を考える前に,理解するべき重要点がある。体の中で一番感覚が敏感なのは皮膚であり,内臓や細胞の組織は痛みにほとんど無感覚だ。私たちは内臓が引っ張られたり伸ばされたりすることには敏感かもしれないが,内臓のどこを切られても痛みはごくわずか,またはまるで感じない。そのため,皮膚の切開による痛みを最小限にするためのリラクゼーションや暗示といった比較的普通の効果だけで,痛みを感じず手術を行うことができるかもしれない。ワグスタッフは,現代の外科医が一般的な麻酔薬を好んで使用するのは,そうすることが必要なのではなく,そのほうが恐怖と緊張を緩和できるからというだけの理由だと,1974年のある医学論文に明記されていると指摘する。これは驚くべき事実であり,このことを理解し,“催眠的”手術の多くは今でも実際は皮膚麻酔を使っているという事実を併せて考えると,“特別な状態”が痛みを抑制してくれるという考え,ひいては“催眠による手術”という概念自体がやや不要に思えてくる。

ダレン・ブラウン メンタリストDaiGo(訳) (2013). メンタリズムの罠 扶桑社 pp.191-192

精神分析学

 人間の心理に不安は付き物で,進化によって私たちは心配や恐怖に適応したとはいえ,中には他の人より強く不安を感じる人もいる。こうした感情的苦痛は診断できる症状であるという考え方を初めて提起したのは,ニューヨークの神経科医ジョージ・ビアードだった。ビアードは1869年,心配や不安,疲労,不眠は「神経の疲弊」から生じると発表し,この身体疾患を「神経衰弱症」と名付けた。この診断が広く見受けられることが判明し,神経衰弱症は,南北戦争後のアメリカを席巻していた産業革命の副産物と考えられた。特許約メーカーは,アヘンやコカイン,アルコールを配合した「神経強壮剤」を発売した。神経学者が電気の持つ回復力を喧伝したのを受け,神経衰弱症と診断された人々は電気ベルトや電気サスペンダー,携帯マッサージ機器を買い求めた。裕福な人々は「安静療法」が受けられる温泉場に足を運び,鎮静効果のある入浴やマッサージ,多様な電気機器による癒しで神経を回復させた。
 ジグムンド・フロイトは,この患者集団を治療するため精神分析を行ったが,それによって精神医学は精神病院から診察室へと進出を果たした。1856年生まれのフロイトは,1886年にウィーンで神経科を開業したが,彼の患者の多くは神経衰弱に苦しむ女性だった(ビアードが発見した病気は,ヨーロッパでも一般的になっていた)。クライアントと長時間会話した末,フロイトは患者らの不安や心配は疲弊した神経のせいではなく,本質的に精神的なものだと確信した。彼は1895年に女性の「不安神経症」について執筆し,この症状は概ね,性的欲望や夢想の無意識的な抑圧が原因で生じると理論づけた。こうした精神的葛藤に苦しむ人は,ソファに横になり医師の助けを借りて自分の無意識を探求する精神分析を通じて,安らぎを見出だせるという。
 当時,精神科医は精神病院で頭のおかしい患者を治療する職業であり,神経が疲弊した人は神経科医か一般医を受診した。だがもし不安が,神経の消耗でなく脳の精神障害から生じるなら,精神科医がこうした患者の面倒をみるのも筋が通ったことである。フロイトが1909年に訪米して以降,ニューヨークを中心として精神分析学コミュニティが形成され始めた。1909年には個人診療を行っていた精神分析医は全米でわずか3%だったが,30年後には38パーセントが個人の診療所で患者を診ていた。加えてフロイト学派の理論により,ほぼ誰もが精神分析の対象となった。フロイトは1909年の訪米中にこう語っている。「神経症患者は,健康な人が抱えるのと同じコンプレックスのせいで病気になる」。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.186-187

代理ミュンヒハウゼン症候群

 ミュンヒハウゼン症候群とは,周囲の関心を引きつけておくために病気を装ったり,自傷行為に走ったりする精神疾患のこと。病院の待合室などでは,多少の“病気自慢”を見かけることもあるが,それの度がすぎると一種の精神疾患とみなされるようだ。
 病気を装うという点では,「詐病」に近い。だが詐病には,病気を装うことで仕事をサボるとか,保険金を詐取するとか,心神喪失で罪を免れるなど,本人にとって病気以外の具体的なメリットがある。一方,ミュンヒハウゼン症候群の場合,具体的なメリットは何も求めない。ただただ「つらそうだね,大丈夫?」という他人の同情をかいたいだけなのだ。これがエスカレートすると,なにか病気を見つけてくれるまでいくつもの病院を受診して歩く。あれこれ症状を訴えてはさまざまな検査を受け,ときには検査の検体まですり替えてしまう。同じ部位を何度も傷つけるため,その部分が壊死して瘡蓋のようになっている場合もある。
 そういった障害が自分ではなく近親者に向けられるのが「代理ミュンヒハウゼン症候群」だ。健康な家族や子どもに危害を加えたり,病気を捏造することで不必要な検査や治療などの医療を受けさせ,他人の同情や援助を引き出す。虚偽性の精神疾患である。ほとんどの場合,子どもに代理させるため,しばしば児童虐待と間違われる。だが,本人は子どもが憎いわけではない。逆に,病気の子どもを愛おしく思う。そして,愛おしい子どもの世話をしている自分に酔い,周囲からも褒められたいのだ。特にアメリカでは,この疾患を病んでいる母親が多く,年間600〜1000の症例が報告されているという。

上野正彦 (2010). 死体の犯罪心理学 アスキー・メディアワークス No.1144-1145/2162(Kindle)

避けるように

 90年代から数年前までAV女優にはうつ,自傷癖,不眠,パニック障害などの軽い症状から,統合失調症や境界性人格障害,演技性人格障害,サイコパスなど,治癒の見込みのないほどの重い症状の女性まで当たり前のように存在していた。
 近年,精神疾患や人格障害のAV女優が激減した理由は撮影に来ない(予定を遂行できない),求めている最低限の演技ができない,現場でトラブルを起こすなど,問題が多く,応募増加で選択枠が増えたことによってモデルプロダクションやAVメーカーが起用を避けるようになったからである。

中村淳彦 (2012). 職業としてのAV女優 幻冬舎 pp.89

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