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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

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入試がなくても選抜できる理由

 アメリカで各大学に入試がなくても選抜ができるのは,全国統一テストと高校の成績や調査書に大きく依存しているからだ。その点,日本を考えると,全国統一テストを志向したのが「共通一次試験」「センター試験」だったのだがその役割を果たせず,大学側の高校への不信感は強く,その成績や調査書は参考程度にとどまっているのが現状だろう。SFCではむしろ,高校側との対決姿勢すら示していた。
 SFCのAO入試がアメリカのAO選抜と共通しているのは,書類の評価による点と,事務職員がかかわる点ぐらいだろう。しかし,違いは大きすぎて比較しようもない。

中井浩一 (2007). 大学入試の戦後史:受験地獄から全入時代へ 中央公論新社 pp.111-112
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米国の入試制度

 「入学選抜」がないのではない。それを説明するには,アメリカの大学全体について見てみなければならない。アメリカの大学の入学時の制度は大きく3つに分けられる。
 「開放入学制」「資格選抜制」「競争選抜制」の3つだ。
 「開放入学制」の大学は2年制の公立大学,コミュニティカレッジなどであり,高校の卒業あるいは18歳になったことを条件にして全員無条件で入学を許可するものだ。
 「資格選抜制」の大学は,全米各州の州立大学などであり,各大学が設定した入学要件をクリアした全員に入学を許可するもの。入学要件とは,高卒資格を前提に,(1)SAT,ACTなどの全米の統一試験の成績,(2)高校の成績(GPA)などで決められている。4年制大学全体の75%ほどがこれになる。
 「競争選抜制」の大学は有名私大や上位の州立大などであり,一定の入学要件を満たしている者の中から,さらに選抜する。4年制大学全体の15%ほどがこれになる。
 「入学選抜」を行っているのは「競争選抜制」の大学だけである。しかし,その選抜とは,先に述べたように各大学が「入試」を行うのではなく,書類で選抜するだけなのだ。ではその「選抜」とはいかなるものなのか。
 高卒資格を前提に,(1)SAT,ACTなどの全米統一試験の成績,(2)高校の成績(GPA)を評価する点は「資格選抜制」と変わらない。変わるのは,それ以外にも(3)高校からの調査書,(4)本人からの志望理由などの個人調書を加味して決める点だ。
 このうち,(3)(4)はAOの職員が2人以上で読み,ABCの評価をする。2人の違いが大きい時には3人目が判断するシステムになっている。ある程度の能力が必要だが,機械的な作業でありトレーニングすれば誰にでもできるという。日本のAO入試では面接が一般的だが,アメリカでは基本的には行わない。
 選抜はこの(1)から(4)の4種類の評価を足して上から順位を出して行われるのだ。その際に,この(1)から(4)をどの割合で足すかを決めるのが「アドミッション・ポリシー」であり,数値で示される。それを決めるのは,私大ではAOのディレクターと教員代表,大学の執行部で作る入試委員会や,州立大では州高等教育協議会などである。ここだけ教員代表が選抜にかかわることができるのだ。
 「アドミッション・ポリシー」とは,「多様性」や「独自性」などといったお題目ではない。それは,(1)から(4)をどの割合で評価するかという数値にまで具体化されたものなのだ。そして数値比率が決まれば,後は自動的に選抜が行われるだけである。

中井浩一 (2007). 大学入試の戦後史:受験地獄から全入時代へ 中央公論新社 pp.109-111

米国のアドミッションズ・オフィス

 ここで,アメリカの大学の入学生度を見ておくことは重要だ。AO入試とはアメリカの大学で入試を担当する部局であるAO(アドミッションズ・オフィス)からネーミングされたものだからだ。
 しかし,そもそもアメリカには「AO入試」なるものは存在しない。AOが実施する選抜には「知識伝授型」に対する「創造性開発型」といった意味は全くない。元々アメリカには個々の大学が行う「入試」が存在しないのだ。どこの大学でもAOが入学者を決定するが,すべて同じような書類選抜であり,他の選抜方法があるわけではない。
 アメリカの大学では,入学者の決定と受け入れまでの作業はAOが行う。これは全米のすべての大学で変わらない。AOには教員はいない。すべてが事務職員で構成されている。
 入学決定者は,志願者から提出された書類をもとに,職員が行う。教員は直接にはかかわらない。この意味は,アメリカには各大学独自の「入試」が存在しないということだ。そこには「入試」にかかわる業務がいっさい存在しない。ここが肝心なところである。

中井浩一 (2007). 大学入試の戦後史:受験地獄から全入時代へ 中央公論新社 pp.108-109

AO入試の変貌

 このAO入試は,本来「受験偏差値エリート」以外のやる気のある生徒を見つけるのが目的だったが,その拡大とともにだんだんとその意図が変質していく。
 上位大学では,AO入試の条件である「単願で第一志望」,そして秋の時期に行われることを利用して,優秀な学生を確保するのが目的になった。いわゆる「青田買い」である。
 一方下位大学には,とにかく学生を確保する目的がある。実際には下位大学では志願者全入に近い状態だ。無試験,学力試験なしの入学である。偏差値で50以下の大学では推薦・AOで学生数を確保できなければ経営が成り立たないのが現状だ。「一昔前では考えられなかったレベルの生徒が推薦・AOで合格しています」との都立高の教員の声もある。今やAO入試は二極化している。そして,こうしたことが「AO入試=『学力低下』元凶論」の背景にあるのだ。

中井浩一 (2007). 大学入試の戦後史:受験地獄から全入時代へ 中央公論新社 pp.89

AO入試

 大学入試における二大改革は小論文入試とAO入試であった。そのうち,小論文入試は「一般入試」の枠内での改革である。
 それに対して,AO入試や自己推薦入試などは,「一般入試」の枠外での入試で,「一般入試」それ自体を相対化するような改革である。AO入試とは慶應のSFC(湘南藤沢キャンパス)の新設学部である総合政策学部,環境情報学部によって1990年から始まった入試制度である。 

中井浩一 (2007). 大学入試の戦後史:受験地獄から全入時代へ 中央公論新社 pp.86

早稲田の改革

 早稲田文学部は,AO入試の類を導入していないが,それを真剣に検討していた時期がある。2000年頃で,専修によっては定員が埋まらなくなっていたからだ。25〜30人の半分も集まらない場合,その不足分を努力して集めるという発想だった。
 07年度から早稲田大学文学部は以前の第一文学部,第二文学部(夜間)を,新たに二学部に編成し直しての出発となった。文化研究の伝統を継承する「文学部」と,従来の学問領域を超えた新たな文化の領域にいどむ「文化構想学部」だ。この背景には,こうした問題があったのである。またこれは,学生への対応の1つでもあった。
 文学部では教務主任が長期にわたり1年生へのアンケートを蓄積していた。そこにはさまざまな不満が噴出していた。事務の対応の悪さ。英語教育への不満。その中で一番大きかったのが,希望の専修に行けないことだった。第1希望はもちろん,第2,第3希望も無理で,第4希望に進むしかない学生もいて,彼らの不満は大きかった。そこで,少なくとも「第2希望まで」に進めるように小規模の改革を重ねてきた。
 しかし,再編には大きな困難があった。スクラップ・アンド・ビルドには,既得権益を失う教員たちが多数出てくる。反対が多くて進まないことも予想された。
 そこで,人事権とカリキュラム編成権を専修から学部に移すことを試みたのである。それに着手したのは95年頃。土田健次郎が教務主任の時だが,一部の大反対にあってすぐには動かせなかった。しかし次第に危機感が広がっていく。当時,第一文学部,第二文学部では,それぞれに専任を置くのが建前だが,どうしても二文に非常勤が多くなる。そこで文学部所属の全教員を1つの学術院所属として,そこから「第一文学部」「第二文学部」「大学院」に出勤する形を構想した。
 この形が固まったのは03年。こうして,人事委員会とカリキュラム委員会とが,文学学術院全体の人事とカリキュラムを決定できるようになった。これによって学部の再編が可能にもなった。また,こうした体制ができたことで,教育内容やカリキュラムの改革が可能にもなった。1年次では,英語とレポート作成などの基礎をしっかり身につけてもらう。小論文廃止にもそうした背景があったのである。このようにして1年次の「基礎演習」は生まれた。基礎演習は各クラス30人。専任教員だけが担当し,1人が1クラスを見て,それが事実上のクラス担任にもなり,個別の面倒を見ることにした。新設学部の1年次には「基礎講義」として,新たに生まれた各論系・コースから,その分野を紹介する授業がある。すべてDVDによるオンデマンドで,自由な時間に,好きなだけ見ることができる。これは文学部全体で開発したものであるが,時間的制約のある第二文学部で特に有効であり,今回組織的に2つの新設学部に展開することになった。本部の大隈タワー地下にスタジオを持ち,そこで収録されている。講義も,インタビューも,座談会もある。
 こうして,新たなスタートを切った早稲田文学部だが,その背後には次代の変化に対応するべく大きな組織改革が進んでいた。それが教育カリキュラムにも入試にも,変化をもたらしていたのだ。
 なお,この文学部の学術院構想は本部の他学部にも広がった。他学部では関係学部のすべての長を院長が必ずしも兼任していないが,文学部では1人が兼任している。「そうでなければ機能しない」(土田)。

中井浩一 (2007). 大学入試の戦後史:受験地獄から全入時代へ 中央公論新社 pp.60-63

見かけ

 ところが,定員割れの私立大学の総数はこの1〜2年,横ばい傾向にある。しかし,そこにはトリックが隠されていて,実際には入学者が増加したわけではないケースも多い。入学定員や入学者数,在籍者数などの教育情報の公開が2011年4月から義務化され,どうしても自学の実態を公表せざるを得なくなったことが背景にある。
 個々のデータを調べると,入学者が減少している分,入学定員も減少させて,入学定員充足率を見かけ上,良い数字にしている大学がある(もちろん募集力を高めて入学状況が好転しているところもないではないが)。基本的には,収容定員は文部科学省にも届けている適正規模の数字であり,それに対して在籍学生が何人いるかを見極めなければならないのだ。「数合わせ」で入学定員割れを逃れたとしたら,「トリック」といわれても仕方ないだろう。

木村誠 (2012). 危ない私立大学 残る私立大学 朝日新聞出版 pp.17

消える理由

 その私立大学が100校以上も消えてしまう。
 それはなぜなのか。
 まず若年人口と進学率の推移,経済状況などを見てみよう。
 2001年から2011年までの10年間で,18歳人口は151万人から120万人に減少している。この間,私立大学は496校から599校に増加した。
 一方,在校生は進学率の上昇で203万人から213万人になっている。しかし大学数では20%も増加しているのに,在校生は9.5%の伸びにすぎない。定員割れも起きるはずである。
 10年後の18歳人口は,さらに116万人台前半にまで減る。現在,定員数を充足できていない私立大学は,599校の39%,230校を超える。何年にもわたって定員割れが続くようなら,存亡の危機に直面することになる。なにしろ私立大学は学生納入金が収入源の大きな柱だからだ。

木村誠 (2012). 危ない私立大学 残る私立大学 朝日新聞出版 pp.16-17

練習量

 今久留主が言うように,桑田の練習量は半端ではなかった。誰も文句を言えないほどに,走っていた。そして,入学早々の桑田と清原を先輩たちに認めさせる,ある事件が起きた。1年生が集められてボールを打たされた。しかも,竹でできた飛ばないバットで打てというのである。ところが,並み居る1年生の中で桁外れに体が大きかった清原は,その竹バットで何と柵越えを連発したのだ。先輩ばかりか桑田も仰天した。
 「僕なんか外野に1本で,それもやっとショートの頭を越えたのが1本だけだったのに,彼は10本中,8本くらい場外へ持っていったんですね。その打撃を見て,こりゃ,すぐプロへ行ったほうがいいんじゃないかという気がしましたね」
 しかしながら,誰よりも体の小さかった桑田もまた周囲を驚かせた。円筒を命じられた1年生。そこは中学の腕自慢たち,できるだけ遠くへ飛ばそうとボールを高く投げあげる。ところが,桑田はゆっくり前へ進むとそこで立ち止まった。そして何と,真っすぐ,低い弾道のボールを投げたのである。しかもそのボールは,ライトのフェンスを直撃した。さすがの清原も愕然とした。
 「体は凄く小さいし,おとなしいタイプなんであまり存在感もなかったんですけど,ひとたびユニフォームを着て野球すると,打っても凄いし,もちろん投げても凄いし,走っても凄いし,とにかく印象に残ってますね」

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.236-237

コンプレックス

 実際,桑田は,度胸と工夫を武器に,<人生最大のコンプレックス>と戦い,大きく成長した経験を持っている。桑田真澄の人生最大のコンプレックス,それが清原和博という存在だった。恵まれた体,あふれる才能,天真爛漫な性格,温かい家庭で何不自由なく過ごしてきた清原は,どこをとっても自分とは正反対の存在だった。その清原に負けないためには,工夫を重ねた練習を人の何倍もしなければ話にもならなかった。
 清原もまた,桑田に得体の知れないコンプレックスを感じていた。ピッチャーに憧れていた清原が,PLでもエースになるという夢をあきらめたのは,桑田がいたからだが,それにしても,おとなしくて目立つこともない小柄な男になぜ自分がかなわないのか,最初は納得できなかった。しかし,桑田に投手としての才能を見せつけられるたびに,清原は自分に持っていないものを持っているこの天才投手を認めざるを得なかった。そのことが,投手ではなく打者として一流への階段を上ろうと決意させるに至ったのだった。

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.233-234

身を守る方法を

 本来キャリア教育には,権利意識としての側面もあり,これによって違法状態への対応能力を身に付けさせることもできるはずだ。ブラック企業は最大の「キャリアの敵」なのであるから,ここから身を守る方法を,子供たちに教えるべきだ。
 ところが,なぜか政府の「ワークルール」とは,子どもに権利を教えることではなく,企業の「厳しさ」を教えることを指すようである。文部科学省が2011年12月に発表した「学校が社会と協働して1日も早くすべての児童生徒に充実したキャリア教育を行うために」と題する教師・家族を対象とした資料の中では,働くことの「権利と義務」を教えるべきだとしながら,権利の内容についてはまったく触れられず,「“世の中の実態や厳しさ”を伝えることの重要性」を複数の項を割いて,強調している。ただでさえ厳しいブラック企業に対して,国家も一体となって若者に「厳しいのだ」と諦めを強要する構図である。
 すでに就職活動が若者を追い込んでおり,鬱病罹患者や,自殺者が増加している。ましてブラック企業ばかりが「出口」で待ち受けている中で,抽象的な働く義務や意識だけを高めていったらどうなるだろう。若者は,就職活動やブラック企業の中で,「違法なことでも耐えなければならない」と再三にわたって教え込まれ,受け入れている。そして,自分たちの結婚や育児,出産さえも惜しんでブラック企業に奉仕しているのである。これ以上「耐える精神」を学ばせても,日本の生産性や社会の発展には絶対につながらない。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.224-225

奨学金の問題

 その上,ブラック企業に就職する大卒の学生は,多額の奨学金(借金)を背負っている場合もかなりの割合に上る。日本の奨学金は日本学生支援機構(旧育英会)をはじめ,ほとんどが「ローン」であるうえ,多くの場合,利子も付加される。奨学金の支払い請求は解雇された後も苛烈に行われる。返済が滞れば,速やかに金融機関の「ブラックリスト」に登録され,生涯,ローンを組んだりカードを作るときについてまわる。
 こうした新卒からの相談の場合,もしも両親に彼/彼女を支えるだけの資力がない場合,もはや生活保護以外に支える手段はない。新卒からの相談では,ほとんどの場合当人は「何とか生保以外の社会保障はないか」と相談を寄せるのだが,実際には生保しか生き延びる方法はないのである。もし生活保護を忌避してホームレスや,ネットカフェを転々とするいわゆる「ネットカフェ難民」となってしまえば,精神疾患はより悪化し,生活はすさむ。ただ正社員から病気になった,という以上の「貧困者」としての性質が付与されてしまい,社会復帰はより困難になる。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.163

空メール

 とりわけ就活生と接していて,気になるのはメールや電話などのコミュニケーションと,身だしなみだ。
 メールは件名なしで送りつけてくるなんてことはザラだ。タイトルも「こんにちは」など,何が言いたいのかわからないものも多い。しかもメールアドレスも,「love」などの文字が入っているので,出会い系のスパムメールかと思ってしまう。宛名もなく,挨拶もなく,まるでつぶやきのようなメールだってある。しまいには,署名が書いていないので,誰から送ってきたのかわからないメールもあるのだ。
 ちなみに,学生のメールで,今までで最高に呆れたのは,ある有名大学で講演した際に「今日の資料が欲しい方は,私のアドレスまでメールをください」と言ったところ,携帯から空メールが送られてきたことだった。誰から送られてきたのかもわからないし,ファイルも添付できないではないか。
 電話だってそうだ。挨拶もせず,名乗らずにかけてきて,一方的に用件を伝えられることもある。オトナに電話をする経験がないのだからしょうがないとは思うものの,やはり,どうしたものかと思ってしまう。
 ただ,そんな学生たちを一方的に責める気にはならない。単にマナーについて学ぶ機会,実践する機会がないだけなのだ。しかもマナーは,習慣である。付け焼刃的に学んでもボロが出たりする。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.194-195

傷つく一言

 親の一言に子どもは敏感に様々な思いをもつものなのだ。
 こういった声を聞くと,親の傷つく一言は大きく分けて次のように区別できる。

 (1)志望先,受験先の会社について「知らない」とか「やめなさい」と言われる
 (2)大企業や公務員をすすめ「安定していていいわよ」と言われる
 (3)試験に落とされて自信を失っているときに,性格を否定される
 (4)落ちたことを言うと「また?」のように,「まだ決まっていないことを自覚させられる言葉」を言う

 親であるアナタも,こういった行動や発言をしていないか,今一度振り返ってみてほしい。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.168-169

学業阻害?

 そう,学業阻害といったところで私大の文系などでは大学3年の前期で卒論やゼミ以外の単位を取得できてしまう。これも日本の大学の現実である。もちろん,私もバカではないので「単位取得=勉強」だとは単純には考えない。だが,メディアにあふれる論調よりは,文系に関しては,就活は学業阻害になっていないのが現実だ。
 理系の学生や,勉強熱心な学生はともかくとして,大多数の文系学生にとって,就活によって阻害されるのは,「勉強」ではなく,「サークル」や「恋愛」や「遊び」や「バイト」なのだ。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.131

未来の斜陽産業

 また,業界を見る際,その業界が黎明期,成長期,成熟期,衰退期のどのステージにあるのかもおさえておきたい。もちろん,先のことはわからない。仮にもし,40年働くとしても何が起こるのかは社長ですらわからないだろう。
 就活時の花形産業は,未来の斜陽産業だ。今「石炭をやりたい」と言う学生はいないが,数十年前,石炭業界は花形産業だった。
 業界再編の動きなどもよく起こるものだ。私が就活をしていた90年代半ばごろ,都市銀行は多数あったが,現在は3大メガバンクを中心に再編されている。
 もっとも,挽回のストーリーだってある。以前,「商社冬の時代」と言われたことがあった。商社が介在する意味がない時代がやってくるのではないかということだったのだが,その後の総合商社は事業投資にシフトして,ますますのビッグビジネスとなった。現在,総合商社の大手5社の売上は約50兆円にも達しているし,学生にとって不動の憧れ業界となっている。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.122-123

知っている企業しか知らない

 新卒採用をめぐる永遠の課題は,就活生は「知っている企業しか知らない」ことである。親もそう変わらない。要するに,消費者として認知する企業しか知らず,そこを中心に受けてしまうことが永遠の課題である。
 就活を前にした3年生に「知っている企業とはどんな企業か」と尋ねると,CMに出てくる企業ばかりだったりする。自分が消費者として商品を使っている企業,ニュースや広告などで知っている企業ばかりの名があがる。
 いうまでもなく,「知っている企業」が「いい企業」とはかぎらない。ましてや,人気企業が「いい企業」だとはかぎらない。それこそ,JALは経営破綻するまで,ずっと人気企業ランキングの上位に入り続けていた。当時から,数々の不祥事を起こしていたし,「JALはもう危ない」と危機説が囁かされていにもかかわらずだ。
 そして,こういった「知っている企業」は,企業社会のことがよくわかrない若者が,就活の初期〜中期段階に選びがちだ。事実,ランキング上位の企業は消費者が顧客のB to C企業か大手企業がほとんどである。
 そして,誰でもこれらの企業にいけるわけではない。人気企業ランキングベスト100に入る企業の求人は毎年2万人くらいだ。それに対して人気企業に応募する学生は山ほどいる。
 こういった「知っている企業しか知らない」という学生の多さが,雇用のミスマッチを生むと考えられている。そして,そのために起こる内定率の低さを「就職氷河期」とは呼ばない。雇用のミスマッチが生む就職率の低下だから「就活断層」と呼ぶのである。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.112-113

メディアと実際

 新聞の見出しなどに踊る就活をめぐるデータは,どのような調べ方をしたのかを疑ったほうがいい。さらには,各大学や状況によっても異なることに留意してほしい。
 就職難を乗り越えるために必要なのは,メディアに踊らされないようにすることが大切である。メディアはかわいそうな話が大好きだ。特に就職難のネタは,まさに親も子どもも共感,同情するネタであり,センセーショナルであるために,便利に利用される。
 だが,実際,決まる学生は決まるし,メディアが報じるよりもずっと求人は大学に届き続けている。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.91-92

自己分析の罠

 一方で,私は採用担当者をしていたころから,学生の自己分析について疑問を抱いていた。学生たちは,次のような自己分析の罠にはまっていないかと危惧していたのである。

1.自分自身に成功体験など「すごい体験」がなくあせってしまう。自信をなくしてしまう
2.志望先に合わせた,都合のよい自分を演じてしまう
3.聞こえのよいことだけを中心に,無難に,きれいにまとめてしまう
4.自分の体験を適切に評価できない(極端な過大評価,過小評価をしてしまう)
5.学生同士でアルバイト,サークルなど体験が似通っており,一見すると差がつかない
6.自己分析が目的化してしまい,それに取り組んだだけで満足してしまう
7.独りよがりになってしまっていて,客観性に欠ける

 なんとなく大学に入り,挫折を経験せずに育ってきた20歳前後の若者に,自己分析などさせても自信をなくすだけではないか。そして,これまでの自分の殻に閉じこもってしまうのではないかと疑問に思っていたのだ。
 しかし,そのあとに気づいた。たしかに,人間にはそれぞれ独自の価値観,行動特性,思考回路というものがあり,深く掘り下げていくと,なんでもないようなことのなかに,本人の強みを見出すことができるということである。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.77-78

自己分析

 この自己分析が本格的に広まったキッカケは杉村太郎氏(故人)が手がけた『絶対内定』(当初はマガジンハウス,現在はダイヤモンド社が刊行)だといわれている。この本はベストセラー,ロングセラーとなった。発売されたのは90年代前半で,まさに「就職氷河期」である。状況が苦しいなか,自分の強みを明確化し,未来を強く構想する手段として自己分析は急速に広がっていったのだ。
 そう,自己分析が必要になった第1の理由は,「就職氷河期と重なったため」である。
 バブルが崩壊し,採用数も減少,採用基準が厳しくなった状態では,ほかの人材との違いをアピールしなくてはならない。皆が企業の求める人物像に合わせた無難なアピールをするというのは当時の学生にもあった傾向だ。そんななかで,自分がいかにその企業に合っていて,活躍できるかをアピールするためのネタ探しに自己分析が活用されたといえるだろう。
 もうひとつの理由は,「自分探し」である。昔の若者に比べ,「なぜ,働くのか」といった自己実現としての職業の意味合いが強くなった。単に内定のためだけでなく,人生を自分らしく生きるためには「自分を知る必要がある」と考えるようになったからである。
 結果,自分の夢を叶えるためにも,自分の内面にある資源を棚卸しし,何が強みで何が足りないのかを明確化するようになったのだ。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.76-77

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