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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

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勘違い

 これは僕の偏見が入っているとあえて断っておくが,一般学生の中には論文や書籍を書かない人間が多い気がした。これはもちろん大学院のレベルにもよるが,全般的に,偉い先生やや他人の論文ばかり読んでいて,自分の論文を仕上げない。研究者を読書家と勘違いしている人間が多い気がしたのだ。

中野雅至 (2011). 1勝100敗!あるキャリア官僚の転職記:大学教授公募の裏側 光文社 pp.122
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まずやってみる

 そんな僕を,うらやましいと言う若い人たちがいる。
 自分がやりたいことが見つからないからだそうだ。僕はそんなことを思った経験もないから,本当のところは,そういう人たちの気持ちはよくわからない。
 でも,もし僕が彼らになにかアドバイスできるとすれば,世の中というのは,自分が動かないことには,絶対なにも起こらないということだ。
 だから,やりたいことが見つからないと嘆く前に,いろんなことをやってみたらいい。そして,少しでも興味をひかれたものがあったら,それを一生懸命続けてみることだ。
 なんでもそうだけど,ずっと続けているとうまくなる。うまくなると,またおもしろくなってきて,さらに一生懸命やろうという気になってくる。
 そうやって,一人前になっていくんだと思う。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.349-350

努力しろ

 この世界でずっとやってて思うのは,なんでも人のせいにする連中が本当に多いってことだ。だいたいダメになると,「あの時なあ……」「あれがなあ……」って人のせいにする。
 「あいつはいいよな」って,いつも人をうらやましがってる連中も多い。僕らがセットを組んでコントをやってると,「志村さんはいいですよね,セット組んでもらって」だって。
 バカヤロー!ここまで来るのに何年かかってると思ってんだ。
 コツコツやってきたのが認められたから,セットをつくってコントができるんだ。
 じゃあ,お前らがセットを使っておもしろいことができるのかといえば,絶対できっこない,急には。なんでも,ものには順番がある。人のことをとやかく言う前に,まず自分がセットを作ってもらえるように,努力しろって。
 僕だってなんとか生き残ろうと思って,人が遊んでる時は一緒に遊んで,向こうが酔っぱらって寝てる間に,こっちは寝ないでお笑いの勉強をしてた。ネタを考えたり,ビデオを見ながらメモをとったりとか。
 人と同じことをしてたら,生き残るのは難しい。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.176-177

道は自分で

 結局,道は自分で開いていくしかない。
 何もしてない奴が,「じゃあ,お前ちょっとやってみな」って言われることはあり得ない。ふだんから何かをやり続けているから,誰かの目にとまって声をかけられるんだ。
 でも,それでコントの1本や2本つくれてもダメで,テレビの世界はとにかく数をたくさんつくれないと役に立たない。そのためには,ムダなことでもなんでも知ってた方がいい。知らないと損をすることはあっても,知ってて損をすることはないから。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.176

大学で学ぶこと

 私は大学で学ぶアカデミズムにも2つの種類があると考えている。
 1つは,学者になるための勉強だ。とにかく1つのテーマを突き詰めて,徹底的な専門性を身につけていく。これは「普通の人」が社会で使える可能性は低いが,社会全体の文明レベルを上げるために,「図抜けた優秀者」が取り組む高度に専門的な勉強だ。
 もう1つは,物事を考える能力を学ぶことだ。たとえば,1つの命題が正しいのかどうかを判断するためにはどのような事例を集めればいいのか,どのような角度から検証すればいいのか,といったことを勉強する。こうした「本当の意味で物を考える力」は社会に出ても使える。営業するにも,企画を考えるにも,必要なデータを集めてきて,それを読み取り,相手の理解度を予測したうえでわかりやすく説明するといった力は必要である。流行の言葉でいえば,これが「リベラルアーツ」となるだろう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.203-204

文系は

 実は,大学の文系学部の専門教育は,そのまま直接社会で役立つ可能性はほとんどないという事実。ここをはっきりさせておきたい。それも,日本だけではなく,これは世界共通の話だということも。
 なぜか,欧米では「大学の専門と職業がきれいに繋がっている」という幻想が,世の中には広く浸透している。そうした幻想が,「日本のように総合職という奇異な雇用慣行を持つからいけないのだ。きちんと採用時点で何の仕事をするか明確にわかる職種別採用なら,大学の専攻と企業での仕事が繋がる」と訳知り顔で語る識者を生み出してしまう。
 しかし,この話を欧米の人事・雇用関係者に語れば,こんな風に鼻で笑われることになるだろう。
 「アメリカでも,文系の大学を卒業した場合,一番多くの人が就く職業は,営業ですよ。この仕事は,大学のどの専攻と結びつくのですか?総務(アドミニストレーション)や人事(HR)の仕事はどうですか?これも専攻など関係ないでしょう。アメリカの場合は,大学卒業後に,製造や販売の仕事に就く人も多々います。彼らももちろん専攻など関係ありません。経理やシステム開発でさえ,経営学部や情報工学を卒業しなくてもなれますよ」
 そう,こと文系学部に限れば,圧倒的多数の人間は,どこの国でも専攻と関係ない仕事に就いている。ホンの少数の,たとえば法務とか金融とか会計とかマーケティングなどのスペシャリストのみ,専攻と近い就職が可能となる。それも,超上位校を優秀な成績で卒業した人のみ。
 こんな当たり前の現実を忘れて,幻想が一人歩きしてしまう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.195-197

時間があっても勉強しない

 前記のとおり,人気大手企業の内定は4月中旬までに出そろう。それらの会社に決まる秀才たちの就活は,4年の1学期早々に終わる。そんな,高偏差値でならすお勉強好きな秀才たちは,その後,待ってましたとばかりに,学業にいそしんでいるのか?
 彼らのその後は,いよいよ「学生生活最後の思い出作り」へと拍車をかけ,バイト・サークル・旅行・趣味・恋愛へと傾いていくのではないか?
 なぜ,こうした現実が見えずに,多くの識者は「就活さえなくなれば,学生は学業にいそしむ」という的外れな論説を展開するのだろう。
 そもそも,就活があろうがなかろうが,それが長引こうが早く終わろうが,昔から文科系の学部で,勉学に励む学生は少ない。これは今の学生に限ったことではない。
 就活解禁が10月1日だった30年前だって,8月30日だった20年前だって,6月1日だった15年前だって変わらない。とすると,最大の問題は,就職活動ではなく,大学のカリキュラムに魅力がないことなのではないか?
 大学のカリキュラム作りに問題がある中で,すべての責任を就職に押しかぶせても,結局,何も解決されない不幸をもっと多くの人に認識してもらいたい。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.90-91

時間がかかる理由

 現在は4月1日が採用解禁なのに,なぜ,半年もたった10月末以降に3割以上の学生が就職を決めているのか。
 この構造を説明しておこう。
 ほとんどの学生は,まずは人気企業を志望する。高校から大学を受験するときは,誰もが「東大・京大」を受験はしないのだが,こと就職となると,本当にほとんどの学生が名うての人気企業から応募していくのだ。
 学生たちの声を聞くと,「ペーパー試験の点数だけで判断される受験のようなシビアな世界ではなく,就職は“人間性”を見てもらえる世界だから,けっこう,自分も意外に高評価を受けて,いい企業に受かるかもしれない」,もしくは「どうせ落ちるかもしれないが,受験料がかかるわけでもないので,ダメもとでたくさん受けてみようか」といった声をよく聞く。
 現実的には,1月末から佳境となる会社説明会に「参加権をもらえない」学生や,説明会後の集団面接の結果,「もう呼ばれなくなる」学生も多く,その時点で「超大手は難しい」と薄々感じているのだが,まだ4月までは誰にも内定が出ていない状態だから,そういう企業が「無理」とはっきり思わないままに4月を迎えるのだ。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.73-74

専門とは関係がない

 そう,理系と異なり文系の場合,おおよその仕事は世界どこでもあまり「大学の専門」とは関係がないのだ。専門が生きるのは,金融・マーケティング・法務などを専攻した人のうちさらに「上位学生のみ」というのが正解だろう。
 とすると,一般文系大学生はどうやって仕事を手に入れるのか?
 欧米でも「カードル」や「リーダーシッププログラム」(以下LP)という名の超エリート向けに,新卒幹部候補の未経験採用はしているが,これは日本では考えられないほど狭き門となる。上位大学の成績優秀者しか応募資格はない,と,入り口で言明されているからだ。だから日本のように,誰でも彼でも大手人気企業に応募する,ということはない。
 ではどんな就活があるのか?
 一般に,大手企業はLPやカードルのほかに,若年者に対して「エントリーレベル採用」という入り口を用意している。LPやカードルが職務未決定の日本型総合職に近い採用とすれば,こちらは,職務を決めたいわゆる欧米型採用となる。このワクは,比較的習熟度の低い若手に対して広げられた「職務限定採用」で新卒・社会人関係なく25歳くらいまでがそのターゲットとなっている。これが多くの識者やマスコミが称揚する「欧米の良い慣行」「日本が見習うべき手本」というものにあたる。
 さて,ではここに職務未経験の新卒者は採用されるか?欧米でも日本同様「将来性」や「人物」を見込んだポテンシャル採用はないわけではないので,少数は確かに採用されるだろう。年齢が関係ないので,院卒や既卒留学生などもそこに含まれる可能性はある。それがギャップ・イヤーなどとカッコいい言葉で呼ばれたりもする。
 しかし,現実は甘くない。やはり職務契約での採用だから,即戦力で仕事ができる人が優先される。だから採用者の大半は「社会人での同職経験者」となる。つまり,未経験学生は採用されにくい。
 となると,上位層でもなく,経験もない一般大学生はどうするのか?
 まずは,欧米でも離職率の高いブラック企業は新卒未経験採用を大量に行っている。こんな企業に入るのが1つ目の選択肢。2つ目は,アルバイトやインターンといった低給与・不安定な身分で1〜2年下働きをしながら腕を磨いて職を探す。これが2つ目の選択肢。
 とどのつまり,ブラック企業での正社員か,中小企業のインターンで何年か働いたのち,ようやく大手企業のエントリー採用にて職を見つけられる可能性があるが,それも日本同様,やはり狭き門である。そして,多くは無名企業にて正社員となっていく。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.17-19

一部だけの問題

 東大と京大で卒業生は毎年6000名,これに,北大・東北大・名古屋大・大阪大・九州大を合わせるともう1万9000名となる。一方私立では,早稲田と慶應の卒業生だけで毎年1万8000名。つまり,早慶旧帝大で卒業生総数は3万7000名。さらに,東工大・一橋・東京外語大・神戸大といった専門分野のトップ大学を加えると,年間卒業生は4万5000名に迫る。
 そう,超のつく難関大学の卒業生だけでも4万5000名もいる中で,人気企業の採用は平時で2万,多くて3万。難関大出身者でさえ,容易にこんな企業には入れていない。そんな企業群の「慣習」である新卒固執が,世間の常識となる異様さ。そして,マスコミがこの目立つ存在である「人気企業」×「難関大学生」にばかりスポットを当てた過誤。こんなボタンの掛け違いで,就職問題は解決とはほど遠い方向に動き出してしまった。大学は年間約55万人も卒業生を生み出す。そのうち就職希望者は45万人程度。そして就職できる人はアベレージで35万人。対して,たかだか採用ワク2万(卒業生比たった4%!)の人気企業の風習をいじったところで,大方の一般大学生にとっては何の問題解決にもならないはずなのに。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.15-16

保護者へ

 有効な手立ては見つからないものの,キャリアセンターが就職活動生の親との連携を求めているのは事実である。現状は保護者に対する「お願い」という形で,HPなどを通じ助力を仰いでいる。
 お願いの1つは,過干渉にならないでくれ,決めつけ押しつけは慎んでくれ,というものだ。時代がまるで違うのに,ご自身が大学生だった頃のやり方でいいのだと思って疑わない親御さんは意外といるので,わざわざ当然のことを言わせてもらうのである。
 2つ目は,望ましい接し方のアドバイス。子供の話の聞き役に回り,なるべく子供を否定せず,他の子供と比べず,とにかくその子と向き合ってくれ,というようなことだ。キャリアカウンセラーの基本姿勢を親に求めている。
 3つ目は,親御さんが子供の就職状況をつかんでおいてください,とのお願い。キャリアセンターが就職状況を確認したくても,学生と連絡がつかないことがけっこうある。そんなとき,お世話になりますというわけだ。
 他にもいろいろお願いしたいことはあるのだが,全就職活動生の親に共通して言うべきは少なく,教育機関としてどう接していいのかは難しい。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.228-229

手首

 キャリアセンターの仕事は基本的に待ちの姿勢である。学生が機嫌をそこねて来なくなってしまったら,対処のしようがなくて困る。怒鳴れない最大の理由がそれだ。
 が,もっと恐れている理由もある。リストカットされたら大変だからだ。
 これは比喩ではない。誤解を恐れずに言うと,「この子,少し様子がヘンだな」と感じたとき,私は反射的に学生の手首をちら見している。例外とは片づけられない確率で痕がついているものだ。
 痕を見つけたら,言葉遣いにより慎重を期する。間違っても質問魔にはならない。しばらくは聞き役,うなずき役に徹する。それ以上の何かをしてあげられると勘違いしてはならない。しかし,どんな事情があるにせよ,自分の進路を考えたいと思っていることは事実だ。それには,私もちゃんとした姿勢で向き合わなければならない。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.178

縁故を嫌う

 いまの就職活動生は縁故採用を嫌う。縁故採用というのは,血縁つながりだけでなく,それこそ何らかの縁で自分を気に入ってくれた大人の推薦による採用も含まれる。
 なぜ縁故採用がNGなのか。
 理由は前述の指輪と少しにており,仲間がみんな就活で苦労しているのに自分だけ脇道を通って内定を取るのは不正みたいな感じがする,というものだ。ある種の正義感が過敏に働くのだ。
 就職活動中に縁故の話が転がりこんできて,「どうしたらいいでしょう」とキャリアセンターまで相談しに来る学生はちょくちょくいる。不正とは違うことを説明しても,「入ってから苦労しますよね」「あとあと嫌な思いをするんじゃないか」と妙に悩む。
 理解に苦しむのは,自分の能力が引き寄せた縁故で悩む学生である。たとえば,アルバイトで接客したお客さんが,「いい子だな」と思って人事に働きかけた。このパターンで悩む学生は多い。ゴルフ場で受付をしていて,その働きぶりが気に入った経営者から声をかけられた。そんなラッキーケースでも悩む。個別相談で泣いてしまう。
 バイト姿が評価されたのだから自慢してもいいくらいなのに,そう思わない,そう思えない。困った意味でマジメ,普通じゃない事態に腰が引ける。そんな大学生が男女を問わずかなりいる。
 縁故を「コネ」と読んで,そこに黒っぽいイメージを重ねてきた世間のほうにも問題があるのかもしれない。「あの子はコネだから」「そうだと思ったよ」という職場での会話の中に,プラスの要素は見つけづらい。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.174-175

学歴フィルター

 ウワサの「学歴フィルター」については,企業がナビサイトで説明会参加者を大学名でふるいにかけることはできる。同じ企業の説明会に,東大生がアクセスするといつでも「空席あり」だが,下位校の大学生がアクセスすると「もう定員になりました」の表示に,といった具合に。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.136

就職ナビサイトの功罪

 就活ナビサイトは「一応」日本の就職活動生全員に,求人情報を公開している。
 以前は,特定のいくつかの大学にしか送らなかった求人票を,企業がナビサイトに求人情報として掲載することで,「誰もが」「どこの企業へも」採用選考にエントリーできるようになったわけである。
 結果,以前だったら,「うちの大学からは難しいだろう」と避けていた企業にも,新卒募集の応募をする学生がわんさかと出てきた。
 手書きのハガキで応募していたかつてより,パソコンを使ってエントリーする今のほうが心理的負荷は小さい。そんな些細な話も含めて応募の「自由化」が起こり,「知名度の高い社会」「身近なイメージの会社」の人気が沸騰したのだ。
 たいした志望動機がなくても,とりあえずエントリーする。とりあえずすることによって,学生は就職活動をしている気分になり,受かるはずもない企業へのエントリー数を増やし,どこかには受かるだろうと甘い幻想を抱く。
 いまや十単位の採用に万単位の人数の応募が来るケースも珍しくない。マスコミのような宝くじ的倍率の就職人気企業があちこちに存在する。
 事実上の学校指定制度に近かった,あるいは大学階層と企業階層が近似していた就職活動が,IT革命で下位校の学生でも有名企業の門を叩けるようになった。とも言えなくはない。実際,門を叩いて,その先のお屋敷に入ることになった例も,ごくごく稀にある。
 けれども,そうした「功」よりも,「罪」のほうがやっぱり目立つ。「機会の平等」以上に「現場の混乱」をもたらしたのが,ナビサイト主導の就職・採用活動なのだ。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.98-99

高就職率の秘密

 入試偏差値は40台なのに,就職率の良さを大いに誇っている大学というのも目立っている。あれはほとんどが規模の小さな理工系の大学だ。手間暇をかけて学生を育て,就職支援をできる体制を作っているのはたしかだけれども,少し気をつけたいのは理工系就職のイメージの強い有名メーカーなどに,文系枠で就職させている戦略があるということ。学生本人が納得していれば何の問題もないが,エンジニアになりたくて×××大に入ったが,結局は営業マンにさせられてしまいました,というパターンはありがちだ。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.88

就職率算出方法

 就職率の計算式で気をつけたいのは分母である。本来ならば,就職率すなわち就職希望決定率の分母は,全卒業生数から「進学者」「留学者」と「就職を希望しない者」を引いた数とするのが適当だ(進学者には「就職できなかったので仕方なくそうした人」が,就職を希望しない者には「途中で心が折れて諦めた人」などが混じっているけれども)。
 が,それだけでは分母が大きくなってしまうからと,「進学不明者(心理未決者)」,状況不明者(回答未収)を外す。海外からの留学生は内定すれば分子にカウントするが,就職が決まらず(留学ビザが切れるため)母国へ帰る学生については,「帰国者」として処理され,就職希望者ではないとする。
 やりかたがひどすぎると思うのは。公務員再受験予定者などを外す計算法だ。在学中に公務員試験を受けた学生も「就職を希望した者」に他ならないはずで,受かった場合は華々しく大学入学案内やキャリアセンターのHPで紹介されるが,来年以降も受験するハメになった学生については分母から消される。資格試験を目指す者,進学や就職準備中の者も同様だ。
 なんだかんだのセコ技で分母を削り,分子は都合よく膨らます。大学によって細かな違いはあるものの,就職率の計算式はおおよそこうなっている。
 なぜ高等教育機関である大学が,こんな作業に精を出すのか?
 簡単に言ってしまえば,大学としての生き残り競争にさらされているからだ。潰れるわけがない大学であっても,同じ階層の他大より劣っていると見られたくないからだ。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.84-85

本末転倒

 就職のエントリーシートを1年生に書かせるという,勘違いセンセイの授業を拝見したことがある。将来の就職ではこんなふうに自分を見られるのだから充実した学生生活を過ごせよ,というメッセージの方法でやっているのなら理解できなくもない。
 しかし,そのセンセイの意図は違った。
 書類や面接で受かるには,自己PRがうまくできるようにサークルがんばれ,アルバイトがんばれ,「就職活動はネタが勝負だ」と寿司屋みたいなことを言ってしまう。
 これだと大学生活は企業採用に受かるために過ごす期間なのか,という話になる。エントリーシートを配られた1年生は,その紙をじっと見つめながら,「ああ,自分の大学の勉強って関係ないんだな」と受け取ってしまう。
 でも,彼ら彼女らはサークルやアルバイトをがんばるためだけに,大学に入学したわけじゃないのだ。大学の勉強があって,他もあって,そのトータルを大学生活として期待していた。なのに1年次の正規の授業内で,その期待の梯子を外されてしまう。
 だったら,そもそも大学なんかに進学しないで,4年間をアルバイトでがんばったほうがいいじゃないか,となる。まさに本末転倒な授業。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.46

能力主義

 3つ目の能力主義とは,たとえば先述した「コミュニケーション能力」の偏重だ。コミュ力を高めよ,と言われ始めて十年は経つ。が,どうやったら高められるのか,クリアに答えられる人の存在は寡聞にして存じあげない。眉ツバ系の自己啓発書の世界に行けば,いろんなメソッドがあふれかえっているらしいけど。
 コミュ力と並んで「社会人基礎力」も流行っている。2000年代の中頃に経済産業省が提唱した概念で,「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」の3つを核とする。
 それぞれあったに越したことはない力だが,はてさてどうしたもんだろう。
 「努力」「気力」「忍耐力」「創造力」「団結力」など,昔から掲げられてきた「〜力」がある。新しい「〜力」は古臭くなってしまったこれらの力を組み合わせて,なにかあたらしい概念を生み出したつもりになっているだけでは?

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.43-44

態度主義授業

 態度主義は,やたらに細かいマナー講座をイメージしていただければいい。
 その際のお辞儀の仕方は何十度です,この場合のエレベーターではどこに立ちますか,メールと電話と手紙のどの方法で返事をすべきでしょう,といった事柄にこだわる。
 秘書検定の受検講座ならべつに構わないのだけれど,これで社会が学べたつもりになられたは困る。そもそもビジネスマナーは社会に出てから,それぞれの現場で覚えていく事柄ではないだろうか。現場ごとにマナーは違うのだし。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.43

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