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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

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創造性について

 創造性については,あるエピソードを思い出します。私は日本とアメリカの両方で野外教育の指導者になるトレーニングを受けました。野外教育の体制は日本では昭和の初めから確立していました。トレーニングの骨子はそのころにアメリカから学び確立したものだと思います。そのテキストに,「10人の子供がいて9人が野球をやりたがり,1人が山で絵を描きたがっている。あなたはどうしますか?」という設問がありました。答えは「1人を説得して野球をやらせる」でした。何年か後にニューヨークでアメリカ向けのトレーニングを受けた際のテキストに全く同じ設問を発見しました。予想どおり原本はアメリカにあったというわけです。しかし,その答えは次のようなものでした。「9人に勝手に野球をやらせて,大切な1人の子と山に行きなさい」。このように,日本では独自の発想を後押ししない風潮があり,創造性の芽が育ちにくい背景がありましたが,最近ではその状況も変わってきています。

村井 純 (2010). インターネット新世代 岩波書店 p.188
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時代は変わっている

 親世代と子世代のもっとも違う点は何か。それは,今はやり直しがきく時代だ,ということだ。学歴で選別され,歩む道が最初から異なる社会人人生は,ナンセンスである。たとえ学力に劣っていたとしても,たとえ一流大学出身でなくても,それをリカバーするものがあれば,評価してくれる会社はいくらでもある。一度仕事についたら,文句を言う前に,まずはやれるだけやってみることだ。そして酸いも甘いも体感した上で,最初に歩み出した道が違っていたと気づけば,途中で方向転換すればいい。転職者が負け犬呼ばわりされる時代はとっくの昔に終わっている。経験したこと,積み上げたものに価値があれば,やり直しはいつでもできる。
 大事なことは,迷ったらやってみる,一歩前に出てみる勇気を持つことだ。最初から自分の希望を100%満たす会社や仕事なんて,あるはずがない。仕事をしたこともない者に,その仕事が向いているかどうかわかる道理はないのだ。判断するのは,やってみてからでも遅くない。そして踏み出した道で,まずは経験と実績を積み上げることだ。石の上にも三年という格言は,人生の勝ち組になる鉄則である。すぐに辞める者を,世の中は評価しない。親は,逃げそうになる子をじっと見守る強さを持たなければならない。それが本当の愛情というものだ。苦労せずして成長することなどあり得ないということを,大人は我が身をもって知っている。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス pp.201-202

親ができることは

 今は親世代の時代とは違う。新卒就職で失敗したら逃げ道がない時代ではまったくないのだ。仮につまずいても,第二新卒という手もあれば,中途採用という道だってある。決して易しくはないが,やり直す道は多数あるということだ。そうした面では,親目線から見た今の就活は,羨ましい限りかもしれない。確かに昨今の景気は厳しいが,それは昔も同じである。景気を言い訳にする前に,自分の希望ばかりを並べる前に,まずはやってみたらどうだと言いたい親も多いのではないだろうか。
 もし,自分なりにとことん考えて,それでも前に進めないというのなら,それは,前に進む勇気が足りないだけかもしれない。または,他の選択肢を考えてみるだけの視野がないのかもしれない。または,ダメなら就職しなくてフリーターでもいいかという甘えがどこかにあるのかもしれない。いずれにせよ,これは自分の問題でしかないのだ。親ができることがあるとすれば,就活の資金を援助してやること……くらいなのかもしれない。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス pp.130-131

学生は一部の企業しか知らない

 学生が知っている企業というのは,残念ながらほんの一握りの超大企業・有名企業・人気企業でしかない。そこに多数の学生が,就職したいと押しかけてくる。その結果,なかなか内定がもらえず,今年の就活は相当に厳しいと口にしている……としたら,どうだろう。もうちょっと視野を広げ,いろんな会社を見てみてはどうかとアドバイスしたくならないだろうか。それこそ世の中には,星の数ほど会社はあるのだ。
 もちろん超大手を「諦めろ」「挑戦するだけムダだ」なんて言うつもりなど毛頭ない。凹んで,疲れて,落ち込むくらいなら,世の中にある無数の企業に目を向け,自分にベストマッチの会社・仕事を探すことに力を注ぐことが大事だということを,忘れないでほしいと思うだけである。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス p.78

会社と我が子は別

 どんな企業でも,様々な形態の非正規社員が存在するようになっている現在,フリーターに対してネガティブな声が多いことは事実であるが,多くの企業が彼らを積極的に活用しているのも事実である。彼らの労働力なくして,現在の企業活動は成り立たないというのが実態に近いのかもしれない。
 本書を手にしている就活学生の親世代であれば,こうした実勢は実感を伴って理解いただけることと思う。リストラの危機,実力主義の導入などは,決して新聞やテレビの中の話だけではすまされない。現実の職場ではフリーターの若者と共に働きつつ,家庭に帰れば我が子の就活を見守るその心中を推察すれば,複雑な思いもあるだろう。職場で接するフリーターたちは,我が子とそう違わない世代の,同じ若者である。彼らが安価な労働力を提供してくれるお陰で,企業は回っている。しかしながら,我が子のこととなると,話は別である。彼らの姿に未来の我が子をダブらせるわけにはいかないのだ。親心とはそうしたものである。とはいえ,現実は容赦ない。だから,気をもむのである。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス pp.63-64

地元大学へ進学する理由

 遠くの大学に進学して,生活費のためにバイトするくらいなら,親元から通って,バイトして稼いだ分は全学小遣いに回した方がいいじゃん……という考え方をするのが今の子どもたちの主流である。親世代にとっても,少しでも上位の学校へという欲もありながら,その後の就職も考えると,子どもを地元においておきたいという本音がある。また下宿して仕送りに苦労するくらいなら,私立であっても地元で通ってもらった方が経済的にも楽だという計算も成り立つ。地元大学への進学者増加は,親子の利害が一致した結果ともいえるのだ。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス p.28

手話の否定文と疑問文

 音声言語と手話言語には違いもある。手話言語では文法的な意味づけと内容の伝達が同時に行われる。手話単語の要素も時系列的ではなく同時に伝えられる。これと似たようなものだ。例えば,肯定文を否定文に書き換えることを考えてみよう。英語では「not」を文中に挿入することで否定文と文法的に定義する(もちろんこの他の変化もしばしば伴う)。例文をあげるなら,「The cow jumped over the moon(牛は月よりも高く跳ねた)」は「The cow did not jump over the moon(牛は月より高くは飛ばなかった)」になる。もしくは「I kid you(だましたんだよ)」は「I kid you not(だましていないよ)」となる。信じてほしい。アメリカの手話では先に述べたように,否定は眉を寄せながら頭を振ることで伝えられる。そうでなければ肯定だ。頭を振りながら,「go」のサインを出すのは,I am going からI am not going へ変化したことを意味する。他にも顔のジェスチャーを使って文法的な意味づけを行う方法がある。「cow-jump-moon(牛—跳ねる—月)」という手話単語の系列は,頭を前に出し肩を動かして,さらに眉をつり上げながら行えば「Did the cow jump over the moon?(牛は月の向こうに飛んでいったかい?)」という疑問文になる。頭を後ろに傾けて,眉と上唇を上げながら同じ系列「cow-jump-moon」を行えば,この部分は分のなかの関係詞節として認識される。例えば,「The cow that jumped over the moon broke a leg(月の向こうに飛んでいった牛は足を骨折した)」のような文で使われるようなものだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.199-200

手話に疑問を抱く人びと

 けれどもその頃(実は今でも同じだが),聾者の教育に手話を使うことに疑問を抱く人もいた。また,手話教育施設をなくし,「口話」学校に通うようにすべきだというひともいた(今でもいる)。この「口話主義」への動きは19世紀頃に活発で,特にアレクザンダー・グレアム・ベルのような有名人からの影響が大きかった。何しろベルは電話という人の声を増幅する発明をしたのだから,口話を重視するのは当たり前だ。1880年にミラノで開催された国際聾教育者会議で問題はさらに深刻になった。会議の席で,口話主義を推し進めることが投票の結果認められた。そして,手話は公的に禁じられたのだった。このような流れは1970年代まで続いた。結果として多くのひとが長い間ひどい被害にあったのだった。1972年にアメリカで行われた調査,およびその数年後イギリスで行われた調査で,聾者は,中学校卒業時に平均して9才程度の読解能力しか獲得できていないことが明らかになった。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.177

聾者への教育の歴史

 1750年になるまで,99.9%の聾者は,文字を読むことや教育を受けることに希望を抱くことすら許されなかった.18世紀の終わり頃,フランスで手話が正統な言語であると認知されはじめるまで,この認識に変化はなかった。変化が起きたのはド・レペー師の影響が大きい。彼は神の言葉を奪われた聾唖者の魂を,聖書と公教要理を使って救おうと決意した人物だった。ド・レペー師はパリの路地裏にいる聾者が互いに出し合うジェスチャー・サインの巧みな動きにたいへん感心した。そして,コンディヤックの仮説を再び提唱したのだった。「あなたがた学者はあらゆる言語に共通する普遍言語を探し求め,見つからないため絶望しています。しかし,それはここにあるのです。まさにあなたの目の前にあります。そう,それこそが貧しい聾者がおこなっている模倣なのです。それお知らなかったため,あなたは模倣を馬鹿にしていたでしょう。しかし,聾者の模倣こそがすべての言語に対する鍵を与えてくれるものです」。これを聞いたら,拍手をせずにはいられない。やがてド・レペー師は1755年に聾者のための学校を設立した。そして,聾の生徒たちが自然に使っている手話を組み合わせて手話の文法を作り,学校で読書を教えるようになった。そう,聾教育がはじまったのだ。この施設は公的な支援を受けた最初の聾学校となり,1791年に国立パリ聾唖学校となった。
 この素晴らしい試みが広がるには少し時間がかかった。1816年に,この学校の生徒であったローラン・クレークはアメリカに渡った。彼の知性と博識に対し,アメリカの人たちはすぐに好感を持った。そして1817年にハートフォードでトーマス・ギャローデットとともにアメリカ聾教育施設を設立した。この施設が現代へ連なる手話教育の伝統を創り上げることになった。彼らはアメリカ手話の開発も行った。アメリカ手話はクレークによってフランスから紹介されたものとアメリカで現地の聾者が使っていたものを組み合わせたものだった。1864年にアメリカ議会はコロンビア盲聾唖教育施設を国立聾唖大学に格上げする議案を通過させた。そしてその後,初代校長であるエドワード・ギャローデットの名を取りギャローデット大学(Gallaudet College)と名付けられた。ちなみにエドワードはトーマス・ギャローデットの息子である。さらにその後ギャローデット(総合)大学(Gallaudet University)へ変更された。現在でも,聾者のためだけに教養教育を行う世界で唯一の大学である。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.175-177

分類の表現方法

 分類は,図解を併用すると能率があがる。
 まず,もっとも基本的なのは「ツリー図(樹状図)」である。ツリー図では,その体系が一目でわかるのが長所だ。
 ウィンドウズのフォルダーもツリー型になっているように,これは分類の基礎である。
 百科全書では,ツリー図によって,人間知識の新しい体系が示されていた。
 複雑な体系をもつ学問分野でも,全体のツリー図を作成することによって,理解しやすくなるはずだ。
 なお,ツリー図の一種に系統樹がある。これは線で結ぶことによって,モノとモノとの系統をあらわす。最初に用いたのは,動物学者のラマルクであるといわれる。
 分類は表(マトリックス)にして見せることもできる。多次元で解析するときに便利な方法だ。たとえば,りんごを色と甘みというように2つの基準で分類したいときなどに,威力を発揮する。
 また,元素の周期表のように,規則性があるものを表現するのにも,表による分類法は大いに役立つ。
 また,縦軸と横軸をとり,座標にして分類の結果を見せることもできる。x軸とy軸が直角に交わっている座標は,発案者の名前をとって,「デカルト座標」と呼ばれている。
 一群の対象が,どのような傾向をもっているか,一目でわかるのが便利だ。これなら分布状況まで一目でわかる。たとえば,購買客の買い物の傾向を,値段の高い安い,量の多い少ないなどで分類してみることができる。
 ほかに,ベン図という表し方がある。これは円を使って,モノゴトとモノゴトの関係をあらわす方法である。数学の集合論で使われる方法だ。
 Aという集団とBという集団がどのように関係しているか,全面的な関係か,部分的な関係か,内包関係にあるのか外包関係にあるのか,すぐわかる。

久我勝利 (2007).知の分類史:常識としての博物学 中央公論新社 pp.218-219

読書の達人?

 「読書に上手いも下手もないよ。読む意志を持って読んだなら,読んだ者は必ず感想を持つだろう。その感想の価値は皆等しく尊いものなのだ。書評家だから読むのが巧みだとか,評論家だから読み方が間違っていないとか,そんなことは絶対にない」
 「ないんですか?」
 「ないね。まあ,読書の達人だとか小説の権威だとか,そう云うことを宣うお方は,大概は偉ぶっているだけの小者か賢ぶっているだけの無能なんだよ。手当たり次第読み散らかして適当に悪く云えば,なんとなく偉そうで賢そうに見えるだろ。そんなもんでも書きようで一応は見識足るからね。大勢の中には賛同してしまう者だって少なからず居る。云ったもん勝ちだね。そうなると過大評価されて,馬鹿は益々いい気になる。また,考えなしの出版会社が持ち上げたりもするんだよ。でお,そんなものは字さえ読めれば猿にだって出来るような仕事だからね。少しでも弁えた人間はそんな厚顔無恥なことは口が裂けても云わない」

京極夏彦 (2009). 邪魅の雫 講談社 p.253

フリー世代

 今日,ブロードバンド環境で育った若者が,デジタルのものはすべてタダであるべきだと考えやすいのは本当だ(実際にほとんどがそうだからだろう)。彼らを「フリー世代」と呼ぼう。
 この集団——はまた,情報は無限であり,すぐに手に入ると考えている(彼らはグーグル世代とも呼ばれている)。彼らはコンテンツや他の娯楽にお金を払うことをますます敬遠するようになっている。なぜなら,無料の選択肢がたくさんあるからだ。万引きしようとは思わないが,ファイル交換サイトから音楽を不正にダウンロードすることについては何もためらわない。アトム経済とビット経済の違いを直観的に理解していて,アトム経済ではお金を払うべき本物のコストがかかるが,ビット経済はコストがかからないことをわかっている。その観点から言えば,万引きは窃盗だが,ファイル交換は被害者のいない犯罪なのだ。
 彼らは,フリーが無料だけにとどまらず,自由でもあることを求める。登録システムによる制限や著作権管理スキーム,自分たちが手に入れられないコンテンツに抵抗する。彼らの質問は「いくら?」ではなく,「なぜ払わなければならない?」だ。と言っても彼らは傲慢なわけでも権利を主張しているわけでもない。フリーの世界で育った彼らの経験から出た言葉だ。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 pp.305-306

革新者は浪費の方法を考える

 これはムダを受け入れるための教訓だ。カーヴァー・ミードはトランジスタをムダにすることを説き,アラン・ケイがそれに応えて視覚的に楽しいGUIをつくり,それによってコンピュータが使いやすいものになった。それと同じで今日の革新者とは,新たに潤沢になったものに着目して,それをどのように浪費すればいいかを考えつく人なのだ。うまく浪費する方法を。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 p.253

世界に寄与するという視点

 ですから国際化時代の日本の社会文化系の学者にこれから求められる仕事とは,最早外国語の文献を翻訳することで日本国内を豊かにし,日本人を啓蒙するだけでなく,広く外国の人々に役立つ知識,日本人ならではの独創的な考えを世界に発信することだと私は考えるのです。この意味で文部省が外国語に翻訳された私の仕事を学問に対する私の貢献だと認めないことは,日本人学者の知的学問的貢献を,まだ国内的視野だけで評価していて,広い世界に対して寄与したかどうかの視点が欠けているからなのです。日本人学者の自然科学の分野での業績は既に国際的に目覚ましいものがありますが,社会文化系の学問の世界に対する貢献は明らかに遅れています。だから日本人の独創的な業績を世界にまず外国語の翻訳を通して広める必要があるのです。そしてこのことは日本語そのものの読める次の世代を広げることにも確実に繋がります。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.238-239

やりたくないだけ

 もう20年以上もまえに僕が見出した法則の一つに,「悩んでいる人は,解決方法を知らないのではなく,それを知っていてもやりたくないだけだ」というものがある。方々で何度も書いたり話したりしている。
 悩んでいる人を揶揄しているのではない。人間というものは,自分のことを一番よく考えている。貴方のことを一番考えているのは貴方なのだ。これは例外なくすべての人に当てはまることだろう。
 どうすれば良いのかは,わっているけれど,その方法を素直に選択できない状況下にある。だから悩むのである。
 解決の方法がないわけではない,というのが,この法則の意味だ。道に迷っているのではない。道は目の前にあるけれど,なんらかの理由でその道を通りたくないのである。

森博嗣 (2009). 自由をつくる 自在に生きる 集英社 p.109

自由の本質

 自由の価値というのは,過去の自分よりも,今の自分が,そしてさらに将来の自分が「より自由」になっていく変化を感じることにある。常に自由に向かって進む,その姿勢こそが,自由の本質だといっても良い。目指すものが自由であるなら,目指す姿勢もまた自由である。そういう不思議な連鎖が自由の特性だといえる。

森博嗣 (2009). 自由をつくる 自在に生きる 集英社 p.89

達成感は不自由から解放されたことを意味する

 そもそも,「終わった!」「達成した!」という感覚こそが,人から与えられたノルマだから感じるものだといえる。
 自分の発想でやり始め,自分が自分に課した目標であれば,たとえ見かけ上それを達成したとしても,新たな目標が必ず出てくるし,途中できっと不満な部分に出会い,あそこを直したい,もう一度ちゃんとやり直したい,という気持ちになるはずだ。自分の自由でやると,絶対にそうなる。経験がある人にはわかるだろう。
 コンテストや競技,あるいは競争というイベントのときだけに「やった!」という達成感がある。とりもなおさず,それは自由を獲得したというよりは,不自由から解放されただけのことで,単に自由の出発点に立ったにすぎない。

森博嗣 (2009). 自由をつくる 自在に生きる 集英社 pp.62-63

科学史や科学哲学の重要性

 白紙から博士が生み出されるわけではない。研究者たちは,一人前の科学者となるべくトレーニングを積むとき,それぞれの専攻分野がたどってきた歴史の少なくとも一部分を短期間で反芻しながら,同時にあたりに漂う有形無形の雰囲気を取り込みつつ,勉強と研究を積み重ねて成長していくのだろう。しかし,そのような日々の研究生活の中で,自らが置かれている学的伝統がどれほど自覚されているだろうか。私の知るかぎり,現在の日本の大学や大学院のカリキュラムでは,自然科学系の学生が科学史や科学哲学をきちんと学ぶ機会は残念ながらほとんどないと思う。しかしながら,個々の専門分野には現在に至るまでの長い研究の歴史があり,それを支えてきた理念や方法論が備わっているはずだ。

三中信宏 (2009). 分類思考の世界—なぜヒトは万物を「種」に分けるのか— 講談社 p.177

体育教師によくあるケース

 もう1つの根本的な問題は管理職の発達障害児に対する姿勢である。特に中学校で非行児童の生徒指導に辣腕をふるった実績によって管理職に昇る教師がおり,この教師たちはなぜか体育の教師が多く,アスペルガー症候群やADHDに対しては「わがまま」という把握以外の理解が非常に困難である場合を散見する。筆者は体育の教師に偏見があるわけではなく,もちろん体育を専攻された先生方の中にも非常に細やかな方も多いのであるが。

杉山登志郎 (2007). 発達障害の子どもたち 講談社 p.211

適正就学ができていない証拠

 現在の日本の状況を見ると,特別支援学校の小学部が少人数で,中学部は一挙に増え,高等部は収まりきれないほど人数が増えるという状況が普遍的に見られる。これは本来は逆であろう。個別の必要に応じた対応をし社会的な行動が身につけば,より大きな集団へと移り変わってゆくことが可能になるからである。
 日本のこの状況は,適正就学ができていない何よりもの証拠である。適正就学が不十分である理由は,残念ながら,これまでの学校教育における特別支援教育の軽視と専門性の不足にあるとしか思えない。目の前の子どもにどのような学校生活を送らせればそれが将来の幸福につながるのかということを想像できる専門性を備えた人によって就学の判断がなされていないところにこそ,大きな問題があるのだ。

杉山登志郎 (2007). 発達障害の子どもたち 講談社 pp.204-205

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