読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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グレイは言う。「良心に反する行為を命じられた兵士が抱く疑問,そこに始まる戦争にたいする感情の論理は,ついにはここまで達するのである」。このプロセスが続けば,「良心に従って行動することができないという意識から,自分自身に対する嫌悪感にとどまらず,人類全体に対するこの上なく激しい嫌悪感が生じる場合がある」。
人間の身内にひそんで,同類である人間を殺すことへの強烈な抵抗を生み出す力,その本質を理解できるときはこないのかもしれない。しかし理解はできなくても感謝することはできる。この力があればこそ,人類はこれまで存続してきたのだ。戦争に勝つことが務めである軍の指揮官は悩むかもしれないが,ひとつの種としては誇りに思ってよいことだろう。
殺人への抵抗が存在することは疑いをいれない。そしてそれが,本能的,理性的,環境的,遺伝的,文化的,社会的要因の強力な組み合わせの結果として存在することもまちがいない。まぎれもなく存在する力の確かさが,人類にはやはり希望が残っていると信じさせてくれる。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.96-97
人間は基本的に,自分に最も身近なことを認識できない。哲学者と心理学者はこのことを早くから知っていた。サー・ノーマン・エンジェルはこう述べている。「単純で重要な問題ほど問われることが少ない。これは,人間の奇妙な知の歴史とじつによく符合している」。哲学者にして軍人でもあったグレン・グレイは,第二次大戦での個人的な体験に基づいてこう述べている。「自分自身について,そしてまたわれわれのしがみついているこの回転する地球について,あくまでも自分を見失うことなく追究し,ついに真実に到達できる人間はほとんどいない。戦争中の人間はとくにそうである。偉大なる軍神マルスは,その領域に足を踏み入れた者の目をくらませようとする・そして出てゆこうとする者には,寛容にも忘却の川(レーテー)の水を手渡してくれるのだ」。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.87-88
ごくふつうの人間は,なにを犠牲にしても人を殺すのだけは避けようとする。このことはしかし,戦場の心理的・社会的圧力の研究ではおおむね無視されてきた。同じ人間と目と目が会い,相手を殺すと独自に決断を下し,自分の行動のために相手が死ぬのを見る――戦争で遭遇するあらゆる体験のうちで,これこそ最も根源的かつ基本的な,そして最も心的外傷(トラウマ)を残しやすい体験である。このことがわかっていれば,戦闘で人を殺すのがどんなに恐ろしいことか理解できるはずだ。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.84
第二次世界大戦中の資料にかぎらず,無数の歴史資料が伝えているのはこういうことだ。すなわち,先填め式マスケット時代,ほとんどの兵士は戦闘中にせっせと別の仕事をしていたのである。ずらりと並んだ兵士が敵に発砲するというイメージは,南北戦争に従軍した兵士の生々しい証言にひっくり返される。これはグリフィスが著書に引いているもので,アンティータム(南北戦争激戦地)の戦いについて語ったことばである。「さあ大変だ。こうなったら兵卒も将校も……そのへんの烏合の衆と変わりやしない。早く銃を打とうとあわてまくって,みんながてんでに弾薬包を破り,弾丸を填め,銃を仲間に渡したり,発砲したりする。その場に倒れるやつもいれば,まわれ右してとうもろこし畑に逃げ込むやつもいる」。
これが,記録に繰り返し現れる戦闘の姿なのだ。マーシャルの第二次世界大戦の研究でも,この南北戦争の描写でも,実際に敵に発砲しているのはごく一部の兵士だということがわかる。ほかの兵士たちは弾薬をそろえたり,弾丸を装填したり,仲間に銃を手渡したり,あるいはどこへともなく消え失せたりしていたのである。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.69
戦場の人間心理が誤解されてきた根本原因をあげるとすれば,ひとつには戦場のストレスに闘争・逃避モデルを誤って当てはめたせいだ。闘争・逃避モデルとは,危険に直面した生物は,生理的・心理的な一連のプロセスを経て,闘争または逃避にそなえて態勢を整えるという考えかたである。この闘争か逃避かという二分法は,危険に直面した生物の選択肢としては適切ではあるが,ただ例外がある。その危険が同種の生物に由来する場合だ。同種の生物から攻撃された場合の反応には,威嚇と降伏という選択肢が加わるのである。動物界に見られるこの同種間の反応パターン(すなわち闘争,逃避,威嚇,降伏)を人間の戦争行為に応用するというのは,私の知るかぎりではまったく新しい試みである。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.46