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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

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金縛りと体脱体験

以上のことをふまえると,金縛りのときに体脱体験が起きやすいのは,実際に手足が動かない状態で「自分」の感覚だけが明晰になっているからにちがいない。肉体の位置に「自分」を想定しても,肉体は動かないので意味がないのだ。いっそのこと,肉体を抜け出した位置に「自分」を想定しよう。そのほうが自由に動ける気がして何かと便利だ,と「自分」が思うのだろう。そしてそれが,体脱体験として実感されるのだ。
 さらに,体脱体験の根源は,非常時のための脳活動にあるとも推測できる。体脱体験は金縛り時だけでなく,交通事故で瀕死の重傷を負ったときや,重大な病気になり病院のベッドで苦しんでいるときにも起きやすい。あれこれ悩んでもしかたがないときに,「自分」という意識を肉体から解放する脳活動が存在しているようだ。これは,もはや原始的な肉体の治癒能力にゆだねるしかないという,脳の高度な状況判断なのかもしれない。

石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 37-38
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科学と疑似科学

間違った法則にのっとって地面を掘るとおいしいイモはとれない。しかし,おかまいなしに掘ってもおいしいイモはとれないので,結局どちらでも同じである。つまり,失敗は常につきものなのであって,正しい法則を見つけられれば儲けもの,ということだ。
 こうして人類は,過剰に法則をつくるようになったのだ。進化生物学の言葉で厳密に表現すれば,過剰に法則を作る人が現れた集団が食料調達能力を向上させ,その集団が生きのびる確率が高まったのである。
 これが疑似科学信奉の起源である。
 生き延び続けた集団の末裔である私たちも,過剰に法則をつくる傾向をひきついだ。規則的なパターンらしきものを見出し,その知恵をなるべき早く仲間に伝えようとする衝動を,私たちの多くがもちあわせている。
 すなわち,科学と疑似科学はともに先史時代に発祥したのだ。

石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 7

簡単に誤る

バーナード大学の心理学者であり動物行動学者でもあるアレクサンドラ・ホロウィッツによると,その答えはノーだ。ホロウィッツは,イヌが後ろめたそうなそぶりを見せるのは,イヌが「実際に」粗相をしたときなのか,それともイヌが粗相をしたと飼い主が「考えた」ときなのかを判別する,独創的な実験を考え出した。
 この実験ではまず,イヌのすぐ目の前にイヌ用ビスケットを置き,飼い主がそれを食べないようイヌに命じる。次に,飼い主はイヌとビスケットを残して部屋を離れる。飼い主がいないあいだに,,ホロウィッツはイヌにそのビスケットを食べさせてしまったり,取り上げたりしておく。飼い主たちはなにも知らずに部屋に戻ってくる。するとその半数は(イヌの表情を見て)誤解し,イヌたちは自分の言うことを聞かなかったとホロウィッツに訴えた。実際には,イヌは何も間違ったことをしていないのに(これが不正なやり方なのはわかっているけれど)。
 こうして,イヌが悲しそうなそぶりを見せるのは,飼い主が自分のイヌが言うことを聞かなかったと「考えた」ときだけであって,イヌが実際にビスケットを食べてしまったときではないことが明らかになった。この実験はもちろん,イヌが道徳感を持ち合わせていないことを証明するものではない。そうではなく,わたしたちがいかにたやすくイヌの表情や行動を誤って解釈してしまうかを示すものだ。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.91-92

好悪と役立ち

人類動物学者のジェームズ・サーペルは,わたしたち人間の他の生物種に対する考え方が文化によってどう違うかを,簡単かつ手ぎわよく把握する方法を開発した。サーペルによると,人間の動物に対する考え方はつまるところふたつの側面に分けられるという。ひとつは,その生物種について感情的にどのように感じるか(「感情 アフェクト」)。そのうちポジティブなものに愛や同情があり,ネガティブなものには恐れや嫌悪がある。もうひとつは,わたしたち人間の立場から見て,その生物種に使い途があるか,役に立つか(食用になるとか,移動手段として使えるとか),あるいは有害か(たとえば人間を食うとか)という側面だ(「有用性 ユーティリティ」)。
 ここで,直角に交わる二本の線で区切られた四つの領域を想像してほしい。垂直な線は感情の側面をあらわしていて,上が「愛/好意」,下が「嫌悪/恐れ」を示す。その線は有用性の側面をあらわす水平な線によって二分され,左側は「人間にとって無益/有害」で,右側が「有益」を示す。これで四つの区分からなる分類法が完成したことになる。区分はそれぞれ,愛されていて役に立つ動物(右上),愛されているが役に立たない動物(左上),嫌われているが役に立つ動物(右下),嫌われていてしかも役に立たない動物(左下)を意味する。この分類法は,わたしたちの生活のなかで動物たちがどんな役割を果たしているか,わたしたちが動物たちをどのように分類しているのかを考えるのにかなり役に立つ。
 人間の最良の友であるイヌに対する態度の,文化による違いを考える上でも,この分類法は有効だ。盲導犬やペットセラピー犬には明らかに「愛されていて役に立つ動物」のカテゴリーがふさわしい。一方,標準的なアメリカのペット犬は,伝統的な意味で愛されているけれど,とくに役に立っているわけではない。サウジアラビアでは,イヌは一般的に嫌悪の対象となっている。これは「嫌われていて役に立たない動物」に分類される典型的な例だろう。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.66-67

ヘビ恐怖症は生まれつきか

科学者たちは,ヘビ恐怖症が広がっていく上で生まれと育ちのどちらが重要なのか,200年間にわたって議論してきた。ノースウエスト大学の心理学者スーザン・ミネカによると,サルの場合,ヘビに対する恐怖は学習によって身につくという。捕獲された野生のアカゲザルがヘビを怖がるのに対し,オリのなかで生まれたサルはヘビを怖がらないことを彼女は発見した。ただし,ヘビを一度も見たことのない研究室育ちのサルでも,捕獲された野生のサルがヘビに対してどう反応するかを目の当たりにすると,ヘビ恐怖症に早変わりしてしまうという。
 でも,ほかの研究者たちは,霊長類がヘビについて「空白の石版」(=生まれつきの性向を持たないことを指す。心理学者スティーブン・ピンカーの著作タイトルに使われた)だとは考えていない。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.57

もともと似ているのか似てくるのか

ロイとクリステンフェルドは,飼い犬が飼い主に似る理由についてふたつの可能性を考えた——収束説と選択説だ。収束説は,飼い主と飼い主と飼いイヌが年を経るにつれて本当に似てくるというものだ。一見するとこの考えは馬鹿げているように見える。とはいえ,人間どうしについて言えば,夫婦の結婚生活が長くなるにつれて顔が似てくるという収束が起こることが,すでに明らかになっている。そこでロイとクリステンフェルドは,もしも収束説が正しいのなら,飼い主と飼いイヌがいっしょにすごす時間と,両者の似具合とのあいだには,なんらかの相関があるはずだと考えた。
 それに対して,選択説は,そもそもペットを選ぶとき,わたしたちは知らず知らずのうちに自分に似た動物を選んでいると考える。ロイとクリステンフェルドは,もしこちらの説が正しいのなら,雑種よりも純血種のイヌを飼っている人のほうがよりイヌに似ているはずだと推論した。というのも,雑種の子イヌが成犬になったときにどんな見た目になるかを予測するのは(純血種のイヌがどんな見た目になるかを予測するより)むずかしいからだ。
 ふたつの説を検証するために,ロイとクリステンフェルドはいくつものドッグパークをうろついて,飼い主とそのイヌの写真を撮ってまわった。ふたりは次に,撮ってきた飼い主の写真,飼いイヌの写真,それに別の無関係なイヌの写真をそれぞれひとまとめにして学生たちに見せ,飼い主とその飼いイヌの写真を正しく組み合わせるよう求めた。もし偶然だけが作用しているなら,学生たちが飼い主の写真と飼いイヌの写真を正しく組み合わせることができる確率は50%になるはずだ。でも,もしも飼いイヌが飼い主に似る傾向があるなら,学生たちはもっと高い確率で正しい組み合わせを選ぶことができるに違いない。ふたりは,収束説よりも選択説のほうが,飼い主とイヌの見た目が似る理由をうまく説明できると考えていた。したがって,飼い主と飼いイヌの見た目が似るのは(成犬になっても見かけがあまり変化しない)純血種のときだけにかぎられ,いっしょに住んでいる時間の長さと,どのくらい似ているかにはなんの関係もないと予想された。
 ロイとクリステンフェルドの予想はあらゆる点で正しかった。学生たちは,飼い主の写真とその純血種の飼いイヌの写真を,3分の2の確率で正しく組み合わせることができた。これはただやみくもに組み合わせを選んだ場合に予想される結果に比べて,かなり高い正解率だった。また,選択説から予想された通り,学生たちは(飼いはじめは似ていても,成犬になると見かけがガラリと変わる)雑種については,その飼い主と正しく組み合わせるのにはあまり成功しなかった。結局,選択説が予想していたような,飼い主は長くいっしょに住めば住むほど飼いイヌに似てくるなんて証拠はどこにも見当たらなかった。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.33-35

似たイヌ

この仮説が正しいかどうかを確かめるために,コレンは異なる髪型の女性に耳のかたちが違う四種類のイヌの写真を見せ,次のような項目について評価してもらった。それぞれのイヌの見た目がどのくらい好きか,それぞれどのくらい親しみやすく見えるか,どのくらい忠誠心がありそうか,どのくらい賢そうに見えるか——。コレンの予想通り,髪の長い女性はビーグルとスプリンガースパニエルをより好み,髪の短い女性はバセンジーやハスキーを好んだ。加えて,髪の短い女性は,ピンと耳が尖ったイヌをより親しみやすく,忠誠心に富み,賢く見えると評価した。コレンはこの結果から人には見た目にかんしてある特定の好みがあると論じた。人は自分自身についてある見た目でありたいと思うとともに,自分が惹かれるイヌにもそういう見た目であってほしいと思うわけだ。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.32-33

習慣から波及

たとえばここ10年ほどに行われた,毎日の日課に運動を組み込む影響について調べた研究を見てみよう。定期的に運動を始めると,それがたとえ週に1回といった少ない回数でも,他の運動とは関係のない部分も,知らないうちに変わってくる。代表的なのが,運動を始めると食生活が向上し,さらに職場での生産性も上がるという現象だ。喫煙量が減り,同僚や家族に対しても寛大になる。クレジットカードを使う回数が減り,ストレスも軽減する。なぜそうなるのかは,はっきりとはわかっていない。しかし多くの人にとって,運動というキーストーン・ハビットが引き金となり,幅広い変化が引きおこされたと考えられる。
 「運動するようになると,その影響が他の部分にも広がります」ロードアイランド大学の研究者ジェームズ・プロチャスカは言う。「そこには何か,他の習慣を楽にする何かがあります」

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.158-159

習慣を変える方法は?

「習慣」はどうやって変わるのか?
 残念ながら,誰にでも100パーセント効果があると保証できる方法はない。私たちは習慣をなくせないとわかっている。そのため交換するしかない。そして,もっとも簡単にそれができるのは,習慣入れ替えの鉄則が適用できたときであることもわかっている。同じきっかけと同じ報酬を使えば,新しいルーチンを入れることができるのだ。
 しかしそれだけではじゅうぶんではない。つくり替えた習慣を身につけるには,「変われる」と信じる必要がある。そしてたいていの場合,それはグループの助けによってのみ生まれる。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.141

信じることが

大切なのは「神」ではない,と研究者たちは気づいた。「信じること」そのものが差を生むのだ。いったん何かを信じることを覚えると,その能力が人生の他の部分にまで影響を及ぼし,自分は変われると信じ始める。
 信じることこそが,つくりかえた習慣のループを永遠の行動に変える要素だったのだ。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.130-131

新しい習慣が生まれるとき

新しい習慣が生まれる過程はこうだ。きっかけとルーチンと報酬が結びつき,その後,欲求が生まれてループを作動させる。
 喫煙を例にとってみよう。喫煙者がきっかけ(たとえば,マルボロのたばこ)を見ると,脳がニコチンの直撃を期待し始める。たばこを目にするだけで,脳はニコチンを求めてしまうのだ。それが得られないと欲求はふくれ上がり,喫煙者は無意識にマルボロに手を伸ばすことになる。
 次にメールを考えてみよう。コンピュータがメールの新着を告げる音を出したり,スマートフォンが震えたりすると,メールを開くことによる束の間の気晴らしを脳が期待し始める。それが満たされないと期待はふくれ上がり,ミーティングの場が,テーブルの下で振動する携帯を確認する落ち着かない社員たちの集まりになってしまう。たとえそれがオンラインゲームの結果のお知らせにすぎないとわかっていても,チェックせずにはいられないのだ(振動を消して,きっかけさえ取り除けば,受信箱を確認しようと思うこともなく,ずっと働くことができる)。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.81-82

神経学的欲求

このことから,習慣がなぜ強力なのかがわかる。習慣は神経学的欲求を生み出すからだ。
 こういう欲求はたいてい徐々に生まれるため,私達はその存在に気づかず,その影響にも気づかない場合が多い。しかし,きっかけがある種の報酬と結びつくと,無意識の欲求が脳内で生まれ,習慣のループが作動し始める。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.79

複雑な習慣

習慣になってしまうのが驚異的に感じるほど複雑な行動もある。たとえば運動の初心者にとって,車をスタートさせてドライブウェーから外に出るときは,大きな集中力が必要だ。それにはもっともな理由がある。まずガレージを開けて車のロックを解き,シートを調整してキーを差し込み,それを時計回りに回し,バックミラーとサイドミラーを動かし,障害物がないかどうか確認し,ブレーキに足を載せギアをリバースに入れたらブレーキから足を離し,頭の中でガレージから道路までの距離を予測し,そのあいだにもタイヤをまっすぐに保ちながら,道路を行き交う車に目を配り,ミラーに映る像からバンパー,ごみ箱,生け垣の距離を計算し,しかもこれらすべてをアクセルやブレーキを軽く踏みながら行い,そしてたいていの場合,同乗者にラジオをいじるのはやめろと頼まなくてはならないのだ。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.39-40

習慣の集まり

「私たちの生活はすべて,習慣の集まりにすぎない」
 1892年にウィリアム・ジェームズはそう書いている。私たちが毎日行っている選択は,よく考えた末の意思決定だと思えるかもしれないが,実はそうではない。それらは習慣なのだ。1つ1つの習慣はそれほど重要ではない。しかし長期的に見ると,食事で何を注文するか,毎晩子供たちに何を言うか,お金を貯めるか使うか,運動をどのくらいするか,考えをどうやってまとめるか,そしてどんな手順で仕事をしているかといったことが,その人の健康や効率,経済的安定,幸福感などに大きな影響を与えている。デューク大学の学者が2006年に発表した論文によると,毎日の人の行動の,じつに40パーセント以上が,「その場の決定」ではなく「習慣」だという。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.7-8

重いと重要

要するに,私たちは重いものを持つと,ものごとを重要と感じる。科学者らしい言い方をすれば,物理的な重さの感覚が重要度という抽象概念を呼び起こし,その結果として,人はものごとに重要性を見いだすと言える。では,そのような連想は双方向に作用するものなのか?つまり,私たちはものごとを重要と感じているとき,物体を物理的に重く感じるのか?この点を実験したオランダの研究グループがある。1つ目の実験では,被験者に本を1冊持たせ,重さを推定させた。すべての被験者に,これは大学の先生が使う本だと説明する。ただし,半分には「重要な」本だと伝え,あとの半分には重要性に関してなにも言わなかった。重要な本だと教えられたグループは,そうでないグループに比べて,本の重量を重く答えた。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.58

硬いか柔らかいか

学問分野には,「硬い」イメージの分野と「やわらかい」イメージの分野がある。硬いのは自然科学,やわらかいのは社会科学だ。前者は「ハードサイエンス」,後者は「ソフトサイエンス」と呼ばれる。私自身は,この二分法的な発想が好きになれない。私の専門である心理学は,生命科学や物理学と同じように対照実験や定量データの測定をおこなうが,ソフトサイエンスに分類されることが多い。
 一方,アメリカの二大政党のうち,共和党は,経済政策と外交政策,そして人工妊娠中絶や同性婚などの社会的な問題で強硬,つまりハードな立場を取ることが多い。それに対し,民主党のほうがやさしくて温情があり,ソフトというイメージをもたれている。
 ある研究グループは,人が他人の政党支持(共和党か,民主党か)と学問専攻分野(物理学=ハードサイエンスか,歴史学=ソフトサイエンスか)をどう判断するかに,硬い/やわらかいという物理的な触感が影響を及ぼすかを実験した。1つの実験では,被験者に硬いボールとやわらかいボールのいずれかを握らせ,男女4人ずつの顔を見せて,それぞれの人物が共和党と民主党のどちらを支持していると思うかを尋ねた。結果は,男女の識別の場合と同様だった。やわらかいボールを握った人のほうが,多くの顔を民主党支持者と判断したのだ。もう1つの実験では,被験者に大学教員たちの顔を見せ,それぞれの人物の専攻が物理学か歴史学かを予想させた。この実験でも,硬いボールを握った人はやわらかいボールを握った人より,多くの顔を物理学者と判定する傾向があった。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.42-43

触れるとチップが増える

触覚に大きく影響されるのは,子どもだけではない。大人がルールを守るかどうか,利他的に振る舞うかどうか,リスクの大きな行動に踏み出すかどうかも,他人に触れられるかどうかに影響される。こんな実験がある。スーパーマーケットで販売員が客を呼び止め,新しいスナック菓子の試食を勧める。その際,一部の客の腕に軽く手で触れるようにした。すると,腕に触れられた客は,試食を受け取り,さらには商品を購入する割合が大きかった。別の実験では,被験者の肩に軽く触れると,経済的にリスクの大きな行動を取る確率が高まった。おそらく,触れられることにより,安心感が増すからだろう。また別の研究では,レストランのウェイトレスが客の肩や手に1秒触れると,そうしなかったウェイトレスより,多額のチップを受け取ることができた。しかし,肩や手に触れられた客がウェイトレスや店の雰囲気に関して高い評価をくだすことはなかった。この点から考えると,体に触れられることがみずからの行動に影響を及ぼしていることに,客自身は気づいていないようだ。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.36-37

短時間の効果

暖かさが他人に対する信頼感や親近感を高め,気前よく振る舞わせる効果は,長くは続かないようだ。私たちの心理が物理的感覚の影響を受けるのは,ごく短い時間に限られる。しかし,効果の持続時間が短いからといって,それが重要ではないということにはならない。人が瞬間的にくだす判断は,先々まで大きな影響を及ぼす場合もある。だから,環境やほかの人たちからの影響をコントロールし,それをうまく活用することが重要だ。そのためにはまず,そうした影響の存在を認識する必要がある。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.29

こころと温感

これらの実験結果から考えると,人が寒く感じるか暖かく感じるかは,部屋の温度だけでなく,その人の心理状態にも明らかに左右される。仲間はずれにされたり,同席している人たちと考え方や価値観が異なったりして,孤独感をいだいているとき,その影響は肉体と心理の両方に及ぶ。また,部屋の中でほかの人から離れた場所にいるときも,人は孤独を感じ,部屋の空気を寒く感じる。逆に,ほかの人たちに受け入れられていると感じたり,意見や嗜好が近い人たちと一緒にいたり,誰かのそばに座っていたりすると,部屋が暖かく感じられる。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.26

同性愛者を見つける

そこでフロムとフーカーがとった戦略は,実に挑発的なものでした。ただ「同性愛を心理学的に研究しました〜」だけでは,学界でスルーされるのは目に見えています。ですから,学界の権威が無視できないよう,こんなステップを踏むことにしたのです。

・フロムの人脈を生かし,男性同性愛者を(刑務所からでも病院からでもなく)30人集める。
・続いて,男性異性愛者も30人集める。
・合計60人の被験者に,ロールシャッハ・テストなど,当時主流であった心理検査を受けてもらう。
・その結果をまとめたうえで,被験者のプロフィールだけ隠して心理学界の権威に提出し,「あなたたちはこの心理検査結果だけで同性愛者を見分けることができますか?」と問う。

 そんな挑戦状を叩きつけられ,心理学界のお偉いさんたちも黙っていませんでした。「私なら間違いなく同性愛者を見分けてみせる」と,学者たちは自信満々。中には自らのプライドを賭けて,60人分の検査結果を検討するのに半年もかけた学者もいました。ですが,みんなみんな不正解。「もう1回やらせてくれ!」と食い下がった学者だって,やっぱりまた不正解でした。同性愛を異常扱いしていた心理学者たちは,60人のうち誰が同性愛者なのかということを,ちっとも見分けることができなかったのです!

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.158-159

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