読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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MENSA JAPANが神童集団として,ほんとうに「知性才能」を「人類の向上に役立」たせているならばいい。だが,寡聞にして聞かない。アピールが足りないのだろうか。「知性才能」同士の親睦会であるのならばそれでいいし,MENSA JAPANの会員であることを自慢したければ,どうぞ勝手におやりなさい,といったところだ。むずかしいのは,どんな形でも「知性才能」をひけらかすことになり,それに対して支持が得られにくいことだ。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 65-66
困っている人たちの支援のためのチャリティのイベントをボランティア精神で積極的に進めている実業家や芸能人に対しても,困っている人たちの助けになっているというところには目を向けずに,
「慈善事業をすればよいイメージを与えられるし,どうせ人気取りだろう」
と冷めた目で見ている。
学問や芸術の振興のための基金づくりに奔走している学者や芸術家に対しても,その社会的な理想の追求といった側面には目を向けずに,
「自分が活躍する場がほしいんだろう,結局目立ちたいんだよ」
と吐き捨てるように言う。
国民のよりよい生活のためにと政治生命を賭けて頑張っている政治家や,会社の立て直しのために私生活を犠牲にして頑張っている経営陣に対しても,その公共的な貢献に目を向けることなく,
「結局,権力の座につきたいってことだろう」
と,一刀両断に切り捨てる。
豊かな社会を実現するために,人びとのためになる新たなサービスの実現に邁進している実業家に対しても,その社会貢献の側面には目を向けることなく,
「金儲けをしたいだけだろう。金儲けの手段が社会貢献につながれば評判もよくなるし,さらに儲かるってわけだ」
と,突き放した見方をする。
こんな具合に昔なら偉業とたたえるようなことでも,そこに利己的な欲求を読み取ろうとする。そこには,自分自身の利己的な欲求構造が投影されている。自分がそうした利己的な思いが強いために,他人の行動を見ても利己的な欲求がやたら気になってしまうのだ。
もちろんだれにも自己愛はあるし,社会貢献している自分に陶酔するといった気持ちはあって当然だろう。だからといって,社会貢献につながる行動を否定してしまったら,世の中は非常に殺風景になってしまうだろう。
「したことの実質」よりも,それが「人の目にどう映るか」に重きを置いた解釈をしがちな時代。そんな社会風潮が,ますます世知辛い世の中を生んでしまう。それも自己愛過剰な社会の特徴といってよいだろう。
榎本博明 (2012). 病的に自分が好きな人 幻冬舎 pp.107-109
「自分の可能性を信じろ」
「妥協せずに,好きなことを追求すべきだ」
「夢をもて!諦めるな!」
「自分らしく輝け!」
このような自己愛地獄に閉じ込めようと言わんばかりのメッセージがあちこちから突き刺さってくる。そこには「やりたいこと」と「できること」の線引きがない。これでは,自分の可能性を限定し,その他の可能性を取りあえずは切り捨てて,目の前の仕事に没頭するというのが難しい。
榎本博明 (2012). 病的に自分が好きな人 幻冬舎 pp.107
性格というものは,そうした非相加的な意味があるのではないでしょうか。私のカラープリンター理論が表しているように,性格は3つからせいぜい5つの特性を組み合わせることで無限の色あいを持った性格をつくり出せます。橙色が群青色よりも優れているわけでもなければ,黒が白より劣っているわけでもない。それぞれの色がそれぞれの働きをし,ほかの色との組み合わせの中で,それぞれに重要な意味をもって絵画の中で生かされている。そういうことが遺伝子レベルでもあるからこそ,非相加的遺伝効果が表れ,そして一見,適応的でないと思われる遺伝子も,今に残っているのではないかと推察されるのもです。もしそうだとすれば,遺伝的な不平等と思われることも,実は不平等ではないといえるかもしれない。
このように遺伝には,相加的遺伝と非相加的遺伝があり,さらに個々の形質には多数の遺伝子がかかわってくるとなると,親とまったく同じ特徴を持った子どもが生まれることは極めてまれだということがわかります。わたしが「遺伝は遺伝しない」という所以です。
安藤寿康 (2016). 日本人の9割が知らない遺伝の真実 SBクリエイティブ pp.94
この演技を私はすばらしいと思ったが,それに同意する観客はごく一部だったし,トニーの演技が終わったあとには,そのごく一部以外の観客の気分をまた引き立たせるのにはしばらくかかるのが常だった。これを見れば,コメディの趣味がいかに幅広いかがよくわかる。たとえば出演者どうしでショーについて話をすると,うち20パーセントぐらいは比較的ぱっとしないと全員が思っているが,その20パーセントはどことどこかという話になるとたいてい意見が合わない。当時はこれに納得できずにいたが,何年もたってやっと,人のユーモア感覚はきわめて主観的なものだということがわかってきた。笑いには伝染性があるから,人はいっしょに笑いやすいが,同じ作品でもひとりひとりべつべつに観たときには,一般に考えられているよりはるかに感想はばらばらに分かれるものだ。私はときどき舞台から観察するのだが,観客がフィルムクリップを観ているのを観察しているだけでも,反応の幅がきわめて大きいのがわかる。またなにが受けるか受けないかも,こちらがあらかじめ思い込んでいたのとはまったく一致しないものだ。もうひとつ,当時の私が学んだ教訓に,ベーカー街クラシック劇場のマルクス兄弟祭を観たときに得たものがある。数々の玉の中にいかに多くの石が混じっているか気づいて,どんなにすぐれた喜劇役者でも,しょっちゅう滑っているという結論に達したのだ。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.261
ふりかえってみると,私はずいぶん物静かでひとりが好きな子供だった(といっても寂しい子供ではなかったが)。母に言わせると,赤ん坊のころもぜんぜん泣かなかったそうだ――たぶん,泣くと母が来ると思ったからだろう。心理学者ハンス・アイゼンクによる,すばらしくわかりやすい内向性と外向性の説明を読んでから,私は自分が明らかに内向的だということを知った。もちろん,一方の端から他方の端まで,その程度は連続的に変化していくわけだが,両向性格と呼ばれる人々,つまり真ん中あたりに位置する人々は,両方の傾向をだいたい同じぐらいの割合で備えていることになる。これらの言葉を聞くと,戯画化された両端の人物像を思い起こすだけの人もいる。こっちの端には,口べたで痛々しいほど引っ込み思案なスウェーデン人の記録保管係がおり,あっちの端には,おしゃべりで厚かましいアメリカ中西部の車のセールスマンがいるというわけだ。そういう人たちは,俳優は外向的な性格に違いないと思い込んでいるものだが,じつはそうではない。舞台では堂々としているのに,大変な恥ずかしがり屋という演技者は少なくない。だれかのふりをすることと,自分自身であることのあいだには,なんと言っても大きな隔たりがあるのだ。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.77
要するに,どんな分野であれ,大きな成功を収めた人たちには断固たる強い決意があり,それがふたつの形となって表れていた。第一に,このような模範となる人たちは,並外れて粘り強く,努力家だった。第二に,自分がなにを求めているのかをよく理解していた。決意だけでなく,方向性も定まっていたということだ。
このように,みごとに結果を出した人たちの特徴は,「情熱」と「粘り強さ」をあわせ持っていることだった。つまり,「グリット」(やり抜く力)が強かったのだ。
アンジェラ・ダックワース 神崎朗子(訳) (2016). やり抜く力―人生のあらゆる成功を決める「究極の力」を身につける ダイヤモンド社 pp.23
生まれ持った固定的なパーソナリティ特性は人生に大きな影響をもたらしますが,私たちは自分の大切なもののためには,別のキャラクターになることもできます。
人生を自分でコントロールしようという主体性は,人生にポジティブな影響をもたらしますが,そのためにはコントロールできない側面に注意を払うことが不可欠です。
猛烈に忙しいライフスタイルは,遊びの感覚によって緩和されないかぎり,健康を損なう可能性があります。
状況に応じて自分を変える人と,どんな状況でも変わらない人がいます。
クリエイティビティには大胆な想像力やコミットメントが求められますが,それを実現するためには周りの地道なサポートが必要です。
場所とパーソナリティは密接に結びついていて,パーソナリティによってどのような都市や地域に惹かれるかに違いが生じます。
パーソナル・プロジェクト,とくにコア・プロジェクトは,私たちの人生にとって極めて重要で,永続的に人生に意義をもたらし,豊かな彩りを与えてくれます。
プロジェクトは時間の経過とともに色褪せてしまうこともありますが,状況を正しく認識し直すことで再活性化することができます。
ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.286-287
パーソナル・プロジェクトの中には,「人生のそのもの」と言ってよいほど,大きな意味を持つものがあります。私は,これを「コア・プロジェクト」と呼んでいます。
あなたは自分のパーソナル・プロジェクトのうち,どれがコア・プロジェクトなのかわかりますか?
見分けるにはいくつかの方法があります。まず,「重要性」「自分の価値観との一致」「自己表現できる」などが感じられるものは,コア・プロジェクトとみなせます。
また,進行中のプロジェクト全体を一つのシステムとしてとらえ,その関係を見るという方法もあります。あるプロジェクトは,システム内の他のプロジェクトと密接に結びついており,それが順調なときには他のプロジェクトもうまくいきますが,不調だと他のプロジェクト全体にも支障が出ます。このように他のパーソナル・プロジェクトに大きな影響を与えているのが,コア・プロジェクトなのです。
ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.266-267