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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「パーソナリティ・個人差」の記事一覧

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知能の得点化

では,それほど発達的意味と縁を切りたいのなら,なぜ,知能をあらわすのに,年齢尺度の代わりに,点数方式をとらなかったのか?そうすれば,距離尺度からさらに進んで,「100点の知能は,50点の知能の2倍である」といえるような,加減乗除の可能な尺度(絶対尺度)をつくることすらできはしないか?実際,そうした知能の絶対尺度をつくろうとする試みが,なされなかったわけではない。たとえば,アメリカのヤーキズは,すでに1914年にその努力をはじめている。
 ヤーキズのテストの大部分は,ビネー・テストから借り受けた。しかし,たとえば,ビネー・テストでは,「3分間に60語以上をいう」問題が,12歳用につくられているが,他の年齢用の問題の中には,この種の問題は見当たらない。そこで,ヤーキズは,「30語以上40語まで」いえば1点,「41語以上59語まで」いえば2点,「60語以上74語まで」おえば3点,「75語以上」いえば4点をあたえるようにした。こうして,それぞれの子どもの得点を合計して,知能を測ろうとしたのだった。
 実際,各年齢ごとの平均値を算出して,グラフにあらわすと,身長の発達曲線に似た曲線がえられた。ヤーキズは,これを知能の発達曲線だとみなしている。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.113
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相関抽出テスト

スピアマンによれば,一般知能とは,共通な基本的な知能であって,いわば一貫的な精神エネルギーだ。それに対して,特殊知能は,その精神的エネルギーを発現させるエンジンのようなはたらきをする。一般知能は,個人が生まれつき持ち合わせているものであり,外部から変化をうけることはないのに対し,特殊知能は,むしろ教育や訓練により大いに影響されるものである。
 そこで彼は,この基本的な一般知能を純粋にとらえることのできるテストを考案する。これが,「相関抽出テスト」とよばれるものだ。
 相関抽出テストは,スピアマンの「ノエジェネシス」の理論にもとづいている。ノエジェネシスとは,ギリシア語の「ノウス」(精神,理性,認識)と,「ゲネスレー」(誕生,生成,生産)との複合語であって,「認識の誕生」という意味になるが,彼はとくに,「新しいものを生み出す思考」という意味で用いている。彼によれば,ノエジェネシスは,「自分自身の経験の把握」「関係の抽出」「相関の抽出」という3つの基本原則から成る。関係の抽出とは,たとえば,「ロンドン」と「パリ」という2つの項から,イギリスとフランスという関係がひき出せるように,AとBとが与えられたとき,両者の関係Rを誘導するはたらきだ。一方,相関の抽出とは,たとえば,「イギリスとフランス」という関係と,「ロンドン」という項があたえられたとき,「パリ」という項がひき出せるように,関係Rと項Aから,もう一方の項Bを誘導するはたらきである。
 スピアマンにとっては,相関の抽出こそ,知能にとってもっとも本質的なものにほかならなかった。そこで,図形を材料にした相関抽出テストをつくって(というのは,言葉を材料にしたテストでは,経験の影響が介入してしまうからだ),一般知能を測定しようと試みたのである。
 すると,一般知能は,まさにビネー・テストで測定された精神年齢に一致していることが,スピアマン自身によって明らかにされた。「ビネーは,知らず知らずのうちに,経験的に因子分析をおこなっていた」と彼はいう。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.99-100

年齢尺度から能力尺度へ

一方,ターマンでは,能力テストに力点が変えられた。知能指数は,能力の発達の程度をあらわすだけでなく,知的聡明さをあらわす指標ともなったからである。いいかえれば,知能指数は,低い年齢に対しては発達指数だったが,ターマンのテストでは,発達が終わったときから,知的能力の指数に変化する。すでにのべたように,IQの分母は,どんな場合にも,15歳(発達の極限)とされ,分子は,精神年齢の本来の意味から逸脱して,単なる点数のようにみなされることとなった。このように,年齢尺度は,ターマンでは,生活年齢とか精神年齢とかの用語で表現されつつも,いつの間にか,能力尺度に変貌をとげたのだった。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.96-97

知能を身長にたとえる

実際,10歳以前は,個人個人の能力差よりも年齢差の方が大きいけれど,10歳から15歳の間は,年齢差と個人差の関係があいまいとなり,個人差のために,発達を年齢によって測定することを困難にしている場合が少なくない。さらに,15歳を越えると,個人差が目立ち,その能力の発達を,年齢尺度で測ることができなくなってしまう。
 知能を身長にたとえてみればいい。身長は30歳ごろまで伸びていくものだ。だが,15.6歳ごろから,身長の伸び率は,大きな意味をもたない。伸びの一般性はなくなり,個人差の方が大きくなるからだ。だから,18歳の身長とか,20歳の身長とか,25歳の身長とかいうよりも,小中大であらわしたほうがいい。同様に,知能の発達をしめすのに,年齢以外の尺度を使った方が適切だ,とシモンも考えていた。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.92

天才的着想

ともあれ,年齢で発達をあらわすという着想は,まさに天才的であり,生物測定にも精神測定にも,新しい世紀を開いたといってもいい。全体としての精神現象を尺度化するという困難な問題に対して,はじめて解決の見通しをあたえたのだ。
 人間は時間という連続量の増加にともなって質的な発達をとげる。その平均的なあり方を目安にして,精神の尺度に,時間の尺度をあてはめる。知能の差は,年齢の差に帰せられる。だから,各年齢の可能性を知りさえすれば,尺度が構成される。
 「なぜこんな簡単なことを発見するのに,これほど長い期間かかったのだろうか!」と,アメリカの心理学者L.M.ターマンを嘆かせたほど,単純であるためかえって見逃しやすいことがらなのだ。たしかにこれは,新しい自由な実験的精神をもつビネーにおいてこそ,思いついたことがらだ。彼が同時代の科学的心理学の努力とその欠陥を十分に知りつくしていたと同時に,当時の心理学者に不可欠だとされていた伝統的な哲学的素養を,それほど持ち合わせていなかったことも,この突飛な計画を成功させることに好都合だった。心理学のありきたりの方法や先入観や常識から解放されて,彼はものごとを素朴に,しかも大胆に考えることができた。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.53-54

テスト・バッテリーとガラクタの寄せ集め

すでにのべたような分析的方法をとる当時の実験心理学者たちは,知能を測定するのに,「反射の速さ」「記憶の幅」「注意の持続範囲」などといった項目をたくさんつくって,これらを別々に測定し,その測定結果を並べたてて,一覧表をつくっていた。だが,これらを共通尺度であらわすことができなかったので,互いにどのように比較し,これらをどう処理すればいいか,まったく見当がつかないでいた。このとき,ビネーは,「テスト・バッテリー」(テストの組み合わせ)というまったく新しいアイディアを提出した。つまり,ありとあらゆる異質な種類の問題から成るテストをつくったのである。
 これは当時のテストの常識からいえば,思いもよらないものであった。要素主義の立場をとる実験心理学者の眼には,ビネーの知能テストが,ガラクタの寄せ集めとしてしか映らなかった。だが,ビネーにいわせれば,知能とは「傾向の束」であり,ダイナミックな全体をなしている。だから,知能はあらゆる心理現象の中に浸透しているのであって,これを要素的なはたらきの中にだけ求めるのは,まちがっている。そこで,ビネーは,高等精神作用そのものをとらえようとした。高等精神作用とは,「良識,実用的感覚,率先力,順応力,判断力,理解力,推理力」などの全体である。だから,これらをとらえるテストは,当然,多様性をそなえていなければならない。どんなテストも,純粋に記憶力だけを,または論理力だけを調べようというようなものはありえず,テストの結果には,個人のもつ全傾向の合力が表現されている。だから,できるだけ多方面から,知能を追求していくことが必要だというのである。
 もちろん,テスト問題の多様性が,そのまま知能の多様性に対応しているとは限らない。しかし,少なくとも,多様な知能を尺度化する上では,それは必要条件なのだ。ビネーが異質な種類のテスト問題を,試行錯誤的に寄せ集めたとしても,決して盲目的な混合ではなく,彼の知能理論の必然的帰着にすぎなかったのだった。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.35-36

知能の順序尺度

ビネーの創案したこの年齢尺度は,当時の心理学者が思いもつかなかったような新しい考えであった。
 従来のテストでは,100点満点であらわされるような点数法が,もっぱら採用されてきた。つまり,何問中,何問合格したかという数量が,尊ばれた。それに対して,ビネーは,どれほど困難な問題まで合格できるかというその最高限度を測定しようとする。ビネーによれば,知能は,長さのように量として測定できるものでもなく,したがって次第に積み重ねられていくものでもない。だから,知能をあらわす尺度も,体重計が示す目盛りのように数学的な連続量としてみなすべきではなく,質的に異なるものを分類し,これを梯子段のように階層順に並べたシステムとしてあつかわなければならない。この分類基準としてとりあげたのが,年齢という単位であった。この年齢を目盛りとする尺度は,3歳は2歳より,14歳は13歳より進んでいるという意味で順序づけはできるが,それ以上の量的関係はない。だからこれは,順序尺度とよばれている。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.53

頭蓋計測と知能

まず,彼は1889年に,異常児の知能を間接的に測定しようとして,身体的特徴とくに頭蓋の大きさをとりあげた。だがこの測定が意味をもつためには,知能そのものを直接にとらえて,これと比較しなければならない。そこで,ビネーは,知能を直接に把握するための試問をいくつかつくって,コロニーの異常時たちに課してみた。と同時に,この試問をパリの小学生たちにやらせてみたところ,おもしろいことには,コロニーの異常児たちより年齢の低い小学生たちが,同じ言葉で答えたのだった。このことにより,ビネーは,「年齢尺度」を思いつく。この年齢尺度の利用は,あとでのべるように,現代心理学における最も重大な革新なのである。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.30

質的個人差と知能

このように,ビネーは個人差,つまり個人の質的差異を明らかにすることに熱中していた。このことは,ビネーがのちに知能テストという測定尺度をつきり,年齢といういわば量的なものをとりあげることになる点と矛盾していると思われるかもしれない。実際,個人差の心理学と,個人の微妙なニューアンスを無視する知能尺度の使用とは,正反対のもののようにもみえる。だが,ビネーの意見が変わってしまったわけではない。知能テストをつくり,精神年齢の使用を主張するようになったあとでも,たえず彼は,子どもが大人の縮図でもないし,おとなの知能程度を希薄にしたものでもないことを,強調しつづけていた。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.28

幸福な行動

思慮深く悩みがちな性質は,ある状況ではその人を守るが,別の状況では,そうでもないらしい。ハーバード大学の心理学者,ダニエル・ギルバートとマシュー・キリンズワースは,iPhoneのアプリを利用して,3000人の被験者の思考や幸福度を,昼夜を問わず不定期に記録した。その結果,人は,何かに集中している時に,最も幸福度が高くなることがわかった。もちろんセックスはそのような活動のトップだったが,30パーセントの人は,その最中でも他のことを考えていた。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.296-297

親の影響2%

環境(外的要因)には2通りあり,ある人の固有の,ランダムな要因(たとえばスリに襲われたり,事故に遭うといった経験も含まれる)と,家族や兄弟に共通する要因(たとえば住宅環境など)に分けられる。行動遺伝学者は,家庭環境(育児の仕方も含む)がどの程度,子どもの性格に影響するかという謎を追ってきた。その謎を解き明かす目的で彼らが行った双子と養子に関する研究は,2000年の時点で43件を超えていた。これらの研究の多くは規模が小さく,粗いものであったが,すべてを統合してメタ分析(複数の研究結果を統合し,分析・比較する方法)したところ,はっきりとしたパターンが見えてきた。
 エリック・タークハイマーが,43の研究のデータを全て統合したところ,親の影響による行動の違いはわずか2パーセントで,兄弟姉妹の影響で生じる違いと同程度だった。誕生の順番と年齢の影響はわずか1パーセントで,さらに重要性が低かった。この結果は,生まれた順番が性格に大きく影響するという心理学者の信念に,真っ向から対立するものだった。そして通常通り,50パーセントは遺伝要因によるもので,残りがその人に固有かランダムな要因によるものとされた。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.137

知能検査

ビネー式の知能検査(IQテスト)は,20世紀初頭にフランスのアルフレッド・ビネーが開発し,アメリカのルイス・ターマンが改訂して普及させて以来,100年近くにわたって,世界中で広く用いられてきた。双子と養子の研究では,IQには遺伝的要素が強いという,政治的論争を招きそうな結果がはっきり出ているが,IQの価値に疑問を投げかける調査結果も集まりつつある。ある研究でIQテストが実施されている国の10年ごとの結果を見たところ,その平均値は上昇しつづけていた。また,幼い頃にIQテストでトップクラスの成績をあげた人を追跡調査したところ,その大半は,それほど成功しないまま人生を終えていた。さらに悩ましいのは,非常に貧しい児童や恵まれない児童では,IQの遺伝的影響がほとんどゼロになるという結果が出たことだ。
 重要なのは,意欲ではないだろうか。最近の研究で2000人の児童について調べたところ,IQテストの高い得点は,意欲の強さと結びついていることが明らかになった。一方,得点が最低レベルだった児童は,意欲も低く,結局,自ら予測した通り,低い点数しか出せなかった。得点の高い児童は,賢い子だと思われたい気持ちが強かっただけなのかもしれない。IQテストは(ある人に言わせれば,人生もそうだが),IQだけでなく,個性と環境のテストと考えていいだろう。
 つまり,意欲は,数字として評価されないが,成功するために不可欠な要素なのだ。意欲こそ,天才の鍵となるもの,すなわち,長時間に及ぶ退屈なトレーニングに耐えられる子どもと,気が散ってすぐ投げ出してしまう子どもの違いではないだろうか。強さでも反射神経でも手先の器用さでも絶対音感でもなく,意欲こそが,長く探されていた天才の要素ではないのか。今ではほぼ忘れられているが,35年以上前に,61組の双子の女の子を調べていて,遺伝が意欲に影響していることを明かした研究がある。意欲をもたらす遺伝子を特定することができれば,それこそが天才になるために最も重要な遺伝子と言えそうだ。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.94-95

スポーツ能力の遺伝率

日常的にスポーツをする傾向が遺伝するのなら,スポーツ能力はどうなのだろう?数年前,わたしたちはオランダの研究者と協力して,大規模な双子の記録を調べた。4500組以上の双子のうち,300組以上が優れたスポーツ能力を共有し,20種目のスポーツのいずれかで国際レベルあるいは全国レベルの大会に出場していた。スポーツの競争能力には,遺伝が66パーセント影響していることがわかった。しかし,腕前も同じというわけではなく,たとえばテニスでは,一卵性双生児の腕前が互角である割合は,わずか50パーセントだった。そうした能力の遺伝率は,わたしたちが推定した,肺活量,筋力,筋肉量といった体の構造の遺伝率に近かった。ちなみに,わたしたちは最近,ケンブリッジの研究者とともに,心臓の健康状態も遺伝することを発見した。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.88

ユーモアの3要素

シリル・バートの教え子で,イギリスの行動心理学の草分けとして知られるハンス・アイゼンクは,1942年という暗い時代にユーモアを研究史,どんなジョークにも3つの要素があるという,今日,広く受け入れられている仮説を打ちたてた。ひとつ目の要素は認知に関わるもので,「わかった」という「落ち」,つまり,予想外の「ひねり」である。ふたつ目は能動的(積極的)なもので,他人の不幸に優越感を覚えることだ(たとえば,「水を張った樽に入った手足のない男を何と呼ぶかって?ボブ(浮き)だよ」というようなジョークがそれにあたる)。3つ目は欲求に関わるもので,性的な風刺やユーモア。最高に受けるジョークはこの3つの要素を兼ね備えている。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.52

バートの捏造事件

60年代に行われた双子研究は,環境重視派の社会学者から激しく批判された。彼らは,道義的な理由から,人格やIQが遺伝に影響されるという考え方に強く反発し,一卵性双生児の親は,子どもを同じように扱いがちなので,双子の人格やIQは似てくるのだ,と主張した。しかし実際には,親の接し方によって偏りが生じるという明らかな証拠はなく,さらに重要なこととして,仮に偏りがあったとしても,影響はわずかで,推定される遺伝率が数パーセント変わるだけなのだ。しかし,社会学者らのむやみな攻撃は人々の心を捉え,遺伝にまつわる発見の信ぴょう性が疑われるようになった。
 おまけに環境重視派は,双子の研究者の中に不正を働く人がいると,まことしやかに語った。格好の標的となったのは,イギリスの高名な教育心理学者,シリル・バート卿である。卿はIQの高い人々の交流団体である「メンサ」の名誉総裁にして,優生学協会のメンバーで,しかもIQは遺伝するという論文を発表し,11歳テスト(3種の中等学校に振り分けるためのテスト)の導入を指揮した人物である。こうした背景もあいまって,60年代,70年代を通じてバートへの風当たりは強かった。
 1971年にバート卿が亡くなると,かねてより卿を批判していた新マルクス主義の心理学者,レオン・カミン(「社会活動のための心理学者の会」のメンバーで,ネズミの心理を研究していた)は,さらにその動きを強めた。バート卿の研究記録やメモの原本が破棄されていたことを知ると,研究の実態を徹底的に洗いなおし,卿が犯した不正を自著において列挙した。1976年,ジャーナリストのオリヴァー・ギリーは,「タイムズ」紙の日曜版に寄せた記事の中で,その内容を公表した。複数の論文を調べたところ,被害者となった双子の数が増えているにもかかわらず,双子の相似性を評価した数値は,どの論文でもまったく同じだったのだ。ありえないことではないが,科学において,そのような一致はあまりに不自然だ。また,カミンとギリーは,バート卿は存在しない共著者をでっちあげた,と批判した。すでに亡くなっていた卿に反論はできなかった。実のところ,共著者はいたのだが,とばっちりを受けるのを恐れて身を潜めていたのだ。バート卿は詐欺師の汚名を着せられ,環境重視派は卿の捏造を証拠として,双子と遺伝に関わる発見のすべてを非難した。この事件で名を上げたカミンは,IQに遺伝性は皆無だ,とまで言い出した。環境重視派は勢いを盛り返し,遺伝学は20年近く忍従を強いられた。
 しかしその後,バート卿が推定したIQの遺伝率,60〜80パーセントという値が間違っていないことが,双子,養子,家族に関する研究の,1万人を超す被験者によって繰り返し証明された。そして卿の説は,80年代後半から積極的に受け入れられるようになった。興味深いことに,優秀な科学者が詐欺師の汚名を着せられるという事例は,バート卿やカンメラーに限ったことではない。アイザック・ニュートンは,音速の計算式が間違っていると批判され,重力理論は盗作だと中傷された。遺伝学の分野では,その始祖とも呼ぶべきグレゴール・メンデルが同様のそしりを受けている。メンデルは,エンドウ豆を研究して遺伝の概念や優性遺伝,劣性遺伝について初めて説明したが,豆を数える際に自らの予想に合うよう端数を切り上げたことを批判されたのだ。だが結局は,ニュートンと同じく彼も,その理論は正しかったことが証明された。環境重視派は,声高にバートや遺伝学を批判し続けたが,双子の研究が間違っているという証拠を挙げるには至らず,それらに多少の瑕があることを示したに過ぎなかった。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.40-42

運動で性格が変わる?

ヒトにおいて性格と関連する,さまざまな要因が検討されています。その一例は運動です。運動によって,脳由来神経栄養因子のメッセンジャーRNAとタンパク発現は海馬の,とくに歯状回で増加します。運動によって発現が亢進する多数の遺伝子は脳由来神経栄養因子と相互作用するところから,脳由来神経栄養因子は脳の可塑性において中心的役割を果たしていると考えられています。運動は,簡単で,費用もかからず,生活様式をよりよいものにすることができる手段ともいえるでしょう。

土屋廣幸 (2015). 性格はどのようにして決まるのか:遺伝子,環境,エピジェネティックス 新曜社 pp.175

説明割合

他の遺伝子についても言えることですが,単一の遺伝子で性格の違いを説明できる割合は小さく,性格に関連する遺伝子の違いが多数重なって,生まれつきの気質の違いが決定されると考えられます。性格特性に関連すると思われる遺伝子にある程度目標を定めて調べるやり方を,候補遺伝子アプローチと呼んでいます。この方法に対して,ゲノム全体に存在するスニップを網羅的に調べていって,疾患と対比するようなやり方を全ゲノム関連解析法(GWAS)と呼びます。

土屋廣幸 (2015). 性格はどのようにして決まるのか:遺伝子,環境,エピジェネティックス 新曜社 pp.48

メリトクラシー社会化

1960年代から1970年代初め,カリフォルニア大学バークレー校の心理学教授,アーサー・ジェンセンが,知能テストにはマイノリティが不利になるバイアスはなく,マイノリティの成績向上を狙った学校プログラムは失敗に終わるだろうと主張する論文を書き始めた。ハーバード大学心理学教授のリチャード・ヘアンスタインは1971年,アトランティック・マンスリー誌に論文を発表し,米国は急速にマイケル・ヤング型のメリトクラシー社会になりつつあると述べた。すなわち,知能は今や,社会の中でまさにカギを握る資質になっている。知能は遺伝によってかなりの部分が受け継がれる。それゆえ,最も知能の高い人々を全員1ヵ所に集めれば,彼ら同士が結婚するようになり,共通テストと選抜に基づく大学教育がいずれ,高IQの人々で構成される明確な半世襲的上流社会を生み出すと論じた。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.248

IQテストの扱われ方

40年後の今,同書の中で目に留まるのは,ヤングが気軽に,また機械的に,IQの点数と知能を同じものと仮定したことだ。たしかに,統一IQテストを実施し,それから教育において分別することが,機会均等な社会を組織する唯一の方法だ。ヤングは「知能テストは……まさしく社会正義を行う道具だ」と書いた。ヤングは,努力も重要と述べているが,総じて,人間の将来の経済的生産性を測る正確な尺度としてIQを扱っている。それゆえ『メリトクラシー』では,英国は11歳試験(引用者注:イレブン・プラス試験)の登場により,世界最大の経済大国に突き進むことになっている。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.145

両端にピーク?

計量心理学の第一原則は,全体に分布が中央で膨らむ,おなじみの釣鐘型曲線になること。マイヤーズ・ブリッグズのテスト派,各軸の分布が両端で膨らむと仮定されていた。大半の人々は内向的か外向的かのいずれかで,その中間ではないことになる。これが1つの問題だった。また大半の人格検査と同様,信頼性が高くなかったのも問題。同じ人が2回テストを受けると,違う結果が出てくるのだ。さらに,一見したところ,結果の妥当性を測るのに使える,1年目の成績というような明白な数字がなかった。しかも,思考/感情の軸(他の軸も可能性がある)は,ETSの人たちには,人格のタイプより男女の違いに対応しているように思えた。あるETSの計量心理学者は「ほとんど占星術のようだ。われわれはばかにした」と語った。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.113

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