読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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私は「組織」というものを,アイデアの流れの中を航海する人々の集団だと捉えている。アイデアが豊富にある,清らかで速い流れの中を航海することもあれば,よどんだ水たまりや,恐ろしい渦の中を航海することもある。あるときには,アイデアの流れが分岐して,一部の人々が新しい方向へと向かうかもしれない。私にとっては,これこそがコミュニティと文化の現実なのだ。残りは単なる表層的な出来事か,幻影にすぎない。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 60
つまり,「学力差を生まれながらの素質の違いとは見なさず,生得的能力においては決定的ともいえる差異がないという能力観,平等観を基礎としている」のだ。「このように能力=素質決定論を否定する能力=平等主義は,結果として努力主義を広め,『生まれ』によらずにだれにも教育において成功できるチャンスが与えられていることを強調した。……だれでも,努力すれば,教育を通じて成功を得られる。だからこそ,だれにでも同じ教育を与えるように求める。その結果,より多くの人びとが同じ教育の土俵の上で競争を繰り広げることになった。教育における競争を否定する一方で,皮肉にも,能力主義教育を批判する議論が,教育における競争に人びとを先導する役割を果たしたのだ」と,苅谷は,平等主義で反競争的な教育が,逆に,教育における競争を激化させたという皮肉な結果をもたらしたと指摘している。
大竹文雄 (2017). 競争社会の歩き方 中央公論新社 pp. 144
こうなると,多数決原理によって運営される民主主義は,個人意識,社会意識,階層意識の微妙なバランスのうえにある。それぞれがあくことない要求をひっこめ,お互いに妥協することが肝要である。個人意識はフィクションとしての自由,平等に満足する。社会意識は,全員一致の強制にまですすまないで,多数決の線に停止する。階層意識は,少数良識派の権利をあるていどみとめさせることで安心する。民主主義の機能が完全に麻痺するのは,このようなバランスがくずれたときである。いずれにせよ,伝統思想との妥協がなければ,民主主義は幻影のままで,ついにヨーロッパに定着できなかったであろうことは,たしかである。
鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 167