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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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学歴を気にする理由

 学校名が就職に関係するもう1つの理由は,社内における人事部の立場の問題だ。
 東大生や京大生を採って配属,それで育たなかったら「現場が悪い」と答える。だが,下位校の大学生を採って外してしまった場合,現場から人事が責められる。実はその社員に秘めた実力があって,現場にそれを引き出す教育力がなかったとしても。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.137
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固定化へ

 一次面接の部屋には,人事マンがいないこともざらだ。社内の各部署から若手や中堅社員を集めてきて,彼ら彼女らに選考を託すことが珍しくない。
 相手にする学生数が多すぎて,いちいち人事部の者が選考につきあっていたら仕事がまわらなくなる,という現実的な理由がある。また,若手社員に面接の場を経験させることで,人材育成の機会とし,入社時のフレッシュな思いを再認識させるといった戦略的な理由もある。
 が,一次面接における企業の狙いは,「現場の歳の近い社員が一緒に働きたいかどうか」を判断基準に人材を選別することである。
 現場の肌感覚を活かすのはいいが,焦っている企業が多いんだなあと思う。こうした一次面接でピンとこなかった応募者をばっさり落とした場合,貴社に欠けている資質を備えた人材を無視できない確率で取り損なっている可能性はないだろうか。
 各部署の業務に追われている面接官は,「こいつは我々のノリとは違う」「うちの空気には馴染めない」といった印象の学生を落とすはずだ。だとしたら,裏返すとそれは「類は友を呼ぶ」選考で,悪い意味での社風の固定化につながるのではないか。人材の多様性を確保し,ビジネス環境の変化に柔軟対処する組織論の反対だという気がするのである。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.109-110

イージーな変化

 潜在能力というものが,根拠なく信じられている状況への疑問があるだけだ。確かに潜在能力は誰にでもあるという考え方は証明もできない代わりに,否定だってできるものではない。
 しかし,別に努力して技術を磨いたり,知識を学んだりせずとも,イージーにその能力を引き出すことができると考える思考,もしくは海外旅行(外的環境の変化)であったり,自己啓発セミナーであったり,自らの「気づき」で開花すると考えるところまでいくと,それは突飛なことにしか思えなくなる。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.208

さまよえる良心

 これは現代においては「良いことをしたい」という志向が強い人ほど,「何が良いことなのか分からない」という状態に陥りやすいということを示している。「これは善行,これは悪行」と「父親のように断言する」麻原彰晃に引き寄せられたのがオウム真理教だった。
 それを踏まえると,現代の自分探しにまつわる事象の多くは,宮台が「さまよえる良心」と言った状況とあまり変わっていないことに気づかされる。
 その良心を牽引するのがかつては麻原という導師であり,オウムという宗教団体だった。それが,今は路上詩人のつくるNGOやPR会社のつくるCMに取って代わったのだ。この違いは,大きいのか小さいのかは分からない。環境運動や貧困撲滅運動がそのままテロにつながるような危険性があるなどとは思ってはいない。しかし,「さまよえる良心」という宮台のキーワードは,1995年の当時よりも現代の方がしっくりとくる言葉であるように感じられないだろうか。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.199-200

自己啓発への脅迫

 誰だって不安なしには乗り越えられない就職活動の開始時期に,脅迫的に“自己啓発”を迫り,「自分探し」を突きつける。これが就職活動本のベストセラーの正体だと思うと,馬鹿馬鹿しいが,それでも疑いもせずにこれに従って自己啓発し,人格改造することで内定を勝ちうる人間が多いのだろうということも,容易に想像できる。また,理不尽にも疑問を感じず,馬鹿正直に信じる人間の方が,企業にとってはいい人材に違いないのも現実と言えるだろう。
 一方で,これを馬鹿正直に信じられない学生が,就職にますます嫌気がさし,長い自分探しの旅に出かけてしまうというのも容易に想像がつく。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.124

どんな知識を?

 ラインは霊媒や霊能者について複雑な感情を抱き続けていた。彼らが自分で言うような能力を持っている可能性は否定できないと信じていたが,現実社会の霊媒たちは問題の種だった。アルコール依存者が多く,性的にも乱れがちで,男性であれば同性愛者であることも多かった。ラインはゲイに対して友好的だったが,ちょっとついていけないと感じる世代に属してもいたのだ。ラインはアプトン・シンクレアへの手紙で,あまり霊媒を持ち上げないようにと助言したことがある。アプトンの妻メアリー・クレイグはこれに強く抗議した。「私たちにとってはマイナスであっても,支払う価値があるコストなのです。名声とは知識を広めるために使うものです」
 ラインは応戦して「どんな知識を広めているのです?」と書き送った。霊能者については,しっかりした情報がほとんどない状態だった。なぜなら,ほとんどの霊能者が研究室で検証されることを拒んでいたからである。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.213

ウィジャボード

 その後何年もかけて,メリーランド事例について詳しい事情が明らかになってきた。どうやら発端はウィジャボードらしい。現在市販されているようなウィジャボードを世に広めたウィリアム・フルド自身も,これが霊的作用で動くとは信じていなかった。フルドは特許申請書に「質問が発せられると,コマが競技者の不随意筋の動きあるいは他の作用の結果により,テーブルの上で動きはじめる」と書いている。ローランドの事例では,人々は「他の作用」が悪魔そのものだったと信じたわけである。超心理学研究所のスタッフは,なるべくウィジャボードを使わないように勧告してきた。ウィジャボードに夢中になっている使用者からの手紙を受け取ったときに,スタッフのひとりは「そういう流行ものから得られる情報は,信ずべきものではありません。ちょうど悪夢と同じように,無意識が生み出しているものなのです。あなた様の健康のためにもウィジャボードを破棄し,すべて忘れてしまわれることをお勧めします」と返答している。2001年にウィジャボード使用者調査に回答した人のうち3分の2は,ボードで好ましくない体験をしたと答えている。悪意のある恐ろしいものと遭遇するとも言われているのだ(にも関わらず,これは今でも人気商品である)。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.124

「それ」

 人間には死後の世界があり,見えない存在が我らとともにあるという物語は好まれる。別世界の住人について夢想したり希望を抱いたりし,さらに苦しいときには「それ」に祈ることもある。人々が考える「それ」はけっして自分を欺く悪霊でもないし,自分を地獄に落とす悪魔でもない。しかし自宅や家族の周囲でポルターガイスト現象が起こりはじめたら,誰かの悪戯であってほしいと思う以上のことはできない。なかでも一番起こってほしくない,もっとも恐ろしい出来事は憑依である。憑依への対抗手段は悪魔祓い(エクソシズム)だが,度を越した悪魔祓いは死につながることもある。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.111

田舎へ行けば

 すくなくとも,政治家や官僚になるひとは,田舎暮らしをしてほしい。
 文筆を生業にするひとも,ぜひ田舎で生活してほしい。
 二十数年まえ,ぼくが東京に住んでいたころ,日本全国にコンビニは4万軒,喫茶店は8万軒なのに,土建会社は28万社あるとか,いや,56万社だとか本で読み,何かの間違いではないかと思った。大須賀町に住んで,その疑問は氷解した。大須賀町には喫茶店が2件,コンビニも2件しかないのに,土建会社は13社あったからだ。これは大須賀町だけのことではない。日本全国ほとんどがそうだ。田舎へ行けば行くほどこの比率は高くなる。
 そして,袋井市のはずれにW杯でサッカー場をつくり,高速道路並みの道路を四通八達させたとき,土建会社が何よりも先に建てたのは“神社”であった。
 縁起をかつぐ神社,これを建てる費用も公費なのだ。
 工事の安全のために,かかせないから建てるのか。それとも,公費だから建て得だという慣習なのだろうか。
 もし後者だとすると,日本人は神仏まで商売のネタにしていることになる。前者だとすると,その民族に『死後の世界はない』などと説いても聞く耳を持ってもらえないだろう。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.207

差異・ストーリー

 全産業の「コモディティ化」が進む世の中で,唯一の富を生み出す時代のキーワードは,「差異」である。「差異」とは,デザインやブランドや会社や商品が持つ「ストーリー」と言いかえてもいい。わずかな「差異」がとてつもない違いを生む時代となったのだ。マーケターとは,「差異」=「ストーリー」を生み出し,あるいは発見して,もっとも適切な市場を選んで商売を売る戦略を考えられる人間だといえる。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.129

技術革新の副作用

 働く人々,とくに正社員ではなく派遣社員などの非正規雇用で働く人たちからは,資本主義や資本家を糾弾する声が日増しに高まっており,最近の国会でも,製造業への派遣を原則的に禁止する,ということが決まった。
 しかし私はそのニュースを見て,「本質からずれているのではないか」と感じていた。
 なぜなら,労働者の賃金が下がったのは,産業界が「派遣」という働き方を導入したのが本質的な原因ではなく,「技術革新が進んだこと」が本当の理由だからだ。
 自動車産業に代表される工場のラインがオートメーション化され,コモディティ化した労働者がそこに入っても,高品質の製品が作れるようになったことが,賃金下落の本当の原因なのである。
 今政府がとろうとしている政策は,世間の人たちのウケを狙った小手先の改革にすぎず,賃金下落の本質を捉えていない。メーカーへの派遣が法律で禁止されれば,メーカーは次に,その仕事を外注に出し,請負先の企業がやはり低賃金で人を雇ってモノを作らせるだけだ。
 つまり賃金下落も,産業の発達段階の問題でしかないのである。産業の成熟化が進み,熟練労働者が必要なくなれば,新自由主義といった思想とは関係なく,労働者は必然的に買い叩かれる存在となってしまうのである。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.64-65

逃れる方法

 それでは,どうすればそのようなコモディティ化の潮流から,逃れることができるのだろうか。それには縷々述べてきたように,人より勉強するとか,スキルや資格を身につけるといった努力は意味をなさない。
 答えは,「スペシャリティ(specialty)」になることだ。
 スペシャリティとは,専門性,特殊性,特色などを意味する英単語だが,要するに「他の人には代えられない,唯一の人物(とその仕事)」「ほかの物では代替することができない,唯一の物」のことである。概念としてコモディティの正反対といえる。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.39

スペック評価

 コモディティとは前述したように,「スペックが明確に数字や言葉で定義できるもの」という意味である。ここの商品の性能自体が高いか低いか,品質が優れているかどうかは,関係がない。
 人間の採用においても同じことだ。学歴が博士課程の人を募集するのであれば「博士」というスペックで,もしくは六大学以上の学歴でTOEICが900点以上というスペックで募集をかける。そうすると,そこに集まった人は「みな同じ」価値しかない。そこで付加価値が生まれることはないのだ。
 業務マニュアルが存在し,「このとおりに作業できる人であれば誰でも良い」という仕事であれば,経営者側にとっての関心は「給料をどれだけ安くできるか」という問題になる。
 こうして,いかに人を買い叩くか,という競争がグローバル市場で行われ,ホワイトカラーの労働力そのものがコモディティ化してしまった。そのため,今の社会は構造的に「高学歴ワーキングプア」を生み出す仕組みになっているのである。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.36

コモディティ化

 さて,ここで声を大にしてお伝えしたいことは,「コモディティ化するのは商品だけではない」ということだ。「コモディティ化」は部品だけの世界の話ではない。労働市場における人材の評価においても,同じことが起きているのである。
 これまでの「人材マーケット」では,資格やTOEICの点数といった,客観的に数値で測定できる指標が重視されてきた。
 だがそうした数値は,極端にいえば工業製品のスペックと何ら変わりがない。同じ数値であれば,企業側は安く使えるほうを採用するに決まっている。先ほどの外資系企業の採用の話でいえば,「TOEIC900点以上」ならば誰でも同じ,という話なのである。
 だからコモディティ化した人材市場でも,応募者の間で「どれだけ安い給料で働けるか」という給料の値下げ競争が始まる。
 つまり資格やTOEICの点数で自分を差別化しようとする限り,コモディティ化した人材になることは避けられず,最終的には「安いことが売り」の人材になるしかないのだ。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.34-35

そんなのウソ

 「前向きに生きよう」とか「ポジティブ思考で何事もプラスに考えましょう」とか,言う人いますよね。「人生ポジティブに生きれば成功する」みたいなことを。
 たいてい,そういう人って金持ってるんですよ。どっかの会社の社長とか,何かで成功した人とか,そういうこと言う人って,人生の成功者でちゃんとした地位とか築いてる人なんですよね。
 そういう連中に「前向き」とか「ポジティブ」とか言われても説得力ないんですよ。「そりゃお前は金持ってるから前向きになれるかもしれないけれど,こっちは金ないんだ」っていう。「じゃあポジティブになれば金持ちになれるか」っていうと全然そんなことないし。「そもそも金ないから前向きになれない」っていう。だから,そんなのウソだってことに早く気付いて欲しいですよね。なんの役にも立たないってことを。

有吉弘行 (2010). お前なんかもう死んでいる:プロ一発屋に学ぶ50の法則 双葉社 pp.190

笑っておけば

 じゃあ,嫌いなヤツだから付き合わなくていいかっていうと,それもダメだと思うんですよ。「嫌いだからこいつのことは見ない」じゃいけないと思いますね。嫌いなら「嫌い」っていう目線でその人を見ていかないといけないし。嫌いでも使えそうなら,付き合わないといけないんですよね。嫌いだからって付き合わないでいると,いつ敵に回って足元すくわれるかわかんないですからね。そういう意味でも一応は付き合っておいたほうがいいんです。
 そこで,「嫌いなヤツと付き合うにはどうしたらいいか?」っていうと,顔の筋肉を鍛えといて,ずっと笑ってりゃ大丈夫だと思うんですけどね。とりあえず笑顔でいりゃなんとかなるっていう程度の付き合いでいいんですよ。深く付き合う必要ないんで。表面上仲良くしとけばいいんです。
 そこは多少は努力が必要ですけどね。身体鍛えるより,顔の筋肉鍛えろ!!っていう。「こいつは役に立つんだから」と思って付き合うしかないですね。そこは割り切って。

有吉弘行 (2010). お前なんかもう死んでいる:プロ一発屋に学ぶ50の法則 双葉社 pp.165

アンテナ

 じゃあ,「落ち始め」に気付くにはどうすればいいか?
 それにはいつでも自分でアンテナを張っとくことです。「自分は落ちるぞ,いつか落ちるぞ」っていつでもそう思ってることです。「自分は大丈夫」なんて絶対に思っちゃダメです。常に,「自分は落ちるぞ」とか,「そろそろ落ちるから気を付けないと」って思ってないと。そこはもう完全にネガティブです。「自分は大丈夫」なんて前向きに思ってると命取りです。ポジティブな考えとかいらないです。
 サラリーマンでも,「この会社で安泰だ」と思ったら危ないです。世の中,安心したら危ないんです。気が付いたら自分の会社がなくなってたとか,会社はあるけど,自分はリストラされたとか,そんなことが当たり前のように起きる世の中ですから。間違っても,「自分は安泰だ」なんて思っちゃいけません。その時点ですでに危険です。かなり落ち目になっても「大丈夫だろ」って思って手遅れになるタイプです。

有吉弘行 (2010). お前なんかもう死んでいる:プロ一発屋に学ぶ50の法則 双葉社 pp.108

逃げ道

 いざというときのために「逃げ道」を作っておくのって大事ですよね。たとえば勤めてた会社が潰れても,「俺はこっちでも生きられるから」って思えれば慌てなくて済むんで。会社にリストラされたとしても,「いい,いい,俺はこっちの仕事があるからいいんだよ」って気持ちになれるし。「資格持ってるから大丈夫だ」とか,「俺はパチンコで食えるから大丈夫なんだ」とか,いざっていうときの逃げ道は絶対に持っておいたほうがいいですよね。

有吉弘行 (2010). お前なんかもう死んでいる:プロ一発屋に学ぶ50の法則 双葉社 pp.86

ゼロから1

 “ゼロから1にする”のってすごく大変なんですよ。ないところから作るのが大変なんです。ゼロになったらどうあがいても無駄です。“1を5”にするほうが簡単。忙しい中,いろいろ仕事がある中で努力すれば,その頑張りが認められて,ひとつの仕事が次から次につながって,どんどん仕事が増えたりしますけど,「全然仕事が無いのに,なんの努力するんだ?」って。
 努力するなら,仕事があるうちになんとかしといたほうがいいと思います。仕事がなくなってからじゃ遅いです。金なくなってからじゃどうしようもないです。どん底に落ちてしまったらどうあがいても無駄なんですよね。
 どうせ努力するなら,単純に金くれる人を見つけるとか,落ちてる小銭拾うとか,そっちの方向で努力したほうがいいんですよ。自分の力でなんとかしようなんて思っても意味ないです。

有吉弘行 (2010). お前なんかもう死んでいる:プロ一発屋に学ぶ50の法則 双葉社 pp.76-77

どん底

 世間ではよく,「将来のことを考えて生きていかなきゃいけない」とか,「長いビジョンでものを見なくちゃいけない」とか言いますよね。でも,どん底にいるときって,将来とか長い目でとか,そういうこと考えるのは絶対に無理です。だいたい,長い目で将来のビジョン見ちゃうと,「ホームレスやってる自分の姿」しか出てこないですから。さらにどん底に突き落とされて,落ち込みます。

有吉弘行 (2010). お前なんかもう死んでいる:プロ一発屋に学ぶ50の法則 双葉社 pp.59

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