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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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多様化のなかの窮屈

 ではなぜ,価値観の種類が増えることで世間のフレームは広がらないのでしょうか。広がるどころか窮屈な感じになっているのはなぜでしょうか。
 これは価値観の多様化によって,逆に大きな力のある価値観に皆が自分のよりどころを求めるということではないでしょうか。要するに世間の価値観はかえって画一化してきているということではないでしょうか。
 つまり,わかりやすい喩えで言うと,こういうことなのだと思います。モノを買う時に選択肢が多いと,人気商品を選んでしまうことがままあります。すなわち人気があるということは,品質や性能に間違いはないだろうという保証になるわけです。
 これと同じことが世間にたくさんある価値観を選ぶ際にも起きているのだと思います。あまりにも選択肢が多いので,自分で考えることができないし面倒だ。それにおかしな価値観を選んで人生に間違いがあったら嫌だ。だから保険になるようなメジャーな価値観や常識を選ぼうとなるわけです。

植木理恵 (2010). ウツになりたいという病 集英社 pp.38-39
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独り占め

 社員が生み出す価値を,将来見込めるものも含めて,会社が独り占めしようとするから,「起業家を育成しても無駄」という話になる。しかし,起業するぐらいの人材を育てられない会社は,「組織の中でしか通用しない社員を多く抱え込む状態」になっているということでもある。こうなると,その会社は「管理するけど無責任」という傾向が出てきたり,「顧客よりも組織を重視する」傾向が出てきたりして,衰弱していくのである。
 新ビジネスを展開する起業家が輩出した会社では,その下の社員も,起業を目指して新しいことに積極的に挑戦する雰囲気が出てくる。それは,既存事業の活性化にも大きな効果をもたらす。起業家を育成することは,会社にとっても大きなメリットがあることなのだ。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.132

主体的選択

 このように考えると,今,私達が主体的に選択しなければならないことは,自分自身のキャリアであり,生き方に他ならないということになる。「他にできることがないからとりあえず今の仕事を続ける」という消去法で選択するのではなく,「これをしたいからやる」という,自分の意志による主体的なキャリアの選択をしていかなければならない。このような自分の意志を強く主張する人が増えないと日本のビジネスは盛り上がらず,このまま多くの企業がズルズルと落ち込んでいくだけになってしまう。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.110

こうあるべき

 企業における意志は,主に経営者や管理職によって示される。それは,彼らの個人的な思いによるものもあれば,会議を通じて複数の者の考えを取り入れたものもある。どのような形であっても,誰かが何らかの意思を示さなければ,ビジネスは始まらないし,企業は動かない。
 ところが,経営者や管理職がマネジメント信仰に陥っている企業では,「こうする」「こうしたい」という意思がまったく示されず,その代わりに「こうあるべき」とか「こうするべきではない」という意見ばかりが主張されるようにある。「こうあるべきだ」という意見を言うぐらいなら,実際に自分で行動してみればよいのだが,自分で行動する気がないからか,あるいは成果を生み出す自信がないからか,建前論的な意見ばかりが交わされ,具体的な行動は何一つ起きない。

深田和範 (2010). マネジメント神話が会社を滅ぼす 新潮社 pp.23-24

商売の背景

 つまり歌舞伎町の特色として,ビルのオーナーと店舗経営者の分離が挙げられる。戦後発足した歌舞伎町で土地を持った者のほとんどは早い時期に所有地にビルを建て,テナントの継続・維持を不動産屋に任せ,自らはより高級な住宅地に移転し,ビルのテナント料で食う道を選んだ。彼らが関心を払うのはビルに空室が出ないことだけで,テナントがどんな商売をしようと,自分に火の粉が降りかからないかぎり関係がない。所有と経営の分離が荒っぽい商売を許し,テナント料をつり上げ,歌舞伎町を危険な街にしたともいえる。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.157-158

探検

 歌舞伎町でぼったくり被害に遭うのは「何か面白いことはないか」と期待している客に限られる。単に飲むだけでなく,それ以上にいいこと,ただか安くセックスできることを望んでいる。セックスしたければソープランドに行けばよさそうなものだが,最初から決まり事のセックスには乗り気でない。料金一定,システム一定を外れて変則を求めたい。変則を望むことがすなわち「探検」である。
 そのせいか歌舞伎町では若手の社会人やニート,学生,生徒が客の主流になる。総じて男女とも財布の中身は潤沢でなく,感覚的に不良度の高い客が多いといえるかもしれない。
 歌舞伎町にはこうした意味での「探検」の対象となり得るイメージがある。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.148

ヒマとヒモ

 ヤクザは「無職渡世」といわれるぐらいで,生産行動は何もしない。そのため自由になる時間,ヒマな時間がありあまるほどある。よってヤクザはヒマな時間の一部を女性のケアに当てることができる。女性に対してマメになれる。また経済的に女性に頼らざるを得ないから,自分はあなたを必要としていると真顔でいうことができる。「必要とする」と「愛している」を,女性が錯覚することは割に多いはずである。
 つまりヒマこそヒモになるための必須条件である。子分を持たず,ろくにシノギもないヤクザにはヒマがある。ヒマがあり,食う必要もあってヤクザは女と関係を結ぶ。だから女のヒモにはヤクザが多い,という三段論法がおそらく成立する。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.78-79

射精産業

 セックスという言葉は,男女の性交の意味で使われるのだろうが,客が男の場合にはより直接的に「射精産業」というべきかもしれない。性交(ホンバン)を頂点とするピラミッドがあるとして,歌舞伎町では性交の手前の射精や催淫的なムード,予備行為なども売り物になり,射精産業には何段階もの亜種的な業種がある。
 女性との性的会話を楽しむ,あるいは口説く(キャバクラやクラブなど),若い女性の陰部やオナニー姿などを見せる(覗き部屋,ノーパンしゃぶしゃぶなど),女性の乳や陰部を触らせる(ノーパンクラブやお触りバー),女性の手指などで射精をもたらす(ピンクサロンやセクキャバなど),同じく女性の手や体を使ったマッサージで射精させる(エステなど),女性をホテルに連れ出せる(台湾クラブや中国クラブ),ホテルに女性が来る(デルヘリなど),客の女性と直接交渉できる(出会い喫茶,ハプニング・バーなど),女性とセックスできる(ソープランド,街娼)など——歌舞伎町は性的な各種サービスに溢れている街である。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.70-71

三種

 警察はこれまで暴力団を博徒,テキ屋,青少年不良団(愚連隊)の三種に分類してきたが,このうちテキ屋が主導して新宿を再建し,戦後しばらくの間,新宿はテキ屋優先時代を現出した。
 テキ屋とはわかりやすくいえば,祭りや縁日などが開かれる社寺の境内や参道で屋台や露店を出して商売する人たちである。博徒はばくち打ちを意味するが,現状は博徒,テキ屋,青少年不良団すべてが「暴力団」であり,彼らは同じような組織,行動,業態を取り,発生的に分類することはほとんど意味がなくなった。麻雀でさえできない博徒もいれば,たこ焼きを焼いたこともないテキ屋もいる。
 しかし,あえて三分類を踏襲すれば,暴力団の今の主流は,山口組や稲川会など発生的に博徒とされる団体である(但しこれらの団体の傘下団体にはテキ屋も含まれる)。テキ屋は博徒に比べ下位に見られることが多いが,昭和三十年代後半まで歌舞伎町を含む新宿で幅をきかせていたのはテキ屋だった。博徒や青少年不良団はむしろ肩身狭く遊んでいた。
 敗戦後,全国の繁華街はほとんど焼け跡,闇市時代を経ている。闇市を仕切ったのは,当時「三国人」といわれた朝鮮半島や台湾の出身者,戦時労働者として強制連行されていた中国人のほか,復員したり,徴兵されていなかった戦前からのヤクザ,愚連隊化した帰還兵,体育会系の学生などだったから,多少ともヤクザ,暴力団は全国どこでも戦後の街の再スタートに関係している。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.40-41

快と暴力

 歓楽街が提供する歓楽は「快」のはずであり,間が悪いと街で出会うかもしれない暴力は「不快」である。快と不快,快楽と暴力は,ともに歓楽街が客に提供するサービスなのだろうか。
 店の用心棒が代金を払わない客や行儀の悪い客に振るう暴力を考えれば,暴力が一般客の快楽を準備し,保障しているといえるかもしれない。逆にボッタクリバーの従業員が客を袋叩きにして財布を奪い,店外に放り出すなら,店の営業と暴力は不可分であり,店が事前に客に約束したはずの快楽は単なる客寄せのトークに過ぎず,暴力被害あるのみとなろう。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.38

ブレイン・ストーミングの錯覚

 ブレイン・ストーミングは,時間の使い方としては非生産的だ。人は集団のなかにいるときよりも,自分独りの時のほうが新しいアイデアを思いつくものだ。心理学では,「集団による生産性の錯覚」と言われる。各種の調査結果を比較したところ,22の調査のうち,集団のほうが生産性が低いとする調査が実に18にのぼった。身に覚えがあると思うが,他人の仕事を信頼し過ぎて,「ただ乗り」する人が多過ぎるのだ。それでも意外なことに,集団での議論は高く評価されがちだ。個人で考えるよりも,集団でのブレイン・ストーミングのほうがより良い成果が生まれると答えた割合は8割にのぼる。
 この認識の誤りの一因は,自己欺瞞にある。集団になると,たいてい自分以外の誰かが発言してくれる。このため重圧は感じない。目新しいことを言わなくても,自分を愚かだとは思わない。議論が続いているので,集団としての発見に携わっていると錯覚する。わたしが発見していなくても,ほかの誰かがしている。何か良いことが起きているのは間違いない。だからこそ,全員でこうやって集まっているのだ。チームの一員であること,それも勝利チームの一員であることに,人は居心地の良さを感じる。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.175-176

誘拐犯と保険会社の相互関係

 メキシコでは,誘拐犯と保険会社が取引する仕組みが確立している。犯人と保険会社が話し合い,人質と身代金の交換が行われる。両者は何度も取引をした実績があり,相互の「信頼関係」があるので,誘拐した事実を知らせるために,人質の耳を削ぎ落して送る必要がない。誘拐犯のほとんどが,保険に入っている人質を好むのは意外ではない。保険が,誘拐犯のインセンティブになっているのだ。人質が保険に入っているほうが,取引がスムーズに進むし,誰もがプロフェッショナルとしての行動をとる。少なくとも行動が予測できるからだ(卑劣な行動を取り,市場を荒らす,ならず者もいる)。要するに,保険会社は,犯人が信用できる約束をするための手助けをしているわけだ。身代金を払えば人質を生きて開放してくれる犯人,取引が可能な犯人に,保険会社がお墨付きを与える。誘拐犯にとって保険会社は一種の業界団体であり,事業の向上を助けてくれる存在だ。掟を知らない,ならず者に保険会社はカネは渡さない。いわば誘拐ビジネスを「規制」しているわけだが,このことで多くの事件を誘発し,罪を増やしているのもまた事実だ。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.231-232

旧ソ連の暮らしやすさ

 旧ソ連は,ある面では,驚くほど暮らしやすかった。何かうまくいかないことがあると,自分以外に攻めるべきモノや人があったからだ。諸悪の根源は共産党だ。チェスの選手ですら,共産党を悪者にした。選手権や試合は「党のお気に入り」に捧げられていると信じられていたからだ。言うまでもないが,こうした考え方の弊害として,国民の多くが,政治的抑圧を受け入れ,歓迎しさえするようになった。
 能力主義を標榜する資本主義経済では,業績が悪かったとき,同じ言い訳はしない。うまくいかなかったときには,良くも悪くも,競争相手より劣っていたのだと思うように仕向けられている。自分のためになる物語を強化するには,自分を欺くに越したことはない。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.171-172

賭け事の意味

 さらにもっとわからないのは,賭け事である。あれは技や能力ではない。ルーレットのように単なる偶然で勝ち負けが決まるものが多い。そういう状況で「勝つ」ことの価値は何か?それはもらえる金や物の価値だけである。それ以外にない。そして,それは「負け」た他者から奪ったものだ。奪うことが楽しいのだろうか?ちょっと考えてみると,馬鹿馬鹿しさが見えてくるのだが……。
 こういった勝ち負けの楽しさに明け暮れていると,人を負かさないと楽しめないようになる危険がある。つまり,「人の不幸が楽しい」という感覚になる。「あいつをぎゃふんと言わせてやりたい」「あいつの泣き顔が見たい」という歪んだ感情が育まれるだろう。これは,はっきりいって「貧しい」精神である。
 楽しさとは,けっしてそういうものではない。楽しさは,「他者」との比較から生まれるものではない。「自分」の中から湧き出るものだ。どうしても比較がしたいのならば,「他者」ではなく「自分」と比較しよう。昨日の自分よりも今日の自分は何が違うのか。去年の自分に,今年の自分は勝っているか。そういうふうに考える方が健全だ,と僕は思う。そして,「他者」と比較しない「自分」こそが確固たる揺らぎのない,つまり「ぶれない」自分であり,また,別の言葉でいえば「強い」し「美しい」という表現が相応しい「自分」だと思うのである。

森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.121-122

自分を探したい人

 あの人は楽しそうだ,あの人のしていることを自分もしてみよう,と考える。好きな人がやっていることを自分も試してみる。こうして何度か信じて,実際に少しだけ試してみたものの,どうもしっくりこない。もしかして,自分には合わない対象だったのではないか。それとも,自分にはなにか欠陥があるのだろうか。そんな試行錯誤を繰り返しているうちに,少し体調が悪くなったり,疲れてしまったりして,もうなにもかも嫌になる。なにもしたくなくなってしまう。このさき,どうしたら良いのかわからなくなってしまう。結局,そういう人が,「自分を探したい人」になるのではないか。

森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.6-7

ハイリスクな選択

 あなたがもし就活を控えた大学生なら,「安定した大きな会社」はじつはもっともハイリスクな選択かもしれません。いったん伽藍の世界に取り込まれてしまうと,40歳(あるいは35歳)の転職可能年齢を超えると人的資本が会社のリスクと一体化してしまい,どれほど理不尽な状況になってもそこから逃れることができなくなってしまうからです。
 そんな暗澹とした未来に比べれば,たとえ不安定に見えたとしても,汎用的な知識,技能,職歴,資格を獲得できる仕事のほうがずっとマシです。外資系やベンチャー企業だけでなく,中小企業でも,探してみればそうした機会はいくらでも見つかるでしょう。
 そもそも「適職」などというものは,実際に仕事をしてみなければわかりません。そう考えれば,自分のキャリアをひとつの会社に限定するのではなく,転職を前提として,もっとも得意なこと(向いていること)を探すほうがずっと効率的です。そしていったん「適職」を決めたならば,会社ではなくその仕事に自分の人的資本のすべてを投入すべきです。それによって業界や消費者のあいだで高い評判を獲得できれば,それがあなたの“スペシャル”になるはずです。

橘 玲 (2011). 大震災の後で人生について語るということ 講談社 pp.163-164

見えない大災害

 東日本大震災の死者・行方不明者は3万人余とされています。98年以降,自殺者はそれ以前と比べ年間で8000人以上増えていますから,金融危機というブラックスワンによって引き起こされた「見えない大災害」で,現在に至るまで累計で10万人を超える死者が出ていることになります。
 あらためていうまでもなく,これは驚くべき数字です。

橘 玲 (2011). 大震災の後で人生について語るということ 講談社 pp.31

犬を飼う時の心構え

 イヌを飼おうと思うなら,まず次のことを自問してください。

●イヌと暮らすだけのスペースがあるか?
●散歩に連れ出す時間があるか?
●イヌを生涯の伴侶とするだけの経済力があるか?
●イヌと遊ぶモチベーションを持っているか?
●イヌの病気を予防するために努力できるか?

 これらの項目にすべてYESと答えられる人だけに,イヌと暮らす資格があるのです。YESと答えられたあなたが純血種を求めるのなら,まずは犬種を決めましょう。その犬種がつくり出された歴史や初期の用途をよく調べましょう。外見の好みだけで犬種を決めてはいけません。あなたのライフスタイルに合ったイヌを探してください。特に,その犬種の必要運動量をつかむようにしてください,と,(まともな)しつけ本にはこう書いてあるかもしれません。しかし,「犬種」の前に関心を向けるべきことがあります。イヌそのものについてです。まずはイヌの生態や基本的な習性について学ぶべきです。それを抜きにして,前にあげた「自問」はありません。
 さて,犬種を決めたら,あなた自身が直に,ブリーダーの施設に出向くようにしましょう。もし子イヌから育てる覚悟があるのなら,次のことを実践してください。
 子イヌとその育ての親,飼育環境を自分の目で見て,ブリーダーからその理念と方針を聞きましょう。血糖や遺伝性の病気を考慮し,ブリーダーを見極めてください。あなたがその労を惜しむのなら,イヌといっしょに暮らすのはあきらめるべきです。
 もしあなたが,生後間もない子イヌのぬくもりを求めるのなら,その子イヌの飼い主候補になりましょう。候補になって,たとえば,毎週ブリーダーの施設に通うという選択肢もあります。
 生後3ヵ月以上,親きょうだいといっしょにすごし,2回の混合ワクチンが終了している子イヌを入手します(混合ワクチンは2回でじゅうぶん。3回目をおこなえば,しかし獣医師のふところはあたたかくなるでしょう)。
 以上を実行すれば,ほとんどの場合,家庭に迎えてからの「しつけ」もスムーズにいきます。運が良ければ,「しつけ」がほとんど必要ないくらいの,すばらしい子イヌに出会えることでしょう。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.94-96

幼齢犬が多い理由

 それにしても,捨てられる幼齢犬が全体の20%近くを占めているのは,なぜでしょう?この数字からは,一般の飼い主からの持ち込みだけでなく,イヌの繁殖や販売にかかわる業者が,遺伝性疾患などの病気で“商品価値がない”と判断した子イヌをかなり多く持ち込んでいる,ということが読みとれます。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.38

殺処分

 環境省によれば,2008年に,全国の自治体の動物管理センター(保健所)に引き取られたイヌの数は,成犬9万810頭,幼齢犬2万2678頭となっており,このうち返還・譲渡されたのは,3分の1に満たない3万2774頭で,8万2464頭が殺処分されています。
 引き取られたイヌのほとんどは,イヌの所有者によって持ち込まれたイヌです。「返還」というのは,何らかの事情で迷い犬になったのが飼い主のところに無事戻されたということで,「譲渡」というのは,新しい里親に引き取られたということです。
 譲渡先が見つからなければ,ふつう長くても1週間以内に殺処分されます。そのほとんどは,炭酸ガスによる窒息死です。安楽死にはほど遠く,イヌたちは恐れおののきながら,特に旧式のガス室の場合,少なくとも十数分間もがき苦しみながら死に至ります。なかには1度のガス噴射では絶命せず,断末魔のなかで痙攣しつづける犬もいるということです。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.37-38

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