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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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未来のコントロール

 ゴルトンはプラトンの『国家』から着想したのかもしれない。この本にもユートピア社会が描かれていて,そこではエリートの守護者階級の人々が「狩猟犬の犬」のように繁殖させられる。その子供たちは保育エリアに連れていかれ,そこで乳母によって「育てられる」が,「下級者の子孫,またはたまたま奇形になった上級者の子供は,本来いるべき,どこかよくわからない未知の場所に監禁される」ので,守護者は純血を保たれる(プラトンにはよくあることだが,これをどれだけ文字どおりにとらえるべきかはよくわからない)。社会を改善するツールとしての優生学は,最近でもナチスからウィンストン・チャーチルまで,さまざまな人々に支持され,1970年代になってもカナダのアルバータ州など各地の行政機関の政策に採用された。一方,共産主義者は生まれつきよりも育ちを養護し,形質は国家によってつくり上げられると考えた。レーニンは大胆にもこう言っている。「人間は矯正できる。人間はわれわれが望む通りのものにできるのだ」。予測で重要なのは未来を予言することだけでなく,未来をコントロールすることである。そして科学的予測は研究対象の体系についてと同じくらい,政治学や社会学についても語ることができる。

デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.201
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徐々に絡め取られる

 生物倫理学者にして思想家で,医学博士号ももつカール・エリオットは,小さな贈り物が受け取った側を絡めとっていく様子をさまざまな角度から書き記している。彼の弟で精神科医のハルが,大きな製薬会社の講演者に名前を連ねそうになった顛末を話してくれたという。会社からの最初の依頼は,地元のグループにうつ病について話すことだった。お安いご用,一種の公益事業だ,と弟氏は考えた。次は同じテーマで,話す場所は病院だそうだ。そのうち,会社は彼が話す内容にいろいろ注文をつけ,テーマもうつ病ではなく抗うつ剤にしてほしいと言ってきた。それから,全国の講演旅行にご招待しましょう,「金になりますよ」ときた。そして彼らの会社が新しく開発した抗うつ剤について講演してほしいという。彼は当時を次のようにふりかえった。

兄貴が女性で,パーティに出席していると思ってみてくれ。上司もその場にいて,「ねえ,ちょっと頼みごとをいいかい。あそこにいる男性のお相手をしてやってくれないか」と言う。見るとちょっといい男で,自分には特定の恋人もいないから「ええ,かまわないわ」と答える。そして気がついてみると,何のマークもない飛行機の貨物室に乗せられて,バンコックの売春宿に売られていくところなんだ。「なに,これ?こんなことをオーケーした覚えはないわ」と兄貴は言うだろうさ。でもほんとうはこう自分に訊くべきなんだ。「体を売るなんて話,どこが始まりだったのかしら。ひょっとしてあのパーティ?」

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.72-73
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

こういう現状も

 移民が本国に仕送りする金は,途上国側から見れば貴重な歳入だが,人口の海外流出は必ずしもプラス面だけではない。多くの先進国,なかでも移民受け入れに消極的な日本ですら外国人医師,エンジニア,プログラマー,先進国のMBA(経営学修士)取得者の受け入れを促す法律の策定を進めている。知的人材の大量流出はしばしば途上国の景気停滞や低迷をもたらす。サハラ以南のアフリカ諸国では医療サービスは壊滅状態になった。
 イギリスの医療サービスの中核はアフリカやアジア出身の医療スタッフが担っているが,ザンビア独立後に養成された12人のザンビア人医師のうち,現在も母国で医療活動に就いているのはたった1人だけだ。推計によれば,イギリス北部の町マンチェスターで働いているマラウィ人の医師は,本国(人口1300万人)の全医師数より多い。

ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.219

何に反対?

 グローバリゼーションを糾弾する市民グループの主張を検証してみると,彼らの懸念は世界規模で拡大していく相互接続社会のあり方に絞られるが,その問題点は整理しきれないほどの数に上った。その上,ざっと見ても本質的には共通点のない異質なものがほとんどで,ときにはグローバリゼーションとは相反する矛盾した主張もあった。市民グループの例を挙げてみると,無政府主義者,反資本主義者(社会主義者や共産主義者),遺伝子組換え食品反対派,環境保護運動家,反核運動家,先住民の権利養護の運動家,労働組合,移民賛成あるいは反異民ロビイスト,反労働搾取団体……と数限りなく,こうしたグループの活動には,反戦や生物多様性の保護,文化的自立性の養護なども含まれ,ただ単に反アメリカというものまであった。では,グローバリゼーションに対し,最も重要で深刻な問題を提起しているのは誰か。それは,低賃金国との競争を強いられ,失職を恐れる先進国のサラリーマンたちだ。また,街頭デモなどでは滅多に叫ばれることはないが,反グローバリゼーション感情に拍車をかけているほかの要因には,移民社会の進出による民族的・文化的独自性の喪失に対する不安や,弱小国の文化を消滅,腐敗させていく超大国の覇権主義的文化,金満西側諸国への怒りなどがあった。

ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.162-163

社会規範まで遵守の対象になってしまった

 このように,「偽装」「隠蔽」「改ざん」などという「不正行為」を意味する言葉は,いつの間にか拡大解釈され,明文化された法令に違反する行為と同等,あるいはそれ以上に,大きな批判の対象になるということが頻発しているのです。
 旧来の日本の社会では,「遵守」の対象は「法令」でした。それが滅多に関わり合いにならない非日常的な世界だからこそ,たまたま関わったときには,何も考えないで,そのまま「遵守」していればよかったのです。社会内の多くのトラブルや揉め事は,「法令」ではなく,社会規範や倫理などに基づいて解決していたわけですが,そこでは,当事者や関係者がそれなりに自分の頭を使って,あるいは他人の知恵を借りて,話し合いをまとめるという努力をしてきたのです。それは「遵守」という態度では決してありませんでした。社会の中で「法令」が占める狭い領域だけが「遵守」の世界で,その周りの「社会的規範」が占める大きな領域では「遵守」という単純な姿勢はとられていなかったのです。
 ところが,今の日本の社会では,「法令」の領域が「遵守」の世界のまま拡大し,しかも,その周りにある「社会的規範」の領域までが「遵守」の世界に侵されつつあります。こうして,日本中が「遵守」に席巻され,「控えおろう」の掛け声とともに,水戸黄門の印籠が,そこら中で,のべつ幕無しに出てくるという状況になっているのです。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.195-196

公益と社益

 ルール作りの話をすると,すぐに「これも闘いの一部だ。自分に有利なルールを作ろう」という人がいるのは,以前にお話ししたとおりです。
 そこで,「ちょっと待ってください。それで勝てるとは限らないし,長い目で見ると大敗する危険性だってあります」と説明すると,今度は「じゃあ,ルール作りだけは公益が主体ですね」になってしまいます。
 私を含め,さまざまな現場におられる方は,そう簡単には割り切れないはずです。公益,つまり社会全体のためにはどのスタンスが良いのか,そのルールなら,わが社にとって成長の糧になる制約になり得るのか,そして,社益を考えると,結局そのルールはわが社に有利なのか,といった要素が頭の中で凄まじい渦を巻く方が自然です。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.185-186

全体で繁栄する

 もっと大切な欧州人の気づきは,“喧嘩をしすぎて全体を壊してしまってはどうにもならない”といういわば「人類の英知」ともいうべきものでした。これは戦争という愚をくり返した反省を基礎にした知見でしょう。
 シェア争いで,各メーカーが出血大サービスに走りすぎたあげく,製品の値崩れを起こしお客様に呆られてしまうとか,新興のメーカーに市場をそっくり持っていかれてしまうとか,競合企業が共倒れしてしまうとか,そんなことが日本ではたまにあるのですが,“ケンカ上等”を歴史的規模でやってきた欧州にはまずない現象です。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.92-93

黒船かと思ったら海賊だった

 改めて言うまでもなく「著作権」とは,本屋CD,DVDなどの海賊版を作って儲ける輩を取り締まるために先達が編み出した概念である。その考え方の基本は,あのベルヌ条約が創設された明治時代から現代に至るまで,ちっとも変わっていない。
 そして,筆者が最も得意とする表現方法である「ルポ」(ルポルタージュ)とは,一見,無駄とも思えるような現場取材を地道に積み重ね,事実をひとつひとつ検証していった結果,発見や感動と出会い,ようやく書く(=創造する)ことができるという,これまた先達が編み出した技だ。調査報道には打ってつけの手段であり,実はこの本自体が「ルポ」でもある。
 とはいえ,「ルポを書く」という営みは「非効率の極みの作業」と言えなくもない。実際,成果を上げることができぬまま,徒労に終わる仕事も決して少なくない。
 でも,うまくいけば問題解決のための緒や突破口を探り当てることさえある。稀にそんなことがあるから,いまだルポライターを辞めることができないでいる。「営み」というより「趣味」に限りなく近いかもしれない。
 そんなわけで,ルポを書く「ルポライター」という職業はちっとも儲からない。なのえ,カミさんからはよく叱られる。これからの若い人達にはなかなかお勧めしづらい仕事の代表格と言えるかもしれない。
 だが,そんな他人の苦労をあっけらかんと踏み台にし,無断で勝手にその成果(=本)だけをスキャンして,手前の商売に利用しようとする——。これが,ここまでの取材を経て筆者がたどり着いた,「グーグルブック検索和解」の定義である。
 したがって,筆者から見た「グーグルブック検索和解」事件とは,インターネットとデジタル技術を悪用した「海賊版事件」以外の何ものでもない。喩えてみれば,すわ「黒船襲来」かと思ってよくよく見たら,船に乗っていたのは「海賊」だった——といったところだろうか。

明石昇二郎 (2010). グーグルに異議あり! 集英社 pp.79-80

「世襲」の問題

 そして,世界の中でも日本特有の異常な風習の極めつきが「世襲」だ。何十年も議員をやってようやくリタイアする頃になると,選挙区から支援者まで何から何までを息子や娘に譲り与え,2代,3代と議員を継ぎ,まるで「家業が議員」という形ができあがる。一族全員が何代にもわたって税金で生活しているのだ。
 もちろん,アメリカにもブッシュのような二世議員がいるが,海外の二世議員は自分自身で支援者を募り,寄付金を集めなくてはいけないから,日本の二世議員とは内容が違う。あれだけ民主主義でうるさいアメリカの国民が,「世襲だ!」などと文句を言わないのはそのためだ。
 ここでひとつお断りしておくが,私は世襲のすべてがいけないとは思っていない。何代も続いた旅館の主人を息子が世襲してもいいし,ラーメン屋の息子が店を継いでもいい。それは単に仕事を受け継いだだけだし,そこから修行もするだろうし,本人の努力がいるからだ。
 議員だって「寄付金型議員」で世襲するならばまったく問題がない。どれだけ寄付金を集められるかは本人の努力次第だ。日本の場合は議員が「職業型」であり,単なる「税金の世襲」になってしまっているから問題なのだ。これは断じてあってはならない。

河村たかし (2008). この国は議員にいくら使うのか:高給優遇,特権多数にして「非常勤」の不思議 角川SSコミュニケーションズ pp.35-36

就労しても出生率は低下しない

 女性就労と出生率の話もまったく同じような構造で,「若い女性が働いている県の方が出生率は高い」という事実を,理由はともかく事実として認めないと,日本経済が死んでしまいます。よく誤解されるのですが,「出生率を上げるために女性就労を促進しろ」と言っているのではないですよ。「内需を拡大するために女性就労を促進しましょう。少なくともその副作用で出生率が下がるということはないですよ」と言っているのです。
 そうはいっても皆様腑に落ちていただかないと仕方ないので,「なぜ若い女性の働く都道府県の方が合計特殊出生率が高い」という相関関係が観察できるのか,理由を推測してお話しします。あくまでも推測でして,証明はできませんが,どれかによって少しでも多くの人が「腑に落ちた」という思いになっていただければ幸いです。
 推測できる理由の第1は,いまどきダブルインカムでないと,子供を3人持つということはなかなか難しいからということです。普通の家庭の収支バランスを考えれば,皆さん簡単にご実感できることではないでしょうか。なぜ子供3人という話が出るのか。人口水準を維持するには2.1程度の出生率が必要ですが,3人以上産んでくださる人が相当数いない限りは当然出生率は2を超えません。ということで,たまたま子供を生むのに特に向いた体質・性格を持った人がいた場合には,経済的な制約にからめとられることなく3人以上産み育てていただける社会構造にしておく方が望ましく,そのためにはダブルインカムのご家庭を増やすことが近道なわけです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.233-234

女性を活用せよ

 私は,「外国人労働者は必然だ」と主張する議論を読むたびにいつも思うのです。あなたの目の前に,教育水準が高くて,就職経験が豊富で,能力も高い日本人女性がこれだけいるのに,どうして彼女らを使おうとせずに,先に外国人を連れてこいという発想になるのか。日本人女性が働くだけで,家計所得が増えて,税収が増えて,年金も安定する。そもそも女の人が自分で稼いでお金を持っていただいたほうが,モノも売れるのです。車だって洋服だって日経新聞だって,働く女性が増えれば今以上に売れることは確実です。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.226

政府だけの責任ではない

 であればこそ,です。今世紀前半の日本の企業社会の最大の問題は,自分の周りの環境破壊ではなく内需の崩壊なのですから,エコと同じくらいの,いやそれ以上の関心を持って若者の給与を上げることが企業の目標になっていなくてはおかしい。本当は「エコ」に向けるのと同等,いやそれ以上の関心を,若い世代の給与水準の向上に向けなくてはおかしいのです。「人件費を削ってその分を配当しています」と自慢する企業が存在すること自体が,「環境関連のコストを削ってその分配当しています」と自慢する企業と同じくらい,後々考えれば青臭い,恥ずかしいことなのです。
 そもそも内需縮小は,地球環境問題よりもはるかに重要な足元の問題ですよ。世界的な海面上昇への対処という問題なら,米国や中国に明らかにより多くやるべきことがある。なのに,そういう地球環境問題にはあれほどの関心と対処への賛意を見せる日本人が,どうして若い世代の所得の増大に関心が持てないのか。世界的な需要不足が今の地球経済の大きな問題であるわけですが,こちらはどうみても購買力旺盛な米国や中国のせいではなくて,内需の飽和している日本により大きな責任があると世界中が思っています(今般の経済危機は米国のせいだという人があるかもしれませんが,米国の経済崩壊は,内需不足に苦しむ日本企業が米国人に借金を重ねさせて製品を売りつけ続けた結果であるということも事実です)。これに対処するのって,政府だけの責任なのでしょうか。私は政府よりも企業の方にずっと大きな責任と対処能力が,両方しっかりあると思っているのですが。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.211-212

団塊世代の成長と共に

 戦後復興の中で,たまたま数の多い団塊世代が生まれた。彼らが加齢していくのに伴い,そのライフステージに応じてさまざまなものが売れ,そして売れなくなっていく。この単純なストーリーで説明できてしまう,そして予測できてしまうものごとがいかに多いことか。少なくとも「景気循環なるものが永劫回帰のごとく繰り返す」というマクロ経済学の基本形に比べますと,はるかに見事に,「戦後日本」という「国際経済競争市場の特殊解」の消長の理由を説明できます。バブルの発生がなぜ首都圏と大阪圏だけに集中していたのかも,団塊の世代の進学・就職の流れと照らし合わせてみれば完璧に納得してしまう。なぜ当時スキーやテニス合宿,電子ゲームが流行り,その後大きく市場が縮小したのかも,団塊ジュニアが学生だった当時と今を比べればハイティーンの数が4割近くも減っている,ということで説明できる。電子ゲームの市場再拡大は,高齢者にも売れる史上初のゲームである任天堂Wiiの登場まで待たねばならなかったのです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.126-127

出生率ではなく

 「少子化」といえば「出生率の低下」だと思っている人が非常に多いのですが,そうではなくて文字通り子供の減少,つまりは「出生者数の減少」こそが少子化です。そして「出生率の低下」というのは,少子化が起きる2つの原因の1つにすぎません。もう1つの原因が親の数の減少,正確には出産適齢期の女性の数の減少です。こっちは出生率とは違って後でいじることができません。20−40年前の出生者数がそのまま遅れて反映されますから。ちなみに最近の日本で起きているのも,正にこの「親の数の減少」による「出生者数の減少」でして,少々出生率が上がったくらいでは改善は生じません。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.122-123

やはり「絶対数」を見よ

 このように「高齢化」というのは「高齢者の絶対数の激増」のことなのですが,そうではなく高齢化=「高齢化率」の上昇である,というわけのわからない抽象化が世の中では普通に行われています。そもそも高齢者は増えるのか減るのかさえ理解していない人もいますよ。「高齢化率」が上がるのは「少子化」のせいだ(つまり子供の減少で総人口が減っているからだ)と決め付けて,子供さえ増やせば高齢化に対処できると勘違いしている人が。「高齢化率」はどうでもいいから「高齢者の絶対数」が増えていることこそ問題だという,当たり前の認識ができないと,現実への対処は始まりません。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.110-111

実数を見よ!

 「都市と地方の格差」と言っている人にお聞きしたい。あなたの言う「都市」ってどこのことですか?そもそも「地方」にも福岡とか元気な「都市」はあったわけで,「都市」と「地方」を対立概念にしている時点で言葉の選択を間違っていますが(本当はせめて「大都市圏」と「地方圏」と言うべきでしょう),それはともかく大阪は,あなたの言う「都市」なのか「地方」なのか。人口1700万人の京阪神地区,G8で3番目の巨大都市地域を「地方」だと言うのですか。ちなみに一番が人口3千万人以上の首都圏,2番目が1900万人程度のニューヨークですが。
 でもその大阪の個人所得やモノ消費の動向は,実はどの田舎の都道府県よりも苦しい推移をたどっているのです。05年に個人所得の低下率が47都道府県で一番大きかったのも大阪府でした。「いやあ,大阪は大都市の中の例外だよ」と言う人は,何を根拠にそう片付けるのでしょう。「何が原則で何が例外なのか」,どの程度までが「例外だ」で片付けていい範囲なのか,ということを日頃から詰めて考えておらず,先入観に反する事例を勝手に例外と決めつけているだけではないですか?

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.81-82

どこが都市でどこが地方?

 「都市と地方の格差」と言っている人にお聞きしたい。あなたの言う「都市」ってどこのことですか?そもそも「地方」にも福岡とか元気な「都市」はあったわけで,「都市」と「地方」を対立概念にしている時点で言葉の選択を間違っていますが(本当はせめて「大都市圏」と「地方圏」と言うべきでしょう),それはともかく大阪は,あなたの言う「都市」なのか「地方」なのか。人口1700万人の京阪神地区,G8で3番目の巨大都市地域を「地方」だと言うのですか。ちなみに一番が人口3千万人以上の首都圏,2番目が1900万人程度のニューヨークですが。
 でもその大阪の個人所得やモノ消費の動向は,実はどの田舎の都道府県よりも苦しい推移をたどっているのです。05年に個人所得の低下率が47都道府県で一番大きかったのも大阪府でした。「いやあ,大阪は大都市の中の例外だよ」と言う人は,何を根拠にそう片付けるのでしょう。「何が原則で何が例外なのか」,どの程度までが「例外だ」で片付けていい範囲なのか,ということを日頃から詰めて考えておらず,先入観に反する事例を勝手に例外と決めつけているだけではないですか?

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.81-82

日本=「近所の宝石屋」

 習い性と申しましょうか,日本人は自分のことを,「ご近所のブルーカラー」「派遣労働者」だと思い込んでいます。「賃料の安い仕事が得意だったのに,それを周辺の新興国に奪われてジリ貧になっている」と,勝手に自虐の世界にはまり,被害妄想に陥っている。ところが実際は日本は「ご近所の宝石屋」なのです。宝石屋なので,逆にご近所にお金がないと売上が増えません。ご近所が豊かになればなるほど,自分もどんどん儲かる仕組みです。事実この数年,ジリ貧のアメリカ相手の儲けはもう伸びていませんが,ご近所の中・台・韓が成長したおかげで,高い製品もよく売れてたいへん儲けさせていただいた。資源高で潤ったロシアからすら,貿易黒字をいただいているのです。これで他の世界中の途上国もお金持ちになったら,日本はさらにさらに儲かるわけです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.45-46

中国はお得意様

 厳しい国際競争にさらされているこの国なのに,日本はどの国から儲けてどの国に貢いでいるかを確認している人は非常に少ないのです。たとえばとても多くの方が,日中貿易は日本の赤字だと決め付けています。ところが08年の日中の貿易収支は,日本が2.6兆円の黒字でした。07年も日本が2.7兆円の黒字で,不況になってもほとんど変わっていません。ちなみに08年の対米貿易黒字は6.3兆円でしたから,中国もアメリカの4割程度の規模で日本の黒字に貢献しているのです。
 一言注釈すると,この数字は対中国と対香港の合計です。三角貿易とはこのことなのでしょうか,日本の対中輸出は香港経由が多いのに,中国は日本に直接輸出しています。香港を忘れて日本と中国の数字だけ見ると,日本の方が赤字に見えますが,日本の対中赤字よりも対香港の黒字の方がずっと多いのでご注意ください。
 ちなみに02年以前は日本の対中貿易黒字はまだ数千億円程度でした。ところが今世紀の中国の経済成長に伴って,日本が中国から稼ぐ黒字は2兆円を超えるところまでぐんぐん伸びてきたわけです。あいにく世界同時不況で中国経済も打撃を受けましたので,09年の日本の対中貿易黒字は1兆円第ニ落ち込みそうですが,おれは中国経済が不況になったからであって,日本の競争力が落ちたからではありません。彼らが成長軌道に戻る今後は,当面また日本の対中黒字も増えます。
 困ったことに「自虐史観」ならぬ「自虐経済観」とでも申しましょうか,最近国内では,「中国の繁栄は日本の敗北だ」と数字もチェックせずに思い込んで被害妄想になって,声高に「中国は早晩ダメになるぞ」とか,逆に「中国のおかげで日本が没落する」とか騒ぐ向きがあります。「自虐史観を許さない」と威張っているネット右翼の連中が,先頭を切ってそうだったりするので困ります。でも違います。現実には中国が繁栄すればするほど,日本製品が売れて日本が儲かるのです。中国経済がクラッシュすれば,お得意さんを失う日本経済にはそれこそ100年に一度の大打撃です。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.39-41

弱く思わせるメリット

 それはともかく,「日本の国際競争力が落ちている」というこの誤解には,いい面もあります。日本人が勝手に自信喪失して謙虚に振る舞うもので,世界のほとんどのお受験エリートも,日本同様に絶対額ではなく対前年同期比と総合指数だけをチェックしているような方々ですから,日本の製造業がそんなに強力なままであるとは気づきません。86年の円高不況の頃,「日本は脅威だ」と騒ぐアメリカの上院議員が,日本車をぶったたいて壊してパフォーマンスしていましたけれども,今では誰もそんな下品なことはやらないです。彼らも今は,「日本は終わった,今は中国が敵だ」と思い込んでいるわけです。08年の日本の輸出は円高不況の頃の2倍以上に増えていたというのに。
 傲慢になることは避けなければなりませんが,日本の国際競争力を論じるすべての人は,ムードに乗って良い悪いを騒ぐのはやめ,客観的で議論の余地のない絶対数,すなわち輸出額,輸入額,貿易収支の額を冷静に眺め,そこから構造を把握するようにしていただきたい。学者ではなくても誰でもできることですし,むしろ学者などに頼らずに,関係者1人1人が自分で数字を確認すべきなのです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.34-35

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