忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ケータイはコンピュータ

 携帯電話,とくに1999年にNTTドコモが始めた「iモード」の登場以来,若者の多くが親指入力派だ。パソコンのキーボードには慣れていないが,携帯では高速な親指入力ができる,というユーザーである。そんなユーザーを取り込もうと,パソコンで親指入力の行えるソフトキーボードを搭載したパソコンさえある。
 これらの若者にとっては,携帯電話もインターネットも境界のないものなのだ。新しい「格差社会」などといった報道も見られるが,それはある一面でしかない。携帯電話は,いまやパソコンと比肩する立派なコンピュータなのである。

武井一巳 (2009). 雲のなかの未来:進化するクラウド・サービス NTT出版 pp.234-235
PR

iPhoneが衝撃だった理由

 いや,クラウドを利用するためには,パソコンもまた不要になりつつある。代わりに利用するのが携帯電話だ。アップルのアイフォーンが衝撃だったのは,それが単なるスマートフォンだったからではない。デザインが秀逸で,インターフェースが優れていたからだけでもない。
 アイフォーンが衝撃だったのは,それがクラウド端末だったからだ。使う側が意識するとしないとにかかわらず,アイフォーンはクラウドを利用するのに便利な端末であり,携帯電話(と呼べるなら)をクラウド端末に進化させるモバイル端末だったからではないだろうか。

武井一巳 (2009). 雲のなかの未来:進化するクラウド・サービス NTT出版 p.227

クラウド・コンピューティングでのPCの使い方

 では,これまでのコンピュータの使い方と,クラウド・コンピューティングでのコンピュータの使い方は,どこが異なっているのか?それは2つの側面で考えていく必要がある。
 まず,ユーザー側のコンピュータの使い方だ。前述したようにコンピュータは80年代末から2000年代前半にかけて,クライアント・サーバシステムによって利用されてきた。サーバと,これに接続するクライアントという形だ。サーバは企業内に設置され,あるいは家庭内でも設置され,各クライアントは,このサーバにアクセスしてデータを共有したり,あるいはサービスを利用したりしていた。
 ところがクラウド・コンピューティングでは,サーバはインターネットの先にあり,企業や家庭のどのコンピュータといった明確な指摘はできない。もちろん,インターネットの先にあるコンピュータに接続するのであって,利用法そのものでいえばクライアント・サーバシステムに近い。だが,ユーザはどのサーバに接続するのかを意識する必要はない。雲のなかにあるサーバで提供されている“サービス”を選択しているのである。
 このコンピュータの使い方は,ウェブ2.0のときのウェブサービスと同じ,あるいはこれを発展させたものだと思えばいい。クラウド・コンピューティングの本質は,サービスそのものなのである。
 もうひとつの側面は,これらのウェブサービスを提供する側のコンピュータの使い方だ。サービスを提供するためには,サーバを設置し,アプリケーションやプログラムを組み込み,これを公開することで,アクセスしてきたユーザーにサービスを提供することができた。このとき利用するサーバは,自社で調達したり,あるいはデータセンターのサーバを利用したりしてきた。
 クラウド・コンピューティングでは,この部分もまた“雲”のなかにある。サーバやストレージを提供する企業の膨大な数のコンピュータや,これらを利用して作成された仮想コンピュータのなかにサーバを作成し,このサーバでサービスを提供するのである。
 狭義のクラウド・コンピューティングでは,このサービスを提供する側のコンピュータの利用法を指しているが,実際にはサービスを提供する側も,またサービスを利用する側も,インターネットを通じてクラウドにアクセスし,サービスを提供または享受するようになってきており,これらを総称した新しいコンピュータの使い方が,広義のクラウド・コンピューティングなのである。

武井一巳 (2009). 雲のなかの未来:進化するクラウド・サービス NTT出版 pp.23-24

クラウド・コンピューティングの本質

 ウェブ2.0サービスが広告型ビジネスを確立できないからといって,いまさら有料化するわけにはいかない。そこで企業が始めたのが,それまでは企業内のシステムで処理していた業務を,クラウド・コンピューティングを利用して行う方法だ。アマゾンやグーグルなどの巨大データセンターを利用すれば,サーバやデータセンター,さらにこれを管理する人件費や電気代などを大幅に削減できる。
 ユーザーから見れば,ツイッターというクラウド・コンピューティング・サービスを利用しているが,そのツイッターはアマゾンS3というクラウド・コンピューティングを利用しているのである。
 ユーザーにとって,利用するサービスや処理システム,ストレージといったものは,まさにネットの向こうの“雲”のなかにあり,それらが複雑にからみあい,しかもユーザーからは雲に隠れて見えづらくなっている。だが,これがクラウド・コンピューティングの本質なのである。

武井一巳 (2009). 雲のなかの未来:進化するクラウド・サービス NTT出版 pp.21-22

日本の体制は失格

 何よりも,子どもが安心できる安全な環境に置かれるのでなくては治療が始まらないが,実はこのもっとも基本的な対応でわが国はすでに失格であることをご存じだろうか。現在,保護をされた被虐待児の約8割が家庭に復帰している。家庭に帰すことが好ましいからなされているのではなく,虐待によって保護される子どもの数が予想以上の伸びを見せるなかで,社会的養育の場はすでに満杯状態にあり,保護をする場所がないから否応なしに家庭に帰しているのである。
 わが国は先進国で唯一,被虐待児のケアの場は主として,大人数の児童が一緒に暮らす大舎制の児童養護施設によて担われている。心の傷を抱えた者同士が集まったときには,攻撃的な行動噴出をはじめとするさまざまな問題行動が繰り返され,さらに子ども—子ども間においても,子ども—スッタフ間においても,虐待的な対人関係が繰り返し生じ,子どもの安全の確保自体に大きな困難を抱えている。社会的養育を巡るこのような厳しい状況は,被虐待児へのケアの基本的な問題であると思われる。里親養育の増加が強く望まれるゆえんである。

杉山登志郎 (2007). 発達障害の子どもたち 講談社 pp.165-166

外国人投資家は日本人

 インターネットで検索すると,オフショア法人設立をうたう多数の香港業者が表示される。なかには日本語ページを持つ業者もあり,法人設立まですべて日本語のEメールですんでしまう。費用は,銀行口座込みで20万〜30万円程度だ。
 香港経由のBVI法人は,その性格上,香港内の金融機関に口座がないと役に立たない。かつては最大手の香港上海銀行に口座開設するのがふつうだったが,マネーロンダリング規制の強化によって営業実態の証明が必要になり,最近ではより敷居の低いスタンダードチャータード銀行などが利用されている。
 こうした香港の金融インフラを,バブル崩壊後も現地に残った日本人証券マンが利用し,オフショアを通じた証券投資スキームをつくりあげた。日本と香港には1時間の時差しかないので,投資家は国内取引と同様に気軽に電話で注文を出せる。売買以来はオフショア法人から香港の証券業者を経由して日本の証券業者に発注され,完璧な匿名性に守られて執行されるのである。
 こうした手法が人気を集めた結果,いまでは日本企業の大株主にわけのわからないカタカナ名のペーパーカンパニーが名前を連ねるようになった。これを経済紙誌は「外国人投資家」と呼ぶが,その多くは日本人である。

橘 玲 (2006). マネーロンダリング入門:国際金融詐欺からテロ資金まで 幻冬舎 pp.196-197

プライベートバンクの存在理由

 それでは,プライベートバンクはなんのために存在するのだろうか。そこには,ふたつの理由がある。
 ひとつは裕福な個人投資家に,機関投資家並みの多様な金融商品にアクセスする機会を提供することである。個人の証券会社にも富裕層向けの営業部門があるが,そこで扱うのは日本株や国債・社債,投資信託くらいのものだ。それに対してプライベートバンクは,アメリカ,ヨーロッパ,日本,エマージング(新興市場)を問わず,株式や債券,ヘッジファンドまで市場で売っているものならなんでも調達してきてくれる(金融機関によって取扱商品は異なる)。相応の金融資産を持ち,効率的に国際分散投資を行ないたい個人投資家には便利な機能だ。
 もうひとつは,法人や信託,投資組合などさまざまな投資主体を利用できることである。個人事務所や会計事務所と提携しているので,電話一本ですべてやってくれる。
 取引の匿名性に魅力を感じる顧客もいるだろう。海外のプライベートバンクに口座を開設し,日本市場で株式を売買すれば,真の取引主体は日本側ではわからない。これは,仕手株などの投資には有効な方法だ。
 ここであらためて確認しておくと,プライベートバンクを利用したこうした取引は,日本国の法令に照らしてすべて合法である。海外の金融機関で資産を運用することも,海外に法人や投資会社を設立することも,所得の申告など定められた手続きさえ行なっていればなんの問題もない。

橘 玲 (2006). マネーロンダリング入門:国際金融詐欺からテロ資金まで 幻冬舎 pp.99-100

プライベートバンクの意味

 多くの人が誤解しているが,プライベートバンクは本来,「個人のための」銀行ではなく「個人所有の」銀行のことである。スイス・ジュネーブのプライベートバンカーズ協会に加入するピクテやロンバード・オーディエ・ダリエ・ヘンチなどの名門銀行はほとんどが18世紀に創設され,王侯貴族などヨーロッパの富裕層の財産管理を営々と行ってきた。こうした伝統的プライベートバンクの特徴は,オーナー一族が自らの財産で設立し,無限責任によって運営されていることだ。経営に失敗すればオーナー自身が破産するというこの仕組みが,資産の保全を望む顧客の信用の源泉になっている。

橘 玲 (2006). マネーロンダリング入門:国際金融詐欺からテロ資金まで 幻冬舎 p.54.

実践共同体という発想

 企業は,大学の卒業生ネットワークのモデルと同様に社員をウェブでつながった個人の集まりと考えるべきだ。元社員から成るネットワークは,企業の内部の仕組みに対して深い知識を持っており,退職した後も大きな価値を提供してくれる。ソーシャルネットワーキング,コミュニティ・オブ・プラクティス(実践共同体),そして,その他のウェブ2.0プラットフォームにより,社員も元社員も共に情報を交換することができる。ネット世代の社員はこのような思考形態を歓迎するだろう。これは,彼らにとって自然な発想だからだ。

ドン・タプスコット 栗原潔(訳) (2009). デジタルネイティブが世界を変える 翔泳社 pp.265-266

労働力が不足するということ

 労働力の不足は,特に科学と工学の分野において深刻だ。米国商務省の副次長であるジョン・ベイリーは,今日の科学・工学分野では労働者の4人の1人が50歳以上であると述べている。そして,この分野における成長ペースは労働者の供給ペースよりもはるかに速い。知識労働者の需要が高まる一方で供給は縮小している。過去10年間において4年制の工学部学生の数は大きく減少した。また,科学や工学系の学部に進む学生の数も減少している。大学は,既存のベビーブーム世代が抜けた穴を埋めるに十分な工学系新卒者を生み出していない。企業の成長に必要な新卒者を確保するどころの話ではないのだ。
 米国内の一部分野における労働力の不足により,企業は海外に人材を求めている。新興経済国の多くにおいてネット世代の数は戦後世代を大きく凌駕している。中国では,ネット世代の人口はベビーブーム世代の人口よりも8千万人多い。インドや南米でも,ネット世代の人口はきわめて多い。たとえば,インドではネット世代の人口はベビーブーム世代のおよそ2倍である。インドでは毎年250万人の大学新卒者が生まれており,そのほとんどが英語を使える。インドの学生の雇用コストは米国の大卒者の12パーセントであり,その平均的労働時間は年間450時間も多い。これは,雇用主である企業にとっては良いニュースだ。世界の新興経済がいまだかつてないレベルの若い労働力を提供してくれ,そのコストは北米や欧州と比べて安価なことが多い。低賃金の国ではおよそ3900万人の若いプロフェッショナルが存在するのに対して,高賃金の国ではその数はおよそ1800万人である。

ドン・タプスコット 栗原潔(訳) (2009). デジタルネイティブが世界を変える 翔泳社 p.231

オンラインの暇つぶしは問題か

 雇用主は,ネット世代が仕事中にオンラインで暇つぶしをしているとよく不平をもらす。しかし,冷静になるべきだろう。仕事中にオンラインゲームで20分間を費やすことがどれほどの問題なのだろうか。ベビーブーム世代が,階下のコーヒーを取りにいったり,タバコを吸いにいったり,上司への不満を愚痴るためにオフィス内を歩き回ったりしていたのとどこが違うのだろうか。デジタルテクノロジーに囲まれて育ってきたことにより,ネット世代は思考を迅速に切り替えられるようになっている。数分間ゲームをしてみることで,問題解決の斬新な方法が見つかる可能性もある。机に何時間もかじりついているよりは,はるかに生産性が高いだろう。

ドン・タプスコット 栗原潔(訳) (2009). デジタルネイティブが世界を変える 翔泳社 p.136

個人情報を気にした方がいい

 総合的に言って,私はインターネットがネット世代に好影響を与えていると考えている。ベビーブーム世代にとってもそう言えるだろう。しかし,いくつかの考慮点がある。ネット世代は重大な間違いを犯している。そして,多くの人がそれに気づいていない。ネット世代はソーシャルネットワークなどの場所で個人情報を公開しており,それによって将来のプライバシーを犠牲にしているのだ。彼らは私に「そんなことは気にしていないよ,まずはシェアすることが大事だ」と言う。しかし,私は自分の経験から言いたい。いつか,企業や公的機関での要職に就く時になって,パーティでの恥ずかしい写真が問題になることがあるかもしれない。私は,今こそネット世代が目覚め,自分自身の情報をどれほど公開しているのかを認識すべきだと考える。これらの情報の中にはプライベートに留めておけばよかったと後悔するものも多いはずだ。

ドン・タプスコット 栗原潔(訳) (2009). デジタルネイティブが世界を変える 翔泳社 pp.12-13

実際に不合理

 すべての組織で,その細部とその中での日常生活を規制しているものは,結局,その組織を生み出したその社会の常識である。常識で判断を下していれば,たいていのことは大過ない。常識とは共通の感覚(コモン・センス)であり,感覚であるから,非合理的な面を当然に含む。しかしそれはその社会がもつ非合理性を組織が共有しているがゆえに,合理的でありうる。
 しかし輸入された組織は,そうはいかない。その社会の伝統がつちかった共通の感覚は,そこでは逆に通用しなくなる。従って日本軍は,当時の普通の日本人がもっていた常識を一掃することが,入営以後の,最初の重要なカリキュラムになっていた。
 だがこの組織は,強打されて崩れ,各人が常識で動き出した瞬間に崩壊してしまうのである。米英軍は,組織が崩れても,その組織の基盤となっている伝統的な常識でこの崩壊をくいとめうる。この点で最も強靭なのはイギリス軍だといわれるが,考えてみれば当然であろう。だが,日本軍は,全くの逆現象を呈して,一挙にこれが崩壊し,各人は逆に解放感を抱き,合理的であったはずの組織のすべてが,すべて不合理に見えてしまう,----そして確かに,常識を基盤にすれば,実際に不合理だったのである。

山本七平 (2004). 日本はなぜ敗れるのか----敗因21ヵ条 角川書店 Pp.284-285

無敵信仰

 戦後三十年,日本の経済的発展を支えていたものは,面白いことに,軍の発想ときわめて似たものであった。日本軍も,明治のはじめに,その技術と組織を,いわばあらゆる面での「青写真」を輸入して急速に発展していった。その軍事成長の速さは,絶対に,戦後の経済成長の速さに劣らない。否,それより速かったかも知れぬ。
 その謎はどこにあったのか。輸入された「青写真」という制約の中で,あらゆる方法で“芸”を磨いたからである。そしてその“芸”が“名人芸”に達すれば,青写真の制約を乗り越えうると信じた。そしてそう信じたがゆえに「無敵皇軍」と称し,これが誇大表現であるにせよ,「無敵」に到達しうると信じたことは事実である。あらゆる“前提”は一切考慮せずに。
 戦後も同じではなかったか。外国の青写真で再編成された組織と技術のもとで,日本の経済力は無敵であると本気で人びとは信じていたではないか。今でもそう信じている人があるらしく,公害で日本が滅びるという発想はあり得ても,公害すら発生し得なくなる経済的破綻で日本が廃滅しうると考えている人はいないようである。無敵日本経済の信仰は,まだまだつづくことであろう----石油問題がその前提の1つをゆるがしているのに。

山本七平 (2004). 日本はなぜ敗れるのか----敗因21ヵ条 角川書店 Pp.198-199

注)上記引用は,1975〜1976年に連載された文章である。

組織に制御されて自己規定している

 全体の中の自分を見なおす----と言ってしまえば簡単だが,これは実際には不可能に等しい。たとえばあるサラリーマンが,地球上の一切を正しく把握し,その正しく把握した地球上における日本国の位置を正しく措定し,その中で自分が所属する企業を正しく位置づけし,ついでその企業における自己の位置と役割を正しく認識して,それに基づいて自己規定をする,などということは実際にはできない。
 現在は言論も自由,報道も自由,自由なる新聞は毎日のように正しい情報をみなに提供しているはずである。しかし,それだからといって,人びとに前記の自己規定ができるかといえば,もちろん否である。人は大体,自分の属している組織の中で,有形無形の組織内の組織に制御されて自己を規定している。現実の行動の規範はそれ以外にない。

山本七平 (2004). 日本はなぜ敗れるのか----敗因21ヵ条 角川書店 p.39

「良い遺伝子」と「悪い遺伝子」という二分法

 遺伝子を診て将来を鑑定する,という診断方法はいかなるやり方をしても“確実な鑑定”など原理的に不可能なのであるが,こうした技術の普及は一般社会にもっと深刻なイデオロギー的害毒をもたらすことになる。つまり「良い遺伝子」と「悪い遺伝子」という単純な二分法的遺伝観を世間に広め,「良い初期胚」と「悪い初期胚」を選り分けるという優生学の増長に拍車をかけることになる。「遺伝子」であれ「初期胚」であれ,一般社会の人々にとっては「胎児」ほど生々しいものではないし,言葉だけが先行した抽象的で非現実的な存在なので,その差別やら抹殺には心理的な痛みがともなわない。だから子供の未来を気にする親たちは「自分がいま,家族や世界の一員としてどういう子供なら歓迎でき,どういう子供なら抹殺してもかまわないか,という差別的な選り分け作業にたずさわっている」という重大な事実を直視せずに,じつに安易な気持ちで“胚殺し”が実行できるわけだ。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.411-412

DNA鑑定の問題点

 実際のところは,犯罪捜査その他の司法鑑定の目的で採取したDNA標本は,指紋と同様に,採取した環境や保存状態によって劣化や汚染をこうむることが,ままある。たとえばDNA標本が,合成洗剤を使って最近洗濯したばかりの衣類や敷物から採取された場合は,繊維にこびりついた洗剤の作用でDNAそのものが科学的な変質をこうむっていることがある。いわゆる「DNA指紋採取法」では,DNA標本から「DNA指紋」を作成する際に,制限酵素を使ってDNA標本を特定の塩基配列部位で切り刻むという手順を踏むのであるが,合成洗剤の作用で変質してしまったDNAは,制限酵素の切断部位も,変質前のDNAとは違ってくる。その結果,このDNAの持ち主の本来の「DNA指紋」とは似ても似つかぬ「DNA指紋」が出来上がってしまうのだ。しかも人体組織や血液の標本は,細菌感染によって簡単に汚染されてしまう。細菌に感染された標本を使えば,「DNA指紋」を作成する際に細菌由来のDNAまで紛れこんでしまうので,鑑定結果はとんでもないものになってしまう。
 「DNA指紋」を採取するまでの段階でこれらの問題が起こると,真犯人の本来のものとは異質のDNAを使って鑑定を進めることになるので,真犯人を挙げることは決してできない。これは誤認逮捕の原因になる。しかも「DNA指紋採取法」は,これ以外にも誤認逮捕となる問題を抱えている。それは真犯人ではない者を「真犯人」だと“誤診”してしまう問題だ。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.363

遺伝子差別の根底にあるもの

 “遺伝子差別”の根底にあるのは,「ああいう連中は生まれてくるべきではない」という社会通念である。「ああいう連中」が何を指しているかは,それぞれの文化や社会によって異なるだろう。差別とはそういうものなのだから……。「奴隷解放の父」として名高い第16代米国大統領エイブラハム・リンカーンは「マルファン症候群」だったと考えられている。「マルファン症候群」は,手足が異常に長くなり眼球の水晶体や大動脈などに異常が認められる“優性”形質の遺伝病である。遺伝学者たちはもっか,「マルファン症候群」の発症を“予言”できる出生前検査の開発にいそしんでいる。歴史に“もしも”は禁物だが,もしも19世紀の初めにも現代のような“障害児の発生予防”に社会全体が熱狂し,科学的“予言”が大流行していたなら,リンカーンは生まれていなかったかもしれない。リンカーンを生むことのなかった米国に,今日のような社会的進歩があったかどうかは,まことに疑わしい。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.99

遺伝子検査を推し進めているもの

 遺伝子検査を推し進めているのは,障害者の“発生予防”を善しとする差別的な人間観に他ならない。だが“発生予防”の発想がどれほど有効か,まずそこから考え直す必要がある。「心身障害」すなわち心身の生理的機能不全をこうむった人たちの多くが経験する「障害」というのは,よくよく考えれば心身の機能不全状態そのものよりも,むしろそうした“生理学的少数派”が“多数派”である一般「健常」者の世界で生きていくうえで,社会的障壁に妨げられて生活に現れる“差し障り”と“被害”に他ならないことがわかる。たとえ優れた能力をもっていても,「女性」であるとか「社会的少数派」に属しているというだけで,たいていの人たちが社会的多数派や支配的職能階層から差別的に排除されてきた。(特に女性差別は人種にかかわりなく行なわれてきたのである。)それとまったく同じ“仕組み”で,遺伝的であれ生後のものであれ,心身に生理的機能不全をこうむり「心身障害」のレッテルを貼られた人たちは,多くの学校や職場で門前払いをされてきたのが現実なのだ。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.93-94

予言的な出生前検査

 遺伝が原因で起きる疾患や障害は,現実には比較的少ない。そのなかで“医学的手段によって発生が予言できる”ものとなると,さらにぐっと少なくなる。私たちや,胎内の子供たちが出逢う危険の大部分は,実際には“生物学的原因”とは到底言えないものである。たとえば都会に住んでいれば交通事故や犯罪に遭ったり発癌物質や毒物に曝される危険性はきわめて高い。都会住まいで,子供に自転車遊びを許しておけば,それによって子供の命が危機に曝される可能性は格段に高くなる。“自分の家系に特別な疾病遺伝子が受け継がれている”などという事実を知ろうが知るまいが,都会住まいの人間はこうした“異常な危険性”を無自覚に引き受けているわけだし,出生前検査で発見できる遺伝病の類いよりも発生率や損害は大きいわけである。さらに,出生前検査で“異常”が発見できる病気であっても,検査でわかるのは「問題が生じる可能性が高い」という“雰囲気”だけにすぎず,「生まれてくる子供の障害が軽微ですむか重度になるか」という大事な点は予測がつかないのが現実だ。
 にもかかわらず,米国の富裕層の女性たちの間では,“予言的”な検査が通常の出生前医療サービスの一部になっている。じつをいうと,そうした検査は製薬会社・病院・開業医のお決まりの収入源になっているのだ。さらに,医者は“医療過誤”で患者から訴訟を起こされるのが怖いので,職業的な予防線を(患者に対して)張るために,特に必要がない場合でも患者に検査を勧めるのが習いになっている。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.91-92

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]