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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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いまの日本も同じでは?

 多くのアメリカ人は,世の中のルールが機能しなくなってきているのではないかという心配を口にしている。社会は拠り所とすべきモラルの中心を失っており,現代のアメリカ文化は根本的な価値を取り戻す必要があるというのだ。もちろん,何をもって“根本的な価値”とするかについては人によって異なるわけだが,ともかく美徳や規律についての本がつぎつぎと出版され,ベストセラーになっている。政治家が演説で使うレトリックには「伝統的な価値に戻れ」とか「個人の責任」などの言葉が混じり,それらが失われたのは人々を甘やかす世の風潮のせいだと主張する人々もいる。彼らによれば,そういう風潮が悪い行いを正当化する連中を増長させているのであり,そのために最近では犯罪行為を働いても「虐待されて育ったせいだ」などのさまざまな泣き言をならべ,自分の責任を逃れようとする人間が増えているという。そして,夫の暴力から生理前のヒステリーに至るまで,あらゆることを自分がした悪い行いの言い逃れに使おうとする態度がまかり通っているというのである。


ドナルド・W・ブラック 玉置 悟(訳) (2002). 社会悪のルーツ ASP(反社会的人格障害)の謎を解く 毎日新聞社 p.31
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不幸になる権利

 「V・P・Sって?」
 「激情代用薬(Violent Passion Surrogate)のことさ。規則的に毎月1回だ。身体の全組織にアドレナリンを充満させるのだ。恐怖と怒りの完全な生理的代用物だ。デズデモーナを殺したり,またオセロの手で殺されたりする,あの強壮剤的効果には一切欠けるところがなく,しかも何らの不都合はともなわぬのだ」
 「しかし,わたしはその不都合が好きなんです」
 「われわれはそうじゃないね」と総統は言った。「われわれは物事を愉快にやるのが好きなんだよ」
 「ところが,わたしは愉快なのがきらいなんです,わたしは神を欲します,詩を,真の危険を,自由を,善良さを欲します。わたしは罪を欲するのです」
 「それじゃ全く,君は不幸になる権利を要求しているわけだ」とムスタファ・モンドは言った。
 「それならそれで結構ですよ」と野蛮人(サヴェジ)は昂然として言った。「わたしは不幸になる権利を求めているんです」
 「それじゃ,いうまでもなく,年をとって醜くよぼよぼになる権利,梅毒や癌になる権利,食べ物が足りなくなる権利,しみだらけになる権利,明日は何が起こるかもしれぬ絶えざる不安に生きる権利,チブスにかかる権利,あらゆる種類の言いようもない苦悩に責めさいなまれる権利もだな」
 永い沈黙が続いた。
 「わたしはそれらのすべてを要求します」と野蛮人はついに答えた。
 ムスタファ・モンドは肩をそびやかした。「じゃ,勝手にするさ」と彼は言った。

ハックスリー 村松達雄(訳) (1974). すばらしい新世界 講談社 p.278-279

われわれはどう判断すべきか

 個人や(女性たちとかアジア系の人たちとかいった)個人のタイプやグループなどについて知りうる事実が,とっくその人たちを眺めたり扱ったりする仕方に深い影響を及ぼすことがあるというのは,まぎれもない事実である。もしも私が,サムには精神分裂病や,重症の発達遅滞や,めまいと周期的視覚喪失などがあることを知ったら,サムをスクールバスの運転手に雇ったりはしないだろう。私たちが個人についての特殊な事実から個人の集団の概括化ということに向き直ったら,事情はもっと複雑になる。男女の寿命の違いについての保険統計上の事実に対する,保険会社の公正かつ妥当な反応というのは,どんなものなのだろうか。男女それぞれの違いに応じて掛け金を調整するのが正しいのだろうか。それとも,掛け金ということでは男女一律に扱っておいて,給付金の受け取り率の方で差をつけるのが正しいとすべきなのだろうか。(喫煙者対非喫煙者などといった)任意に得られる違いについては,喫煙者にはその習慣に対して掛け金を高く払わせるのが公平だと思われるが,人々がたまたまそれを持ちあわせて生まれついた違いについては,どうなのだろう。アフリカ系アメリカ人は,1つの集団としてみると,高血圧に異常にかかりやすく,スペイン系アメリカ人の間では,糖尿病にかかる率が平均を上まわっており,白人は皮膚ガンや嚢胞性繊維症にかかりやすい(Diamond, 1991)。こうした違いは,彼らの健康保険の計算に反映されるべきなのだろうか。成長期に<両親>がタバコを吸っていた人たちは,自分は何も悪くないのに呼吸器系の疾患にかかりやすい。青年男子は,集団としてみると,青年女子より安全運転を守らない。こうした事実のうち,どれが,どれだけ,またどうして重視されるのか。私たちが統計的動向を扱うのではなく,かえって1人ひとりの個人を扱うときにも,ジレンマはどっさりある。雇用者--やその他の人たち--には,はたしてあなたに,結婚歴や,前科や,安全運転記録や,スキューバ・ダイビング歴などがあるかどうかなど,知る資格があるのだろうか。ある人の学校の成績を公開することと,その人のIQの高さを公開することとの間には,何か原理上の違いがあるのだろうか。

ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.645-646

文化的革新と遺伝的革新の混同

私たちは,しばしば文化的革新を,遺伝的革新と混同する誤りをおかす。たとえば,ここ2,3世紀の人間の平均身長が急上昇していることを誰もが知っている。(ボストン港にある19世紀初頭の軍船オールドアイアンサイズのような近代史の遺物を訪れると,甲板の下の空間が,私たちの祖先はほんとうは小人の家系であったのではと思うほど,奇妙に窮屈であるのに気づく。)身長の急激な変化のうちのどの程度が,私たちの種の遺伝的な変化だろうか。多少はあったとしても決して大きくない。1797年にオールドアイアンサイズが進水してから今日まで,,ホモ・サピエンスはたったの10世代しか経過していないのだから,たとえ背の高い人に有利な淘汰圧(はたしてこんな証拠はあがっているのか?)が強く働いたといても,これほどの効果をもたらす時間はないのである。劇的な変化があったのは人間の健康と食事と生活状況で,これらは表現型のうえでの劇的な変化であり,学校教育や新型の農場経営法や公衆衛生対策などの文化的伝達を通した文化的刷新に100%依存している。「遺伝的決定性」を気にしている者は,プラトン時代の人間と今日の人間において識別できる実質上すべての違い(肉体的素質,性癖,態度,将来展望)は,その時代から今日までは200世代と経過していないため,文化的変化に依存しているに違いないと気づくべきである。

ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.448

欠乏に対する心配

けっしてものに不自由することはないという安心感,この安心感がある時に誰か必要以上に貪る者があろう。今さら言うまでもないが,あらゆる種類の動物が餓鬼のように貪欲になるのは,実に欠乏に対する心配であり,特に人間においては虚栄心である。人間はなくもがなの,玩具のような物を見せびらかして他人をしのげば,それがすばらしい光栄であるかのように思うものなのである。そういう悪徳を知らない国民,それがすなわちユートピア人なのだ。

トマス・モア 平井正穂(訳) (1957). ユートピア 岩波書店 p.92.

当事者にはなれないことを自覚せよ

 今僕たちが意識化せねばならないことは,無理やりに当事者側に身を置こうとすることではなく(絶対に置けないのだ),自分が非当事者であることを,もっと徹底して自覚することだ。今の僕は当事者じゃない。だから冷静でいられる。当たり前だ。誰もが当事者になる必要などないし,なれるはずもない。今のこの社会が共有しているのは,被害者の哀しみではなく,加害者への表層的な憎悪だけだ。被害者や遺族の底知れない哀しみなど,実は第三者である僕らに共有などできるはずがない。第三者だからこそ,気軽に憎悪を発動する。要するに主語がない。だから述語は,新たな標的を求めながら暴走する。それが今の日本社会だ。

森 達也 (2008). それでもドキュメンタリーは嘘をつく 角川書店 p.291-292


オウム以降の方向性

 オウム以降,不安が蔓延することによって思考を停止した社会は,正義と邪悪,善と悪,真実と虚偽などの二元論に無自覚に邁進しながら憎悪を萌芽させた。民意を市場原理とするメディアはこの流れに追随する。こうしてテレビの画面を挟み,二元論が相乗効果として加速される。もちろん新聞や雑誌も,この競争原理からは無縁でいられない。
 マスメディアはここぞとばかりに新たな生贄探しに狂奔し,それによって刺激された世論はさらにサディスティックとなって次の標的を求め,メディアはこれに応えるために血眼になる。魔女狩りの時代の復活だ。この局面に陥れば,メディアだけでなく政治や司法でさえも,主体的なコントロールを取り戻すことは難しい。つまり社会は全方位的なポピュリズムに支配される。


森 達也 (2008). それでもドキュメンタリーは嘘をつく 角川書店 p.128

生き,死ぬ場所は選べる

 人は生まれる場所を選ぶことはできない。しかし,生きていく場所や死んでいく場所については,選択することができる。そのような選択肢を狭めるものとして,日本人論がある。

杉本良夫&ロス・マオア (1995). 日本人論の方程式 筑摩書房 p.289

人=自分

 誰だって知っているはずだ。世界があるから自分がいるのではなく,自分がいるから世界があるのだということを。
 人は皆が思っているほどに賢くはない。でも皆が思っているほどに残虐でもない。だからこそ過ちを繰り返す。心が弱くて,優しくて,善意溢れる生きものだからこそ,人は互いに殺し合う。
 これを本気で認めることは辛い。主語を一人称にしなくてはならないからだ。

 でも飢えて死んだ幼児の落ち窪んだ眼窩にハエがたかっていたり,両親や兄弟が爆発で吹き飛ばされて腕や足や臓物がばらばらに散乱していたり,愛する人が炎で焦がされながら炭になったり,男たちが憎しみ合い殺し合うことを考えれば,その程度の辛さなど何でもないはずだ。

森 達也 (2006). 世界が完全に思考停止する前に 角川書店 pp.10-11

マスメディアの二律背反

 要するにマスメディアが求めるベクトルを極論すれば,「驚異の的中率!」という全面的な肯定か,さもなければ「トリック発見!」という全否定のどちらかなのだ。この相反する2つのキャッチコピーは,メディアにおいてはまったく矛盾しない。言い換えれば,この両端のあいだのグレイゾーンにメディアは価値を見出せない。半端でさえなければ実はどちらでも良い。逡巡や煩悶は露ほどもない。なぜならこの表層的な二律背反は,読者や視聴者の嗜好というマーケットにしっかりと寄り添うことで,メディアが獲得してきた揺るぎないスタンスなのだから。

森 達也 (2002). 職業欄はエスパー 角川書店 p.184


成果主義と言っても差はこの程度

 ある腕利きの営業マンは,こんなことを言っていた。ある時会社側が,これからは報酬を業績に連動させると宣言した。その人は腕に自信もあり,それなら腕の見せ所とばかりに,さっそく最初の月から,周囲の人も驚くような販売実績を挙げることに成功した。
 「さすが○○さんですね。やっぱり,うちの営業のエースですよ」。
 本人も得意の絶頂である。うれしくて仕方がない。しかし,給料の査定の時期を迎えて,その人の不満は爆発する。
 「何だよ,それ」。
 考えてみれば当たり前の話だが,いかに連動させると言ったって,昇給,ボーナスにも上限があり,彼から言わせればお荷物でしかないダメ営業の人間との差をつけるのにも限界がある。しかし,そもそもそんなことで不平を言っていられるような状況ではなくなっていたことに,すぐに気づかされるのである。

高橋伸夫 (2004). 虚妄の成果主義 日本型年功制復活のススメ 日経BP社 pp.116

「切る」論理

 経済的苦境に陥ると,現場から遠い経営者ほど,ついつい容易に「切る論理」を探し始める。成果主義も年俸制も底を流れるものは「切る論理」であろう。しかし,それでは一時的な業績回復はありえても,企業の永続的な発展は望めない。アイデアのない経営者ほど,マスコミ受けを狙って,安易な人件費削減をニュースにしがちである。確かに,短期的には市場も反応するだろう。しかし,そんなものはしょせんその場しのぎに過ぎないし,いつまでも削減し続けられるわけもない。市場が求めているのは,長期にわたって安定的に利益を出せるきちんとした事業構築なのである,むろん,それには時間がかかる。だから,今すぐにでも打ち出さなくてはならないのは,新しい事業戦略のアイデアの方なのだ。そのためには何が必要なのか。企業を成功に導いてきた偉大な経営者たちがしてきたことを振り返ってみるべきだろう。


高橋伸夫 (2004). 虚妄の成果主義 日本型年功制復活のススメ 日経BP社 pp.42-43

年功序列という成果主義

 つまり,わざわざ成果だ,業績だ,と騒がなくても,実は,昇進に関しては,差なんかとっくについていたのである。
 私が研究者として駆け出しだった頃実施した一番古いデータ(大企業7社366人)ですらも,1986年当時,20歳代前半では年功序列と答えたのが約6割だったのに対し,40歳代前半では約4分の3が能力主義であると回答していた。当時から,確かに40歳代になると部長も課長もいるのだが,その一方で,まだ係長やヒラの人もいた。しかも,これは大卒ばかりのホワイトカラーの職場での話なのである。つまり,年功序列的と言われる多くの日本の会社でさえ,40歳代ともなると明らかに昇進・昇格・昇給で差がついていたのである。そんなに差のつく人事システムなのに,入社早々の時期には,自分の会社は年功序列だと思っているのだ。

高橋伸夫 (2004). 虚妄の成果主義 日本型年功制復活のススメ 日経BP社 pp.24-25

年俸制採用の2タイプ

 1990年代半ばから盛んになった年俸制の導入。当時から,大学で学生から「先生,年俸制の会社って(就職先として)どうなんですか?」と質問されることがあった。私は「やめとけ」と答えることにしている。それはなぜかというと---。
 私は,形式的なそれではなく,実質的な年俸制を導入している会社には2つのタイプがあると考えている(かなり乱暴な分類だが)。

(1)誕生してまだ間もなく,中途採用の社員が主力で,生え抜きの社員が育ってきていない新興企業。
(2)会社の経営状態が危なく,昇給の原資がないか,もしくは賃金カットも必要になるような状態にある会社。

高橋伸夫 (2004). 虚妄の成果主義 日本型年功制復活のススメ 日経BP社 pp.19-20

複雑性を減らすべし

 要点は明快である。規制や組織的な監視の階層を追加して,リスクをコントロールしようとしても,われわれの制度設計が生み出した市場の複雑性や密結合がもたらす問題を解決できるとはかぎらない。問題を解決するどころか,逆に悪化させるおそれさえある。だからといって,規制をすべて窓の外に放り投げるべきだといっているのではない。ここでいいたいのは,事後的に規制を強化してリスクをコントロールしようとするのではなく,何よりもまず複雑性を減らすのが望ましいということだ。

リチャード・ブックステーバー 遠藤真美(訳) (2008). 市場リスク 暴落は必然か 日経BP社 p.277

馬鹿げた振る舞い

 ウォーレン・バフェットは,「平均するとIQが170もあろうかという大の大人が10人も15人も」,どうして自分を「資金をすべて失う可能性があるような立場」に置いたりしたのだろうと,驚きあきれた。それは大部分,その昔1738年のダニエル・ベルヌーイの発言だった。ベルヌーイはこう書いている。「自分の財産をすべて危険にさらす人は,どんなに大きな儲けが得られる可能性があっても,そのふるまいは馬鹿げている」。

ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔(訳) (2006). 天才数学者はこう賭ける 誰も語らなかった株とギャンブルの話 青土社 pp.357.


優れた投資家はいるのか

 エコノミストが求めている成績はどんなものかを明らかにしてみるといい----さらに,効率的市場の理論家が言っていないことも。当然,市場では誰も儲けられないと言っているわけではない。たいていの長期投資家は結構なリターンを得ているし,そうなるはずだ----でなければ,誰も投資などしないだろう。
 誰も平均を上回ることはないと言っているわけでもない。「平均」の利益とは,たとえばダウ平均とか,スタンダード&プアーズ500(S&P500)といった指標で表される。これらの指標は,代表的な株の値動きを追跡している。何年かの間,指標を上回る投資家は多い。わずかながら,何十年も指標の上を行く投資家もいる。
 理論家は必ずしも,相場に勝った人が皆,ただ運がいいだけだと言っているわけでもない。大きなリスクを受け入れることで,利益を大きくする方法もある。てこ(レバレッジ;借金や信用取引を利用して,自己資金だけによるよりも儲けを大きくすること)を使うのもそのひとつだ。非常に積極的な投資家は,借金をして,それがなければ買えないほどに株を買うことがある。それによって,期待されるリターンが増幅される----もちろん,変動による危険(リスク)も高まる。
 こうした理由で,優れた投資家という概念は,慎重に定めなければならない。リスク調整後リターンが相場を上回らなければならず,それを,運ではなく,何らかの理論的な方式で得ていなければならない。エコノミストが見つけられなかったのは,この種の具体的な証拠だった。

ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔(訳) (2006). 天才数学者はこう賭ける 誰も語らなかった株とギャンブルの話 青土社 pp.156-157.

リベラル or 保守

あなたはリベラルですか,保守ですか?

<経済政策>
リベラル:政府は,福祉政策を拡大して貧富の格差を少なくするべきだ。
保守  :福祉政策は,勤労の意欲を失わせてしまうので,政府は福祉政策を削減すべきだ。

リベラル:政府は,企業による労働者の搾取をやめさせ,独占企業の市場支配をなくすために,企業活動を規制すべきだ。
保守  :自由競争市場が最も公平で効率的であり,企業にも消費者にも利益になるので,政府は市場に介入すべきではない。

リベラル:政府が福祉などの公共サービスを充実させるためには,十分な政府予算が必要だ。
保守  :重税は企業活動の妨げになるから,税金は少ないほどいい。

<犯罪>
リベラル:犯罪は,貧困や失業問題などを背景に起きてくるから,政府は社会問題の改善に重点を置くべきだ。
保守  :政府は,犯罪を減らすためには警察を強化すべきだ。裁判所は犯罪者を甘やかすべきではない。

<社会問題>
リベラル:人種的少数派の地位を向上させるために,政府は雇用や入学で積極的な優遇策を行うべきだ。
保守  :人種的少数派への積極的優遇策は,逆差別につながるから,政府は採用すべきではない。

リベラル:女性には出産するかどうかを選択する権利があり,人工妊娠中絶は合法的であるべきだ。
保守  :無制限に人工妊娠中絶が許容されれば,性道徳の荒廃にもつながるので,政府は制限するべきだ。

リベラル:公立学校で祈りを指導したり,公共の場で宗教的な行事をしたりすべきではない。
保守  :政府は,学校や公共の場で宗教的な祈りや儀式を許容すべきだ。

リベラル:同性愛者の権利を拡大し,雇用などでの差別をなくすべきだ。
保守  :同性愛者の権利拡大には反対すべきだ。


飯山雅史(2008). アメリカの宗教右派 中央公論新社 p.22より

心理主義化

 近年は,現代社会における心理主義化が問題視されている。心理主義とは,自分の行動に関わる問題が生じたときに,つねに自分の内面へと注意が向き,自分の意識や心的内容こそを改変しようとする傾向をいう。
 心理主義の問題は,自分の目の前にある困難を生じさせたのが自分の心理(態度,性格,考え方など)であると考え,その心理を生じさせている環境因,とくに人間関係的・社会的・政治的な状況に目が向かないことである。


河野哲也 (2008). 暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討 光文社 p.199-200

人間は正直ではない

 人間は決して正直でないことを僕は指摘したいと思います。科学者だってちっとも正直でありません。まったくしようのないことです。誰一人として正直な者はいないんですから。ところが人は普通,正直でない科学者を正直だと思いこんでいます。だからなおさら困るのです。ここで僕の言っているのは,嘘を言わず本当のことだけを語る,という意味の正直ではありません。事態の全体を明らかにするという意味の正直さです。理性のある人が自ら決断をくだすために必要な情報を,すべて明らかに示すことこそ,真の正直と言えましょう。

R.P.ファインマン 大貫昌子(訳) (2007). 科学は不確かだ! 岩波書店 p.146.

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