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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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移民の制限

 プリガムは自分の個人的負債は返済できたがテストがもたらした結果を覆すことはできなかった。移民の割当人数はおのままであり,南ヨーロッパや東ヨーロッパからの移民は減っていった。1930年代を通じてユダヤ難民はホロコーストを予想し,アメリカに亡命し,移住しようとしたが認められなかった。法に基づく割当人数や,ひきつづいた優生学に基づく宣伝によって,北部,西部ヨーロッパ諸国に対して拡大された割当人数が満たない年ですら,ユダヤ人は締め出された。チェイス(1977年)は,1924年から第二次世界大戦勃発までの間,600万人の南部,中部および東部ヨーロッパ人が割当人数によって締め出されたと計算している(移民が1924年以前の比率で続いたと仮定して)。我々は外国へ移りたいと望みながら行き場のなかった多くの人々に何が起こったかを知っている。破滅への道はしばしば間接的であるが,思想は銃や爆弾と同じように確実な手段となり得るのである。


スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい 下 差別の科学史 河出書房新社 p.83
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五重の排除

 これまで述べてきたことを踏まえて,私は貧困状態に至る背景には「五重の排除」があると考えている。
 第一に,教育課程からの排除。この背景にはすでに親世代の貧困がある。
 第二に,企業福祉からの排除。雇用のネットからはじき出されること,あるいは雇用のネットの上にいるはずなのに(働いているのに)食べていけなくなっている状態を指す。非正規雇用が典型だが,それは単に低賃金で不安定雇用というだけではない。雇用保険・社会保険に入れてもらえず,失業時の立場も併せて不安定になる。かつての正社員が享受できていたさまざまな福利厚生(廉価な社員寮・住宅手当・住宅ローン等々)からも排除され,さらには労働組合にも入れず,組合共済などからも排除される。その総体を指す。
 第三に,家族福祉からの排除。親や子どもに頼れないこと。頼れる親を持たないこと。
 第四に,公的福祉からの排除。若い人たちには「まだ働ける」「親に養ってもらえ」,年老いた人たちには「子どもに養ってもらえ」,母子家庭には「別れた夫から養育費をもらえ」「子どもを施設に預けて働け」,ホームレスには「住所がないと保護できない」ーーーその人が本当に生きていけるかどうかに関係なく,追い返す技法ばかりが洗練されてしまっている生活保護行政の現状がある。
 そして第五に,自分自身からの排除。何のために生き抜くのか,それに何の意味があるのか,何のために働くのか,そこにどんな意味があるのか。そうした「あたりまえ」のことが見えなくなってしまう状態を指す。第一から第四までの排除を受け,しかもそれが自己責任論によって「あなたのせい」と片づけられ,さらには本人自身がそれを内面化して「自分のせい」と捉えてしまう場合,人は自分の尊厳を守れずに,自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。ある相談者が言っていた。「死ねないから生きているにすぎない」と。周囲からの排除を受け続け,外堀を埋め尽くされた状態に続くのは,「世の中とは,誰も何もしてくれないものなのだ」「生きていても,どうせいいことは何一つない」という心理状態である。


湯浅 誠 (2008). 反貧困 「すべり台社会」からの脱出 岩波書店 pp.60-61.


人を伸ばす基本

 仕事にはセンスがつきもの。努力しても乗り越えられない壁というのは,どうしたってあります。しかし問題となるのは,スキルは一朝一夕に高くなるものではないのに,仕事ができないことをセンスが低いからだと思い違いをして,干すような状況をつくることです。
 「最近の若い者はレベルが下がった。昔は……」
 と嘆く人は,かつての自分のことを忘れてしまっています。
 チャンスを与える。チャンスを生かして能力が上がったら,どんどんレベルの高い仕事を与えてさらに伸ばす。そして,能力に見合った給与をきちんと支払うーーー。
 これが,人を伸ばす基本です。

山田咲道 (2008). バカ社長論 日本経済新聞出版社 pp.48-49.

態度保留

 そもそも,クラス全員が仲良くできる,全員が気の合う仲間同士であるということは,現実的に不可能に近いことです。人間ですから,どうしてもお互い馬が合わない人,理屈ぬきに気に障る人というのはいます。大人だって,ほとんどの人は何かしら人間関係の悩みを持っています。
 そんなとき,ムカツクからといって攻撃すれば,ますますストレス過剰な環境を作り,自分のリスクも大きくすることになるのです。
 だからこそ第3章で強調した「並存性」という考え方が大事なのです。ちょっとムカツクなと思ったら,お互いの存在を見ないようにするとか,同じ空間にいてもなるべくお互い距離を置くということしかないと思います。
 ただし,露骨に”シカト”の態度を誇示するのも,攻撃と同じ意味を帯びてしまうことになります。朝,廊下や教室で会って目があったりしたら,最低限の「あいさつ」だけは欠かさないようにしましょう。あくまでも自然に”敬遠”するというつもりでやってください。
 要は「親しさか,敵対か」の二者択一ではなく,態度保留という真ん中の道を選ぶということです。


菅野 仁 (2008). 友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 筑摩書房 pp.91-92.

盗むな,殺すな

 社会のルールで何が一番大事かということは,いろいろな社会によって微妙に違ってくるかもしれません。でも,どんな社会にでも大体共通して大事に考えられているルールがあります。それは,「盗むな,殺すな」という原則です。
 これは,社会のメンバーそれぞれの生命と財産をお互いに尊重するというルールになっているわけです。
 どういうことかというと,自分の気分しだいで勝手に人を殺していいということになると,今度は自分がいつ殺されるかわからないということにもなりうるわけです。ですから,「殺すな」は結局自分が安全に生き延びるという生命の自己保存のためのルールと考えられるわけで,別に世のため人のためのルールと考える必要はないのです。
 「盗むな」もそうです。盗んでもいいという社会では,自分の持ち物・財産がいつ盗まれるかわからない。「殺すな」が守られない場合と同様,とても不安定な状況になってしまう。だから,「盗むな,殺すな」という社会のメンバーが最低限守るべきであると考えられているルールは,「よほどのことがない限り,むやみに危害を加えたりせず,私的なテリトリーや財産は尊重し合いましょう,お互いのためにね」という契約なのです。
 こうした観点から「いじめ」の問題をあらためて考え直してみると,誰かをいじめるということは,今度は自分がいつやられるかわからないという,リスキー(=危険)な状況を,自分自身で作っていることになります。
 いじめるか,いじめられるかを分けているのは,単にその時々の力関係によるもので,いつ逆転するかわかりません。
 無意味に人を精神的,身体的にダメージを与えないようにするということは,自分の身を守る,自分自身が安心して生活できることに直結しているのです。


菅野 仁 (2008). 友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 筑摩書房 pp.88-89.

これさえ守ればあとは自由

 ルールを大切に考えるという発想は,規則を増やしたり,自由の幅を少なくする方向にどうしても考えられてしまうのですが,私が言いたいことはそういうことではありません。むしろ全く逆なのです。
 ルールというものは,できるだけ多くの人にできるだけ多くの自由を保障するために必要なものなのです。
 なるべく多くの人が,最大限の自由を得られる目的で設定されるのがルールです。ルールというのは,「これさえ守ればあとは自由」というように,「自由」とワンセットになっているのです。
 逆にいえば,自由はルールのないところでは成立しません。
 「何でも好き勝手にやっていい」ということが自由だとしたら,無茶苦茶なことになってしまいます。人間というものは総じて自分の利益を最優先する傾向があるわけですが,「自分の利益のことしか考えない力の強い人」が一人いたら,複数の人間からなる社会における自由はもうアウトになります。この場合,誰か一人だけが自由で,残りの人はみんな不自由ということになりかねません。ルールの共有性があるからこそ,自由というものが成り立つのです。
 ホッブズの「社会契約論」を思い起こしてみてください。
 人間が生きるということの本質は自由であり,欲望の実現です。ルールとは,それぞれの人々が欲望を実現するために最低限必要なツールなのです。
 欲望は,百パーセントは実現できないかもしれない。しかしたとえば一割,二割,自分の自由を我慢して,対等な立場からルールを守ることでしか,社会のメンバー全員自由を実現することはできないのです。そうすることによって,残りほとんどの欲望は保障されます。でもルールというものの本質がそういうものだということは,なかなか了解されにくいのです。たとえば交通規則を思い出してください。どんなに急いでいても前の信号が赤ならば必ず止まる。一見すると「早く目的地に着きたい」という欲望は制限されていますが,そうした欲望を多少抑制することによって,誰もが安全に,事故に遭うよりはずっと早く目的地にたどりつくことができるのです。

菅野 仁 (2008). 友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 筑摩書房 pp.86-87.

自分の世界をメンテナンスする

 人はもともと,情報のフィルタリング,取捨選択やふるい分けを行いながら日常生活を送っています。人は誰しも自分の見たいものを見たがるし,自分の見たくないものは見たがらない。見たいものを見たら喜ぶし,見たくないものを見たら不快な気分になる。人は多かれ少なかれ情報のフィルタリングを行うことで,自らの世界をメンテナンスしながら管理しています。どんな街に行くか,どの新聞を読むか,図書館のどのコーナーに行くか,どのようなサークルに入るか,何の仕事に就くか,どの人に話題を振るか,どんな服を身につけるか……。人は常にフィルタリングを行い,さまざまなトライブへと身をうずめていきます。

荻上チキ (2007). ウェブ炎上ーネット群衆の暴走と可能性 筑摩書房 pp.75-76

ウィンステッドの野人

 1895年8月,ニューヨーク市の新聞は,毛むくじゃらの裸の男がコネティカット州ウィンステッドの住民を脅かしているというニュースを受け取った。
 好奇心をそそられて,新聞各紙は記者を派遣して詳細を知ろうとした。ところが,小さな町にマスコミがやってきたことで町民は興奮し,いたるところで野人を”目撃”しだした。新たな情報が出るたびに,野人の獰猛さは増していった。日ごとに1フィートかそこら身長が伸び,どういうわけか牙のような歯が生えはじめた。やがて,野人は地面まで届く太い腕を持つ,がっしりしたゴリラのような風貌になった。
 こうした戦慄すべき報道が,ウィンステッドの町にヒステリーに近い混乱をあおりたてた。人々は怪物に遭遇するのを恐れて外出をいやがるようになった。百人を超える武装隊が組織され,怪物を探しだして殺すために送り出された。そして幾日にもおよぶ捜索の末,やぶに潜んでいる怪物を首尾よく射殺した。
 しかしよく見れば,恐ろしい怪物の正体は農夫が飼っていた迷子の雄ロバではないか。そしてついに真相が明らかになる。野人などもともと存在していなかったのだ。
 最初の報道は《ウィンステッド・イブニング・シチズン》の若手記者ルー・ストーンのあまりにも豊かな想像力の産物だった。その後の騒動は大衆心理によるものだ。それから数年にわたって,ストーンはウィンステッド周辺の珍奇な植物や動物を紹介する記者として鳴らした。その無尽蔵の記事の中には,焼きリンゴのなる木,口をきいた犬,独立記念日に赤と白と青の卵を産んだ鶏などというものもある。
 ストーンは愛情をこめて”ウィンステッドの嘘つき”と呼ばれた。死後も,ウィンステッドの住民は橋にストーンの名前をつけた。その橋はサッカー・クリーク(だまされ川)に架かっている。

アレックス・バーザ 小林浩子(訳) (2006). ウソの歴史博物館 文藝春秋 pp.116-117.

ホラ吹き王子

 フィアニス・テイラー・バーナム(1810-1891)はみずからを”ホラ吹き王子”と称し,長く華々しい生涯にはその名に恥じないホラを吹いている。今日,バーナムはいまだにその名を冠したサーカス(それにバーナムにちなんだ名前の動物クラッカー)のせいで記憶されている。だが,サーカスを創業するまえは,博物館を運営する国際的に有名な興行師だった。
 初期のころは突飛な宣伝やデマを繰り広げ,風変わりな見せ物に人々をひきつけていた。その宣伝方法はしばしば信仰の中産階級の許容範囲を越えていたが,バーナムはどうにかこうにか観客を納得させることができた。娯楽を売っているのであって,詐欺ではないというのがその言い分だ。大衆にとって,バーナムはいわば愛すべきペテン師だった。
 “世に馬鹿者の種は尽きまじ”はバーナムの言葉とされている。これを最初に言ったのはバーナムではないのに。

アレックス・バーザ 小林浩子(訳) (2006). ウソの歴史博物館 文藝春秋 p.85.

浴槽の歴史はウソだが

 1917年12月28日,毒舌で知られる批評家H.L.メンケンは,浴槽がたどった数奇な歴史についての一文を《ニューヨーク・イブニング・メイル》に発表した。メンケンによれば,アメリカにはじめて浴槽が登場したのは1842年12月10日だが,国民はこの新しい習慣を導入するのに消極的で慎重だったという。医者は公衆衛生に害があると非難した。多くの市で浴槽の使用を禁止する条約が可決された。状況が打破されたのは,1850年代にミラード・フィルモア大統領がホワイトハウスに浴槽を設置してからだ。大統領の後ろ盾を得て国民感情が好転すると,浴槽はたちまち普及した。
 この話には落ちがある。浴槽の歴史はまったくのこしらえ事だった。メンケンもただちに読者からはったりを暴かれるのを待っていた。
 ところが,正反対の反応が起こったのだ。偽の歴史は野火のごとく国中にひろまり,あちこちで言及された。公衆衛生の歴史についての学術誌にも転載された。1926年には,フェアファックス・ダウニーという男が作り話をほとんど引用して,浴槽の歴史を大まじめにつづる始末。メンケンはうろたえた。種明かしの記事を何度も書き,作り話がそれ以上広まるのを食い止めようとしたが無駄だった。浴槽の歴史はすでに生命を得ていた。メンケンは悄然として「アメリカの国民はなんでも鵜呑みにしてしまう」と記事を結んだ。
 ミラード・フィルモア大統領が浴槽を採用したという作り話に敬意を表して,ニューヨーク州モラヴィアでは1975年から毎年,町の目抜き通りで”浴槽レース”が開催されている。レースはフィルモア記念日と呼ばれる祝典の余興のひとつだ。

アレックス・バーザ 小林浩子(訳) (2006). ウソの歴史博物館 文藝春秋 pp.146-147.

多人口の幸福

 日本の人口を1億2750万とすると,日本で1万部売れた本でも,人口457万のノルウェーでは,わずか355部しか売れない計算になる。これでは採算が合わない。ましてや,人口が多い日本でも採算の取りにくい専門書をフィンランド語やスウェーデン語で出版することなど,もうほとんど不可能に近い。となると,専門的な知識を身につけようと思えば,それ以前の問題として,まず外国語ができなければ話にならない。自国の母語で書かれた知識や情報では,何を学ぶにも不自由なのである。
 このような言語状況において,すべての若者に高等教育進学の可能性を与えようとすれば,子どものうちから外国語を教えておく必要がある。美術教師になりたくて大学に行くにしても,そもそも外国語を知らなければ,美学や芸術学を勉強することができないからである。国家は外国語教育に力を入れざるをえないし,国民にとっても,外国語の習得が死活問題となる。これは,ある意味で,不幸な状況である。

薬師院仁志 (2005). 英語を学べばバカになる-グルーバル思考という妄想- 光文社 p.185-186

知っているものしか見えない

 ここには明らかなパターンが見られる。人類がまだ飛行機を持ってなかった頃,空を飛んでいたのは木造の帆船だった。ヨーロッパで硬式飛行船が開発されていた時代,アメリカに「幽霊飛行船」が出現した。ナチスのV2ロケットがロンドンを爆撃した翌年,スカンジナビアに「幽霊ロケット」が出現した。ケネス・アーノルドが円盤を目撃したと誤って報じられると,「空飛ぶ円盤」が出現した。アメリカが三角形のステルス機の存在を公表した翌年,ベルギーに黒い三角形のUFOが出現した……。
 もし今,どこかの国の科学者が,画期的な性能を持つドーナツ型の飛行機を開発したなら,たちまちドーナツ型のUFOが出現するに違いない。

山本弘 (2003). 神は沈黙せず 角川書店 p.187-188.

これが人間の本質?

ロマン主義の1960年代,誇りにできるほど平和なカナダでティーンエイジャーだった私はバクーニンのアナーキズムを熱狂的に信奉していた。そして,もし政府が武力を捨てれば大混乱が起こるという両親の意見を笑い飛ばしていた。私たちの対立する予想が検証されたのは,1969年10月17日午前8時,モントリオール警察がストライキに入ったときだった。午前11時20分に最初の銀行強盗が起こった。正午には略奪のためにダウンタウンの商店が閉まった。それから2,3時間のうちに,タクシー運転手たちが,空港利用客をとりあう競争相手のリムジンサービスの車庫を焼き払い,州警察の警官が屋上から狙撃され,数件のホテルやレストランが暴徒に襲われ,医師が郊外の自宅で強盗を殺害した。その日は結局,銀行強盗が6件,商店の略奪が100件,放火が12件あり,割れたショーウィンドーのガラスが積荷にして車40台分,物品損害額が300万ドルで,市当局は軍隊と騎馬警察隊の出勤を要請して秩序を回復しなくてはならなかった。この決定的な経験的検証は私の政治観をずたずたにした(そして,科学者になる前に科学者としての生活を味わわせてくれた)。

スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[下] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.98.

悲劇的ヴィジョンとユートピア的ヴィジョン

 悲劇的ヴィジョンにおいては,人間は生まれつき知識や知恵や美徳に制約があり,社会機構はすべてそれらの制約を認識しなくてはならない。「はかない人間には,はかないことが似つかわしい」とピンダロスは書き,「人間性という曲がった木材から,真にまっすぐなものは作れない」とカントは書いた。悲劇的ヴィジョンとつながりがあるのは,ホッブズ,バーク,スミス,アレグザンダー・ハミルトン,ジェイムズ・マディソン,法曹家のオリヴァー・ウェンデル,ホームズ・ジュニア,経済学者のフリードリッヒ・ハイエクおよびミルトン・フリードマン,哲学者のアイザイア・バーリンおよびカール・ポパー,法学者のリチャード・ポズナーである。
 一方のユートピア的ヴィジョンによれば,心理的制約は社会機構から生じる人為的所産であるから,よりよい世界で何が可能かと考える観点が,それによって制約されるべきではない。ひょっとすると「ある人たちは,ものごとをあるがままに見て『なぜ?』と問う。私はこれまでになかったものごとを夢見て『なぜそうであってはいけないのか?』と問う」を信条にしているのかもしれない。これは1960年代のリベラリズムの偶像だったロバート・F・ケネディの言葉としてしばしば引用されるが,もともとはファビアン協会の斬新的社会主義者だったジョージ・バーナード・ショーが書いた言葉である(ショーは「早期に着手されるなら,人間の本性ほど完全に変えられるものはない」とも書いている)。ユートピア的なヴィジョンは,ルソー,ゴドウィン,コンドルセ,トマス・ペイン,法律家のアール・ウォレン,経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイス,それに少し遠くなるが政治哲学者のロナルド・ドゥオーキンともつながりがある。

スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[下] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.18-19.

人気の職業

 どんな時代にも,大学生に人気の職業進路がある。わたしが卒業した1972年には,間違いなく法曹界に進むのが社会的地位の高い職業だった。わたしが卒業したイェール大学では,クラスの卒業生の半数以上が法科大学院に進んだそうだ。そのころは法曹家が,名声とやりがいと収入と,そしてたぶん,けっして確かとは言えないが,感激を一番兼ね備えた職業だとみなされていた。
 わたしは15回目の同窓会に出た。すると弁護士でいっぱいだった。会社の顧問弁護士やら,訴訟弁護士,遺言の認証弁護士,さらに公益弁護士[公共利益のための集団訴訟等をあつかう]までいた。だが驚いたのは,弁護士の数ではなく,その多くが自分の職業に満足していないことだった。満足していない人がその職業を選んだのはたいてい,職業が自分のスタイルや能力に適合していたからではなく,その職業が当時金持ちへの道だったからである。よく考えずに選んだ結果,一生職業に不満を抱き続けることになった。
 たしかに,もっと悪い状況になった可能性だってある。ほとんど例外なく,たくさんお金を儲けていた。しかしお金があって豊かな暮らしができるがゆえに,本当は興味のない職業から抜け出せなくなってしまったのである。もはや自分のライフスタイルを維持するためにお金が必要になってしまった。別のもっと面白そうな職業に変わったとしても,給料は大幅に減ることになり,それでは誰も楽しめそうではない。

R.J.スターンバーグ 松村暢隆・比留間太白(訳) (2000). 思考スタイル:能力を生かすもの 新曜社 p.109

事故の報道

 大事故が起きたあとの論評では,小さな障害が無数にある状況で真の問題を見ぬく難しさを取り上げるべきなのに,そうした記事にはめったにお目にかかれない。当事者である会社や関係官庁も,事故当時はまだ他にいくつも安全問題があったなどと,宣伝しようとは決して思わない。マスコミは,同時に存在していた他のさまざまな問題について耳にしていたかもしれないが,そんな事実は記事には邪魔なだけだ。記者は,明快で人びとをひきつけるテーマ,すなわち「取り返しのつかない問題につながる初期の徴候に気づきながら,経営者は何も対策を講じなかった」というようなテーマを探しているのだ。

ジェームズ・R・チャールズ(著) 高橋健次(訳) (2006). 最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか 草思社 pp.293.

事件の意味

 事件を起こすことで,各人の反応がわかり,それぞれの性格が測定される。いままでのデータだけではわからなかった性格が,より深く判明するのだ。それが情報となって記録されるのだろう。工場では製品について,熱したり低温にしたり,衝撃を与えたりして試験をやっているという。つまり,そんなようなことなんだろうな。
 現代における事件の意味と必要性とが,少年にいくらかわかってきた。むかし,事件といえばいやなことであり,それ以外のなにものでもなかった。そのごマスコミが発達してからは,事件が娯楽の意味をもつようになってきた。事件のニュース,事件の中継,それらは人びとを楽しませる要素をおびた。それに教訓としての意味がすこし。
 そして,コンピューター時代のいま,事件は新しいデータ,新しい情報をうみだすという意味を持つようになったのだ。


星新一 (1985). 声の網 角川書店 p.156


筒井康隆の弔辞

 葬儀の日,筒井が新一に送った追悼の言葉の中で,参列者の胸に迫り,記憶に刻まれたのは次の一節だった。それは,SFを志したときから憧れ,二十五歳のときに初めて出会ってからは甚大なる影響を受け,敬愛し続けた星新一を,最後の最後には支えきれなかったことに対する悲憤がにじみ出ているようであった。

 星さんの作品は多くの教科書に収録されていますが,単に子どもたちに夢をあたえたというだけではありませんでした。手塚治虫さんや藤子・F・不二雄さんに匹敵する,時にはそれ以上の,誰しもの青春時代の英雄でした。お伽噺が失われた時代,それにかわって人間の上位自我を形成する現代の民話を,日本ではたった一人,あなたが生み出し,そして書き続けたのでした。そうした作品群を,文学性の乏しいとして文壇は評価せず,文学全集にも入れませんでした。なんとなく,イソップやアンデルセンやグリムにノーベル文学賞をやらないみたいな話だなあ,と,ぼくは思ったものです。    (『不滅の弔辞』)

最相葉月 (2007). 星新一 一〇〇一話をつくった人 新潮社 pp.509-510.


過去に関係ない,突如としての変革はありえない

 柴野宛の手紙の下書きが残っているため,その一節を引用する。

 何事に於ても過去に関係ない,突如としての変革はありえない。文学に於ても同じで,やはり過去ー現在につながる流れの上に未来の変革も築かれる。ピカソの絵も若い頃の正確なデッサンの上にできたものであり,呉清源が新布石で大さわぎをまき起したのも正確な旧定石の研究の上に築かれたものである。あまり突拍子もないことは大衆に受け入れられない。たとえそれが正しくても,正しいとの判断を誰もつけてくれないのなら正しいものではない。また面白いとも思ってくれない。非ユークリッドキカが存在し,面白いと思われるのは,ユークリッドキカが存在するからである。
 故にSFに於ても,大衆をひきつけるものになるからには,既成のものの長所と短所をみきわめ,長所を残し,既成のもので満たされないものをSFの形で補うことをしなくてはならない。松本(清張・引用者注,以下同),有馬(頼義)が探小(探偵小説)で探小専門作家を圧倒したのは,この点をのみ込んでいたからだろう。探小の枠にとじこもっていた探小専門作家はこの圧力に抗し切れない。トリックが甘いとか言ってみたところで一方には大衆の支持があるので,お話にならない。いづれSFもこの問題にぶつかる時がくるかもしれない。その時になってアイデアがイミテーションだとか言ってもどうにもならない。そして自己満足のためにますます自分と大衆を遊離させてしまってはつまらない。折角ブームが来ても自分をす通りしている。哀れな探小専門作家の二の舞を避けるように今から考えておかなくてはならない。(中略)瀬川式意見の「科学をわきまえて,それをのりこえなくてはならない」の意見が尤もである如く,「文学をわきまえ,それを乗りこえなくてはならない」のである。

 作家は論争など早々に切り上げ,自身の創作に専念するのみ。読者を獲得しなければ意味はない。新一はそう考えていた。

最相葉月 (2007). 星新一 一〇〇一話をつくった人 新潮社 pp.326-327.


官僚化を避けることの弊害

 東大卒をはじめ学歴の高い信者が組織の中核を担うようになれば,そこには,合理性を追求する官僚制が生み出されていくことになる。ところが,創価学会の場合,会員のほとんどは,あくまで庶民であり,官僚制にはなじまないところがある。そうなると,学歴の高い会員と,庶民である会員との間に意識や行動様式の面でずれが生まれ,それが拡大していく危険性がある。
 そのとき,創価学会が選択したのは,組織が官僚化していく道を閉ざし,組織の活動の中心的な担い手があくまで庶民である一般の会員であることを確認する方向だった。池田は,スピーチのなかで,民衆の重要性をくり返し強調している。彼の言う民衆とは,庶民である一般の会員たちのことにほかならない。
 そして,幹部会を公開することで,官僚化への道を封じようとした。それに連動して,池田は,幹部会の席上で一般の会員を立て,幹部たちのあり方をくり返し批判するようになった。いくら高い学歴があっても,幹部はあくまで庶民であるっ一般会員に奉仕する存在でなければならないことを徹底して仕込んでいくようになった。
 それができるのは,本人自身の庶民の出であり,庶民感覚を忘れてはいない池田だけなのである。しかも彼には,幹部たちを圧倒するカリスマ性があった。幹部会では,「南無妙法蓮華経」の題目を上げる場面があるが,池田の唱題する声は,他を圧倒していた。池田は,カリスマとして組織の官僚化や分裂を防ぐという機能を果たしているのである。
 しかし,こうした方向性を選択したことで,創価学会は,自ら限界を設けてしまったことにもなる。庶民である一般会員にとっては,幹部たちが池田から叱られる光景に溜飲が下がるだろうが,学歴の高い幹部たちにとっては,必ずしも居心地のいい状態ではない。幹部たちには,エリートである自分たちが組織を引っ張っていくべきだという自負心があることだろう。ところが,そのプライドは,幹部会の席上で粉砕されてしまうのである。
 幹部たちの間には,そうした状況に対する不満が,隠れた形で鬱積しているのではないか。しかし,その不満を解消しようとすれば,会員の大半を占める庶民の願望を満たすことができなくなる。おそらくそこに,創価学会の抱えるジレンマがあるのではないだろうか。

島田裕巳 (2004). 創価学会 新潮社 pp.140-141

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