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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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お返し

生態学的に,すべての種の排便行動は,私たちを生命,誕生,食,脱糞,死,再生の見事な共同体として結びつける一種の贈り物だ。私たちがものを食べるとき,私たちは生物圏から贈り物を受け取っている。私たちがウンコをするとき,私たちはお返しをするのだ。私たちの摂食と排便行動は,我々がこの地球上でどのような市民であるか,いかなる投票行動よりも多くを物語る。これが,クソがクソの役には立つ根本的な理由なのだ。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.84
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水分量

ヒツジもウシも共に草を食べるが,ヒツジは必要な水分の多くを草から取り,ウシに比べると飲む水の量が非常に少ない。その糞は乾いていて塊にならない。このようにヒツジは水の利用効率がよく,だから砂漠でウシよりも多く見られるわけだ。また,ヒツジは根元近くから草を食べる。放射性物質で汚染された牧草地を除染するために使われた(放射能を帯びた草を食べさせて取り除くことで)のはそのためだ。この採食行動には生態学的にもっと大きな意味もある。オーストラリアは毎年約2万5000トンの羊肉と100万トンを超える生きたヒツジをサウジアラビアに輸出している。このことがオーストラリアの土壌からアラビア半島への栄養分の移動にどう影響するか,疑問が生じるかもしれない。もちろん,ヒツジが水気の多い青々とした牧草地で草を食べることもあり,そうすると生物学者のラルフ・リューインがクワの実状の「チビクソ(シットレット)」と呼ぶものを作り出す。この言葉を私も気に入っており,もっと使う機会を見つけなければならないと思っている。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.75-76

ヒツジ・ウシ・ウマ

ヒツジは,ウシと水牛を除く偶蹄類の例にもれず,円筒形か丸型で通常は片方の端が突き出し,もう一方がくぼんだ粒を小さな山にして落とす。
 ウシ,スイギュウ,バイソンは,円形に積み重なった平べったい糞を落としていく。昔よくパイとかパットとか呼んだものだ。これは形が非常にはっきりしているので,飛ぶ虫を引き寄せ,卵を産み,幼虫が孵り,そうすることでウンコは鳥が食べられるタンパク質へと変わる。糞虫も引き寄せられ,糞を次の世代への糞虫へと変える。
 馬糞はイボイノシシのものに似て——飛行機で隣の席の人に話すのにちょうどいいムダ知識だ——ソラマメ型と言われているが,私には黒っぽいライ麦パンに見える。そう感じたのは私だけではないようだ。というのは冒険心にあふれる企業が少なくとも一社,馬糞が道路に落ちる前に受け止める「バン・バッグ」と呼ぶものを開発しているからだ。馬の糞はリンゴに似ていると思った人もいたに違いない。だから「道のリンゴ(ロード・アップル)」という言葉が生まれたのだ。もっともこのアメリカの俗語は,そもそもは旅芸人を指すものだったようだが。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.74-75

すべてを包み込む

いま私が述べた食物摂取,廃棄物処理,排泄から,また一歩下がってみよう。私たちが住む世界は,廃棄物やウンコを作りだす木やウシや鳥,そしてそれぞれの相互作用が集まっただけのものではない。こうした相互作用のすべてから見えてくるもの,一歩引いて自分が巨人になったと想像すると見えるものが,人によっては生態系と呼ぶものだ。自分がその一部となる大きな網の目を想像できることは,心構えを「持続可能な畜糞処理」から,一切の無駄がない生物圏での持続的な生活へと移すのに欠かせない。このすべてを包み込む生命系を思い描けるなら,このように想像できるだろう。ウンコは存在しない。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.60-61

その内容は

人糞は他の動物のものに比べて,内容の変動が大きいようだ。たぶん人間の食事がきわめて多様だからだろう。成分を推定する方法はいくつもあり,このテーマについての文献は(ともかく私にとっては)混乱を招くものだ。ある著者は割合で報告し,ある者は重さで,ある者は乾燥重量で,ある者は湿潤重量で,ある者はグラムで,ある者はポンドで示しているのだ。今度乾ききった芝生を見るとき,こんなおおまかな数字を考えてみて欲しい。人間のウンコは75パーセントが水である。それ以外に,毎日排出する150グラムには,平均10〜12グラムの窒素,2グラムのリン,3グラムのカリウムが含まれる。炭素はほとんどが糞として出る(炭素には腸壁の細胞と,大量の——時には体積の半分を超える——移出してきたバクテリアが含まれる)が,人間は窒素とカリウムの大部分を小便で排出する。リンは尿と糞に半分ずつ分かれる。私たちの排泄物には8パーセントの繊維と5パーセントの脂肪も含まれている。これはやはり未消化の食物,バクテリア,細胞などの形を取っていることがある。
 栄養と化学という観点で話を続けると,ヒトのウンコには,食事によっても違うが,食べたものの8パーセントのカロリー値(エネルギーの共通尺度)が残っている。私たちはコメのタンパク質の25パーセント,ジャガイモのタンパク質の26パーセント,トウモロコシ粉のタンパク質の40パーセントをウンコに出している。人間はたぶんヒトの排泄物を食べて何とか生きていけるが,必要なタンパク質とエネルギー摂取量を得るためには,たくさん食べなければならないだろう。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.36

昔の自分

性行動が動物同士の関係であるように,食は動物と環境の関係だ。食物は体内で地球を代表し,自分の一分となる。思い切って私たちの体を覗き見るか,中を歩きまわって驚異の旅をするなら,一つひとつの細胞が,酸素やさまざまな物質を取り込み,いらないものを排出するのが見られるだろう。消化管の内側を覆っている細胞は,毒物をできるだけ通さないようにしながら,私たちの身体を作りあげている他の細胞の燃料として必要なものだけを吸収する。私たちの細胞は,老廃物を生産する。それが血液によって運ばれ,尿,ウンコ,胆汁,汗,呼気を介して体外に捨てられなければ,自分自身を殺しかねない。ある種の物質は肝臓や腎臓で特殊な処理を経てから排出される。老廃物のなかには,毎日数百億個の単位で自殺している,自分自身の細胞も含まれる。専門的にはアポトーシス,またはプログラム死と呼ばれる営みだ。また別の細胞,特に消化管の内側の細胞は,食物の通過によってこすれ落ち,糞便と共に出てくる。あなたの身体は日々入れ替わっている。便器やおまるの中を覗いてみよう。それはただの便サプルではない。昔の自分だ。それが人生だ。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.31-32

外界が通る管

口から尻まで,消化管は外界の環境が体の中を通っていく管だ。これはほとんどの温血動物にあてはまる。人間を含めた動物の体内の筋肉や器官は無菌であり,体内を通る外界のものと,そうした無菌の器官との相互関係は注意深く調節されている。だから外科医は手を洗いマスクをつけなければならないのだ。もしも虫垂が破裂したり,腸に傷をつけたりすると,大変なことになる。腸内のバクテリアと食物のかすが無菌の部分にあふれだしてくるのだ。つまり食品の安全性の観点からいえば,レアのステーキはかなり安全だ。筋肉の内部は無菌なので,表面のバクテリアを焼き殺せばいいわけだ。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.31

突然変異体

「何のスポーツであれ,オリンピック選手は突然変異体です」とは,畏怖の念に打たれたあるコーチの言葉だ。「彼らは(統計分布の)釣鐘曲線の端っこにくる人たちです。完璧な体形と,完璧な生理機能と,完璧な精神を合わせもっている。<英国王のスピーチ>を観ましたか?どこかの場面で,コーチが王に“大事なのは技巧じゃない”と言ったでしょう?そう,あるところまで来ると,もはや技巧ではなくなる。その何かがオリンピック選手の勝敗を分ける。強い精神力があるか?あの大舞台で決定的な瞬間に力が出せるか?」
 彼らはそれをネックアップ(首から上)と呼ぶ。なぜなら,多くの勝敗が頭のなかで決まるからだ。したがって,レース直前の作戦は平静さを失わせる可能性がある。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.127

特殊な体型

長身も有利だ。ジョーンズは198センチ。400メートル自由形の世界記録を保持する十代の中国人選手,孫楊は2メートル近くある。アメリカ人の驚異の十代選手ミッシー・フランクリンは185センチ。オリンピックで計6個のメダルを獲得しているライアン・ロクテは189センチ。翼幅が長いのも助けとなる。マイケル・フェルプスが両腕を広げた幅は,身長より7.5センチも長い204センチに達する。翼幅が身長より15センチ長い選手もいる。スイマーの長い四肢の先には特大の手や足がついている。大量の水をすくい上げるフィンサイズの付属物だ(フランクリンの靴のサイズは31センチある)。
 彼らの脚は後方にしなり,歩き方をみれば,種目が分かる。自由形の選手には内股が多く,平泳ぎの選手はアヒルのような歩き方をする。彼らの体はやわらかい——とんでもなくやわらかい。フェルプスが足首をほとんど脚にぴったりとつけられるくらい前に曲げられることは有名だ。パーフェクトなヒレ足だ。オリンピック選手ダラ・トーレスの足の指は,手の指さながらに動かすことができる。ほぼ全員が肝心な部分の関節は通常よりずっと可動域が広い「二重関節」になっている。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.112-113

人間の位置づけ

アレックスが私たちに残してくれた一番大きな教訓は,自然界の中におけるホモ・サピエンスの位置づけについてのものだ。アレックスもその重要な一翼を担った動物認知研究の革命は,人間は自分たちが長らく思っていたほど特殊な存在ではないことを私たちに示した。私たちは,自然界の他の生物より優位ではないし,人間が自然界の中で特別な存在だという考え方は,もはや科学的に弁護できるものではない。私たち人間は自然界を超越した存在なのではなく,自然界の一部を構成する存在にすぎないのだ。そして,今までの“自然を超越している”という思い込みは,とても危険なものだった。その思い込みのせいで,人間は自然界のあらゆるもの——動物,植物,そして鉱物など——をいくら搾取しても何も不都合はないという幻想を抱くようになってしまった。そして,今になって貧困,飢餓,気候変動などといったたくさんの不都合が人間にはね返ってきているのだ。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.286

試合中にゴールの位置を変える

要塞のように堅強だった人間の優位性を主張する考え方は,1980年代に入ると崩されはじめた。それまでは,道具を使うのは人間だけだと考えられていた。しかし,ジェーン・グドールは,研究していたチンパンジーたちが枝や葉を道具として使うことを発見した。そこで,「道具を作るのは人間だけ」だと人間の優位性を主張する人たちは言うようになった。ところが,グドールやその他の研究者たちが,こんどは動物も道具をつくることを発見した。すると,「人間だけが言語を使う」ということが強調されるようになった。しかし,これに対しても,人間の言語の要素を含むコミュニケーション様式を持つほ乳類がいることが明らかになった。このように,人間以外の動物が“人間に特有”だと思われていた能力を持っていることが示されるたびに,人間は他の生物よりも優等だという主張を守ろうとする人たちは定義を変更して対抗した。まるで試合中にゴールの位置を変えるかのようなやり方だ。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.280-281

精神の序列

紀元前4世紀にアリストテレスが考案した自然観が,実質的には現代まで受け継がれている。彼は,“精神”の序列によってすべての生物と無生物を階層的に分類した。その一番上の階層,神々のすぐ下にいるとされたのが,人間だ。人間は,その優れた知能のために一番上に位置づけられた。より“下等”な動物たちは人間よりも下の階層に位置づけられ,そのさらに下には植物,そして一番下の階層には鉱物がいるとされた。アリストテレスのこの考え方は,ユダヤ教とキリスト教の教義にそのまま組み込まれ,生きとし生けるものと全地の支配権が神によって人間に与えられているという考え方のもとになった。このように,あらゆるものを“高等”から“下等”まで1本のモノサシの上に並べることができるとする自然観は,「存在の大いなる鎖(The Great Chain of Being)」と呼ばれることもある。そしてそのモノサシの上では,人間は神が創造したその他の生物と根本的に異質であるだけでなく,他の生物よりもはるかに優れた存在だとされる。
 生物は神が創造したままの形なのではなく,進化によって発展してきたのだというダーウィンの説が受け入れられても,その考え方が大きく変わることはなかった。存在の大いなる鎖は“神がつくった序列”から“進化の序列”に変わっただけで,進化の過程で生物はどんどん複雑になり,その究極の形として人間が現れたと考えられるようになった(ダーウィン自身はこのように言ってはいないのだが,他の人間中心主義的な学者たちが進化論をこのように解釈したのだ)。このことは,進化論が登場したあとも,人間は自然界の他の生物とは異質であり,優れているのだと考え続けられた(進化論的には,本来は進化の過程の中で他のすべての生物とつながっているはずなのに)。いずれにしても,つい最近まではほとんどの科学者が“人間は他の生物とは根本的に違う”ということを信じて疑わなかったのだ。ああ,ホモ・サピエンス,そなたはなんといううぬぼれ屋なのか。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.277-278

はるかに人間に似ている

科学的には,アレックスが私,そして私たち全員に教えてくれた一番大切なことは,動物の思考が,大部分の行動学者が考えていたよりもはるかに人間と似ているということだ。多くの行動学者は,そのことを受け入れるための心の準備すらできていなかった。ただし,だからといって動物と人間の心では,動物の認知能力は少しだけ劣るものの,違いがないということを私は言いたいのではない。たしかに,アレックスが研究室でいばりながら歩き回り,下々に命令を出す姿は小さなナポレオンのように見えることもあったが,それでも彼はやはり人間とは違った。しかし,科学の主流で長らく考えられてきたように,動物は思考を持たないオートマトンだというのも間違っている。むしろ,機械仕掛けのような単純な反応しかできないオートマトンとはほど遠い存在だ。アレックスは,私たちがいかに動物の心について無知で,どれだけ研究の余地が残っているのかということを教えてくれた。そして,彼が教えてくれたことは,哲学的にも,社会学的にも,また私たちの日常的な考え方に対してもとても深い意味を持つ。なぜなら,ホモ・サピエンスがどういう種なのか,自然界の中でどういう位置づけにあるのかというこれまでの考え方を大きく見直さなければならなくなったためだ。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.275-276

勝ち残るのはイノベータ

忘れてはならないのは,私たちが今ここにいるのは,生き残りをかけて臨機応変にさまざまな行動をとった周縁部のイノベーターたちのおかげだということだ。その後の私たちは,技術の著しい進展のおかげで,遺伝子の力を借りるよりもずっと迅速に,気候をはじめとする環境の変化に対応できるようになった。私たちは,環境に手を加え,食物を改良し,自らの影響力を徐々に増大させ,ますますたくさんの子孫をもうけた。しばらくのあいだは,それでもうまくいった。世界はまだ広大で,人類の数は取るに足りないものだったからだ。
 私たちは成功に酔いしれた。資源が尽きることはないし,何もかもが永遠に続くだろう——そう考え,前進し続けた。しかし人類の進化の歴史においては,繁栄の1万年という期間はあまりに短い。現代に近づき人口が増えるにしたがい,この新しい生活様式が短い時間尺度でのみ持ちこたえるもので,いつかは崩れ去ることに私たちは気づきつつある。過去を振り返れば,永遠に続くかと思われた文明が音を立てて崩壊していく場面をいくらでも見つけられるが,そのうちのどんな事態でさえも,私たちの目前に迫っている危機に比べられはしないだろう。
 では,すべてが崩壊するときに生き残るのは何者なのか?歴史が示すように,それは安全地帯に住んでいる者たちではなさそうだ。電気,自動車,インターネットの奴隷となり,テクノロジーという支えがなければ数日間しかもちこたえられない,自己家畜化した私たちではないのである。希望があるのは「偶然」に選ばれた子どもたちだ。次の食事がいつどこで手に入るかもわからず,わずかな食べ物を奪い合う日々を過ごしているに違いない貧しい人々が,生き残りに最も力を発揮する集団になることだろう。経済が破綻し,社会が崩壊するような,すさまじい混乱が起こるとき,勝ち残るのはまたしてもイノベータなのだ。その混乱を引き起こしたコンサバティブたちは,皮肉にも,自らの転落を自らの手で歴史に刻みこむことになるだろう。そして進化は,いまだ知られていない方向へ新たな一歩を踏み出すのである。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.291-292
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

現時点での成功

私たち現生人類の遺伝子は,今日地球上に存在している他のあらゆる種と同様,現時点で成功しているにすぎない。これまでも見てきたとおり,私たちが生き残ったのは,成功の可能性をもった遺伝子が幸運も持ちあわせており,たまたま適切な条件に出会ったり,地球の変化の速度と足並みをそろえることができたからにすぎないのだ。一方で,成功の可能性をもち,実際に大きな繁栄を手にしたにもかかわらず,運が尽きて姿を消す者たちも少なくなかった——大多数の早期現生人類がそうだし,ネアンデルタール人がそうだった。
 ネアンデルタール人は滅んだ。たしかにそれは事実に違いないが,そこだけを見て,私たち現生人類についても悲観的な未来を予言しようとは思わない。そもそも,これほどまでに人口が増えてしまった今となっては,地球規模の大災害でも起こらない限り,気候がいくら変わったところで人類が完全に滅びることはなさそうだ。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.288-289
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

イヌの起源

27の異なる地域に生息する162頭のオオカミと,67犬種の飼い犬140頭から採取したミトコンドリアDNAを解析したところ,イヌの起源が13万5000年前までさかのぼるかもしれないことがわかったのである。この驚くべき結論が正しければ,ネアンデルタール人が生きていた時代にイヌが誕生したことになるが,それが行き過ぎだとしても最終氷期のさなかに最初の家畜化が行われていたという考えは十分説得力をもつだろう。
 農耕の発見に先立つこと数千年,イヌの家畜化は現生人類にとって画期的な事件だった。イヌは人類が初めて手にした「生きた道具」であり,狩猟における武器だった。また,他の集団や捕食動物から村を守るためにも利用されたはずだ。イヌはその社交性によって現生人類と親密な絆を結び,現在の私たちにとってもなくてはならないパートナーとなったのである。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.241-242
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

特定の体格の絶滅

気候の変動が激しくなり,それまで温暖な環境が広がっていた地域にツンドラステップがせまってくると,そこに暮らすあらゆる種類の人類たちは技術を発展させて変化に対処しようとした。しかし,最終的にはたくましい体格が裏目に出てしまう。たとえ高い技術をもっていたとしても,そうした体で動物を求めて広大な土地を歩き回ることの弊害を埋め合わせることはできなかった——ネアンデルタール人の絶滅とは,長きにわたって存在したある特有の体格の絶滅だったとも言えるのである。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.235
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

情報時代へ

繰り返すが,グラヴェット文化で見られる行動の新しさはどれも,たとえば,「神経系の突然変異によって特別に賢い人類が生まれたから」などという説明に頼らなくても理解できるものだ。彼らはすでに十分な能力を備えていたのであり,それは同時代に生きた多くの人類や,不運にも生き残ることができなかった集団にも言えることだ。イノベーションは,身体的な能力のおかげというよりも,新たな生活環境で直面した問題を解決することで生まれた。あなたが今,樹木のない,荒涼とした環境での生活を強いられたと想像してみてほしい。道に迷わないように自分の位置を確認したり,草食動物の大群を見つけたりするには,大海原を航海するときと同じくらいの困難があったに違いない。また季節がはっきりと分かれている環境では,長くて寒い冬の夜など,これまで知らなかった状況に対処する必要も出てきただろう。熱帯の霊長類から枝分かれした人類は,生物学的な理由から冬眠という選択肢をもっていなかった。だから寒い冬が定期的にやってくるのであれば,それを避けるために重い荷物を持たずに移動する術を身につける必要があったし,自分たちのいる土地の特徴をつかんだり,仲間に的確に意思を伝達する方法を見つけたりしなくてはならなかった。こうしてグラヴェット文化は情報時代に突入していったのである。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.222-223
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

多くのことは

人類の歴史においてよく知られる画期的な出来事の多くは,手を貸さずとも自己触媒的に広がっていき,はじまったが最後,後戻りはきかなかった。だが,たしかに現実はそのように進んだかもしれないが,理論的に必ずそうなるというものではなかったはずだ。たとえば,農耕の発展もその一例だろう。1万年前を過ぎると以前よりも気候が温暖となった。それにより,狩猟採集民としての生活を代償に世界各地で農耕・牧畜が飛躍的に広まり,人口が急増した。しかし,もし気候がもう一度悪化していたら,ここで生まれた技術も過去の多くの例と同様に廃れることもありえたのだ。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.218
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

2つの理由

ユーラシアの現生人類たちが樹木から全面的に開放されたのには,2つの生態学的な理由が考えられる。ひとつは,活用する手段さえ見つかれば,ユーラシアのツンドラステップは食料の貯蔵庫と言ってよかったこと。もうひとつは,熱帯地方では制限要因となった水に,それほど行動を制限されなかったことだ。ツンドラステップでは,トナカイ,ステップバイソン,ウマなど,多くの大型哺乳類が巨大な群れをなしていた。こうした資源を利用できるものはそれまでいなかったが,ツンドラステップの周縁部にいた人類は茂みからの奇襲攻撃を利用して,これらの動物を狩ることができた。とはいえ,周縁部では森林の恩恵もまだ受けることができたので,季節によって移動する気まぐれな動物の群れに完全に依存することはなかっただろう。つまり,開けた平原と森林の境界に暮らすことは,最も豊かで実り多い場所に生きることだったのだ。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.212
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

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