読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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移入種が在来種を駆逐するとき,直接バトルするというよりは,生態系の中での位置(ニッチ)を奪うかたちで入れ替わる。
ただ,人間(ホモ・サピエンス)は歴史に残っているかぎり,たくさん戦争をしてきたので,そのイメージをさらに過去に投影すると「戦って絶滅させた」と思いがちなのかもしれない。また,先史時代に絶滅したマンモスなどの大型哺乳類が,人間に狩りつくされたというイメージも大きいだろう。なにか,「血塗られた祖先像」みたいなものが流布しやすい傾向があるように思う。結局,直接証拠もないまま,そんなに血なまぐさいことを現段階で考える必要はないのかもしれない。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 251-252
これらのうち脳の増大や,額が幅広くなることは,現代人と共通する進化の方向性だ。つまりホモ属の人類が共通して進んできた道を,部分的ながら,やはりジャワ原人もたどっていたことがはっきりした。ほかにも見どころはいろいろあるのだけれど,とりあえず,人類進化における最大の関心事,脳容量や咀嚼器官が,鮮やかに「進化」していたというのは象徴的だ。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 124
まず大きな括りとして,ホミニド(hominid)がある。今の定義では,ここには大型類人猿(現在のものはチンパンジー,ボノボ,ゴリラ,オランウータン)やすべての人類が含まれる。大型類人猿と人類の共通祖先から進化したすべての子孫がホミニドだ。
そして,ホミニン(hominin)。ホミニドよりも範囲が狭く,日本でいわれる「初期の猿人」「猿人」「原人」「旧人」「新人」を含めた「広義のぼくたち」みたいな括りになる。つまり,「初期の猿人」以降のすべての人類を指す。「700万年の人類の歴史」は,ホミニンの歴史だ。
そのあとの「原人」「旧人」「新人」は,すべてホモ属(Homo)の一言に集約することができるから,一見,シンプルだ。最初期の原人であるホモ・ハビリス以降,そこから分岐した人類はすべてホモ属(Homo)だ。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 45-47
ここまで,人類進化を,「初期の猿人」「猿人」「原人」「旧人」「新人」という5段階の呼び名を使って説明してきた。けれど,今の国際的な人類学では,猿人や,原人といった日本語に相当する言葉は使われない。むしろ,種,属,といった単位,あるいは系統関係を直接,参照するのが普通になっているのだ。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 44
「今の説では,世界中のすべての現代人は,30~10万年前のアフリカに起源があるということになります。現代人の共通祖先です。形態学的な研究や,遺伝人類学的な研究を中心に,ほかのさまざまな証拠が積み重なって,この見解が支持されています。アフリカの旧人から進化して,その後しばらくしてからアフリカを出て全世界に散らばっていって,各地の現代人集団が成立したわけです」
これをホモ・サピエンスの「アフリカ単一起源説」という。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 37
猿人は,アフリカに留まった。それもアフリカの東側が中心だ。
原人は,アフリカのほぼ全域に広がるとともに,出アフリカを果たした。当時,まさに「人類未踏」の地だったユーラシア大陸を歩き,遠くアジアまでやってきたパイオニアだ。ただし,分布はユーラシア大陸の南半分に限られていた。そのなかでほぼ最北端にあたるのが,北京原人の居住地だ。
旧人は,ヨーロッパやアジアでの分布を,原人のときよりもいくらか北側に広げた。しかし,寒冷なシベリアの中心部にまでは踏み込めなかったようだ。
そして,いよいよ新人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出ると,シベリアを含むユーラシア大陸の全土に広がる。さらに南北アメリカ大陸,太平洋の島々にまで進出していくさまは,地図の上で見るだけでもダイナミックで,壮大なドラマを感じさせる。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 40-41