読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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最初の原人,ホモ・ハビリスがアフリカにとどまっていたのに対して,ユーラシア大陸に飛び出した,つまり出アフリカを果たした原人がいる。
ホモ・エレクトスだ。
アフリカで化石が確認されているだけでなく,遠くユーラシア大陸を旅して,東アジアの北京原人や,東南アジア島嶼部のジャワ原人に至るまで,広域に分布した。百数十万年にわたって存続した息の長い人類でもある。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 32
これは,現生人類の中での多様性,たとえば,アジア人だとか,ヨーロッパ人だとか,アフリカ人だとかいうのとは次元が違っている。今生きているぼくたちは,DNAの上ではかなり均質で,生物学的には一つの種だ。しかし,少し前の地球では,複数の別種の人類が共存していて,むしろ,それが当たり前だった。多様な人類,と言うとき,現在からイメージするのとは桁違いの目もくらむような「多様さ」だったと思われるのである。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 18-19
これは,現生人類の中での多様性,たとえば,アジア人だとか,ヨーロッパ人だとか,アフリカ人だとかいうのとは次元が違っている。今生きているぼくたちは,DNAの上ではかなり均質で,生物学的には一つの種だ。しかし,少し前の地球では,複数の別種の人類が共存していて,むしろ,それが当たり前だった。多様な人類,と言うとき,現在からイメージするのとは桁違いの目もくらむような「多様さ」だったと思われるのである。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 18-19
結局,オーストラリアのアナウサギの個体数は,導入から1世紀足らずの1950年には,推定7億5000万頭にまで増加し,ヒツジ1億頭分の草を横取りして各地で作物に大きな被害を引き起こした。
アナウサギ駆除のため,天敵のキツネがイギリスから運んで放された。しかし,すばしこいウサギよりも動きのにぶい有袋類の方を捕食するようになり,数種類の小型カンガルーが絶滅の危機に追いやられた。
次に,ブラジルからウサギのウイルス性伝染病である粘液腫症(ミクソマトーシス)が導入された。この病気はわずか1年以内でオーストラリア全域に広がり,アナウサギの死亡率は99.8%にものぼった。
ところが,ごく一部のウサギがこの病気の免疫を獲得し,この系統が生き残ってウサギの死亡率も7年後には25%以下に低下した。アナウサギの個体数はまたもや急速に復活し,長期間つづけられた撲滅運動も失敗に終わった。依然として牧場の敵ナンバーワンである。
石弘之・石紀美子 (2013). 鉄条網の歴史:自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明 洋泉社 pp. 249-250
草食獣のバイソンは,放牧された牛の草を奪うという理由で牧場主から目の敵にされ,さらに牧場にするために鉄条網で囲われて生息地は狭められていった。他方,入植者や鉄道建設労働者の食用にするために殺された。
東部ではバイソンの舌が珍味として高値で取り引きされたために,殺して舌だけをとって塩漬けにして大量に送られた。政府も官製ツアーを募り,「鉄道の窓からバイソンを撃ち放題」と宣伝した。先住民の生活基盤を奪うのが目的だった。1回のツアーで1000頭以上のバイソンが殺されることもあった。
15世紀には3000万~6000万頭は生息していたと推測されるバイソンは,1889年にはわずか542頭と絶滅寸前にまで減っていた(現在は保護策が実って野生は約3万頭,食育用などに飼育されているのが約50万頭にまで回復した)。
石弘之・石紀美子 (2013). 鉄条網の歴史:自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明 洋泉社 pp. 215-216
西側世界が歓迎したベルリンの壁の崩壊で,最大の被害者はウサギだった。二つの壁に囲まれた無人地帯に,数千匹のウサギが棲みついた。彼らの記録映画『ベルリンのウサギたち』がドイツ・ポーランドの合作でつくられ,2010年のアカデミー賞の短編ドキュメンタリー賞にノミネートされて,すっかり有名になった。
野生のアナウサギが入り込んできて,安全を保障された無人地帯で大増殖をとげた。壁の崩壊とともにウサギは棲みかを失ってちりぢりになった。追跡調査をしている研究者によると,現在は10の集団に分かれて各地の公園などに棲んでいるらしい。そのうちの9つまでが西側で,旧東側に棲むのは1集団だけという。ウサギもやはり西側が好きだったようだ。
石弘之・石紀美子 (2013). 鉄条網の歴史:自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明 洋泉社 pp. 182
例えば体重の遺伝率が80%だからといって,体重60kgの人の80%分の48kgまでが遺伝でできていて,残り12kgが環境でつくられたという意味ではありません。これは日本人の平均体重が60kgだからといって,日本人がみんな60kgだという意味ではないことと似ています。その集団にはいろんな体重の人がいて,その体重のばらつきの原因は,一人ひとり異なる遺伝要因のばらつきと,それぞれに異なる環境要因のばらつきが合わさったものです。そのとき体重のばらつき全体のどの程度の割合がそれぞれの要因によるばらつきで説明できるかをあらわしたのが,この数値なのです。
それじゃあ,一人ひとりの遺伝と環境の状態については,何も考えていないのかと思われるでしょう。決してそうではありません。
例えばあなたの体重が75kgだとしましょう。そしてあなたと同じ年齢と身長の平均体重は65kgだとします。平均より10kg重いわけです。ほかにもあなたと同じ条件で10kg重い人たちがたくさんいるとしましょう。その人たちがみんなあなたと同じ遺伝的素質と環境で育ったとは限りません。あなたは本来,ふつうに食べていれば遺伝的には70kgになる素質なのに,食べすぎがたたって5kgオーバーして75kgなのかもしれない。またある人は遺伝的素質は本来80kgになる人だけれど,ダイエットして75kgなのかもしれません。またもともと75kgの素質の人がふつうの食生活を送っているのでありのままに75kgかもしれません。
このように同じ75kgの人の遺伝的資質と環境にはそれぞればらつきがあり,その総和としてそれぞれの人の体重があるわけです。そして実際は遺伝的素質も環境も,それぞれさまざまにばらついているので,表現型としての体重も人によってばらばらに違う。このときの遺伝のばらつきと環境のばらつきが,相対的にどの程度なのかを示したのが,ここで表した遺伝と環境の説明率なのです。
安藤寿康 (2016). 日本人の9割が知らない遺伝の真実 SBクリエイティブ pp.76-77
残念ながら,動物たちは人間の出す騒音のせいで鳴き方を変えることを余儀なくされている。水中の哺乳類や魚も例外ではない。洋上に風力発電所を設置するのは環境にやさしい発電方法だろうか。海底にタービンを設置するための杭打ち作業で騒音に襲われるゼニガタアザラシの身になれば,おそらくそうは言えないだろう。スクロビー・サンズ洋上風力発電所の建設工事中,イングランドの海沿いの町グレート・ヤーマスに程近い岩の上で観察されるアザラシの数は減少した。くい打ち作業の騒音は1メートル離れたところでおよそ250デシベルと激しく,動物の聴覚系を物理的に損傷するおそれがある。
トレヴァー・コックス 田沢恭子(訳) (2016). 世界の不思議な音 白揚社 pp.116
さらにもう一つ,日光には,近視になるのを防ぐ効能があるという。これは聞きのがせない情報だ。というのも,モグラ並みの視力に近づいている人間が多くなっているからである。世界じゅうで,近視の人口は増え続けている。中国では,伝染病かもしれないと言われるほどだ。なにしろ国民の80~90パーセントが,遠くのものがよく見えないと訴えている。これについて,中国とオーストラリアの大学教授グループが,「自然光に十分当たっていないせいではないだろうか?」という疑問を抱いた。
そこで,広東にある小学校11校で,ある実験が行われた。毎朝の遊び時間を45分間延長したのだ。こうした方法で科学の発展に寄与できるとは,被験者となった子供たちもさぞかし喜んだことだろう。そして,結果は驚くべきものだった。雲のあるなしにかかわらず,毎日45分間多く自然光にあたることで,近視の進む確率が25パーセント減ったのだ。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.145-146
配偶システム理論の4つの法則を打ち立ててみよう。第1の法則。メスが一夫一妻の忠実なオスを選ぶことで繁殖成功度が上がれば,一夫一妻が生じる。それは,オスがメスに無理強いはできないときに限る。これが第2の法則。メスが既婚のオスを選んでも繁殖成功度が下がらなければ,一夫多妻が生じる。これが第3の法則。しかし,すでに配偶したメスがオスの再婚を阻止できれば,一夫一妻が生じる。これが第4の法則である。ゲーム理論は意外な結果をもたらした。誘惑で積極的な役割を果たすオスが,結婚という自分の運命では受動的な傍観者になるのだ。
マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.304
オックスフォード大学のローレンス・ハーストはこれらの議論から,性が2つあるのは,融合によるセックスの結果であると予測している。つまり,コナミドリムシや多くの動植物のように,2つの細胞を融合させることによってセックスが成立する場合,性は2つになる,というのである。セックスが接合であり,2つの細胞が管で結ばれて,管を通じて核の遺伝子が移動するだけであり,細胞の融合が起こらない場合は,葛藤も起こりえず,したがって,殺人者と犠牲者という性の必要もない。確かに,繊毛虫類やキノコのように接合によるセックスを営む種は,非常に多くの性をもっている。これに対し,融合によるセックスを営む種では,ほとんど例外なく,性は2つである。特におもしろい例は,「ヒポトリック」という繊毛虫類で,いずれの方法でもセックスが可能なのである。これらが融合によるセックスを行う場合は,あたかも性が2つであるかのようにふるまう。そして接合によるセックスを行う場合は数多くの性をもつのである。
1991年,この整然とした物語に最後の仕上げをしていたそのときに,ハーストはこれと矛盾するように思われる事例に遭遇した。粘菌の一種に,13の性をもち,融合セックスをするものがあるのだ。しかし彼は徹底的にこれを調べ上げ,この13の性は階級をなしていることを発見した。13番めの性は,どの相手と結合しても,必ずオルガネラを提供する。12番めの性は,11番め以下の性と結合するときだけ,オルガネラを提供する。そして11番めの性は10番め以下の性と結合したときだけ……という具合に順々に下がっていくのである。このシステムは2つの性をもつのと同様に機能しているが,もっとずっと複雑な仕組みである。
マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.171-172
人間の体を形成,維持している7万5000組の遺伝子は,小さな町に住む7万5000人の人間と同じような状況に置かれている。人間社会というものが,自由な経済活動と,社会的な協力行為との不安定な共存関係で成り立っているように,体内における遺伝子の活動も,ちょうどそれと同じように機能している。人々が協力しあわなければ,町は共同体となりえない。だれもが他人を犠牲にして,嘘をつき,人を騙し,盗みをはたらき,みずからの富を追求したとしたら,商業,行政,教育,スポーツといったすべての社会活動は,相互不信のうちに機能が麻痺することだろう。同様に,遺伝子どうしが協力しあわなければ体ができないので,遺伝子はその住みかである体を,次世代に遺伝子を伝える道具として使うことはできない。
マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.153-154
抗生物質は,バクテリアがそのライバルであるバクテリアを殺すために自然に生産する化学物質である。しかし,人間が抗生物質を使用し始めると,バクテリアは抗生物質への抵抗力を,人間をがっかりさせるような速度で発達させていくことがわかった。病原菌の抗生物質に対する抵抗力には,注目すべきことが2つあった。1つは,抵抗力の遺伝子が1つの種から別の種へ,害のない腸内細菌から病原菌へと飛び移るらしいということであった。それは性と似たような遺伝子転移の一形態によっていた。2つめは,バクテリアの多くはその染色体上にすでに抵抗遺伝子をもっているらしいということだった。要は,それを活性化する秘訣を再発明するだけのことだった。バクテリアと菌類のあいだの軍拡競争により,多くのバクテリアは抗生物質と戦う能力を獲得することになった。それは人間の腸内にいるかぎり,もはや「必要になるだろうとは思いもしなかった」能力である。
寄生者の寿命は宿主に比べて非常に短いので,寄生者は宿主よりも速く進化し,適応していくことができる。HIVウィルスの遺伝子は,この先10年ぐらいのあいだに,人間の遺伝子が1000万年に行うほどの変化を遂げるだろう。バクテリアにとっては,30分は一生にも匹敵する。30年という人間の世代時間は永遠にも等しいものであり,ヒトは進化のカメなのだ。
マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.121-122