読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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徳川時代というと,すぐ五公五民とか六公四民といった調子で,ひどくしいたげられた農民の姿が浮かぶが,考えてみれば,その原因の一半は,水田のこうした異常な生産力の高さにある。いくら政治権力が暴虐でも,生産力の低いところでは,とても,収穫物の半分以上を横取りすることはできない。もし,そんなことを強行すれば,支配の対象となる農民が死にたえて,結局,とも倒れになるだけである。日本の農民は,生産力が高いがゆえにいじめられるという,妙なジレンマにおいこまれていたわけである。
鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 35-36
何とも珍妙な対話である。当事者は真剣かもしれないが,お互いの意志はさっぱり疎通しない。ハリスの申し出を受けた日本側にしても,牛の乳は牛の仔が飲むものとばかり思っていたところ,人間が,しかも人間の大人がそれを飲むと聞いては,開いた口がふさがらない。いわんや,アメリカ政府の代表に,自分で牛乳をしぼってもよいといわれては,まともな返事のしようがない。また,家畜は小舎で飼うと決まっているのに,そこら辺の野山に放し飼いしてもよいか,とたずねられては,びっくり仰天せざるをえない。相手の身になって考えてやろうにも。相手の真意がすこしもわからない。
その後もこのようなことがつづき,ハリスはすっかりまいったらしい。日記を見ると,身体の変調をさかんに訴え,強いられた粗食をなげいている。
鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 23
なお,ケーニッヒスワルトと彼の標本をめぐっては,日本と関係する逸話がある。
第二次世界大戦中の日本のジャワ島占領下で,彼は32ヵ月にわたって日本軍の収容所で,不自由な生活を強いられた。彼はそうなる前に化石を巧妙に隠したのだが,ガンドンから出た比較的年代の新しいジャワ原人の頭骨化石1点のみは,日本軍の手に渡ってしまい,天皇陛下への贈り物として日本へ送られた。
戦後,その化石は未開封の状態で日本に置かれていたものをGHQに接収され,長い旅路をたどってアメリカにいたケーニッヒスワルトの手に戻った。さらに,彼の移動とともにオランダへ移されたあとで,インドネシアに返還された。ガンドンの標本は結局,地球をぐるりと一周してジャワ島に戻ってきたのである。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 69-70