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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「歴史」の記事一覧

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1939年の呪われた船

 ナチスのユダヤ人迫害政策は,世界各国の非難を浴びたが,だからといって世界各国が進んでユダヤ人に救済の手を差し伸べたかというと決してそうではなかった。世界恐慌でたくさんの失業者を抱えていた欧米諸国は,ユダヤ人移住の制限を行なっており,一部の国ではユダヤ人流入に対する激しいデモも起こっていた。
 1938年7月にはフランスで,ドイツにいるユダヤ人救済に関する会議が開かれた。ドイツのユダヤ人は,ドイツを離れようにも,受入国がなかなか見つからなかったのだ。そこでアメリカが音頭をとって,32ヵ国の代表を集め,この問題の解決策を講じようとしたのである。
 しかしこの会議は失敗に終わった。ナチスが移住先の国から1人当たり250ドルの支払いを求めるなど厳しい条件をつけていたこともあるが,各国ともこれ以上移民を受け入れることには慎重だったのだ。
 1939年の5月にはドイツの定期船「セントルイス」に乗り,裕福なユダヤ人が受け入れ国を探してハンブルグを出発した。大西洋を渡ったが,キューバとアメリカに下船を拒否され,ふたたびヨーロッパに戻ってきた。5週間も洋上をさまよったあげく,ようやくベルギーのアントワープで下船することができた。結果的にイギリス,ベルギー,フランス,オランダで何人かの難民が受け入れられたが,マスコミはこの船を「のろわれた船」と呼んだ。

武田知弘 (2006).ナチスの発明 彩図社 pp.167-168
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ラマルクの業績

 ラマルクの名は,広くは進化論の「用不用説」によって知られている。「キリンの首が長いのは,高い木の葉を食べるためにとだんだん長くなって子孫に伝えられてきた」というたとえで知られた説だ。「獲得形質の遺伝」とも呼ばれる。
 もっとも,この説は今日ではダーウィン進化論と比較されて,間違った説であると教えられる。しかし,ラマルクがダーウィンに先がけて進化論的なアイデアをもっていたことは忘れないでいたほうがいいだろう。
 ラマルクは,1744年,フランス,ピカルディのバザンタンで,11人兄弟の末子として生まれた。
 成長すると,父の意向で教職課程についたのだが,父の死をきっかけにフランス軍に入った。22歳のとき,病を得て退役したラマルクはわずかな恩給だけしかもらえず,金融業を手伝ったり,医学の修行をしていた。そのうちに,軍にいたときに地中海の豊かな自然のなかで興味を抱いた植物学を思いだし,本格的に植物研究にのめりこんでいった。やがて,植物学の縁で,かのジャン・ジャック・ルソーと知り合い,交遊を続けた。屋根裏部屋の生活をしながら植物学に打ち込み,10年後,『仏蘭西植物誌』を上梓した。
 このころには,ラマルクはビュフォンと知り合っていた。ビュフォンの子息の家庭教師を頼まれたりしている。そして,ついに王立動植物園の教授に就任した。しかし,時あたかもフランス革命が勃発し,ラマルクは職をおわれそうになったりもする。やがて,ラマルクは植物学ではなく動物学の担当となる。かくして,ラマルクは動物学に熱中し,『無脊椎動物分類誌』『無脊椎動物誌』などを発表する。そして1809年,不朽の名著『動物哲学』の刊行にいたるのである。
 今日,生物学でよく使われる「系統樹」をはじめて考案したのもラマルクであった。
 だが,『動物哲学』刊行後10年にしてラマルクは失明し,最後は次女ただ一人の世話を受けながら,貧窮のうちに世を去った。

久我勝利 (2007).知の分類史:常識としての博物学 中央公論新社 pp.61-62

トランジスタの値段の変遷

 各テクノロジーのもたらす経済効果はさらに強烈だ。容量や速度が2倍になれば,コストは半分になる。2年ごとに同じ価格のコンピュータの性能は2倍になり,同じ性能のコンピュータの価格は半分になる,ということだ。
 トランジスタを例に見てみよう。1961年には1個が10ドルだった。2年後には5ドルになった。さらに2年がたった1965年4月,ムーアが『エレクトロニクス』誌にかの予測を発表したときには,2ドル50セントに下がっていた。1968年までに1ドルまで低下した。その7年後には10セントになった。さらにその7年後には1セントになり,まだ下がりつづけている。
 今日,インテル社の最新プロセッサのチップには,20億個のトランジスタが集積されていて,300ドルしかしない。つまり,トランジスタ1個のコストは約0.000015セントだ。それは,安すぎて気にならないものだと言えよう。
 情報処理能力と記憶容量,通信帯域幅が速くなり,性能が上がり,安くなるという3重の相乗効果をオンラインは享受している。だから,私たちはユーチューブのようなサービスを無料で受けられるのだ。そこでは,量的に限度なく動画をスムーズに見ることができ,画質もどんどんよくなっている。それらは,ほんの数年前には目の飛び出るほど費用がかかることだった。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 pp.103-104

ターレスのオプション

 タレースは星空から運勢を占う特技を持っていた。彼は,ある冬,翌年のオリーブの収穫はいつもの年よりも豊作になると予言した。彼はそれまで蓄えたわずかな金を持って,その地方でオリーブの実を絞る器械を持っている人々をひそかに訪ね歩いた。そして,わずかな前払金を絞り器の持主に払うかわりに,秋が来たら絞り器を真っ先に使わせてもらう保証を取り付けた。秋の収穫期はまだ9ヶ月も先だったので安い値段でその交渉は成立した。そもそも,翌年の収穫が豊作は不作かを誰も知る由もなかった。この話の顛末は,もう察しがつくだろう。「収穫期が来ると,いちどきに多くの絞り器に需要が殺到したので,彼は思いのままの言い値でそれを貸し出して,莫大な儲けを得たのであった。こうして,哲学者でもその気になれば富豪になることができることを」タレースは世に知らしめたが,そいう野心を持つかどうかは哲学とは別の問題だ」。
 タレースと彼の金融装置についてのアリストテレスの逸話は,現代ではオプションとして知られる仕組みとしては,歴史上の文献にみられる最古の例である。オプション契約の基本的な仕組みは,あらかじめ条件を合意して決めておき,その条件が実現したら一定の行動をとる権利を,その権利の保有者に与えるような契約である。
 オプション契約は,もしその権利保有者が行使したいと思わなければ,行使を強制するものではない。もしオリーブが豊作でなければ,タレースはそのオプションを放棄したであろう。その地域全体のオリーブ絞り器の供給の限界を超える豊作となった時だけ,タレースはそのオプションの権利を行使したに相違ない。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.304-305

電流のデモとフランケン

 アルディーニのロンドンのショウはもっとも華々しい見世物の1つだった。わずか1時間前に絞首台からおろされたばかりの殺人犯ジョージ・フォースターの遺体に,彼が一対の電極を取り付けると,脚は蹴りあげ,一方の目が開き,殺人者の固めた握り拳は脅かすように宙に突きあげられたのだった。死体が生き返ったかのような動きに観衆はぎょっとし,一人の女性は気を失った。アルディーニを模倣したその後のデモンストレーションはさらに印象深いもので,グラスゴーでの実験では,電流を通された死体が人差指をまっすぐに突き出し,見物客を順ぐりに指さすように見えたので,観衆は取り乱してばらばらに散ってしまった。
 アルディーニの実演はメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』のインスピレーションの1つである。<恐らく死体は蘇生するだろう。ガルヴァーニ電気はこのようなことの前兆を与えてくれた>と彼女は序文で述べている。われわれは今でも「誰かをガルヴァナイズする(活気づける)」と言うが,死んだカエルの脚にガルヴァーニが火花式発電機の電流を流したとき,彼は確かにこれを行っていたのである。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 p.156

Elsevierってこんな昔からあったの?

 『新科学対話』はイタリアから密輸出され,オランダの出版社ルイス・エルゼビアによって印刷されたが,この会社は今でも存在しており,私の科学論文もいくつかそこから出版されている。エルゼビアは異端審問所に助言を求めており,ガリレオの著述はイタリアでも他の国でも出版が禁止されていると知らされていたのだから,たいへんな危険を冒したのだった。しかし彼は報われた。この本はベストセラーとなり,ヨーロッパの科学界にこれまで知られていなかった法則とその実際的な応用法をもたらし,センセーションを巻き起こしたのだった。この本には物質構造の強度について論じたスケーリング法則の最初の記述が含まれているが,これらの法則は現代の建築学や工学の実地の基礎を形づくるものである。しかしガリレオは建物や骨ばかりにかかずりあっていたのではない。彼は『新科学対話』でまた,一定の速度で運動している物体は,たとえそれを押したり引いたりしなくても,運動をつづけることを証明し,アリストテレス的なアイデアを一撃で粉砕してニュートンの運動の第一法則の基礎を用意したのだった。といっても今日ですら,すべての人がその観念を理解しているわけではない。私は前に専門家の一群が重い台車で運ぶのに苦労したことを話した。同じ観念に苦労したもう1人の専門家が弾道学のエキスパート,エドワード・J・チャーチルで,1903年に有名なモウト農場殺人事件の裁判で証言したことがあった。被害者はごく近くから頭を撃たれたに違いない,とチャーチルは断定的に述べた。頭蓋骨の孔は周辺がぐちゃぐちゃになっているが,もし弾丸が離れたところから発射されたのならば,傷口はきれいな丸い孔になっていたはずだ。なぜなら銃身を離れてから大きな速度を得るまでに時間を要したであろうからだ!アリストテレスはチャーチルを知って誇らしく思っただろうが,どうやらチャーチルはガリレオについて聞いたことがなかったらしい。ボールがバットを離れた後,グラウンドをつっ切るあいだに「スピードアップ」すると語る現代のクリケット評論家もそうだ。実際,最近の調査によれば,30パーセントそこらの人は今でもガリレオの原理をしっかり把握していないのである。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 pp.65-66

見ようとしない人

 ガリレオの同時代人の中には望遠鏡を通して眺めるのを拒否することであっさりこの種の潜在的な問題を避けるものもいた。その1人がピサ大学の哲学者ジュリオ・リブリ教授で,ガリレオの執拗な批判者だった。望遠鏡を通して天を眺めるように誘われた彼は,その必要はない,なぜなら真理をすでに知っているからだと答えた。リブリが数カ月後に死んだとき,ガリレオは辛辣な批評を下した。リブリは地球にいるあいだに天体を見ることはできなかったが,天に昇る途中でそれを眺めただろう,と。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 pp.59-60

誰か日本語を世界に広めようとしたか?

 二つ目の理由は日本人の無知と卑屈な自己卑下の伝統にあります。これまで歴史上誰か一人でも日本語を世界に広めるべきなどと主張し,その実現に力を尽くした人がいたでしょうか。私はいないと思います。日本人は自分たちが外国語を学んで国際対応をすること以外に,生きてゆく道がないと勝手に思い込んでいるなんともおめでたい国民なのです。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 p.232

魚のピークも過ぎている

 日本でも最近,「魚離れ」が取りざたされています。
 しかしそういう話のときによく出てくる,「日本人は昔から魚食民族だった」という言い方は,実は眉唾なのです。もちろん,魚を食べる多くの料理法が日本にはあり,昔から魚を食べていた点では間違いないのですが,現在のように,かつての日本人も大量の魚を食べていたかというと,それは違うとはっきり言えます。
 というのも日本における明治期からの水産物消費量のデータを調べてみると,消費が増え出したのは大正時代に入ってからなのです。
 1910年ぐらいから消費が増えはじめ,第二次世界大戦にともなって大きく減り,戦後再び増え出しています。
 1960年代には急増していますが,1980年代後半にピークをつけて以後は,1人当たりの消費量が減りはじめています。
 こうしたデータから,私たち日本人が本格的に魚を消費しはじめたのは,1960年くらいから始まる比較的新しい現象であり,それももうピークは過ぎているということがわかってきます。

川島博之 (2009). 「食料危機」をあおってはいけない 文藝春秋 p.55

クラック・ブームの影響

 アメリカ黒人に取って,第2次世界大戦からクラック・ブームまでの40年間は,安定した,時によっては急激な改善がはっきり見られた時期だった。とくに1960年代に公民権が法律に盛り込まれてからは,アメリカ黒人の社会的地位がやっと向上した証拠がはっきり現れている。黒人と白人の所得格差は縮小していた。黒人の子供の試験の点と白人の子供の点もそうだった。おそらく一番心強い進歩は乳幼児の死亡率だ。1964年でさえ黒人が乳児の間に死ぬ確率は白人の2倍だった。それも下痢や肺炎みたいな初歩的な病気で死ぬことが多かった。連邦政府が病院の区別をやめさせてからはそれが変わった——たった7年間で,黒人乳児の死亡率は半分に減った。1980年代までに,アメリカ黒人の生活はほとんどすべての面で良くなっていたし,改善がとどまる兆しは見えなかったのだ。
 そんなときにクラックがやってきた。
 クラックが黒人に限って大流行したわけではぜんぜんないけれど,黒人の住む界隈での吹き荒れ方が一番ひどかった。先ほど挙げた社会的地位向上の指標でもそれがわかる。何十年も下がってきていた黒人の乳児死亡率が1980年代に急に上がっている。未熟児や捨て子の比率もそうだ。黒人の子供と白人の子供の成績格差も広がった。投獄される黒人の数は3倍になった。クラックが与えた害はとても大きく,クラック使用者とその家族だけでなく,アメリカ黒人全体で平均してみても,この集団に戦後見られた進歩が急に止まってしまったばかりか,10年分も逆戻りしている。1つの原因がクラック・コカインほどひどい被害をアメリカ黒人に与えたのはジム・クロウ法以来だった。

スティーヴン・D・レヴィット,スティーヴン・J・ダブナー 望月衛(訳) (2007). ヤバい経済学[増補改訂版] 東洋経済新報社 pp.133-134

リステリンが作りだしたもの

 広告も通念を創造するいい道具だ。たとえばリステリンが手術用の強力な消毒液として発明されたのは19世紀である。その後,蒸留したものが床用洗剤や淋病の薬として売られるようになった。しかし,大ヒットするのは1920年代になってからのことで,用途は「慢性口臭」対策だった——その頃のよくわからない医学用語だが,ようは臭い息のことだ。リステリンの新しい広告に出ているのは打ちひしがれた若い男女だった。結婚しようと思ったのに,相手の腐った息に嫌気がさしたのだ。「あんなので彼とやっていける?」きれいな女の子がそう自問しているのである。それまでは,臭い息は一般的にそこまで破壊的なものじゃなかった。でも,リステリンがそれを変えてしまった。広告研究者のジェイムズ・B・トウィッチェルは次のように述べている。「リステリンが作り出したのは,うがいよりもむしろ口臭のほうだ」。たった7年の間に,メーカーの売上高は11万5000ドルから800万ドルを上回るまでになった。

スティーヴン・D・レヴィット,スティーヴン・J・ダブナー 望月衛(訳) (2007). ヤバい経済学[増補改訂版] 東洋経済新報社 pp.103-104

べき乗則と自己相似性

 べき乗則は,河川のネットワークのどこか一部をとって拡大すれば,そこに全体と非常によく似たパターンが現れることを意味している。言いかえれば,河川のネットワークは見かけとはちがって,それほど複雑ではないのだ。無数に生じる偶然の出来事のために,河川のネットワークはどれもその水系特有のものになっているだろう。それにもかかわらず,あるスケールで進行していることは,別のスケールで進行していることと,どんな場合でも切っても切れない関係にある。河川のネットワーク構造の背後に単純性が隠れていることを示しているこの特徴は,「自己相似性」と呼ばれており,河川のネットワークに見られるような構造を「フラクタル」と言うこともある。べき乗則の真の重要性は,なんの意図ももたない偶然によって左右される歴史の過程のうちにすら,法則にも似たパターンが生じる場合があることを明らかにしてくれる点にある。自己相似性という性質をもつがゆえに,河川のネットワークはどれもみな似たものになっている。歴史や偶然は,法則にも似た規則性やパターンの存在と,なんの矛盾もなく両立できるのである。

マーク・ブキャナン 阪本芳久(訳) (2005). 複雑な世界,単純な法則:ネットワーク科学の最前線 草思社 pp.159-160
(Buchanan, M. (2002). Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks. New York: W. W. Norton & Company.)

日本のこれまでとこれから

 日本とその歴史について,もう少し詳しく見てみよう。日本は現在世界第2位の経済大国であり,今世紀中もその地位を維持するだろう。殖産興業の時代から第二次世界大戦を経て,1980年代の奇跡的な経済成長の間も持ちこたえた日本の社会構造は,いろいろな意味で産業化が始まる以前の社会構造とまったく変わっていない。
 日本には,経済政策や政治方針を大きく転換しても,国内の安定が損なわれないという特質がある。日本は西洋との邂逅を経て,自分たちのような国が列強の前ではひとたまりもないことを痛感すると,めまぐるしいほどの速さで産業化を推進した。第二次世界大戦が終わると,社会に深く刻まれた軍国主義の伝統を捨て去り,突如として世界で最も平和主義的な国に生まれ変わった。日本はその後めざましい成長を遂げた。1990年には金融危機の影響で経済成長が止まったが,このときも運命の逆転を淡々と受け止めた。
 日本が大きな社会変革を経ても基本的価値観を失わずにいられるのは,文化の連続性と社会規律を併せ持つからである。短期間のうちに,しかも秩序正しいやり方で,頻繁に方向転換できる国はそうない。日本にはそれが可能であり,現に実行してきた。日本は地理的に隔離されているため,国家の分裂を招くような社会的,文化的影響力から守られている。その上日本には,実力本位で登用された有能なエリート支配層があり,その支配層に進んで従おうとする,非常に統制の取れた国民がいる。日本はこの強みを持つがために,予測不能とまでいかなくても,他国であれば混乱に陥るような政策転換を,難なく実行することができる。
 日本が2020年代になっても,まだ遠慮がちな平和主義国のままでいるとは考えがたい。もちろん,日本はできるだけ長くこのスタンスを維持するだろう。第二次世界大戦の恐怖がいまも国民的記憶として長く残る日本は,軍事対決の意志を持たない。その一方で,日本にとって現在の平和主義は,永遠の原理ではなく,順応性のあるツールである。日本の産業,技術基盤をもってすれば,政策転換さえできれば,より積極的な軍事方針に転換することは可能である。そして今後日本が人口や経済面で重圧を経験することを考えれば,この転換はまず避けられないだろう。

ジョージ・フリードマン 櫻井祐子(訳) (2009). 100年予測:世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図 早川書房 p.213-215

予測と現実のギャップ

 1950年に,今から半世紀後には,日本とドイツが世界第2位と第3位の経済大国になっていると予測した人は,世間の失笑を買ったことだろう。1970年に,中国が2007年までに世界第4位の経済大国になると予測した人は,さらに笑い飛ばされたことだろう。だが1800年には,アメリカが1900年までに世界の主要国になるという予測も,同じように荒唐無稽に感じられたはずだ。状況は絶えず変化するため,つねに不測の事態を予測しなければならない。

ジョージ・フリードマン 櫻井祐子(訳) (2009). 100年予測:世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図 早川書房 p.128

結婚の意味の変化

 かつて結婚は,「死が二人を分かつまで」続くのが当たり前だった。昔は死別は早く,頻繁に訪れた。生き延びた子どもが1家庭に10人もいた移行期には,結婚生活が50年に及ぶことも珍しくなかったが,それ以前は死が結婚生活に早く終止符を打ち,残った方は再婚しなければ経済的に立ちゆかなくなった。ヨーロッパには男やもめ(女性が産褥で亡くなることが多かったため,たいてい男性が残った)が生涯に何度も再婚を繰り返す,連続的複婚の慣習があった。19世紀末から20世紀初めになっても,まだ結婚は習慣から非常に長い間持続していた。20世紀後半になると新しいパターンが生じ,連続的複婚の風潮が盛り返した。だがこの風潮を増長したのは,死ではなく,離婚だった。
 これに別のパターンを重ね合わせてみよう。昔は配偶者の少なくとも一方が10代前半で結婚することが多かったが,今の人たちは20代後半から30代前半に結婚することが多い。また昔は14歳頃に結婚するまで性体験がないのが当たり前だったが,今では30歳で結婚する人に,結婚するまで処女童貞を通すことを期待するのは,非現実的というものだ。思春期を迎えてから17年間も性的活動をせずに過ごすなどあり得ない。

ジョージ・フリードマン 櫻井祐子(訳) (2009). 100年予測:世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図 早川書房 pp.92-93.

アメリカの歴史の10パーセントは戦争

 基本戦略は,戦争だけでなく,国力を構成するすべてのプロセスに関わるものだ。しかしアメリカの基本戦略は,実際に戦争や,戦争と経済生活との相互作用に,他国より大きな比重を置いている。歴史的に見てもアメリカは好戦的な国なのだ。
 たとえばアメリカは,その歴史全体のおよそ10パーセントの期間を,戦争に費やしている。この場合の戦争とは,1812年戦争(米英戦争),アメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争),南北戦争,第一次および第二次世界大戦,朝鮮戦争,ベトナム戦争の大規模な戦争を指し,米西戦争や砂漠の嵐といった小規模な紛争は含まない。20世紀だけをとってみても,アメリカが戦争を戦っていた期間は15%にあたる。20世紀後半に限れば,その割合は22%にも上る。そして21世紀が始まった2001年以来,アメリカは戦い続けている。戦争はアメリカの歴史の中核をなしており,アメリカが戦争を戦う頻度は高まる一方だ。戦争はアメリカ文化に組み込まれており,アメリカの地政学的状況に深く根ざしている。したがって,アメリカが戦争を行う理由をはっきりと理解しておく必要がある。

ジョージ・フリードマン 櫻井祐子(訳) (2009). 100年予測:世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図 早川書房 pp.64-65.

未来の予測は難しい

 ある意味では,未来について唯一確信をもって言えるのは,そこでは常識が通用しなくなるということだけだ。魔法のような20年周期など存在しない。歴史のパターンは,単純な力に支配されてなどいない。歴史上のどの瞬間にこの上なく永続的で支配的と思われたことも,信じられないほどの速さで変わり得る。時代は移りゆくものだ。国際関係においては,いま目に映る世界は20年後,あるいはもっと近い将来に目に映る世界とはまったく別である。ソ連崩壊は予想外の出来事だった。それがまさしく肝心なところなのだ。従来の政治分析には,想像力が著しく欠落している。流れる雲がいつまでもそこにあると考え,誰の目にも明らかな,強力な長期的変化に目を向けようとしないのだ。

ジョージ・フリードマン 櫻井祐子(訳) (2009). 100年予測:世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図 早川書房 p.12.

ネーミングの弊害

 南方熊楠がロンドンに遊学しながら,『ネイチャー』誌に「極東の星座」という短報を初めて投稿したのは1893年のことだった。熊楠の記事が載ったころもなお,『ネイチャー』は一般読者を対象とした図入り科学雑誌であるという創刊当時の性格をそのまま遺していただろう。いまの科学者ならば「『ネイチャー』に載った」という点で条件反射的に「すごい」とつい感じてしまう。しかし,当時と今とでは同じ『ネイチャー』であっても,雑誌としての性格はずいぶんちがっていたと考えるべきではないか。
 上述の雑誌の系譜の例が示すように,時空とともに変化し続ける系譜の正体は,それに名前を付けたからといって解明されるわけではけっしてない。歴史過程を担う系譜のある「断面」や「断片」に名前を与えるという分類行為は,その系譜の過去のありさまがどうであったかを物語るわけでもなければ,将来にわたってどのように変わっていくのかを予言するわけでもない。とすると,「部分」へのネーミングは,心理的本質主義に基づく“まとまり”(時空的に変化しない本質)を私たちの心の中にもたらすという点でむしろ弊害があるにちがいない。

三中信宏 (2009). 分類思考の世界—なぜヒトは万物を「種」に分けるのか— 講談社 pp.249-250

原因と言っても

 ほぼすべての歴史学者が,このような問題に関してたびたび言及している。カーももちろんそうである。いかに物事を理解すればよいかということに対する彼の提案については,今でも繰り返し歴史学者たちに議論されているので,我々もそれを見ておくべきであろう。カーは,事実にはもともと階級があると主張した。ロビンソン氏がタバコを買うために,見通しの悪い曲がり角のそだで道を渡ろうとして,飲酒運転の車にひき殺されたとしよう。彼の死の原因は何だったのか?カーはそこから,一般的に適用できる,注目すべき原因を探した。もしロビンソン氏がタバコをほしがらなかったら,彼は死ななかっただろう。これは正しい。したがって,彼がタバコをほしがったことが,この事故の原因である。しかしこれは一般的に適用できる原因ではない。なぜなら一般的に,タバコをほしがることが車にひかれることに結びつくのは,あまりないからである。一方,ロビンソンの死に対する別の一因となった,飲酒運転や見通しの悪い曲がり角は,一般的に適用できる。飲酒運転や見通しの悪い曲がり角の存在は,人がひき殺される可能性を増やすので,これらをこの事故の重要な原因だとみなすべきである。同様にクレオパトラの鼻やペットの猿は,国を戦争に向わせた一因ではあるかもしれないが,その一般的な原因ではありえない。カーは,ここから分かるように,歴史とはおもに一般的に適用できる原因に関するものだと考えていた。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.335-336

もう一度やっても大都市はできるが同じではない

 このべき乗則が示唆しているのは,すでにお馴染みの通りだ。アメリカでもどこでも,都市には「典型的な」大きさというものはなく,また巨大都市の発生の裏には,特別な歴史的,地理的条件などない。都市の成長は,ここまで我々が見てきたものと同様に臨界的な過程であり,それは激しい不安定性の瀬戸際に留まっているのである。ある都市が作られるときに,その位置や産業などの理由から,その都市の発展が運命づけられているという場合もあるだろう。しかしべき乗則によれば,その都市がどれほど大きくなるかを,初めから言うことはできない。ニューヨークやメキシコシティーや東京の発展に関しては,必然的で特別なことはおそらく何もなかったのである。もし,歴史のフィルムを巻き戻してもう一度再生できたとしたら,間違いなく大都市はいくつもできるだろうが,それらは別の場所に別の名前でできるはずだ。それでも,都市におけるべき乗則の傾向は変わらないままであろう。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.262-263

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