読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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「ふつうの」ローマ貴族は数百人の奴隷を有していた。そこで,女奴隷は家のなかに仕事らしい仕事を割り当てられてはいなかったのに,若いときに売られると,高値がついた。男奴隷は独身を義務づけられていた。ではローマ貴族はなぜこんなに大勢の女奴隷を買ったのだろうか?奴隷を産むためだと,ほとんどの歴史家は述べている。しかしそれだけならば,妊娠中の奴隷にこそ高値がついたはずだが,実際にはそうではない。奴隷が処女でないことがわかると,買い手は売り手を訴えた。それに,子どもを産むことが女奴隷の役目だとしたら,男奴隷に禁欲を強いたのはなぜか?女奴隷は愛妾と同じであるとしたローマの著述家たちは,真実を語っていたにちがいない。ホメロス以来,ギリシア・ローマ文学は,無制限な性的対象としての奴隷の供給があったことを当たり前としている。現代の作家たちだけが,故意にそれを無視するようになったのだ。
それだけではない。ローマ貴族は多くの奴隷を怪しいほど若いうちに解放し,しかも怪しいほど多額の持参金をもたせた。これは経済的に分別のあるはからいであろうはずはない。解放奴隷は裕福で,数多くいた。ナルキサスはその当時最も裕福であった。ほとんどの解放奴隷は,主人の館で生まれていたが,鉱山や農場で生まれた奴隷が開放されることはほとんどなかった。ローマ貴族は,女奴隷の産んだ庶出の息子たちを解放したと考えてまちがいないだろう。
マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.326-327
ちょっと計算してみればすぐにわかる。人間には必ず両親,四人の祖父母,八人の曾祖父母,そのまた上に十六人の曾曾祖父母がいる。ほんの三十世代さかのぼった,おおよそ1066年ごろには,同じ世代の直系尊属が10億人以上いる計算になる(二の三十乗)。当時の世界の人口は10億人に満たないので,多くが二重にも三重にもつながる先祖がいたということだ。私と同じく,あなたがイギリス人だとすると,1066年当時生きていた数百万人のイングランド人,すなわちハロルド王,征服王ウィリアム,はたまたそのへんにいるはしため,最も卑しい奴隷を含む,ほぼ全員(行いの正しい修道僧や尼僧は除くが)が,あなたの直系の先祖ということになる。つまり新たに移民として入ってきた人々の子孫は別として,今いるイギリス人全員が,幾重にもつながる遠いいとこにあたる。たかだか三十世代前には同じ一群に属していた人たちの子孫が現代イギリス人である。人間の(およびその他のあらゆる有性の)種に一定の統一性が見られることにはなんの不思議もない。性が執拗に絶え間なく遺伝子の共有を要求するからである。
さらに時代をさかのぼれば,民族の相違は消滅し,人類は,単一の人種にいきつくことになる。三〇〇〇世代を少しさかのぼれば,我々の祖先はみなアフリカに住む数百万人の狩猟採集民族だったのだ。彼らは,生理学的,心理学的には現代人とまったく変わらない。だから,各民族の平均的個人のあいだの遺伝子に大差はないという結果が生じるのである。
マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.29-30
10万年以上前,地球史上初めての現象がアフリカのある場所で起きた。ある「種」が世代を重ねるごとに,(さほど)遺伝子を変化させずに習慣を蓄積し始めたのだ。これを可能にしたのは交換,すなわちモノやサービスの個体間でのやりとりだった。このことによってこの「種」は,その大きいとされる脳にも収め切れない集団的な外部知性を持つようになった。二つの個体はそれぞれに一つの道具を作ったり,アイデアを思いついたりする術しか知らずとも,どちらも二つの道具やアイデアを持つことができた。単一の個体は一つのことしか理解できずとも,10個の個体が集まれば10を数える物事を理解できた。こうして交換によって専門化が促され,この「種」の習慣はさらにその数を増していった。一方で,各個体がつくり方を知る物の数は減っていった。消費はより多様化し,生産はより専門化した。当初,「種」の文化の累進的発展は緩慢だった。緊密なつながりを保てる個体群の大きさに制限されていたからだ。島の孤立状態や干ばつの被害によって個体数は減り,集団的知性も縮小する。しかし,この「種」はわずかずつその個体数と繁栄度を拡大していった。より多くの習慣を取得すればするほど,より多くの生態的地位(ニッチ)を占有し,より多くの個体を維持できるようになった。より多くの個体を維持すればするほど,より多くの習慣を取得した。より多くの習慣を取得すればするほど,より多くのニッチを生み出せた。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.532-533
どうやら,1700年から1800年のあいだに,日本人は集団で犂を捨てて鍬を選んだようだ。その理由は,役畜より人間のほうが安く使えたことにある。当時は人口急増の時代であり,それを実現したのは生産性の高い水田だった。水田は窒素を固定できる水中の藍藻のおかげで自然に肥沃になるので,肥料がほとんど必要ない(ただし,人間の糞尿はこつこつ集められ,慎重に保存され,念入りに土に施されていた)。豊富な食糧と衛生に対する入念な取り組みのおかげで日本の人口は急増し,土地は不足したが労働力は安かったので,犂を引く牛馬に食べさせる牧草を育てるために貴重な農地を使うより,人間の労働力を使って土地を耕すほうが,文字どおり経済的である状態に達した。そうして日本人は自給自足を強め,見事なまでに技術と交易から手を引き,商人を必要としなくなって,あらゆる技術の市場が衰退した。さらには資本集約的な銃を使うのを止めて,労働集約的な刀を選んだ。優れた日本刀の刀身は強い軟鋼で作られているが,そのもろく硬い刃は,延々と鎚で鍛えられることで恐ろしく鋭利になっている。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.308-309
帝国は,というより政府一般は,初めこそ民衆のためになることをするが,長く続くほど理不尽になる傾向がある。当初,中核となる公益事業を行ない,交易と専門化の障害を取り除くことによって,社会が繁栄する力を高める。チンギス・ハンの大モンゴル帝国でさえも,シルクロードの山賊を撲滅して,ヨーロッパの応接間に置かれる東洋の品々の値段を下げることによって,アジアの陸路貿易を活性化した。しかしその後,中世の地理学者イブン・ハルドゥーンの先例にならってピーター・トゥルチンが論じているように,政府は次第にもっと野心的なエリートを雇うようになる。彼らは民衆の生活に対する干渉を強めることによって,社会が上げる利益からの自分の取り分を増やし,一方で強要する規則を増やし,最終的には金の卵を産むガチョウを殺してしまう。ここには今日に通じる教訓がある。経済学者はすぐに「市場の失敗」を口にする。それはそれで正しいが,もっと大きな脅威を生むのは「政府の失敗」だ。政府が経営するのは独占事業なので,ほとんどが非効率と停滞に陥る。政府機関は顧客サービスよりも予算を膨らませることを考え,圧力団体は仲間のために納税者からたくさん金を搾り取ろうとして政府機関と癒着する。しかしそれでもなお,たいていの知識層は政府にもっといろいろ経営するよう求め,そうすれば,次はどうにかしてもっと理想的な無私無欲の政府になるだろうと決めてかかる。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.283
このような青銅時代の帝国では,商業は繁栄の源であって,繁栄の現れではなかった。にもかかわらず,自由貿易区は帝国に支配されやすい。交易の生んだ富はほどなく,税と規制と独占によって,少数の人びとの贅沢と多数の人びとの弾圧に流用されるようになる。紀元前1500年までに,商業活動が次第に国有化されるにつれ,世界で最も豊かな地域が宮廷社会主義による停滞に沈んでいったと言える。エジプト,ミノス,バビロニア,そして殷の独裁者が支配した社会は,統制が厳しく,官僚支配が行きすぎ,しかも個人の権利が弱く,支配者は技術革新を抑圧し,社会刷新を締め出し,創造性を罰した。青銅時代の帝国が停滞した理由は,国有企業が停滞する理由とまったく同じだ。独占企業では慎重な態度が報われ,実験的な試みは阻まれ,収入は次第に生産者の利益に取られて消費者の利益が犠牲にされるようになる。専制君主によって実現したイノベーションは,イギリスの国有鉄道やアメリカの郵政公社によって実現したイノベーションと同じくらい数が少ない。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.260-261
この教訓は明快そのものだ。自給自足は何万年も前に絶えた。狩猟採集民の比較的素朴なライフスタイルでさえ,大勢の人がアイデアや技能を交換していなければ存在しえないのだ。この概念の重要性はいくら強調しても足りない。人類の成功は,数とつながりがあってこそのもので,その上にかろうじて成り立っている。数百人という人口では,高度なテクノロジーは維持できない。交易は決定的に重要なのだ。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.139-140
捕食者が獲物を完全に捕り尽くしてしまうことは珍しい。獲物が乏しくなると,エレクトゥス・ホミニドもほかの捕食者と同じで,地域の個体数があっさり激減した。そのおかげで獲物は絶滅をまぬがれ,やがてヒト科の動物の数も回復できた。だが,新しくやってきた人類は,イノベーションによってこの問題を回避した。自らのニッチを変え,それまでの獲物を絶滅させても栄え続けることができたのだ。アジアの平原で最後に食べられたマンモスは,ウサギやガゼルのシチューばかりの生活の中で,珍味としてありがたがられたことだろう。現生人類は小型で動きの速い動物を捕まえるために戦術を変えるとともに,前より優れた武器を開発し,そのおかげで,人口密度が高くても生き延びられるようになった。ただしそれには,大型で繁殖に時間がかかる獲物はますます多く絶滅に追い込まれるという代償を伴ったが。大型の獲物を絶滅させながら小型の動物に狙いを移すというこのパターンは,新しいアフリカ出身の人類がどこへ行っても見せる特徴だった。オーストラリアでは人間が到着すると間もなく,サイに似た大型の有袋動物ディプロトドンからジャイアントカンガルーまで,大型の動物種がほとんど絶滅した。南北アメリカでも,人間の到着と時を同じくして,大型で繁殖に時間のかかる動物たちが突然絶滅している。ずっとのち,マダガスカルやニュージーランドでも,人間が移り住むとすぐに大型の動物が大量絶滅を起こした(ちなみに,誇示癖のある男性狩猟者は,なるべく大きな獲物を仕留めて部族内での威信を高めることばかりを考えているから,このような大量絶滅の一因として性淘汰があったことは一考に値する)。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.121-122
物々交換こそ世界を変えた芸当だった。H.G.ウェルズの言葉を借りれば,「私たちは野営地を永遠に引き払い,旅の途についた」のだ。およそ8万年前にはアフリカの大半を制した現生人類は,それでやめにはしなかった。私たちの遺伝子はほとんど信じられないような話を語っている。アフリカ以外で生まれた人全員のミトコンドリアの染色体とY染色体のDNAの変異パターンを調べると,次のような筋書きが実証される。6万5000年ほど前,あるいはそれからそれほど時を経ない時点で,総数わずか数百人程度の一集団がアフリカを離れた。彼らはおそらく,当時は今よりずっと狭かった紅海南端の海峡を渡ったのだろう。それからアラビア半島南岸沿いに広がり,大部分が干上がったペルシア湾を越え,インドと,当時は陸続きだったスリランカの沿岸を通り,ゆっくりと先へ進み,ミャンマー,マレー半島を抜け,そのころはインドネシアの島々の大半が埋め込まれていたスンダと呼ばれる陸塊の岸に沿って広がり,やがてバリ島近くの海峡に至った。だが,彼らはそこでも止まらなかった。きっとカヌーか筏に乗り,少なくとも8つの海峡(最大のものは65キロメートル以上)を漕ぎ渡り,島づたいに進んで,おそらく4万5000年ぐらい前に,オーストラリアとニューギニアが合わさった大陸,サフルにたどり着いた。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.115-116
もう明らかだろうが,私はどちらの説も気に入らない。私に言わせれば,答えは気候や遺伝子,古代の遺跡,いや全面的には「文化」の中にすらなく,経済にある。人間はあることを互いにし始め,それが実質的に集団的知性を作り上げるきっかけとなった。すなわち彼らは,血縁者でも配偶者でもない相手と,初めて物を交換し始めたのだ。だから,ナッサリウスの貝殻が地中海から内陸部にまで至った。その結果,専門化が起き,それがテクノロジーの革新を引き起こし,そのせいでさらに専門化が促進され,交換がいっそう盛んになった。こうして「進歩」が生まれた。彼らはフリードリヒ・ハイエクが「カタラクシー」と呼んだものを思いがけず手に入れた。これは,いったん始まると自らを拡張し続けるプロセスだ。
交換は発明される必要があった。ほとんどの動物は自発的に物を交換したりはしない。ほかのどんな動物種も物々交換をすることは驚くほど珍しい。家族の中での分かち合いはあるし,食べ物と引き換えの交尾は昆虫や類人猿も含めて多くの動物で見られるが,ある動物が血縁関係にない動物から何かと交換で別の物を手に入れるケースはまったくない。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.102
カルロス5世とフェリペ2世の統治下の16世紀スペインでは,ペルーの銀鉱山が生み出した莫大な富が浪費された。それ以後も,思いがけない授かりものを得た国々,とりわけ産油国(ロシア,ベネズエラ,イラク,ナイジェリア)がこれと同じ「資源の呪い」をかけられ,レント・シーキングする専制君主に支配されることになった。そうした国はせっかくの授かりものを活かせず,オランダ,日本,香港,シンガポール,台湾,韓国といった,資源はまったくないもののせっせと貿易と販売に勤しむ国よりも経済成長率が低い。17世紀には冒険的事業家の典型だったオランダ人たちでさえ,あまりに多くの天然ガスを見つけた20世紀後半には,この資源の呪いにやられた。インフレを起こした通貨は,輸出業者を痛めつけ,オランダ病と呼ばれる事態を引き起こした。日本は20世紀の前半,嫉妬心に駆られるように資源の争奪に明け暮れ,破滅したが,世紀の後半は資源なしで貿易と販売に努め,世界一の長寿国になった。2000年代には欧米諸国は,アメリカ合衆国の連邦準備制度理事会(FRB)が私たちに向けて放出した中国の貯蓄という安価な授かりものの使い方を誤った。
マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.62-63
なお,この「神聖病について」の中,および『ヒッポクラテス集典』のいま一つの代表的論文である「古い医術について」の中には,のちの気質論の背景となる<体液>の考え方も示されている。彼らにとって,体液は,プネウマと並んで,その過多や欠乏が身体の状態を左右する重要な要素であったらしい。だが,これを四元素や四季と結びつけ,熱,冷,乾,湿の各比率(程度)の異なる血液,粘液,黄胆汁,黒胆汁の四種に限った有名な<四体液説>の考えは,上述の「神聖病」や「古い医術」の中ではなく,「人間の本性について」という別の短い論文の中で提示されている。元来,ある人々には活力の源となる食物やアルコール飲料が,他の人々にとってはかえって有害であるという経験的事実から出発し,その違いの原因を,身体を構成する物質の配分に求めて到達した結論が,コス派(ヒッポクラテス学派)の体液説である。したがって,そこには身体的個性すなわち<体質>の概念の芽ばえはあるが,四体液説を媒介に,これを4つの<気質>に結びつけて心理学的な気質理論(性格理論)を展開するのは,600年後のガレノスであるとされている。
高橋澪子 (2016). 心の科学史:西洋心理学の背景と実験心理学の誕生 講談社 pp.91
残虐行為には,単純にして恐ろしく,きわめて明白な有用性がある。モンゴルは,かつて抵抗した町や国を徹底的に殲滅したことで有名だったが,ただそれだけで,戦わずして数々の国を降参させることができた。<テロリスト>の語はずばり<恐怖(テロル)を行使する者>という意味である。個人でも国家でも,恐怖を無慈悲かつ効果的に駆使して権力をにぎるのに成功した例は,地理的にも歴史的にも近いところにごろごろしている。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.335
このような現象は,軍事史をひもとけばいたるところに見られる。たとえば戦車(チャリオット)(馬に牽かせる古代の戦車)である。戦車はきわめて長期にわたって戦場を支配してきたが,その理由はしばしば不可解とされてきた。戦術的,経済的,そして力学的に見た場合,戦車はコスト効率のよい戦争の道具とはいえない。にもかかわらず何世紀にもわたって戦場の花形でありつづけたのである。だが,戦車のもたらす心理的影響に目を向ければ,その成功の理由はすぐにわかる。戦車は史上初の組扱いの武器(クルーサーブド・ウェポン)だったのだ。
ここには複数の要因が関わっている。長距離兵器としての弓,射手が高貴の身分だったことによる社会的な距離。戦車は敵を追跡して背後から矢を射かけるのに使われたから,そこから心理的な距離も生まれていた。しかし決定的だったのは,戦車が伝統的に御者と射手との二人乗りだったことだ。ただそれだけのことで,近接度の高い集団内における義務と匿名性が発生していたのである。第二次大戦中,ライフル銃手は15~20パーセントしか発砲しなかったのに,組扱いの武器(機関銃など)では100パーセント近くが発砲されていたのと理由は同じである。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.258-259
第一次大戦の至近距離での塹壕戦は,心理的にも物理的にも手榴弾は使いやすかった。そのため,キーガンおよびホームズによれば「歩兵はライフルで正確な射撃を行うことを忘れていた。おもな武器は手榴弾になっていたのだ」。いまならその理由がわかる。手榴弾が好まれたのは,近距離での殺人,とくに犠牲者の姿を見,声を聞かねばならない場合にくらべると,殺人にともなう心理的トラウマが小さかったからなのだ。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.202
これは興味深いことだが,何ヵ月も連続して戦闘のストレスにさらされるというのは,今世紀の戦場でしか見られない現象だ。前世紀までは,何年も続く攻城戦のときでさえ,戦闘からはずれる休暇期間は非常に長かった。おもに火砲や戦術がまだ未熟だったために,ひとりの人間が数時間以上もつづけて実際の危険にさらされることはめったになかったのだ。戦時には精神的戦闘犠牲者は必ず出るものだが,物理的・兵站的な許容量が増大して,人間の精神的許容量を完全に超えるような長期の戦闘が可能になったのは今世紀に入ってからなのである。
デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.102-103
意外に思うかもしれないが,近代の始まりといわれる時代は,中世キリスト教世界の崩壊とともに,異端とされてきた古代の叡智が復興し,オカルト思想が激動の時代とともに渦巻いていた。俗に「科学的」といわれるような機械論的自然観は,17世紀のニュートン力学の登場以降に確立されていくものである。
ニュートンののち,18世紀にオカルト思想の考え方を生物学に活かそうとしていたのが,科学者にして芸術家のゲーテであった。たとえば,ゲーテの『ファウスト』は当時のオカルト思想の状況をうまく伝えている。
20世紀には,精神分析学の権威ユングが,そのようなオカルト思想を人間の内面で起こる現象として捉え,集合的無意識で読み解こうと試みている。そう考えると,1950年代にユングがUFO現象に古きオカルト思想の蘇生を感じ取り,遺作となる『空飛ぶ円盤』を著したのも頷けるのである。
神秘体験と呼ばれるものは,古くは「天使」「妖精」「人魚」などによって説明されたが,現代は「宇宙人」「超能力」「心霊現象」などにとってかわられているともいえるだろう。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.7