この研究の歴史には,もう1つ面白いおまけがある。1980年代後半,うつ病に罹った多くのドイツ人がセイヨウオトギリソウ(Hypericum perforatum,通称セント・ジョンズ・ワート)という植物に救いを求めた。ドイツの研究者らはこの薬草の二重盲検試験を開始し,その結果の概要が1996年のBritish Medical Journal誌に掲載された。13件のプラセボ対照試験において,セント・ジョンズ・ワートを服用した患者の55パーセントが有意な改善を示したのに対し,プラセボ投与患者では22パーセントだった。この薬草は直接比較でも抗うつ薬に優り,直接比較した試験では投薬患者の改善率が55パーセントであったのに対し,薬草を服用した患者の改善率は66パーセントだった。ドイツではセント・ジョンズ・ワートは効果的だったが,アメリカ人にも同じ効力を示すのだろうか?2001年,アメリカの11施設の精神科医は,セント・ジョンズ・ワートに全く効果はないと報告した。この薬草を服用した外来うつ病患者のうち,8週間の試験で改善を示したのは15パーセントに過ぎなかった。だが——これが興味深い点だが——この試験ではプラセボ患者の改善率もわずか5パーセントと,通常のプラセボ反応をはるかに下回った。アメリカの研究者らは,薬草の効果が証明されないよう,どんな患者であれ改善してほしくなかったように思われる。だがその後,NIHの出資によりセント・ジョンズ・ワートに対し2回目の臨床治験が行われた。この試験のデザインは,抗鬱薬をえこひいきしたがる研究者にとって事態を複雑にするものだった。NIHの試験では,セント・ジョンズ・ワートをゾロフトとプラセボの両方と比較したのだ。薬草には口内乾燥などの副作用があるため,少なくとも活性プラセボと同程度の作用をもたらすと想定された。精神科医も副作用を手がかりに患者が何を服用したか知ることができなかったため,そういう意味ではこの試験は心の盲検試験だった。結果は次のようなものだった。セント・ジョンズ・ワートを服用した患者のうち「完全反応」を示したのは24パーセントであったのに対し,ゾロフト群では25パーセント,プラセボ群では32パーセントだった。「この試験によって,中程度のうつ病におけるセイヨウオトギリソウの有効性を裏付けることはできない」と研究者らは結論づけたが,実は抗うつ薬もこの試験で失格となった事実には触れなかった。
統合失調症は現在,基本的に生涯続く慢性疾患と考えられており,この理解の発端を作ったのはドイツの精神科医エミール・クラペリンの研究だった。1800年代末,彼はエストニアの精神病院の患者の転帰を体系的に追跡調査し,確実に認知症へと悪化する特定の集団の存在を突き止めた。彼らは,入院時に感情の欠如を示した患者だった。多くが緊張病性で自分の世界に閉じこもり,往々にして粗大運動に問題が見られた。奇妙な歩き方をし,顔面チックと筋けいれんがあり,意思をもって身体活動を行うことができなかった。クレペリンは1899年の著書Lehrbuch der Psychiatrieの中で,こうした患者を「早発性痴呆」と記述し,1908年にスイスの精神科医オイゲン・ブロイラーが,この荒廃した状態の患者を指す新たな診断名として「統合失調症」という用語を作りだした。 だがイギリスの歴史家メアリー・ボイルが,1990年の論文「統合失調症だったのか? クレペリンとブロイラーの集団の再分析」で説得力をもって論じたように,クレペリンの「早発性痴呆」の患者の多くは疑いなく,1800年代末には未特定であったウイルス性疾患,嗜眠性脳炎に罹患していた。この病気はせん妄状態や昏迷を引き起こし,患者はぎこちない歩き方をようになる。オーストリアの神経科医コンスタンチン・フォン・エコノモが1917年にこの病気を記述すると,嗜眠性脳炎の患者は「統合失調症」集団から除外された。その後に残った患者集団は,クレペリンの早発性痴呆集団と全くかけ離れていた。「疎通性がなく,緊張病性昏迷を示し,知能が低下する」タイプの統合失調症患者は,ほぼ姿を消した,とボイルは指摘する。その結果,1920年代〜30年代の精神医学の教科書に掲載された統合失調症の記述が変化した。脂っぽい肌,奇妙な歩行,筋けいれん,顔面チックなどの従来の身体症状は全て,診断マニュアルから消え,残ったのは幻覚,妄想,奇異な思考といった精神症状だった。「統合失調症の指示対象が徐々に変化し,この診断名が最終的には,クレペリンの症状と表面的にもほとんど類似点がない集団に適用されるようになった」とボイルは記している。