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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「臨床心理学」の記事一覧

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自殺が少ない地域の7つの原則

(1)即座に助ける
 (2)ソーシャルネットワークの見方
 (3)柔軟かつ機動的に
 (4)責任の所在の明確化
 (5)心理的なつながりの連続性
 (6)不確かに耐える/寛容
 (7)対話主義

 私がオープンダイアローグを知ったのは自殺希少地域の旅を開始した後だった。自殺希少地域で気付いたこと聞いたことをノートにしながらまとめていくと,この7つの原則の存在を感じることになった。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.184
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意思確認が逆効果になるとき

弱っているひとの意思を聞くことは時には間違うことがある。弱っているからこそ本当は助けてほしいと思っていても助けてと言えなくなる。意向を質問すればするほど拒否していく。弱っているときは,「入っていいですか?」と聞くのではなく,「助けに来たよ」と入っていく。それでも断られるのであれば,それは本人が本当に嫌だということである。しかしたいていは,「ああ,ありがとう」と言う。契約とか金銭のこととか制度が絡むとややこしいことになるのだが,ひとの営みのことではそれは当然のことなのだ。契約が関係して契約が結べないことが心配だったら,そこは無償でやったらいい。支援者の仕事は相手を助けることだ。お金は目的ではない。お金は仕事を続けるための責任ではある。だからといって,お金をもらう契約が結べなかったら助けることができないのであれば本末転倒になってしまう。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.130

男女平等だと思っている

とはいえ,日本をひとくくりにするとそういう結果になるわけだが,男女の平等さは地域によってもちろん違う。そして自殺希少地域では,おおむね男女平等だと思っているいるひとが多い印象である。私たちはそのことも直接地元のひとたちに聞いた。
 質問方法は単純だ。この地域は「男女は平等ですか?」と男性にも女性にも聞く。そして,「平等だね」とこうした地域のひとは答える。たくさんの人数に聞いたわけではないからはっきりとは言えないが,今のところ聞けたひとは「平等だね」と答えている。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.111

防止と予防

防止というのは,自殺の具体的な手段から遠ざかる方法である。例えば,ビル屋上のフェンスの高さを何メートル以上にすると飛び降りるひとがいないとか,地下鉄などにあるホームドアなどがあげられる。主にハード面での対策が考えられる。自殺に至る前の段階の敷居を高めることで実際の行動を思いとどまるひとが増える。
 予防は……これはさまざまだ。例えば,飲酒は,1日40グラム以上のアルコール(日本酒で2合程度)を毎日摂取すると,そうではないひとに比べて自殺で亡くなるひとの割合がぐっと増えるので,60グラムを大量飲酒と考えて大量飲酒はやめましょうという予防対策が出てくる。
 つまりは,今,予防の話をしているのか,防止の話をしているのかを分けて考えることが考えを整理し対策を考えるときに大事だという話だ。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.25-26

うつ病と自殺

例えば「うつ病」は自殺の原因のひとつになるというわけだが,うつ病を患うひとの中では自殺で亡くならないひとのほうがずっと多い。うつ病になっても精神科に通わずに自分で回復する人もおそらく多い。うつ病対策をしようとして,その状態にある人を発見することと,発見したら精神科につないで診断を受けさせて薬を飲ませるという流れが本当にひとを助けるのかは誰にもわからない。もしかしたら,担当した精神科医によってその差は驚くほど大きくなるかもしれない。
 原因がうつ病だとした時に,それを解決する手段の確かさを明らかにできないのである。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.21

65%の障壁

抗うつ剤のための処方せんの大半は,残念ながら中程度と軽度の患者のためにのみ書かれる。抗うつ剤がプラセボに比べて20パーセントも効果があるというのは,薬の効用を寛容なまでに最大限見積もってのことである。症状が改善する患者の比率に注目しても,患者自身における症状改善の比率に注目しても,この65パーセントという数字は繰り返し現れる。私はこの問題を「65パーセントの障壁(バリア)」と呼んでいる。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.91

今この瞬間

マインドフルネスとは,今この瞬間のみが自分が手にできるもののすべてであることを理解し,「今」を人生の最大の焦点とすることである。ふだん,私たちは過去と未来ばかりに生きており,「今」にはちょっと立ち寄るぐらいで過ごしているが,「今」にこそ自分の居場所を据えて,人生の現実的側面に対処する必要がある時だけ過去や未来をちょっと訪れるというのがマインドフルネスなのだ。
 それは今この瞬間にいつもイエスと言い,人生にイエスと言うこと,現実に身を任せ,受け入れて行動すること。「今・この瞬間」に注意を注ぎ続けることで「今」に感謝し,意識的に生きる技法だと言ってもよいだろう。

スティーヴン・マーフィ重松 坂井純子(訳) (2016). スタンフォード大学 マインドフルネス教室 講談社 pp.38.

幸福に気づかせてくれる

マインドフルネスはすでに私たちの暮らしのなかにある幸福に気づかせてくれる力なのだ。それは日常生活の一瞬一瞬に存在している。あなたが息を吸い込む時にその呼吸を意識するなら,生きている奇跡に触れることになる。マインドフルネスが幸福と喜びの源であるとはそういうことだ。
 現実には,ほとんどの人が多くの時間をその場に十分に存在することを意識せずに過ごしている。不安,恐れ,怒り,後悔の念などに囚われマインドフルになれずにいる。体はここにあっても,あなたが本当にここにいるわけではない。過去や未来に囚われてしまっている。「今・この瞬間」に存在して人生を深く送ることができていない。

スティーヴン・マーフィ重松 坂井純子(訳) (2016). スタンフォード大学 マインドフルネス教室 講談社 pp.36-37

イルカセラピーの是非

イルカセラピーは障がいに対する効果的な治療法だと賛同者たちは主張するけれど,ロリとスコットはそういう主張にはたしかな科学的根拠がないと切り返す。ふたりはそれがまったくのエセ科学であると断じている。ふたりは,イルカセラピーは科学的にはデタラメにすぎないとバッサリ切って捨てるだけでは飽きたらず,イルカをダシに使うこの商売を廃業に追いやりたいと考えた。そこでふたりはイルカセラピーを「危ない流行」と呼んだ。一時的流行だと言うならわかるけれど,なぜ「危ない」とまで言えるのか?もしもそうする余裕があるなら,子どもに人生のなかで数週間ほどイルカと戯れるささやかな喜びを与えてなにが悪いの?なんの害もないように思われるが?
 ロリは同意しない。彼女はこの「セラピー」が人間と動物の両方を危険にさらしていることを指摘する。たとえ相手が癒しを求める子どもであっても,イルカは攻撃的になることがある。最近の研究によれば,かいせいほにゅうるいを仕事で扱う400人強のうちの半数が外傷を負い,イルカセラピー・プログラムの参加者もイルカに叩かれたり,噛まれたり,激しく体当たりされたり(この場合,ろっ骨が折れたり,肺が破裂したりする)していることが明らかになっている。イルカから皮膚病をうつされるケースもある。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.28-29

躁状態の人

躁状態では気分が盛り上がり,心身に力が漲り,自信に満ち溢れて尊大となる。むやみに強気となり,目立ちたがり,無謀なことにも躊躇しなくなり,後先を考慮せず,自己中心的で攻撃的かつ自画自賛の傾向を示す。せっかちになり,気は大きくなり,次々に素晴らしいアイディアが湧いてくるような錯覚が生ずる。
 躁状態の人はまことに扱いづらい。一見したところは上機嫌だが,思い通りにならないとたちまち怒鳴り出す。露骨に苛立ちを示し,他人の都合など一切顧みることがない。忠告には耳を貸さず,常に自分は正しいと信じている。慎みを失い,欲望を剥き出しにし,羞恥心とは無縁となる。

春日武彦 (2012). 自己愛な人たち 講談社 pp.59

社会的判断

社会的行動理論の視点では,精神疾患,不適応,異常といった用語は,行動を示す人の内部に存在する仮定的な疾患や,特性または状態を指すのではなく,すべて人間の行動に対する社会的判断を意味するものである。「適切な」社会化や適応に関して言われていることには,個人が社会的に期待され,認められている行動をどの程度おこなうか,についての判断が関係している。こうした判断はまた,その人が文化的に是認された目標や行動をどの程度評価するか,という推理にしばしば左右される。不適応,逸脱,人格障害についての言明には,それに反して,個人の行動がその人自身や他人にとって,どの程度有害な,あるいは不都合な結果を生み出すかについての推断が関係する。

ウォルター・ミシェル 詫摩武俊(監訳) (1992). パーソナリティの理論:状況主義的アプローチ 誠信書房 pp.210
(Mischel, W. (1968). Personality and assessment. New York: John Wiley & Sons.)

臨床障害の判定

一般に,臨床障害の有無の判定には,少なくとも9つの基準がある。それには,統計的な頻度の低さ,社会規範からの逸脱,理想的な心の健康状態からの逸脱などが含まれる。犯罪をこの基準に照らすと,「常習的な犯罪は比較的少ない」「犯罪は社会規範からの逸脱そのものである」「犯罪者の心の健康状態は理想的であるとはとても言えない」。それに加えて,自己や他者に与える苦痛や苦悩,あるいは社会,職業,行動,学習,認知における障害,さらにはこれまでに見てきた脳などの器官の数々の機能不全を考慮に入れれば,暴力犯罪を臨床障害と見なせることは明らかだ。もちろん,個々の基準をそれだけで取り上げれば,そのほとんどには相応の弱点があるが,それらを組み合わせれば,暴力犯罪の精神病理学的全体像を描くのに大いに役立つ。常習的な犯罪はこれらの基準を満たし,実際のところDSMに収録されているほとんどの障害と同様に,もしくはいくつかの障害よりもうまく当てはまる。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.502-503

瞑想の効果

マインドフルネス・トレーニングによって,脳に短期的,長期的双方の変化をもたらせることを示した神経科学の研究を振り返ってみれば,瞑想に効果があることはよく理解できるはずだ。瞑想は,左前頭葉を活性化する。それは,何かポジティブな情動を感じると左前頭葉の活動が活性化し,不安が低減するという事実にも合致する。また瞑想は,前頭葉の皮質の厚さを増大させる。この脳領域が,情動のコントロールに重要な役割を果たし,犯罪者においては構造的にも機能的にも損なわれていることはすでに見た。加えて瞑想は,道徳的判断,注意,学習,記憶を司る脳領域を強化する。犯罪者がこれらの認知機能に問題を抱えていることもすでに見た。総括すると,瞑想は,犯罪者においては機能不全をきたしている脳領域を改善する。だから暴力の緩和に役立つのだ。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.448

睡眠不足の影響

2011年,アメリカ疾病対策予防センターは大規模な研究を行い,ティーンの睡眠不足と,喫煙,飲酒,大麻吸引など不健康な習慣の増加に,相関が見られることを発見した。イタリアの研究者も同様の結果を報告している。睡眠不足は,ティーンの生活のあらゆる側面に悪影響を及ぼすようだ。

 生理学的には,以下のような悪影響が出る。
*ストレスで肌が荒れ,にきびや乾癬などができる
*過食したり,不健康なものを食べたりしがちになる
*スポーツで怪我をする
*高血圧になる
*深刻な病気にかかりやすい

 感情面には,以下のような悪影響が出る。
*攻撃的になる
*いらいらする
*衝動的で状況をわきまえない
*自尊心が低い
*気分のムラが大きい

 認知面には,以下のような悪影響が出る。
*学習能力が低下する
*創造力が働かない
*問題解決に時間がかかる
*物忘れがひどくなる

フランシス・ジェンセン エイミー・エリス・ナット 渡辺久子(訳) (2015). 10代の脳:反抗期と思春期の子どもにどう対処するか 文藝春秋 pp. 112-113
(Jensen, F. E. & Nutt, A. E. (2015). The teenage brain: A neuroscientist’s survival guide to raising adolescents and young adults. New York: Harper.)

社会的励ましと自尊心

興味深いのは,そもそも,そんな行為が”ねぎらわれる”ことだ。強迫性障害を持つ人の障害がねぎらいの対象になることはほぼないが,ファームビルでは,無意味で反復的な強迫性障害タイプの行為が,眉をひそめられるどころか激励される。こういったソフトウェアが,社会的な励ましと自尊心をくすぐるメッセージというちょっとしたフィックスをユーザーに浴びせかけるのも偶然ではない。
 見逃せないのは,ゲームとは関係のないソフトウェア企業も,このようなトリックを取り入れるようになったことだ。現代のアプリケーションは,1時間に何十個ものちょっとした高揚感を提供するように作られている。そして,パソコンでは,スカイプ,ツイッター,電子メール,フェイスブックをはじめ,通信コンポーネントをそなえたありとあらゆるソフトウェアからの押しつけがましい通知が,山のように表示されるようになってきた。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 235

不安と衝動

心の問題には多数の種類があります。じつは,心の問題について,似たもの同士を整理すると,大きくふたつに分かれるという研究があります。
 ひとつは,「背景に不安があるもの」,もうひとつは,「衝動を抑えられないことを特徴とするもの」であるというのです。したがって,すべての心の問題は不安が主な要因であるとはいえません。
 反社会的なタイプの心の問題は,不安よりも衝動のコントロールを問題とするグループに入っています。つまり,こと反社会的なパーソナリティを背景とする犯罪は,不安が主な要因ではないことが多いのです。

杉浦義典 (2015). 他人を傷つけても平気な人たち 河出書房新社 pp.33

マインドフル思考

世の中には,「マインドフルネス」に関する本や,「非合理的思考」についての本も数多く出ている。全体性を備えた人間として最適に機能するにはどうすればいいかを,私たちは現在もなお学び続けているということだ。だが,これまで述べてきた一連の優れた研究は,複雑な判断をこなすためのもっとも効率的な方法を示唆している。それは「意識的思考」と「無意識の思考」の両方を,この順番で臨機応変に活用することである。選択肢が多くて高い認知能力を要する状況における,最良の決断法は次のようなものだ。

1 短い時間,状況をマインドフルに思考する。
2 考えることをやめる
3 思考を温める間,何かまったく無関係の活動をする
4 決断する

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.197-198

マインドフルネストレーニング

簡単な瞑想やマインドフルネスのエクササイズにも,実行機能をおおいに向上させる効果がある。「マインドフルネス・トレーニング」は,人が今この瞬間に注意を集中させるのを助け,沸き起こってくる感情や感覚や考えの1つひとつにたやすく気づき,偏った判断をせず,細かい説明は求めずに,体験することは何でも受け入れ,認めることを目指す。1日に約20分のトレーニングを5日間した若い成人のグループは,短い瞑想と組み合わせたこのエクササイズのおかげで,標準的なリラクゼーション・トレーニングに同じ時間をかけた対照群と比べてネガティブな感情が減り,疲れが和らぎ,ストレスへの心理的な反応や生理的な反応が軽減した。また,マインドフルネス・トレーニングをすると,雑念が減り,集中力が高まり,アメリカの多くの大学院が入学の条件として採用している大学院進学適性試験のような標準試験での学生の点数が上がった。
 同様に,正常な成人の脳や老齢期の脳も,実行機能を高める比較的簡単な介入による恩恵にあずかれる。とりわけ注目すべきものが2つある。1つは身体的なエクササイズで,ほどほどの量や短時間の場合でも効果がある。もう1つは,孤独を最小限に抑えたり,社会的な支援をもたらしたり,他人との絆やつながりを強めたりする介入で,そういうものならば事実上何でも効果がある。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.263-264

「発達の遅れ」という概念

実をいうと,「精神薄弱」の客観的定義と科学的診断は,今世紀初頭では,きわめてむずかしい課題の1つだった。その定義は,人それぞれによりまちまちだったし,また1人の学者が,その場その場で基準を変えるといったように,安定した正確な基準は,存在していなかった。このとき,ビネーが,年齢尺度という基準を提案したのである。
 ビネー・テストでは,知能がその発達により測定され,知能程度は年齢の高低であらわされる。だから,精神薄弱とは,正常児に追いつくことができないくらい発達の遅れている者だ。正常児も精神薄弱児も,同じ梯子をよじ登っていくだが,その速さがちがう。精神薄弱児は,ゆっくりとよじのぼり,途中で止まってしまう子どもである。だから,同じ梯子(共通尺度)の上での現在の位置を知ることにより,精神薄弱児を選別することができるというのである。ここから,のちの心理学者がおこなったような,おくれた子どもの知能と幼い年齢の子どもの知能との同一視が生じる。ビネー以降につくられた大部分の発達テストは,こうした見地に立っているのである。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.63-64

フラッシュバックと時代

キングス・カレッジ病院の精神科医であるサイモン・ウェセリー教授によると,PTSDと診断された元軍人の多くは,フラッシュバック(無意識のうちに,過去の記憶がきわめてリアルに思い出されること)などの症状を訴えている。実を言えば,それは新しい医学的現象で,第一次世界大戦後の時代にはまだ知られていなかったし,当然ながら,そんな症状を報告する人はひとりもいなかった。したがって,それを報告する人が出てきたのは,フラッシュバックを描いたテレビや映画のせいではないか,と疑う識者もいる。ある心理実験(被験者の家族に「子どもの頃ショッピングモールで迷子になった」という嘘の証言をしてもらうことで,被験者に嘘の記憶を埋めこむことに成功した)は,トラウマになるような子ども時代の記憶が,たとえ偽りであっても,容易に多くの人に埋め込まれることを示した。その影響されやすい人々は,真実を告げられても,信じようとしないのだ。
 このことは,現実の記憶と,でっちあげられたトラウマの記憶を区別することがいかに難しいかを示している。原因が何であれ,それが現実なのだ。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.163

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