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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「臨床心理学」の記事一覧

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うつ病や統合失調症の病因遺伝子

 現在,医学者たちのなかに,「精神分裂病」や「躁うつ病」のような精神病にも“病因遺伝子”が存在しているはずだ,という信仰が広まっている。だがそうした「病因遺伝子」は“アルコール中毒症の原因遺伝子”と同様に,存在さえ疑わしいのである。マスコミは凝りもせず“精神分裂病の遺伝子を発見”などという報道を繰り返しているが,たとえば同一の遺伝子を備えた一卵性双生児でさえ,兄弟(または姉妹)が二人そろって「精神分裂病」を発症させる確率は30%程度にすぎない。つまり,遺伝子構成がまったく同じ二人の間でさえ,60〜70%(ということは大部分)は,一方が「精神分裂病」になってももう一方は全然発症せずにすんでいる。ありふれた“一親等”(親子関係)の家族で,親が「精神分裂病」に罹っている場合に実子にも発症する確率でも,せいぜい5%にすぎない。(もちろん,この5%の人たちは,遺伝よりも環境要因が原因で発症した可能性も考えられる。)
 行動心理学者のロバート・プロミンとおよびデニース・ダニエルは,こうした観察事実が意味する内容を,次のようにまとめている----「人間の心理面の発達は,環境の影響を受けています。環境の影響によって,同じ家族に育った子どもたちでも,別々の家庭で育った子どもたちのように,一人一人が違う個性を育んでいくのです」。これはちょっと極端な“環境決定論”にも見えるが,家系図に描かれた“精神病患者”の出現状況や遺伝学の情報だけで特定個人に“行動障害”を将来予測するのが(仮に不可能でないとしても)容易でないことは,十分に理解できるはずだ。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.270-271

引用者注1:2002年よりschizophreniaは精神分裂病ではなく「統合失調症」と訳されるようになっている。
引用者注2:ロバート・プロミンは行動心理学者というよりも「行動遺伝学者」と言った方がよいかもしれない。また,彼らの発言内容は,「心理的形質に対する共有環境の影響力が小さいこと」を表したものと思われるため,ここでの引用が適切であるかどうかについては疑問が残る。
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うつ病が遺伝する証拠?

 『グローヴ』紙に載った第4の記事は,遺伝学の研究がときおり迷いこむ危険で,なおかつイカガワしい“結論”の,極端な例といえよう。「うつ病が災いをもたらす?」と題したこの記事は,行動遺伝学者リンカーン・イーヴズが行なった研究の“成果”を報じたものである。もっとも,これは双子の女性1200組を対象にさまざまな研究者が行なった調査の,ほんの一部にすぎない。被験者の双子1200組は,全員,この研究者たちから「うつ病の傾向がある」と判定された人たちだった。イーヴズ博士は世間に向かって,自分は“うつ病が遺伝によって起こるという証拠”を発見した,と吹聴していた。ところが,その肝心の“証拠”は彼の論文には一言も出てこない。
 イーヴズ博士は被験者集団にアンケート調査を実施した。「強姦,暴行,職場解雇などの,心に傷が残るような辛い目にあったことがあるかどうか」を尋ねたという。その結果わかったのは,抑うつ状態が慢性的に続いている人はそうでない人よりも辛い経験をしていた,ということだった。この女性たちの抑うつ状態は,むやみに「遺伝性」のものだなどと信じこまぬかぎり,辛い体験に打ちのめされて起きたものだと容易に見当がつく。ところが,この学者は「遺伝」のことしか眼中になかった。それゆえ彼は,かくも奇妙な結論へと突き進んでしまった。「(これら女性たちの)抑うつ的な思考と態度が,本来偶然にしか起きないはずの諸々の不幸を招き寄せた可能性があることが,示唆される。」
 あきれてものが言えない!この女性たちは強姦,暴行,職場解雇などの,心に傷が残るような辛い目にあった。そしてどん底に落ち込んだ。経験が辛いものであるほど,精神的な落ち込みは長く続いた。----こうした“データ”からいったいどうしたら「うつ病が災いをもたらす」という解釈が出てくるのか?この“行動遺伝学者”は,フットボール選手が人並み以上によく骨折するのを見て,「人並み以上によく折れる骨が,そうした骨の持ち主をフットボールに駆り立てるのである」という結論を出すのであろうか?


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.45-46

絵が上手くても芸術とは呼べない

 自閉症で,しかも精神に障害を負ったスティーヴンは,サヴァンでもある。ごく幼いころから,才能ある芸術家ですら何年もかけて習得するような技量で,町や建物を描くことができた。とくに遠近画法における彼の卓越した技能は驚異的だ。1987年にBBCが彼のドキュメンタリー番組を制作したあと,彼の画集が何冊も出版された。『浮かぶ都市』に収録されてる作品は,ヴェネツィア,アムステルダム,レニングラード(現在はサンクトペテルブルグ),モスクワで描かれた。彼は,アムステルダムはヴェネツィアより美しいという。「車があるから」だそうだ。
 スティーヴンは,天性のバランス感覚で,すばやく正確に描く。彼はアムステルダムの西教会の絵を,2時間足らずで描きあげた。彼は,建物構造の輪郭線を使う必要もなく,定規なしで,消尽点(ヴァニシング・ポイント)も使わずにフリーハンドで描く。彼が絵を描くのを見た人は誰でも,「製図機械」にそっくりだと思わずにいられない。彼の動作には何のためらいもないばかりか,じっくり考えることもしない。ときおり遠くから画用紙を見て釣り合いをチェックするというようなこともなく,すべての部分が同じスピードと正確さで描かれる。描きながら鼻歌を歌ったりぶつぶついったりするので,ますます製図機械を連想させる。もし彼がときどき何かぶつぶついわなければ,見ている者は自分がグラフィック用コンピュータのプリンターのそばに座っているような気になるだろう。
 けれども彼の絵は,彼の限界をも物語っている。彼の絵に欠けているのは解釈であり,雰囲気である。建物の絵のなかには,光り輝く春の朝に描かれたものもあれば,秋の午後に描かれたものもあるのに,彼の絵にはそれが何ひとつ反映されていない。光も影も,部分的に強調された描写も,まったく見えない。建物のどちら側に陽が当たっているかも,そもそも太陽が照っているかどうかもわからない。背景もなく,雲もない。スティーヴンのスケッチブックには,夕闇のなかの荒涼とした家も,不気味な家もない。彼の絵を,姓名不詳の巨匠が描いた西教会の線描画と比べてみれば,その違いがはっきりする。この巨匠の作品は,独特の雰囲気に満ちている。スティーヴンは,縦横様々な線から構成された単なる空間を描く。もし芸術的才能というものが作品に解釈を導入する能力だとするなら,スティーヴンの絵は真の意味での芸術とは呼べないかもしれない。彼の描く建物のファサード(建物前面)は,実物の空間的構造と一致する。彼の絵はまったく形象描写的であり,具象的である。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.114-115

夢分析の落とし穴

 とはいえ,夢を読み解くことは,「ヘビが出てきたら,それはこういう意味である」などといった辞書式の定義に頼ってできる作業ではない。その定義が,フロイトの理論にもとづくものだろうと,古代中国の夢占いによるものだろうと,書店の棚に並ぶ流行の夢占い本から引っ張りだしてきたものだろうと,同じことだ。こうした単純なやり方で夢を解釈する慣行は,古代ギリシャからあった。紀元1世紀にアルテミドロスはギリシャ,イタリア,それにアジアの一部を旅して,多くの人々から夢の話を聞き集め,五巻の夢事典を編集した。これが夢解釈の最古の文献である。このアルテミドロスの時代から現代にいたるまで,夢解釈の本はすべて,夢に出てくるモチーフは何かのシンボルであり,そのシンボルは普遍的な意味をもつということを前提にしている。たとえばフロイトは夢の中で歯が抜けるのは去勢を意味すると述べているが,古代中国の夢占いでは同じモチーフが父親か母親が危ない目にあっているというお告げだとされている。
 こうしたワンパターンの解釈には共通の落とし穴がある。それを夢研究者のホールは次のように指摘する。「アルテミドロスは,チーズを食べる夢を見ると得をすると書いている。たまたまそういうケースがあったとも,夢を見る人の状況やどんな文脈でチーズを食べるかによるとも書いていない。チーズを食べる夢は一義的,普遍的に,時代を超えて常に1つの意味しかもたないとされる。このようにシンボルとそれが意味する事柄をイコールで結ぶ説明が,夢占い本の人気につながっているそこには例外もなければ,条件も付かず,判断したり区別したりする必要がない。お手軽な夢占い本があれば,だれでも簡単に夢を読み解き,未来を占えるというわけだ」

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.201-202

夢はトラウマを軽減する

 ハートマンによれば,夢は感情を視覚的な形式で「なんらかの文脈に置く」役目を果たす。竜巻や大波は圧倒的な恐怖感のメタファーとして,よく出てくるモチーフだ。ハートマンの被験者のうち,火災にあった数人は,当初は火事の夢を見たが,その後大波に襲われたり,ギャングに追われる夢を見るようになったという。
 トラウマが徐々に解消していく過程で(夢を見ている間に行われる感情処理が,解消に大きく貢献する),夢は変化していくが,その変化には決まったパターンが見られる。初めのうちは,トラウマをもたらした出来事が鮮明かつドラマティックに再現されるが,その際少なくとも1つ,大きな要素が変えられ,現実にはなかったことが挿入される。その後かなり早い段階で,トラウマを構成する要素とそれと感情的に関連がありそうな他の情報や自伝的記憶を結びつける夢を見はじめる。多くの場合は,実際に受けたトラウマに関連して,無力感や罪の意識など共通の感情を伴う,さまざまなトラウマ体験の夢を見る。他の人が亡くなったり,傷ついたのに,自分だけが助かった場合,罪の意識が現れた夢を必ずと言っていいほど見る。たとえば家が火災にあい,兄が焼死して自分だけが助かったというある男性は,「ほとんど毎晩のように兄に傷つけられるか,事故にあって自分だけが傷つき,兄が無傷で助かる夢を見る」と話している。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.178-179

夢は感情を調整する

 60人の健康な成人とうつ病と診断された70人の夢を比較した1998年の調査にもとづいて,カートライトは次のように述べる。ほとんどの場合,その夜の最初のレム睡眠で見る夢がもっとも強くネガティブな感情を帯び,2回目,3回目と回を重ねるごとに,夢は感情的によりポジティブになり,遠い過去までさかのぼった自伝的な記憶の断片が入り交じるようになる。他の研究チームの調査でも,子供の頃の記憶が夢に出てくるのは,寝入ってからかなり時間が経ち,体温がいちばん低くなるときだという結果が出ている。
 「恋愛問題でも何でもいいけれど,何か悩みごとをかかえたまま眠る。すると,脳はその情報をとりあげ,同じような感情を伴う記憶のネットワークからそれに合う経験を探して,その上に新しい情報を重ねます。レム睡眠の回が重なるにつれ,夢の筋書きはより複雑になり,今の現実からますますかけ離れた,より古いイメージが入り交じったものになります」と,カートライトは言う。「たとえば上司とそりが合わないという悩みを扱った夢に小学校の1年生のときの教師がひょっこり出てきたりする。眠ってから時間が経つにつれて,夢はしだいに楽しいものになります。最後のレム睡眠までに,あなたの脳が長期記憶の中から解決策を見つければ,つまり,今の感情と似たような感情を抱いたけれど,結果的には物事がうまくいった経験を見つけだせば,朝目がさめたときには気分がよくなっているでしょう」

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 p.166

子どもへの悪影響

 包括システムはしばしばまちがった結果を生じるので,それを用いると子どもの生活にとってきわめて悪い結果をもたらす可能性がある。心理学者が,異常ありというテスト結果を無批判に正しいものとして受け入れてしまうと,事態は最悪である。もしこのまちがった情報が親や教師,医師に伝えられると,健康であるか,または大したことではない心理的問題を抱えているだけの子どもが,深刻な障害をもっているとみなされてしまうことになるかもしれない。場合によっては,この誤った情報のために,子どもに向精神治療薬や,他の不適切な介入が行なわれることになるかもしれない。
 たとえこのテスト結果が正しくないことが認識される場合でも,有害な結果になってしまう可能性がある。最近ある心理学者がインターネット・リストに,包括システムによってきわめて異常であるとまちがって判定された少年をめぐる彼の経験を詳しく述べている。この心理学者は賢明にもこのテスト結果を軽視した。しかし「不幸なことに,あるソーシャルワーカーが[ロールシャッハテストの]印刷出力を手に入れて,この少年が統合失調症であるという問題をもち出してしまった。まったくひどいことになったものだ」。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.242
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

ロールシャッハテストの過剰病理化の例

 皮肉なことに,エクスナーの本には,包括システムの過剰病理化のおそらくもっとも顕著な例が載っている。ロングアイランド大学のビアトリス・ミットマン(Mittman, B.)は,1980年代初めにエクスナーの指導のもとで研究を行ない,ロールシャッハ・プロトコルを,ロールシャッハ・ワークショップに参加したことがある90人に送った。これらの心理学者たちはプロトコルを,「正常」を含むいくつかの診断カテゴリーに分類するように求められた。プロトコルのほとんどは精神病患者のものだったが,いくらかの非患者の大人のものも含まれていた。
 ミットマンが得たのは困った結果だった。全体的に,包括システムを用いた心理学者たちは,明らかに正常と思われる人々の75%以上を精神病者と診断したのである。もっとも多く与えられたまちがった診断はうつ病,その他の情緒障害,人格障害などであった。たとえば心理学者たちは,非患者のプロトコルの12%を「主要情緒障害」に,23%を「反応性うつ病」,43%を「人格障害」に分類した。これらの結果は,心理学者が明らかにロールシャッハテストを用いると異常を過大に評価する傾向があることを最初に明らかにした1950年代の研究を思い起こさせる。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 pp.210-211
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

臨床場面でロールシャッハテストをやめるべきという意見

 ジェンセンは,彼のレビューの最後で,心理学者は臨床現場ではロールシャッハテストの使用をやめるべきであり,大学院課程ではそれを教えることをやめるべきであるという,当時としては衝撃的な提案を行なった。ジェンセンは,おそらくこの提案が読者の多くを憤慨させるだろうと予測して,現在までロールシャッハテストにつきまとうことになる有名な皮肉でレビューの結びとした。「臨床心理学における科学的進歩の速度は,ロールシャッハテストをいかにすみやかに,いかに完全に捨て去ることができるかによって測られるだろう」

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.165
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

当たるようにみえるわけ

 皮肉なことに,病気を過大視するロールシャッハテストの傾向は,臨床家がこのテストを重要視することをうながす結果になったかもしれない。ほとんどの人々を病気とみなすテストは,たとえいいかげんな根拠に基づくものであっても,臨床現場では当たることがしばしばあるからである。
 たとえば,あるテストが,うつ病で対人関係に問題ありというラベルを患者の75%に勝手に貼るとしてみよう。臨床家がみる患者のほとんどはうつ病か対人関係問題を抱えているので,このような判定結果は,いい加減なものであるにもかかわらず,多くの場合当たっている。このテストは不思議なくらいに当たるようにみえるかもしれない。もちろん,もし臨床家がこのテストを大勢の健康な大人に実施したとすれば(1950年代のロールシャッハ研究家がしたように),このテストによって「正常な」人々のほとんどを不適応と判定してしまうことになるだろう。しかし臨床家が日常の業務で健康な大人を判定することはほとんどない。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 pp.132-133
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

正常な人を病理とする検査

 リトルとシュナイドマンの結果でとりわけ重要なことは,彼らの研究に参加したロールシャッハテストの専門家が,何も異常がない場合にも,ほとんどつねに精神病の徴候をみる傾向があったことである。ロールシャッハテストの専門家は,正常な人のロールシャッハ反応記録を判定することを求められて,それらに「受動依存性人格」,「ヒステリー性人格」,「分裂性人格」のような名前を当てはめた。ロールシャッハテスト専門家のだれ1人として,正常な人を正しく正常と判定しなかったのである。ある患者はロールシャッハテスト専門家の4分の3から統合失調症的であると判定されたが,じつはこの患者は精神医学的には正常で,ヘルニアの手術を受けるために入院していたIBMに勤める修理工だった。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.126
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

催眠術を発見した男

 今日,医学は化学と密接に結びつけられているが,その昔は,病気の原因と治療を物理学に求めようとする治療師たちがいた。フランツ・アントン・メスメル(1734-1815)は,健康と磁気のあいだにつながりを見出したと思い,ほかのエキセントリックな科学者と同じく,ひとたびその関係に気づくや,この偉大な発見への転向に人生をささげた。メスメルは生まれ故郷のオーストリアで聖職者になるための教育を受け,次に法律を学び,33歳というかなり遅い年齢で医師の免許をとった。
 メスメルは,当時流行の天文学理論とニュートンの万有引力の法則を,動物磁気という自分の生物学モデルのなかに取りこんだ。彼の理論では,すべての生物の内部に,中国医学の「気」にも似たエーテル様の流体が存在し,それが生体の活力をつかさどっているとした。良好な健康状態は,体内の磁気の流れが,宇宙を満たす磁気の流れと釣りあっているときにもたらされる,と彼は結論づけた。もしその均衡が崩れたら,磁石で流れを元どおりに整えることで秩序は回復できる,というのである。
 当初,メスメルは患者の身体の各部に小さな磁石を取りつけたにすぎなかった。やがてパリに移り,その地で目ざましい成功を収め,一度など,2万リーヴルを積まれても治療法の秘密を明かさなかった。じきに彼は,自前の豪華な設備をもつ医院で集団治療をはじめるまでになった。患者たちは,水と鉄粉の入った浴槽のそばに座り,その両脇から突き出ている鉄棒をしっかりと握った。
 メスメルは医学の主流派から激しく非難されたが,芝居じみた言動をいっそう増幅させたので事態はいっこうにおさまらなかった。ほどなく,集団治療は交霊会の様相を呈するようになる。メスメルの強烈でカリスマ的な人格は,その儀式で,前にも増して重要な役割を担った。彼はライラック色のマントをまとい,細い鉄の杖を振り動かしながらその儀式をとりしきった。そして,最終的には磁石の使用をやめ,宇宙の流動体を彼自身の身体を通して,あるいは鉄の杖を介して,患者へと送りはじめた。
 メスメルの動物磁気説は,もちろん何の根拠もなかったのだが,メスメリズムとして知られた催眠術を考案したことによって,たしかに彼は科学に永続的な貢献をした。これは,奇人の発見能力(セレンディピティ;ホラス・ウォルポールの造語であるが,彼もまた奇人だった)の好例である。メスメルの鉄の杖と動物磁気説は,いまや「はったり」の同義語になりさがっているが,彼の催眠術のテクニックは,今日でも正当な医学の現場で,多くの実際的な用途に使われている。

デイヴィッド・ウィークス,ジェイミー・ジェイムズ 忠平美幸(訳) (1998). 変わった人たちの気になる日常 草思社 pp.117-119

相対的変化であることに注意

 また,1人で音読すると,前頭前野を含む広範な部位で,脳血流の増加が認められるが,大勢で一斉に音読すると,前頭前野の血流の相対的な増加が見られないことも,明らかになっている。1人で音読をする作業と,大勢で一緒に音読をする作業の大きな違いは,後者では,他人の音読する声を聞きながら,自分も(それと調子を合わせて)音読するということだ。単純に考えれば,他人の声を聞くために,側頭葉などの脳も同時に活性化し,そのために,相対的な血流変化がより広汎に起こったと考えれば説明がつく。
 何度も繰り返すが,fMRIで相対的な血流増加が見られないところにも,ちゃんと血流は流れ,ニューロンの活動はある。他人の声を聞くという聴覚認知により多くの血流が割かれれば,前頭前野の相対的な血流増加が帳消しになるのは説明がつく。
 しかし,前頭前野の血流増加を重視する「学習療法」の提唱者は,音読は1人でしなければ効果がない,とあくまで前頭前野の血流増加をきたす学習に執着するのである。しかし,その理論的根拠は明らかではないし,唯一の実証的な効果についても,再三述べてきたように,実験計画上の問題(対照のとり方)や,病的状態での効果という制約によって,決して一般化できるようなものではないのである。

榊原洋一 (2009). 「脳科学」の壁:脳機能イメージングで何が分かったのか 講談社 pp.132-133

誤った三段論法

 学習療法の提唱者は,誤った三段論法に陥っている。それは次のようなものだ。
 一段:音読や単純計算で,前頭葉を含む広範な大脳皮質で相対的な血流増加が見られる。
 二段:前頭葉機能の低下している,アルツハイマー病の患者さんに,音読や単純計算を課したら前頭葉機能の向上が見られた。
 三段:音読や単純計算を繰り返して行えば,前頭葉機能が向上するだろう。
 この三段論法の帰結は,前頭葉の血流が増加するような課題を行うことによって,前頭葉機能を向上させることができる,ということになる。
 二段目の論法には,音読と単純計算が本当に効果を及ぼしたのか疑義があることはすでに述べた。
 三段目の論法の問題点は,喪失した機能を向上させることと,正常に機能している能力をさらに高めることは,同じではない,ということだ。
 さらに自明のこととして扱った一段目の論法についても,後でまた触れるが,小学校中学年までの子どもでは,音読をしても前頭葉の血流が増加しないことが分かっているのである。

榊原洋一 (2009). 「脳科学」の壁:脳機能イメージングで何が分かったのか 講談社 pp.118-119

問題は対照群にあり

 しかし,本当に音読と単純計算が,認知症の進行を食い止めたり,あるいは前頭葉機能検査の成績の向上に効果があったのだろうか,という疑問を抱かざるをえない理由があるのである。
 音読と単純計算の認知症への効果については,老人学の国際専門雑誌に掲載された。内容は以下のようなものだ。
 32人にアルツハイマー病の患者を2群に分けて,片方の16人に週2〜6回音読と単純計算を行ってもらい,6ヵ月後に前頭葉機能検査をして,何もしなかった群とその成績を比較したところ,音読単純計算群で前頭葉機能が統計的に有意に改善した。
 専門科学雑誌に掲載されているから,まず間違いはないと多くの人は思いたくなるだろう。雑誌に報告された内容自体に偽りはない,と私も思う。
 音読と単純計算は,参加したアルツハイマー病の患者さんが自主的に行うのではない。毎日,決まった時間になると学習室に行き,そこのスタッフの指導の下に,計算のドリルや,音読練習を行ったのだ。必ず最後までやるように,スタッフはアドバイスを与える。こうして毎日約20分,音読と単純計算ドリルを行ったのである。
 では,6ヵ月後に行った検査で明らかになった前頭葉機能の向上は,果たして音読と単純計算によると結論してよいのだろうか。そこに,方法論上の大きな問題があるのだ。
 方法論上の問題とは何か。それは,対照(コントロール)としたアルツハイマー病の患者に対しては,音読や計算はもちろんのこと,何も特別なことを行わなかったことだ。本来ならば対照にされたアルツハイマー病の患者さん16人に対しても,週に2〜6回,学習室に来てもらい,音読と単純計算を行った16人と同程度のスタッフとの交流を行うべきだったのだ。ではなぜ,そんなことをする必要があるのか。
 対照となった16人と,音読,単純計算を行ったグループの差は,厳密には音読,単純計算をやったかやらなかったかだけではない。音読,単純計算を行うに当たっての,スタッフとの会話やその他の交流,スタッフからのアドバイスや元気づけの有無も大きな差だったのである。

榊原洋一 (2009). 「脳科学」の壁:脳機能イメージングで何が分かったのか 講談社 pp.113-114

心理療法も学習経験

心理療法自体も学習経験であり,シナプス接続の変化が関係している。脳の回路と心理学的経験とは別べつなものではなく,むしろ同じことの異なる表現なのだ。とはいえ,心理療法のもたらす脳の変化の様子と薬がもたらす脳の変化の様子は必ずしも同じではない。だからこそ,ある症例では心理療法が功を奏し,ある症例では薬がよく効くということがあり,薬と心理療法を組み合わせると,どちらか単独の場合よりもよい結果が出ることがあるのだ。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.388
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

ネットのやりとりは分かりやすい

 自閉症スペクトラムの者には,インターネットでほかの人々と言葉のやりとりをするのは刺激的なことであり,それによって自信が持てる。第一,チャット・ルームでの会話や電子メールのやりとりでは,直接会って話す場合に必要な集中力がいらない。会話をはずませる方法や,笑みを浮かべるタイミング,ボディランゲージの意味を読みとる必要がない。アイ・コンタクトもいらないし,すべては文字になっているのでどんな言葉でも意味が汲みとれる。チャット・ルームでは,(^_^)や(`_´)などの絵文字を使えば,相手がどんな気持ちでいるかよくわかる。

ダニエル・タメット 古屋美登里(訳) (2007). ぼくには数字が風景に見える 講談社 p.166

自閉症の症状の特徴のひとつ

 いまでも,人の言葉を聞いて,すべての単語とその細部まで完全に理解できても,それにふさわしい対応ができない。たとえばある人がぼくに「コンピュータで原稿を書いていたら,押すつもりのないキイをたまたま押してしまい,全部消してしまった」と言ったとする。ぼくの頭のなかでは,その人が押すつもりのないキイを押してしまったこと,そのキイを押したとき原稿を書いていたことはわかる。しかし,そのふたつの発言をつなげて全体像(つまり原稿が消えてしまったこと)を思い描けない。子どもの本などに,点と点を順番につなげていくとある形が現れてくるものがあるが,それと同じで,点のひとつひとつは見えるが,それをつなげて形にできない。だから,「行間を読む」ことができないのだと思う。
 また,質問の形式をとっていない曖昧な発言にどう応じればいいかもよくわからない。相手の発言を情報として受け取ってしまう傾向が強い。つまり,ほとんどの人は言語を人づきあいの手段として使っているが,ぼくにはそれができない。ある人が「今日はあまりいい日じゃなかったよ」と言ったとする。その人は,相手から「それはたいへんだったね,なにかよくないことでもあったのかい?」といった言葉が返ってくるのを期待していることが,最近になってようやくわかってきた。

ダニエル・タメット 古屋美登里(訳) (2007). ぼくには数字が風景に見える 講談社 p.94-95

ASPは現実認識能力の喪失を伴わない

 精神医学や心理学を批判する人たちは,「あらゆる問題行動に症候群やら精神障害などの名前をつけて分類するのは,本人の責任をあいまいにする」と主張する。彼らが恐れているのは,人間の悪い行いが“病気”のためだということになれば,本人が自分の行動をコントロールできなくても,「病気なのだからしかたがないのではないか」という考えがまかり通るようになるのではないかということだ。
 だが,一部のASPやその弁護士たちはそういう理屈でASPを犯罪行為の口実に使おうと企てるかもしれないが,精神科の専門家はそのようには考えない。ASPとは,行動,選択,感覚,などに異常なパターンを示すものではあるが,だからといって,この障害を持つ人間が自分の歩む道を自分で決められないということにはならないからである。彼らは正しい道を選ぼうと思えばできるにもかかわrず,自分の意志で間違った道を選んでいるのだ。
 他のいくつかの精神障害と違い,ASPは現実認識能力の喪失を伴わない。本人は自分が何をしているのかも,自分の周囲で何が起きているのかも,十分によくわかっている。彼らは善悪の区別はできるのに,それを無視しているのである。彼らは意図的に行動しており,意識は極度に自己中心的なゴールに集中している。つまり,彼らは自分の行動に100パーセント責任を持っており,その責任は追及されなければならない。

ドナルド・W・ブラック 玉置 悟(訳) (2002). 社会悪のルーツ ASP(反社会的人格障害)の謎を解く 毎日新聞社 p.262-263.

ASPを認めよ

 反社会的行動を「現代文化」や「世の中」のせいにし,その共通した行動パターンを全体的にとらえることなく,ひとつひとつの行為にばかり目を向けていると,この障害の存在が見えにくくなってしまう。人々を不安に陥れるショッキングな犯罪や社会問題の多くは,はっきりと明確に認識できる特徴を持つ者たちにたどることができるのである。その多くは男で,彼らは恨み,怒り,不正直,暴力,モラルの欠如,などに満ちており,人々の生活や生命を危機に陥れるような,考えられうるあらゆる行動をする。
 ほとんどの人は,自分の周囲を見渡せば問題のある人物がいるのを発見するだろうし,新聞を開けば,ASPとおぼしき者による凶悪犯罪の記事は引きも切らない。どんな国へ行こうが,どんな社会や民族であろうが,どんなに遠く離れた土地であろうが,執拗にルールに逆らい,権威を拒絶し,盲目的な利己主義によってのみ行動する,明らかにASPとわかる者たちがいる。すなわち,ASPはどのような国にも,民族にも,文化にも存在するのである。
 最近では,「うつ病」とか「精神分裂病」とか,「ADD」など,精神病であるなしを問わず一般にも名がよく知られるようになった精神障害がいくつかあるが,ASPについて語られることはまだあまりないようだ。その領域の広さと潜在的危険性の高さを考えれば,ASPという障害は驚くほど知られていないと言っていい。クレックリーが,「ASPが人間にとって重大な健康障害であることを世の中が完全に認めるまでは,この障害の及ぼす問題と苦闘している人たちを助けるためにできることはほとんどないだろう」と述べてから四半世紀がたったいま,私たちは依然として,この障害のはびこりと,それが招いている結果を見過ごしているのである。

ドナルド・W・ブラック 玉置 悟(訳) (2002). 社会悪のルーツ ASP(反社会的人格障害)の謎を解く 毎日新聞社 p.259-260.

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