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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「臨床心理学」の記事一覧

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遺伝も環境も影響するのが当然

 性格や体格と同じで,「心の障害」に関するほとんどの議論の多くは,とかく先天的か後天的か,つまり遺伝か環境かというふたつの考えの間を堂々めぐりしているように見える。原因が先天的であるということは,この問題は遺伝学や生物学の領域だということであり,後天的ということは,過程や社会など周囲を取り巻く環境と,幼児期の体験が重要な要素だということである。ASP(反社会的人格障害)は遺伝によって伝えられると主張する人たちは,同じ家系に世代から世代へとくり返される「悪い行い」のパターンを指摘し,その現象を生物学的に説明しようとする。一方,原因は環境にあると主張する人たちは,そういう家では子供に対する親の虐待(愛情を与えず残酷な言葉で心を傷つける「精神的虐待」や,親としての務めを果たさない「ネグレクト」も含まれる)が世代から世代へと伝わっているためだと主張する。
 だが,ASPにせよその他の心の障害にせよ,遺伝か環境かという議論は実際にはあまり意味を成さない。なぜなら,まず第1に,仮に遺伝的にASPを伝える因子があるとすれば,それを持っている子供は,親の虐待(環境要因)に対して,ASP的な傾向(遺伝要因)をもって反応することが考えられる。そして,問題行動が代々伝わっている家系では,「遺伝子」も「環境による影響」も,ともに伝わっている可能性があり,そのふたつをはっきり区別することは困難だ。そこで,人間に伝わる性向の原因探しは結局このふたつの中間をとり,要素はその両方から来ているのだろうというあたりで落ち着くことになる。

ドナルド・W・ブラック 玉置 悟(訳) (2002). 社会悪のルーツ ASP(反社会的人格障害)の謎を解く 毎日新聞社 p.144-145.
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行為障害

 小さな子供を童話の世界に生きているかのように理想化したがる人がいるが,子供にも苦しみやつらいことはたくさんある。そのうえ要求されることもたくさんあり,ほとんどの子供はそれを素早く感じ取って従っているのだ。そして,どんな子供でも時どき“悪いこと”をする。2歳くらいになれば,早くも自我が芽生え始めて反抗期が訪れるが,それも正常な心も発達の過程なのである。
 ところが,いつまでたっても“悪いこと”ばかり執拗にくり返し,ひとつのことばかりでなくさまざまな種類の“悪いこと”をするとなると,それはノーマルとは言えなくなってくる。その状態には「行為障害」と呼ばれるものがあてはまる可能性がでてくるのだ。

ドナルド・W・ブラック 玉置 悟(訳) (2002). 社会悪のルーツ ASP(反社会的人格障害)の謎を解く 毎日新聞社 p.71

逆説志向

 不安感がとても強かった若い女性の例を話そう。過去の経験から,リラックスしなさいといっても緊張を高めるだけだということを僕は知っていた。だから僕は反対に「リンダ,できるだけ神経質に行動してごらん」と言ってみた。彼女は「いいですよ。神経質になるのは私にとって簡単です」と言って,こぶしを握りしめたり,震えているように両手を振動させたりしはじめた。僕は「いい調子ですよ。でももっと神経質になってごらんなさい」と言った。すると,彼女はその状況の滑稽さに気づいて,「本当に神経質になっていたんですけど,もうなれません。変ですけど,緊張しようとすればするほど,緊張できなくなります」と言ったんだ。逆説志向の本質は,「患者に自分が恐れているまさにそのことをしてもらう,または起こるように願ってもらう」ということだ。これが逆説志向の定義だよ。

(by ヴィクトール・フランクル)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.205


行動療法の発見

学位を取ったばかりだったこの頃,ドイツ人の精神科医アレグザンダー・ヘルツベルクに会った。彼はアクティブな心理療法について本を書いていた。彼はフロイト派だったよ。がちがちのフロイト派だ。だが,彼は,フロイト派の分析に時間がかかるという事実に気づいて,迅速化したいと望んでいた。フロイト派の分析が多くの人々に受け入れられるようにするにはそうするしかなかったんだね。彼は患者に課題を与えることにした。たとえば,家に引きこもって外に出るのを恐れている人に対しては,分析家としての治療を行った後,「ドアのところに行って外を見てごらんなさい。それから右に二歩,左に二歩進んで,戻ってきましょう」と言うんだ。次の時にはそれが五歩になる。そうやって続けていく。すると患者は以前よりもずっと早く回復するということに,ヘルツベルクは気がづいた。彼は,ドイツから逃れてきた他の精神科医とともに症例検討の会議に僕を出席させてくれた。みんな,これは有益な方法だということに賛同した。そのときすぐに僕の頭に浮かんだのは,この方法のなかには精神分析が何らかの役割を果たしているという証拠がまったくないということだった。そうした課題そのものが,改善を生み出している可能性はないのだろうか。分析が役立っているという証拠はない。この改善は学習理論の消去という考え方で説明することができる。これが僕の行動療法の概念の始まりだった。本当は重要なのに,分析を補助するいくらか有益な方法だという以外は誰も何も見出さなかったというのが典型的な反応だよ。本当は,課題を伴う精神分析と課題を伴わない精神分析の比較という重要なものだったんだ。課題を伴うほうがずっと効果が大きく,課題を伴わない分析に何らかの有効性があるという証拠はなかった。

(by ハンス・アイゼンク)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.144-145

注意

 周囲の人たちが陥りやすいあやまちのひとつは,出版されている多重人格の書物をたくさん読み,患者とともに知らぬ間に解離の世界へと没入していることである。人によっては交代人格を表にして,それぞれの年齢,性別,性格などを詳しく記載し,経過を追って詳細に記録している。彼らの患者に対する眼差しは交代人格の出現を促してしまう。このように彼らと患者が周囲から浮き上がった「閉じられた二者関係」を形成しているとき,解離の病態は慢性化し強化される。もちろん,安心できる二者関係は解離を癒すことは症例エミでみたとおりである。


柴山雅俊 (2007). 解離性障害---「うしろに誰かいる」の精神病理 筑摩書房 pp.195-196.

スプリッティングと解離

 岡野憲一郎が指摘するように,ボーダーラインではスプリッティングが,解離性障害では解離(dissociation)が特徴的である。もちろんこのふたつの防衛機制は異なった意味を持っている。スプリッティングとは自己あるいは対象のイメージがgoodとbadに分離することであるが,そのときの記憶は保たれている。どちらかというと対象側のイメージが分かれやすい。解離もまた分離することを特徴としているが,イメージが分かれているのではなく,DSMの定義にあるように,意識,記憶,同一性,周囲の知覚などにおけるさまざまな統合機能が破綻する。つまり主として自我側の統合破綻がまずあると考えるべきであろう。


柴山雅俊 (2007). 解離性障害---「うしろに誰かいる」の精神病理 筑摩書房 p.145.

虐待の社会史

 アメリカで子どもへの虐待が社会の表舞台に登場してきたのは1960年代であり,その火付け役となったのはケンペらの被虐待児症候群(The battered-child syndrome)という論文である。当時は不当な差別や抑圧に対して泣き寝入りはしない,という意識が高まってきた時期である。
 1963年から67年までの5年間でアメリカ全州に虐待通報制度が導入され,幼児虐待の実態が把握されるようになった。70年代にはフェミニストの運動が高まり,彼女たちは性的虐待の原因が家父長制にあると主張した。1974年には児童虐待防止法が制定され,連邦の特別基金を州に与えることが定められ,通報が義務づけられる専門家の範囲と通報されるべき状態の範囲が拡大した。
 1980年頃から北米で解離性障害が注目され,それと同時にそれまでほとんどみられなかった解離と幼少時外傷との関連についての報告が始まった。以来,性的外傷,身体的虐待,養育放棄など多くの外傷体験が解離と結びついているという報告がなされるようになった。
 性的虐待はいっそう注目されるようになり,1980年から86年の間に性的虐待の報告は3倍以上にも増加し,他の虐待に比して格段に高い増加率となっている。さらに1994年,連邦議会はメーガン法を制定し,性犯罪者の監視による性犯罪の再発予防へと虐待対策を強化した。
 一方で,1980年代後半から幼児虐待対策に抗議する反対運動,いわゆる揺り戻しがみられるようになった。「実証されない通報」の割合が増加したことも原因の1つと想定されている。1988年,ミネソタ州ジョーダンでの集団性的虐待の裁判事件,1983年,マクマーティン保育園の性的虐待の裁判事件などを通して,1992年には偽記憶症候群財団(False Memory Syndrome Foundation: FMSF)が設立された。

柴山雅俊 (2007). 解離性障害---「うしろに誰かいる」の精神病理 筑摩書房 pp.114-115.

鏡が怖い2つの理由

 解離の患者が「鏡を見るのが怖い」と報告するとき,おおかたその理由は2つに分けられる。1つは,「鏡を見てもそこに映っているのが自分の姿であるという実感がない」ことである。もちろん,われわれでも病気で体調が悪くぼんやりした状態で鏡を覗き込んだとき,あるいは酒に酔ってトイレの中で鏡の前に立ったとき,鏡に映った自分の姿が自分ではないような感じがすることがある。
 さらに1つは,「鏡に自分以外の何か,普通は映らないものが映っているような気がする」とか「自分の背後に何かがいるのが映っていそうでとても怖い」という報告である。これは私自身まったく経験することはないが,学生などに尋ねてみても,男性でも「そういうことはある」と答える。解離の患者のうち数人は,幼少時に鏡の中に実際に不気味な人がありありと見えていたという。「鏡にもうひとりの自分が映っている」と報告するものも稀だがある。彼女らはわれわれ一般にもみられる表象がまさに知覚的に立ち現れる傾向をもっている。

柴山雅俊 (2007). 解離性障害---「うしろに誰かいる」の精神病理 筑摩書房 pp.56-57.

宗教と精神異常の区別

 その一線が最もあいまいになるのが,思い込みが宗教的な経験に基づくものであるときだ。信仰心と精神異常の区別には微妙なところがあり,どうしても主観がどこかに入り込んでしまう。精神衛生の専門家も,敬虔なクリスチャンがイエスの存在を感じたという幸運な経験をしたという分には,あまり心配をしない。しかし存在していたのがエルヴィス・プレスリーだったとなると,眉をつりあげる。またカトリック信者が,神が力を与えてくれたおかげでカトリック信者としての生活をおくれると精神科医にもらしても何の問題もないが,モルモン教徒が自分は死後に神に変わると口にするときは,相当の覚悟がいる。超自然的な存在に助けられるというのはいい。けれどもそうしたものに“なりたい”というのは,まったく別な話なのである。


コーデリア・ファイン 渡会圭子(訳) (2007). 脳は意外とおバカである 草思社 pp.111-112

サヴァンの能力

 1999年に,オーストラリア国立大学精神センターの心理学者アラン・シュナイダーが,サヴァンのあらゆる才能を統一する理論を述べた論文を発表した。博士の説が正しいのであれば,おそらく,動物の天才の説明にもなるだろう。シュナイダー博士と共著者のD・ジョン・ミッチェル博士によると,サヴァン自閉症の人の能力はすべて,見たり聞いたりしたものを,ふつうの人のようにすみやかに,統合した全体,つまり概念に組み込んで処理しないところから生まれる。
 ふつうの人が建物を見ると,知覚経路を通って入ってくる何千何百もの建物の部分のすべてを,脳が,ひとつの統合されたもの,建物に変換する。脳はこれを自動的におこなう。ふつうの人はこれをせずにはいられない。だから,美術の先生はふつうの絵画の練習で,さかさまにした絵を見たとおりに写生させたり,対象そのものではなく,対象を取りかこむネガティヴスペースを描かせたりする。対象をさかさまにしたり,ネガティヴスペースを描いたりして脳をだますと,もっと簡単にイメージをばらばらのままにすることができ,自分で統合した対象の概念ではなくて,対象そのものを描けるようになる。人はいつも,自分が描いたさかさまの絵のすばらしさに,あっと驚く。

テンプル・グランディン&キャサリン・ジョンソン 大橋晴夫(訳) (2006). 動物感覚 アニマル・マインドを読み解く 日本放送出版協会 p.392.

イメージと恐怖・パニック

 私は自分の体験と,発表した研究から,言葉よりも心に描くイメージのほうが,恐怖とパニックにはるかに密接に結びつくと考えるようになった。ウエスタンオンタリオ大学の精神医学助教授ルース・ラニアスは,「心的外傷後ストレス障害」いわゆるPTSDに苦しんでいる人の脳スキャンをおこなった。性的虐待,暴行,あるいは交通事故が原因でPTSDをもつ11人と,同じような体験をしてもPTSDにならなかった13人の脳をスキャンした。ふたつのグループに見つかった大きなちがいは,一方のグループが心的外傷を視覚的に記憶し,もう一方は言語を使って,言葉による物語として記憶していたことだった。スキャンの結果はこれを裏づけていた。心的外傷を思い出すときに,PTSDのある人は脳の視覚領域が(ほかの領域とともに)明るくなり,PTSDのない人は言語領域が明るくなった。
 どういうわけか,言葉がかかわる恐怖はレベルが低い。これは,「百聞は一見にしかず」ということわざにもあらわれている。怖いものを描いた絵は,言葉で述べた説明よりもはるかにおそろしい。その証拠に,怖いものを目で見た記憶は,言葉で頭に入れた記憶よりもおそろしい。言葉のほうがおそろしくないのはどうしてなのか。これが脳内でどう作用しているのか,だれにもわからない。けれども,動物と自閉症の人は絵に頼らざるをえないので,恐怖を抑制するとなると,大きな不利をこうむっている。


テンプル・グランディン&キャサリン・ジョンソン 大橋晴夫(訳) (2006). 動物感覚 アニマル・マインドを読み解く 日本放送出版協会 pp.257-258.

精神分析と恋愛関係

 これはあまり知られていないが,かつて精神分析は,治療者と患者との恋愛関係を許容していた。むしろ患者の「心の病」を改善させるため,治療者との恋愛は好ましいものと考えられていたふしもある。精神分析の創始者フロイトの強力な支持者であったユングも,患者と恋愛することを躊躇しなかった(当時フロイトとユングは非常に親密であったが,やがて決別する)。

岩波 明 2006 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.116

境界例

 境界例とは何か。元々この疾患は,精神分裂病(統合失調症)と神経症の中間的な状態と定義されていた。しかし,現在ではむしろ,健常者から微妙にずれている人たちを指すことが多い。
 第1に彼女たちは,感情的に不安定である。しばしば問題行動を起こす。具体的には,頻回の自殺未遂,暴力行為,アルコールや薬物の乱用など。精神科の臨床で診る境界例は,圧倒的に女性である。境界例の90パーセント以上は女性である。もちろん境界例の男性も存在するが,彼らは医療の枠からはずれ,司法機関の厄介になっていることが多い。社会的な許容度は,はるかに女性に対して大きいからである。
 境界例の女性は,関わった男性を奈落の底まで突き落とすこともある。男が専門家である精神科医であっても,例外ではない。

岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.110-111

自閉

 つまりここでブロイラーの言う自閉は,物理的に外界から隔絶していることを指しているわけではない。患者の内面のロジックと常識的なロジックが大きくかけ離れている状態を,自閉と呼んでいるのである。
 さらに自閉にはもう一つ重要な意味がある。「自閉症」という場合の自閉である。自閉症とは,発達障害であり,重大な疾患である。世間で誤用されているように,単なる心の持ちようというような,なまやさしい問題ではない。
 自閉症は小児自閉症,あるいは早期幼児自閉症とも呼ばれる病気だ。かつては精神分裂病(統合失調症)が小児に発症したものと考えられた時期もあったが,現在は否定されている。自閉症の示す症状は,人間関係への無関心,言語の障害,同一行動の繰り返しなどである。これらの症状は生まれながらのものである。つまり自閉症では脳の基本的なプログラムが生まれつき故障していると言える。自閉症の症状がはっきりするのは三歳頃であるが,その異常な症状は生涯にわたって持続する。


岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.87

フロイトの理論

 フロイトの元々の理論は,非常に単純である。「心」というのは,巨大な堆積装置であると想定されている。幼児期,あるいは小児期から様々な「性的に」色付けされた体験が心の中に蓄積し,それがやがてある種のパワーを持つに至る。そして,思春期においてそれが病的な症状として出現するという。

岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.49

AC:アダルト・チルドレン

 「アダルト・チルドレン」という言葉は,精神科医の齋藤学氏によって広められた言葉である。一時流行語にもなったので,意味はよく知らなくても多くの人が耳にしたことはあると思う。このアダルト・チルドレンという言葉は元来遺伝学研究のための用語であり,「アルコール依存症患者の成人した子供」を意味する。ここには特別な心理学的な意味は与えられていない。
 ところがこの純粋に遺伝的な概念に,しだいに別の意味合いが付与されるようになった。これが一般的なアダルト・チルドレンの概念である。つまり「アルコール依存症という問題を抱えた家族の中で成長した大人」ということである。アルコール依存症という問題によって様々な家族内の問題が生じ(酒乱の父親による家族に対する暴力というような光景が最も古典的なものだろう),その中で成長した子供は心理的な欠陥を持っているというのがその内容である。
 齋藤氏はこの概念をさらに拡大させた。これが流行語としてのアダルト・チルドレンとなった。齋藤氏によるアダルト・チルドレンは,「親との関係で何らかのトラウマを負ったと考えている成人」である。親はアルコール依存症である必要はない。それどころか,表面的には真っ当に見える社会人でもいい。親から何らかの心理的な外傷体験(いわゆるトラウマ)を受けた場合,あるいは家族間の諍いが見られ家族の機能が十分に働かなくなった場合,子供がアダルト・チルドレンになるという。

岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.41-42

強迫神経症

 強迫神経症(Zwangsneurose)という用語を用いたのは,フロイトである。フロイトは秩序を重んじ,頑固,吝嗇(ひどく物惜しみすること,けち)などの性格傾向をもつ者を肛門性格(anal character)あるいは強迫性格(obsessive character)と呼び,この性格をもつ者を強迫者(Anankast)は強迫神経症になりやすいとした。

岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.38

PTSDと「死」

 PTSDとは実際は「死」と結びついた疾患である。目の前に「死」の影を垣間見たものだけが,そう診断されるし,この病名を名乗る資格がある。
 次の3つの症状が,PTSDの基本症状と言われている。すなわち「フラッシュバック」「過覚醒」「回避」である。フラッシュバックとは,外傷的な出来事が再び起きているかのように知覚することである。過覚醒においては,覚醒レベルが亢進し,睡眠障害,不安・焦燥感,過度の警戒心などが持続してみられる。回避とは外傷と関連した刺激を避けることである。たとえば,災害が外傷であれば,それに関連するニュースや新聞記事などをできるだけ避けるようになる。
 元来のPTSDは戦争と関連した概念として生まれた。第一次大戦,第二次大戦,そしてベトナム戦争によって,戦争が人間の精神を破壊する場合があることに皆気づいた。それがPTSDである。殺し殺される体験,硝煙や爆裂音,あるいは断末魔の悲鳴の中で見た死体の肉片や血だまりがPTSDを引き起こす。
 アメリカでPTSDの研究が盛んであるのは,つまり当事者としての明確な理由があるのだ。アメリカは常時どこかで戦争を行っているので,PTSD患者も絶えず生じているのである。


岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.22

自己開示と精神的健康

自己開示が健康に及ぼす影響には,4つの限定条件がある。
1.自己開示から得られる最も重要な身体的,心理的効用は,開示した直後ではなく,自己開示全体が生み出す否定的感情の高まりを経験した後に得られる。
2.自己開示の健康への効果は,人が以前は話さなかった否定的な異様の個人情報を開示した後に最も顕著になる。ふだんから自己開示をしている人や,肯定的または中立的な内容を開示する人は,身体的,心理的健康において大きな変化は見られない。
3.多くを開示することが,必ずしも良いこととは限らない。あまりにも多くの情報を開示する人は,他者に不安と懸念を生じさせ,その結果他者から遠ざけられてしまう。
4.自己開示が感情や健康に及ぼす影響は,自己開示という行為そのものではなく,開示の性質によって決まるようである。出来事を思い出した時の感情を開示することが重要な要素となっているらしい(Pennebaker, 1988)。

R.M. コワルスキ (2001). 言い出しがたいことを口にする:自己開示と精神的健康 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 251-278.


抑うつ者に会いたがる

非抑うつ傾向者は非抑うつ傾向者に会いたがるが,抑うつ傾向者は他の抑うつ傾向者に会いたがる(Rosenblatt & Greenberg, 1988)。

J.V.ウッド & P.ロックウッド (2001). 低自尊心者の社会的比較 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 106-153.

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