第一次世界大戦が始まると,ヨーロッパの精神分析医もアメリカの精神分析医も窃盗症の原因を性的に解釈する説を離れ,万引きも含めたあらゆる窃盗を心的外傷による行動として説明しようと試みた。戦争によって社会的にも文化的にも劇的な変化があったことで,性的表現を忌避しようとしたヴィクトリア朝時代(1837〜1901年)の価値観とそれへの抵抗は,もはやたいした問題ではなくなっていたのだ。シュテーケルは『異常行動』で,「盗みの対象に象徴的な意味を見いだすだけでは不十分だ。盗む行為そのものが,本人が得ることのできなかった重要な価値を持っている。それは患者の過去において報われなかったほかの何かの代償行為を表わすものであり,一種のゲームとなる。盗みは衝動的な反復行為なのだ」と書いている。
精神医学が精神分析学に取って代わると,窃盗症を性的要因から解釈する説はますます下火になった。1952年に<米国精神医学会>が発行した『精神疾患の診断と統計の手引』(DSM)第1版では,性的抑圧について言及されておらず,窃盗症の定義そのものも記載されなかった。1970年代までには,薬理学の発展と性革命によって,窃盗症の性的抑圧説は廃れていた。性的な意味合いが取り払われた窃盗症は,次に述べるように新たに政治的行動としてみなされるようになる。
レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.66
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