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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「臨床心理学」の記事一覧

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すぐに捨てない

 セルフ・ネグレクトの高齢者は変化を嫌います。必要以上の物に囲まれて生活していますが,それによって安心感もあるのです。そのため,物が一気に捨てられてしまうことによって不安を与えてしまうことになります。
 慎重に1つ1つ,捨ててもよいかを聞きながら行うことはすでに述べましたが,ここからが大事なところです。
 「捨ててよい」と本人が判断したからといって,すぐに捨てないことです。実は後になって「やっぱりあれは必要だった」ということも多いのです。そのときに,捨ててしまっていると,戻してあげることができません。一度決断してしまうと,取り返しのつかないことになると思うと,その後の片付けが消極的になり,進まなくなります。捨てるものを分けては置きますが,すぐにゴミとして処分してしまうのではなく,しばらく様子をみて本当に必要がないことが再度確認できたら,捨てるようにします。
 最初にこの慎重なプロセスを踏むことで,安心して片づけることや物を処分することができるようになり,その後はぐっとスムーズに作業が進むことが多いのです。例えば,「この部屋はあなたに任せます」とか「入院している間に片付けておいて」などと,信頼されてしまえば,その後の片付けは一気に進みます。

岸恵美子 (2012). ルポ ゴミ屋敷に棲む人々:孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態 幻冬舎 pp.172-173
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「もう死にたい」

 「もう死にたい」という言葉は,必ずしも本心を表しているわけではありません。
 それは何かのメッセージではないでしょうか。
 こんなに人様に迷惑をかけるくらいなら「もう死にたい」。こんなに腰痛がひどくて自分でトイレにも行けないのだったら情けないから「もう死にたい」ということなのです。「死にたいくらい辛い」状況に置かれている,そのような人にこそ,手を差し伸べるべきではないでしょうか。そして少しでもそれが解決すれば,きっと次の希望が見出だせるはずです。

岸恵美子 (2012). ルポ ゴミ屋敷に棲む人々:孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態 幻冬舎 pp.71

依存症とは

 ところで依存症とは何か?心身に良くないとわかっているのに有害な行為を繰り返し行なってしまうことを指す。たいていは多くの,自分がそのつもりだった以上の時間を費やし,やめようと思ってもやめられず,社会的な活動や仕事を犠牲にして薬物を濫用し,やめると離脱症状に苦しむ。礼儀正しい社会ではこんな症状が病気であることに誰も疑義を呈さないが,わたしは正直なところ,依存症が病気かどうかわからないと思っている。依存症者の行動は明らかにインセンティブに影響されるが,嚢胞性線維症の症状にはインセンティブは影響しない。それに依存症と呼ばれるものは,X線検査や血液検査で判明する疾患というよりも,不健康な行動パターンに過ぎないのではないか。だとすれば,どうして依存症は病気なのだろう?
 一方で,多くの病気が社会的に作られていることも事実だ。病気であることを誰も疑わない問題でも,その多くはある種の行動パターンから生じている。肺がんの大きな原因は喫煙だし,喫煙者はそれをよく知っている。心臓病や糖尿病,肝硬変,高血圧,HIV,その他多くの病気の殆どは生活を改めれば予防できる場合がある。その点はドラッグやアルコール濫用と同じだが,これらは病気ではないとは誰も言わない。

ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.264-265

サイコパスの場合

 だが風向きは変化しているようだ。1つには,エイドリアン・レインという元非行少年の研究者のおかげかもしれない。英国でいろいろと問題を起こしたあと,レインはオックスフォードに進学して心理学で博士号を取得し,世界でも有数の神経犯罪学者の1人となって,いまはペンシルヴェニア大学で研究を続けながら教壇にも立っている。レインが発見したのは,犯罪者とその他の人々のあいだにはさまざまな身体的違いがあることだった。
 反社会的人格障害の人たち(法を犯しがちな人たち)は,実際にほかの人々に比べて冷血,つまり血液の温度が低いことがわかった。安静時の心拍数も少ない。汗もかきにくい。長期的な研究では,心拍数が低かった3歳児が11歳になると攻撃性が強く,23歳時には犯罪を犯している傾向がみられたという。レインはロサンゼルスで21人のサイコパスの脳を調べ,前頭前皮質(レインが「守護天使」と呼ぶ部分で,辺縁系から湧き起こる攻撃的な衝動の見張り役)がノーマルな脳よりも平均して11パーセント小さいことを発見した。レインと同僚は別の研究で,殺人者の脳では前頭前皮質の活動が通常の人に比べてかなり低いことを明らかにしている。たぶん理性が働く脳の領域の処理能力が低いので,かっとなったときに暴力を爆発させる可能性が高いのだろう。
 このような研究結果から,この人々には自分の行動に責任を取るだけの自己コントロール能力があるのか,またどの程度の罰を与えるべきか,それとも罰するべきではないのか,という疑問が生じる。しかし懲罰に代わる処分(予防措置として生涯,監禁する?)もあまり現実性があるようには思えない。それにサイコパスにはインセンティブが効かないかどうかもはっきりしない。なかには責任を取らされることを知っていて自制する者もあるらしい。怒りに関する研究では,実際に暴力的な衝動のある人でも懲罰や報酬には反応することがわかっている。

ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.251-252

シロゴマニア

 老年学は高齢化とそれに伴う問題を研究する分野だ。そこでは,ガラクタを集めることが「シロゴマニア(Syllogomania)」と呼ばれている。(syllogeはギリシア語で「集めること」の意)シロゴマニアは,高齢者のセルフネグレクト(自己放任)や,自分の世話をしなかったり,極端に不衛生な環境で暮らしていたりする場合の指標として広く使われている。1960年代初めには,2人の英国人老年学者が,「老人破綻症候群」と呼ぶ72件の事例を挙げて検証している。この症候群の最大の特徴は高齢者のみに見られることであり,個人の衛生状態や生活環境の極端な悪化が見られ,敵意,孤立,外の世界の拒絶を伴うことも多い。これらの症候群の一般的な特徴がシロゴマニアである。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.226-227
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

動物ホーディング

 ホーダーの大半が無機物を集め溜めこむのに対し,動物に安心や愛着,そしてアイデンティティを感じる人も,少数ではあるが存在する。動物ホーディングの症例には劇的なものが多く,好意的に宣伝されることもある。動物ホーダーは自分が集める動物と強い愛着で結ばれる。多数の動物,とくに犬や猫を集める人は,自分の行動が動物を救う使命の一部であると考えることが多く,自分にはそれをする特別な力や能力があると考える。その一方で,動物たちの健康や劣悪な環境には気づかないことが多い。衛生局で担当者から聞いたところ,もっとも扱いに困るのは多数の動物が絡むホーディングの事例だとのことだった。問題解決に協力的なのは動物ホーダーの10パーセント以下で,動物もホーダーもひどい環境で暮らしていることがほとんどである。
 どの住宅地にも「猫おばさん」が1人はいるが,この種のホーディングに対する理解はほとんどない。モノを集めるホーダーについての研究はこれまで10例以上行われたが,動物ホーダーについての研究はほとんどないのだ。存在するいくつかの研究でも,情報源は動物管理局や動物愛護協会の担当者,裁判所の記録,報道などであり,動物ホーダー自身による情報はきわめて稀である。その理由は簡単だ。ある動物ホーディングの事例が注目される頃には,ホーダーは近所の人々と大きなトラブルを抱えてしまっているからだ。画像や個人情報がニュースの合間に流され,ホーダーはその件について進んで話そうという気をなくしてしまう。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.154-155
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

失敗への恐怖

 ホーダーの家の状態からは,彼らが完璧主義者だとは想像しにくいが,失敗することへの強い恐怖は,ホーダーの間で広く見られる特徴だ。たとえば,私たちの患者の1人は,古新聞の束を美しく束ねてきちんと重さを計測してからでなければリサイクルに出せなかったが,それは回収業者から文句を言われたくないからだった。別のホーダーは,鍵を見つけてからでなくては古いスーツケースを捨てられなかった。「全部がそろっていないと,正しくないの」彼女たちのように,ホーダーの多くは,些細な間違いを大失敗ととらえてしまう。私たちはちょっとした失敗をしても,人間なのだから仕方ないと考え,自分を責めたりはしないが,ホーダーの多くは違うのだ。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.141
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

思い入れはある

 アメリカ精神医学会から出版されている『アメリカ精神医学会精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)』は,精神障害の定義を知るためのバイブルだ。最新の版では,ホーディングが強迫性人格障害(OCPD)に含まれる8つの症状のひとつとして分類されている。そこでの定義は「古くなったものあるいは無価値なものを,それらに対する思い入れがなくなった後も処分できない」ことである。
 デブラ,アイリーン,その他多くのホーダーと話した後では,この定義にある「思い入れのないもの」という表現が不可解だった。結局,それは主観的な表現であり,私たちの調査ではホーダーの家に溜めこまれた多くのモノには強い思い入れがあったからである。思い入れたっぷりのモノは大切な人や出来事と結びついているために感情的に重要であり,ごく普通に存在する。私たちの誰もが,そうしたモノを持っている——大好きなアーティストのコンサートのチケットの半券,ずっと昔のウェディングケーキの残り,子供が初めて絵を描いた紙切れといったものだ。この意味で,ホーディング行動は異常でも何でもない。アイリーンやデブラ,そして多くのホーダーが私たちと異なる点は,彼らが持ち物の大半に強い思い入れを抱くことで,傍から見ればただのモノやゴミにまでそれが及んでいることだ。他の人にはわからない特別な意味を見出す能力は,彼らの好奇心や創造性豊かな精神から生まれ,そうした愛着となっているのである。「すべてを経験したい」という欲求により,ホーダーはさまざまなモノに愛着を感じるのだ。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.131-132
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

オニオマニア

 20世紀初めのドイツの精神科医エミール・クレペリンは,科学的な精神医学の創始者と考えられているが,彼は「オニオマニア」と呼ぶ精神障害について提唱した。ギリシャ語で「売り出し」を意味する言葉「オニオス」に由来するオニオマニアは,悪い結果が予測できるのにもかかわらず,病理的で制御不能な衝動に駆られて買い物をしてしまう障害である。精神医学のもう1人のパイオニアであるスイスの精神科医オイゲン・ブロイラーは,その症状を「衝動的精神異常」と表現した。2人とも,オニオマニアを深刻な精神障害とみなしていた。この障害を持つとされた有名人に,メアリー・トッド・リンカーン(第16大米国大統領夫人。浪費癖で知られた)やイメルダ・マルコス(元フィリピン大統領マルコス夫人。亡命後残された大量の奢侈品が話題となった)がいる。認識されたのは早かったオニオマニアだが,精神医学界においても心理学界においても実質的に無視されていた。1990年代初めに「強迫性買い物障害」と名称を改められたこの障害は,精神医学,心理学,経営学,そして人類学においてさえも,大いに注目されるようになった。
 強迫性買い物障害が精神障害とみなされるかどうかにかかわらず,そのために多くの人がたいへんな苦しみを味わっている。経済面から見ると,こうした買い物をする人は,そうでない人の2倍の借金を背負っている。彼らは過度の買い物により,結婚生活でも法律上でも困難に直面し,感情的な負担——恥ずかしさ,後悔,気分の落ち込み——に苦しむ人が私たちの身の周りにどれほど多いか,やっと分かり始めたところだ。スタンフォード大学の精神科医ロリン・コーランたちの研究により,米国の成人の6パーセント近くが,この障害を抱えていることが明らかになった。この問題は女性に多そうに思える(そのような研究報告もある)が,最近になって男性も女性と同様にこの状態に陥るという研究結果が報告されている。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.93-94
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

収集は病的か

 何かの収集にこれほど情熱を傾けることは,果たして病的なのだろうか。誰かが何をどれだけ集めようが,本人や他の人々の健康や幸福を妨げない限り,気にする人はほとんどいない。しかし,ひとたびそれらが妨げられると,その結果はコリヤー兄弟やアイリーンの場合のように悲劇となる。通常の収集活動とホーディング行動とを分けるのは,そのために生じるストレスや障害だ。私たちの研究対象となる人の多くが,ホーディングのせいで多大なストレスを負っている。モノを手に入れたり溜めこんだりすることで,彼らは経済的にも社会的にも破綻し,家族は離れていき,生きるための基本的な活動さえも難しくなってしまう。中には,近所や家族の人々も同様に生活に支障をきたすケースもある。したがってホーディングはモノの数ではなく,それらのモノを集めたり溜めこんだりすることが所有者に及ぼす影響によって定義されるべきだろう。ホーディングのためにストレスを負ったり,生きるための基本的な活動さえできなくなったりしたら,病気に足を踏み入れたことになる。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.78
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

妄想とネット

 さらに厄介なのは,近年になってインターネットの普及により,「思考盗聴」「集団ストーカー」という概念が広まってしまったことだ。統合失調症の人が自分の「思考盗聴」「集団ストーカー」体験をブログやホームページに書く。それを読んだ別の人が,「私と同じ体験をしている人がいる」「やっぱり妄想ではなかったのだ」と確信してしまう。彼らが結束して「被害者の会」を結成することもある。そうしたグループがすでに日本にも存在する。彼らは,「陰謀組織が自分たちを精神病と決めつけることで,社会的に抹殺しようと企んでいる」と信じている。だから病院に行くことを強く拒絶する。
 繰り返すが,精神病でも病院に通いながら通常の日常生活を送っている人は大勢いる。一時は入院していても,寛解して社会復帰する人も多い。「精神病だと判定されると社会的に抹殺される」という考え方こそ,まさに精神病に対する偏見であり,改めなくてはならないのだ。
 適切な治療さえ受ければ症状が良くなるかもしれない人が,「集団ストーカー」という妄想を信じたために,救われることを拒否して,自ら苦しい道を選んでいる。こうした悲劇を減らすためにも,統合失調症についての正しい知識が広まるのを強く望むものである。

ASIOS・奥菜秀次・水野俊平 (2011). 検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定 文芸社 pp.37-38

自己愛性人格障害の症状経験

 本書の出版と同時期に,過去最大規模の自己愛性人格障害調査の結果が発表された。アメリカ国立衛生研究所は,全米から選んだサンプル3万5000人あまりを対象に自己愛性人格障害の症状がこれまでに現れたことがあるかどうかを質問した(症状についてのみ質問し,障害の名称は伏せた)。その結果,アメリカ人の6.2パーセント,つまり16人に1人に自己愛性人格障害に罹患した経験があることがわかった。さらに驚いたことに,65歳以上の人では3.2パーセントだったのに対し,20代は9.4パーセント(若い男性はなんと11.5パーセント)が自己愛性人格障害を経験していた。つまり20代は約10人に1人,65歳以上では30人に1人ということになる。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.47
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

引用者注:Stinton, F. S. et al. (2008). Prevalence, correlates, disability, and comorbidity of DSM-IV Narcissistic Personality Disorder: Results from the Wave 2 National Epidemic Survey on Alcohol and Related Conditions. Journal of Clinical Psychiatry, 69, 1033-1045.

後悔と自責

 後悔と自責は,2つの心の働きから生じるものです。
 ひとつは,故人の死に責任がなくても,死の原因を“過度に”または“誤って”自分のせいにする心の働きによって生じます。
 死という衝撃的な出来事に出くわすと,私たちは,「なぜ死んだのか?」「どうして死ななければならなかったのか?」と疑問をもち,その原因を探ろうとします。原因を見つけて,衝撃的な出来事を心に納めようとするのです。原因を探るのと同時に,その原因の責任が誰かにあるはずだと“犯人探し”をします。事故死の遺族が,原因の究明を求めたり,加害者の責任を追及することは当然の行為ですが,その“犯人”が自分自身であると思うとき,「自分があれをしていれば(していなければ),あれは起こらなかったのに」と後悔が生じるのです。

相川 充 (2003). 愛する人の死,そして癒されるまで:妻に先立たれた心理学者の“悲嘆”と“癒し” 大和出版 pp.57

悲しみのピーク

 死別を経験していない人の中には,遺された者の悲しみは,死別の直後か葬儀のときにピークに達し,葬儀の終了とともに少しずつ減っていくと思う人がいます。ところが,悲しみの波は,葬儀が終わり,ほかの人たちが日常の生活に戻っていったあとに,むしろ強まってくるのです。何かちょっとしたことがきっかけになって,それまで抑えられていた悲しみが,待ちかねていたようにあふれ出てきます。悲しみが湧き上がると,身体のさまざまな部分が,とくに胸のあたりが重く感じられて,時には痛みさえ感じます。喉も締めつけられる感じがします。涙があふれて泣いてしまうこともあります。

相川 充 (2003). 愛する人の死,そして癒されるまで:妻に先立たれた心理学者の“悲嘆”と“癒し” 大和出版 pp.41-42

選択された死ではない

 そこで,「人には自殺する権利がある」とはやばやと結論を下す前に,自殺につながりかねないこころの病について正しい知識を持って,少しでも自殺によって命を失う人の数を減らすことができればと私は考える。
 自殺はけっして選択された死などではなくて,さまざまな理由から自殺しか選択肢がない状況に追い込まれた,いわば強制された死であるというのが,精神科医としての私の持論であるのだ。

高橋祥友 (2003). 中高年自殺:その実態と予防のために pp.105

真実は…

 娘から告発されたある父親は,一部の心理療法家が物語的記憶と呼ぶ出来事の語りにもとづいて,警察官から取調べを受けたときの様子について説明している。

 私は娘のエマを3歳の頃から虐待していたと疑われていました。エマが15歳くらいのとき,どういうわけか中学校の男子生徒全員に娘と学校のステージで性行為をさせたといわれています。どうやって学校に潜り込んだのかなどと私に聞かないでください。それから1年か少しして,私はエマを娼婦にしようと思い,金を払って雇ってくれそうな男たちに娘を紹介したらしいのです。それに飽き足らず,悪魔崇拝者が行う儀礼的虐待をするために,悪魔崇拝者の集うグループを結成することにしたというのです。大勢の男を集めたらしく,そのほとんどがデヴォン州で指導的な立場にある一般市民で,消防署の署長,私の職場の同僚など,全部で20名ほどの男が集まったとのことでした。教会の司祭や医者の友人がいたらしいことも忘れてはなりません。世間の人々があやしい儀式が行われるときいかにも集まってきそうだと考えるようなメンバーでした。私たちはみんな,黄色い帯のついた黒いローブを身にまとっていたそうです。どうやら,そこにはもう1人別の少女も犠牲者としていたようで,それは私の友人の娘だったらしいのです。その少女とエマを私のオフィスにある楕円形の机に縛りつけました。すべては私のオフィスで行われたというのです。

 この「物語的」真実とは反対の,歴史的な真実が医学検査の結果から明らかとなった。エマは処女だったのだ。

カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.312-313
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)

記憶抑圧の背景

 くり返しになるが,子どもの頃に受けた虐待の記憶が抑圧される,という概念が生まれたのは2つの背景がある。1つには,子どもへの性的虐待は社会に広まっているが,これまで見過ごされてきた問題であり,そのため加害者が野放しになっているという世論が高まってきたことが挙げられる。もう1つには,抑圧された記憶を支持する人の間では,説明のつかない精神疾患が膨大な数にのぼっていることが,社会に性的虐待が蔓延していることを示す兆候の1つだと考えられていることが挙げられる。この2つの要因は関連が深く,相性がよいのかもしれない。つまり,もし精神疾患の原因が子どもの頃に受けた虐待にあるとすれば,精神疾患を抱える患者の数だけ虐待がはびこっていることになる。だが,抑うつやパニック障害,強迫性障害,摂食障害の患者の多くに,子どもの頃に虐待を受けた記憶がない。だとすれば,それは記憶が抑圧されていることを意味しているに違いない,というわけだ。
 これまで見てきたように,何千もの児童虐待に関する話が,心理療法家やクライエントの家族のもとに,そして法廷に届いている。それも,告発の対象となった出来事が起こってから何年も経ってから,その間,被害者だと名乗り出た者に虐待の記憶はまったくなかったのに。また,同じくここまで見てきたように,ロフタスやマクナリー,ブラックやシンのような心理学者は,これとはまったく別の説明を唱えている。抑圧された記憶という新しい現象を生み出す必要のない考え方だ(もっとも,偽りの記憶という新しい概念をつくり出してはいるが)。

カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.270
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)

改善した感じ

 催眠によってパフォーマンスが向上することはない。実際には改善しないが,改善したという主観的な印象を生じさせることがあるだけである。
 記憶をテストするために催眠を使用した場合,催眠は記憶を促進するのではなく,誤った想起を増加させる。心理療法においては明らかに逆効果である。
 催眠状態での年齢退行は,単なる想像の産物にすぎない。幼い時期まで退行した人のなかで誰一人として,その年齢に特徴的な身体的ないし発達的兆候を示す者はいない。また年齢退行した人が,その年齢以降に獲得した記憶や技能を用いることができないという証拠も得られていない。年齢退行を受けた人は,主観的には自分が子どもになったように感じ,子どものように振る舞うかもしれないが,自分が幼い子どもだったらどう思うか想像するよう指示された催眠状態にない人と区別ができない。

カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.247-248
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)

過去世への退行を信じる?

 心理療法家の4人に1人は過去世への退行を信じており,催眠を利用することで患者を生まれる前の,前世にまで戻らせることができると信じている。本人は知らないはずの生まれる以前の人生について催眠状態の患者が詳しく話し,その内容が後の調査によって確かめられたような劇的な出来事に出会うことで,心理療法家は自分の考えが間違っていないのだと確信を深めている。もっとも印象的な出来事は,カーディフの催眠療法士が手がけた,ウェールズの主婦ジェーン・エヴァンスについての記録テープだ。どうやら彼女には6つの前世があり,それぞれについて語られた内容は細部にわたるもので,鮮明で説得力があった。
 どれについても同じポイントが指摘できるのだが,ここではその1つだけを紹介しよう。前世のエヴァンスは,リヴォニアという名前の女性で,ローマ帝国時代に大ブリテン島を支配していた皇帝の息子に家庭教師をしていたタイタスという人物の妻だったという。催眠状態で回復された彼女の記憶についてのドキュメンタリー映画があり,それを観た視聴者は,ヨークでの暴動について,彼女が迫真の説明をしている録音テープに聞き入った。ヨークは前世で彼女が住んでいた都市で,暴動によって彼女と家族はセントオールバンズへ逃亡した。彼女はまた,1190年にヨークで起こったユダヤ人の大虐殺について,ゾッとするような話をした。にも関わらず,催眠状態が解けると,これらの話については何も知らないし,ラテン語の名前についてもなじみがなく,歴史的な事実であるヨークでのユダヤ人虐殺についても聞いたことがないと彼女は主張した。
 しばらくの間,ジェーン・エヴァンスの前世は本やテレビのドキュメンタリーでひっきりなしに取り上げられていた。そして誰も彼女が既存の情報源からそのお話を引っ張り出してきたという証拠を挙げることができなかった。ローマ帝国時代のブリテン島研究の権威であるブライアン・ハートリー教授がこのテープを聴いたとき,次のようにいった。「一般の人が知らないはずの何らかの史実を彼女は知っています。このような話の概略をつくり上げようと思ったら,膨大な量の公刊された研究を参考にしなければならないでしょう」
 ハートリーは正しかった。これを証明したのは,疑わしい主張についての,恐れを知らない調査官,メルヴィン・ハリスだった。ジェーン・エヴァンスが6つの前世を生きてきたわけではないとハリスは確信していた。とはいえ,話をつくり上げるために「膨大な量の公刊された研究」を調べてまとめあげるほど,エヴァンスに素養や学歴があるようには思えなかった。インターネットが普及する以前のことで,彼女が語る非凡な物語のルーツが何であるのかをハリスが確かめるのは,骨の折れる仕事であった。最終的に明らかになったそのルーツとは,何年か前に読んで詳しく覚えていたのであろう,ローマ帝国時代のブリテン島について書かれた小説だった。
 苦労のすえ,ついに彼はその小説を発見したのだ。それは1947年にルイズ・デ・ウォールによって書かれた『生きている樹』(The Living Wood)という本で,ジェーン・エヴァンスが語った物語と同じ登場人物,出来事,場所が記載されていた。
 エヴァンスは,「無意識の剽窃(クリプトムネジア)」と呼ばれる記憶現象を体験したのだ。これは本や詩などの文章を読むが,その後で読んだことを忘れてしまい,内容だけ再現して自分自身で考えたことだと思ってしまう現象である。以前に見たことがあるという認識がまったくないこともあるが,無意識の剽窃が起こると,盗作だとして非難されることが多い。ジェーン・エヴァンスの話が「膨大な量の公刊された研究」を参考にしたというハートリーの指摘は正しかった。ただし,膨大な量の研究をまとめ上げたのはエヴァンスではなく,小説家のルイズ・デ・ウォールだったというだけのことだ。

カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.244-246
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)

イメージ誘導法の問題

 心理療法家が記憶回復のために利用する別の手法に「イメージ誘導法」がある。この手法では,クライエントに「もしそのような出来事が起こっていたとしたら,どんなものだったと思うか想像してください」という指示を与える。イメージ誘導法もまた,偽りの記憶の形成に関わっていることが明らかにされている。イーラ・ハイマンとジョエル・ペントランドは,実際には体験したことがない出来事に対して,イメージ療法を用いた場合と,ただ単に1分間その出来事について考えただけの場合とを比較する実験を行っている。実験の結果,イメージ誘導法を用いたグループでは実験参加者の40%が偽りの記憶をつくり出し,実際には体験していない出来事に対して,実際の出来事であるという強い確信を持つことが明らかになった。これに対して,ただ1分間考えるだけだった統制群で偽りの記憶を形成した人は12%にすぎなかった。

カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.235
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)

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