この推理——(a)宗教は特別だ,(b)宗教を特別なものにしているのは体験である,(c)並外れた人々は一般の人々よりも純粋な宗教的体験をもっている,(d)一般的な宗教は,そうした体験の強烈さが失われた,希釈されたものにすぎない——は,ジェイムズの心理学だけのものではない。実際それは,宗教についてのきわめて一般的な考え方である。この考え方は,多くの人々に,宗教的な考えについてのすべての議論が誤っており,概念に対する誇張された関心は西洋特有のバイアスだという印象を与える。仏教やそのほかの東洋思想に特別な関心を抱いている多くの西洋人は一般に,それらの価値が議論よりも体験に焦点を当てている点にある,と思っている(ちなみに,ここには皮肉な思い違いがある。結局のところ,大部分の東洋的な教えはおもに,個人的な体験そのものについてというよりも,さまざまな儀礼や専門的な正しい修行のしかたについてのものである。これらの教えの一部には確かに主観的体験を強調しているものもあるが,それらは,西洋の哲学(とりわけ現象学)の影響を強く受けているようだ。したがって,西洋哲学に幻滅した西洋人がそれらに魅力を感じるのは,自分たちの西洋哲学の残響に聴き入っているだけなのかもしれない。)こうした仮定は広く見られ,これこそ,神秘体験者や熱狂的信者に,彼ら特有の体験,その体験の特徴,ほかの思想との関係などについて尋ねれば,宗教について多くのことがわかるように思える理由である。
パスカル・ボイヤー 鈴木光太郎・中村潔(訳) (2008). 神はなぜいるのか? NTT出版 p.400
(Boyer, P. (2002). Religion Explained: The Human Instincts that Fashion Gods, Spirits and Ancestors. London: Vintage.)
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