知識について考えてみよう。宗教 vs. 科学の論争が西洋において特別の展開を見せたのは,宗教が教義的であっただけでなく,独占的でもあったからである。それは,事実の経験的主張に干渉するという大きな誤りをおかし,宇宙や生き物についてのきわめて厳密で,杓子定規で,表向きは説得力をもったたくさんの主張をし,それらが神の啓示によって保証されているとした。しかし,私たちはその主張が誤りだということを知っている。キリスト教は世界で起こることについて独自の記述を与えようとしてきたし,一方,現在では,それとまったく同じ話題について科学的説明がなされており,どの話題についても,科学的説明のほうがすぐれていることが判明している。キリスト教はこれまでどの闘いにも敗れ,しかもそれは完全な敗北だった。当然,このことはキリスト教にとっては都合が悪い。明らかに,一部の人々は,起こったことを公然と無視し,聖書に書かれてあることが真の地質学的知識と古生物学を教えてくれるという空想の世界に暮らしている。しかし,これには努力がいる。信者の多くは,免責条項——宗教は科学では答えられない疑問をあつかう特別な領域である——を好む。これはしばしば,宗教が世界を「より美しく」,「より意味のある」ものにするのだという,あるいは宗教は「究極の」疑問を厚あつかっているのだという,決定的に曖昧な通俗神学の基礎になっている。
パスカル・ボイヤー 鈴木光太郎・中村潔(訳) (2008). 神はなぜいるのか? NTT出版 pp.416
(Boyer, P. (2002). Religion Explained: The Human Instincts that Fashion Gods, Spirits and Ancestors. London: Vintage.)
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