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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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弱い絆がポイント

 グラノヴェターが取り上げたいちばんのポイントは,不可解に思えても非常に重要だ。社会の架け橋は社会のネットワークを1つにつなげるうえできわめて大きな力となるから,架け橋になっているのは強い絆,たとえば親友間の絆のはずだと思うかもしれない。しかしすでに見たように,強い絆はこの点に関してはほとんどの場合,まったく重要でない。なくなってもたいして影響はないのだ。事実は正反対で,架け橋となるのはほとんどどんな場合でも弱い絆である。グラノヴェターは単純な論理のもつ鋭い刃先を巧みにあやつって,驚くべき結論に到達することができた。すなわち,強い絆よりも弱い絆のほうが重要性をもつ場合が多いのは,弱い絆は社会のネットワークを縫い合わせるうえで不可欠な紐帯の役割をしているからだというのである。弱い絆は社会の「近道」で,これらが失われてしまうとネットワークはバラバラに崩れ落ちてしまうだろう。「弱い絆の強さ」は,グラノヴェターのきわめて重要な1973年の論文の絶妙なタイトルになっている。論文の中心をなす考え方は不思議な印象を与えるが,実世界の状況に置きかえれば直観的に理解できるようになる。
 だれでも,家族や仕事の同僚,友人などとは強い絆で結ばれている。かりにこれらの人々とのあいだの直接の絆の1つがなくなっても,他の人たちとはまだ共通の友人や家族の別のメンバーなどを通じて短い道筋でつながっているだろう。したがって,個人的なレベルでは交友関係がどれほど重要なものであろうと,また,その交友関係がその人の社会的な活動にどれほど大きな役割を果たしていようとも,そのような強い絆がきわめて重要な社会の架け橋となり,社会のネットワークを1つに貼り合わせる接着剤の役割をしているとは考えられない。他方,めったに顔を合わすことも連絡を取り合うこともない知人もいるだろう。たとえば大学の同窓生で,当時もそれほど親しくなかった人たちである。こうした人たちとのつながりは弱い絆ということになる。10年前の夏にいっしょに仕事をした男性が,いまはオーストラリアのメルボルンの水産会社で働いているなら,こちらから見れば,彼はすべての面で異なる社会的世界で活動していることになる。この男性との絆が社会の架け橋になるかもしれない。男性とは2,3年に1度,手紙をやりとりする程度かもしれない。しかし,もしこのかすかなつながりが壊れてしまえば,お互いの消息を聞くことも,思いがけず再会することも2度とないだろう。

マーク・ブキャナン 阪本芳久(訳) (2005). 複雑な世界,単純な法則:ネットワーク科学の最前線 草思社 pp.62-63.
(Buchanan, M. (2002). Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks. New York: W. W. Norton & Company.)
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