迅速で効率的な信号の伝達は,スモールワールドの構造がもたらしてくれるもっとも単純かつ明白な利点である。けれども,もう1つ別の利点がある。マーク・グラノヴェターが指摘したように,社会のネットワークでは,親友の集団内で絆が緊密に集まっているということは,たとえそのうちの数人がネットワークから離れても他の人たちはまだ密接なつながりを保っていることを意味する。別の言い方をすれば,クラスター化したネットワークでは,1つの要素の喪失が引き金となってネットワークの劇的な崩壊が起こり,つながりのないバラバラの断片になってしまうことはないのである。脳の内部でもこうした組織的構造が有効な役割を果たしているかもしれないと考えられる。というのは,ある特定の部位が損傷を受けたり破壊されたりしても,信号を駆けめぐらせて他の部位と協調する能力にはほとんど影響が見られないからだ。たとえば,ブロカの中枢に損傷を受けた患者は人が話す言葉を理解することはできないが,聞き取ることは完璧にできるし,計算や将来の計画の立案をなんの苦労もなくおこなうことができる。もしも,この部位へのダメージによって,たとえば視覚野と海馬との連絡も断ち切られてしまうとか,あるいは,少なくとも信号がある部位から他の部位に行くのに長い距離を通らざるをえなくなってしまうのなら,視覚情報の短期的億も損なわれてしまうだろう。スモールワールドの構造形式は,このような事態になるのを防いでくれているように見える。スモールワールドの構造のおかげで,脳は効率的で機敏なだけでなく,欠陥をものともしない能力も獲得したのだ。
マーク・ブキャナン 阪本芳久(訳) (2005). 複雑な世界,単純な法則:ネットワーク科学の最前線 草思社 pp.100-101
(Buchanan, M. (2002). Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks. New York: W. W. Norton & Company.)
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