1989年に「一杯のかけそば」があれだけ不完全な物語でありながらも,でも他の人にも読ませようとする人たちが続出したのは,あの物語にあるリアルな貧乏を伝えておきたかったのだろう。
自分が貧乏であったかどうかは別として,1972年にはたしかにすぐそこに貧乏があった。貧乏と接していない人はいなかった。1989年は,その貧乏が伝えられる一番最後のところに来ていたのだ。テールエンドである。ここを過ぎるとたぶんもう意味がわからなくなるだろう,ということで,最後,僕たちは「一杯のかけそば」を賞賛して受け入れ,あっという間に捨てたのである。貧乏を一瞬ふり返って,でもその後二度とふり返らなくなった。
そういう意味で,1980年代は貧乏人の時代だった。
つまり,バブルは貧乏人の懸命のお祭りだったのだ。
貧乏人が無理をして必死で遊んでいたのがバブルである。
堀井賢一郎 (2006). 若者殺しの時代 講談社現代新書 p.34-35
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