ローマ帝国の時代にも,政府が人体解剖に難色を示すと医学はどうなるかという,いい見本がある。歴史上最も尊敬される解剖学者のガレノスが書いた教本は,何世紀もの間,揺るぎないものとして伝えられたが,自身は一度も人間の死体を解剖したことがなかった。ガレノスは剣闘士の世話をする外科医という立場にあったので,剣やライオンの爪による傷口を通して断片的ではあるが,しばしば人間の内部をのぞき見ることが出来た。彼はまた,たくさんの動物を解剖したが,なかでも好んでサルを解剖した。サルは解剖学的に人間と同じだと信じていたからだが,サルの顔が丸ければ特にそうだと主張している。のちに,ルネサンス時代の偉大な解剖学者ヴェルサリウスは,人間とサルの骨格には,二百の解剖学的な違いがあると指摘している(ガレノスは比較解剖学者としては劣るかもしれないが,古代ローマで調達が難しいサルを思いついたのは,たいしたものだ)。正解はたくさんあった。ということは,まちがいもかなりあったということだ。ガレノスの解剖図には,5葉の肝臓と,三心室からなる心臓が描かれている。
古代ギリシア人も,人間の解剖となると,同じように揺れ動いている。ヒポクラテスもガレノスと同様,一度も人間の死体を解剖したことがなかった。彼は解剖のことを「残忍ではないが不快」と評している。『人体解剖の歴史』によると,ヒポクラテスは,腱を「神経」と紹介し,脳を粘液分泌腺と思っていたらしい。医学の粗と言われている人がこうなのだから驚きだが,嘘だとは思わない。
メアリー・ローチ 殿村直子(訳) (2005). 死体はみんな生きている NHK出版 p.67-68
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