魂がどこにあるかという論争は四千年前からあった。最初は「心臓か脳か」の議論ではなく,「心臓か肝臓か」だった。最初の心臓派は,古代エジプト人だった。彼らは「カー」が心臓にあると信じていた。カーとは,人間の精髄,つまり霊魂,知性,感情,愛情,気分,悪意など,テレビの主題歌をにぎわせるすべてのもの,人を線虫ではなく人間にするものだ。死体をミイラにするときも,心臓だけは体内に残された。人は来世でもカーを必要としたからだ。脳は明らかに不要だった。死体の脳は,先が鉤になったブロンズ針で掻き回され,鼻孔から掻き出され捨てられた(肝臓,胃,腸,肺は体内から取り出されたが,陶器の壺に入れて保存され,墓の中に置かれた。あとに残していくよりは積めるだけ積んだ方がよいと思われたのだろう。来世のための荷造りとなればなおさらだ。)
バビロニア人は最初の肝臓派だった。肝臓を人間の感情と霊魂の源の臓器と見ていた。メソポタミア人は二股かけ,感情は肝臓に,知性は心臓にあると考えた。彼らはどうやら自由思想かだったらしく,魂は胃にあると考えていた(抜け目がない)。同じような自由思想家には,霊魂がクルミ大の脳の松果体にあると考えたデカルト,「眉の後ろ」にあると考えたアレクサンドリアの解剖学者ストラトンがいる。
古代ギリシア人の台頭とともに,霊魂論争はおなじみの「心臓か脳か」の対決に発展し,肝臓は副次的な地位に落とされた。ピュタゴラスとアリストテレスは,心臓を魂の座,すなわち,生きて成長するのに必要な「生命力」の源と見たが,第二位の「理性」的な魂,または精神が,脳に存在すると信じていた。プラトンは心臓と脳がともに魂の場所であるという考えに賛成したが,第一位は脳にした。ヒポクラテスの場合は混乱していたらしい(あるいは,私が混乱しているのだろう)。彼はあるところでは,脳の破壊は発語や知性に影響すると記したが,ほかのところでは,脳を粘液分泌腺と捉え,霊魂を支配する「熱」と知性は,心臓にあると書いている。
メアリー・ローチ 殿村直子(訳) (2005). 死体はみんな生きている NHK出版 p.208-209
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