その種の研究は,ウィーンの外科医と精神科医のチームが1991年に行っている。彼らは心臓移植を受けた47人にインタビューし,新しい心臓と前の持ち主の影響と思われる人格的変化があったかどうか尋ねた。47人中,44人が「ない」と答えたが,ウィーンの精神分析の伝統にどっぷりつかっている研究者らは,これらの回答には敵意か冗談がこめられているのだといういいわけをひねり出した。つまり,フロイトの理論によれば,その問題への何らかの拒絶を示しているということだ。
「ある」と答えた3人の患者の体験は,メドオーよりも平凡だった。1人目は,17歳の少年の心臓をもらった45歳の男性で,研究者にこう語った。「イヤホンをつけてにぎやかな音楽を聴くようになりました。前はこんなことはありません。今は新しい車や,いいステレオがほしいですね」ほかの2人もたいしたことはなかった。1人は,前の持ち主が静かな人だったので,この静かさが自分に「うつった」と言い,もう1人は,自分が2人の人生を生きていると感じ,質問に「私」ではなく「私たち」で答えた。しかし,新しく加わった個性や音楽の好みについての記述はない。
オズも,やはり心臓を移植された患者が提供者の記憶を体験すると訴える現象に興味を覚えたそうだ。「こんな男性がいました。彼は自分が誰から心臓をもらったのか知っていると言い,自動車事故で死んだ若い女性の話を詳しく語りました。自分は事故に遭った黒人女性で,鏡に映る自分の姿は顔から血を出し,口の中にフライドポテトの味があったと言うのです。私は驚いて記録を調べましたが,提供者は年配の白人男性でした」提供者の記憶を体験したとか,提供者の生活について特別なことを知っていると主張する患者は他にもいましたか?「いましたよ。全部間違っていました」
心臓を移植された人が提供者の性質を引き継ぐのではないかと言う心配は非常によくあり,特に異性や性的嗜好の異なる人から心臓を提供された人,あるいは,されたと思っている人に多く見られる。
ある男性は,自分の提供者は性豪として「評判」だったから,自分もそれに見合うように頑張らなければと思いこんでいた。ラウシュとニーンは,42歳の消防士のことを書いているが,彼は女性の心臓をもらったので男らしくなくなり,消防士仲間から受け入れてもらえないのではないかと心配していた。
クラフトの論文によると,男性から心臓をもらったと思う男性は,提供者が絶倫男だったと思いやすく,その勢力が自分にもいくらか引き継がれたと思うことが多い。
メアリー・ローチ 殿村直子(訳) (2005). 死体はみんな生きている NHK出版 p.224-227
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