神経学者O.J.グリュッサーの「魂の座ー中世以降の大脳局所論」という論文によると,デカルトの神経系のモデルは,当時人気沸騰中の学期,オルガンだった。これもグリュッサーによるが,1500年前にギリシアの医師ガレノスは,ローマ式浴場の暖房装置をもとに気息の流通システムを考えた。やがて,哲学者のアルベルトゥス・マグヌスが,ブランデーの蒸留装置からヒントを得たモデルを考案し,このモデルはつい最近まで続いた。20世紀には,テープレコーダーやコンピュータが意識のワーキングモデルになっている。
2年前,私はベティ・ピンカスというコンピュータ専門科とメールをやり取りしていた。彼女はすでに40年間,コンピュータに関わっている。彼女は書いている。「いつも面白いと思うのですが,私の仲間達は,自分の頭の働きを表現するのに,専門用語を使うことがあります。60年代には,『テープが足りなくなった』とか,『計算機がオーバーフローした』とか言っていました。技術の変化に伴い,『ディスクの容量が足りない』とか,『マルチタスクだ』とか言うようになりました。良く思うのですが,機械を発明する人は,頭脳の働き方をイメージして機械を作っているのでしょうか?それとも,機械ができてから,機械と頭脳を結びつけるのでしょうか?」
メアリー・ローチ 殿村直子(訳) (2006). 霊魂だけが知っている p.65-66
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