題名1:40階から平和行進を見る
題名2:人の住んでいる惑星への宇宙旅行
その光景は心ときめくものだった。窓からは下の群衆が見えた。こんなに距離があるので,見るものはすべて極端に小さくなった。しかし色とりどりの衣装はそれでも見ることができた。みんなは整然と同じ方向に動いているように見えた。また大人だけでなく小さな子どももいるようだった。着陸はふんわりと行われ,幸運なことに大気は特別な服を着る必要がないほどだった。はじめはたいへんにぎやかだった。そのあと,演説が始まると,群衆は静まり返った。テレビカメラを持った男がその舞台や群衆の写真を何枚も撮った。誰しもみんな大変親しげで,音楽が始まった時には歓喜しているように見えた。
「着陸は・・・」の文章は,題名1では意味を成さない文章であり,文章呈示後の記憶成績は悪かった。題名2を呈示した後では,この文章は話の構造と適合してずっとよく記憶することができた。
指示されたテーマが異なってしまうだけで,わたしたちは異なった理解を構成してしまうし,全体の中での部分の意味ある位置づけが最終的になされているわけで,それがうまくいっているときに「よく理解できた」という感じをわたしたちは持つ。うまく位置づけできない,全体の中でおさまりの悪いものが残っている場合には,わたしたちはよく理解できた感じを持てないということになるのだ。新しい概念を学習する場合などは例をたくさん示すと同時に,その例がすべてもれなく理解できるような原理とその適用の確認を行わないと,わかった感じが十分得られないのである。
北村英哉 (2003). 認知と感情-理性の復権を求めて ナカニシヤ出版 p.55-56
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