そして3つ目の結論は,次のようなものだ。ありし日の姿と現代の生活に不一致があるからと言って,太古の食の本能にしたがったり,狩猟採集民の遺伝子には古代の知恵が詰まっていると信じたりするのがいいというわけではない。古代の食生活がベストだと考える人々は,体の声に耳を澄ませば,正しい食べ物を適量食べるように告げられていて,その食べ物はフライドポテトやスニッカーズではないとわかるという。
だが実際には,その逆が本当なのかもしれない。そもそもなぜこんな食生活になってしまったかというと,人間は本来,栄養価の高いものを好むからだ。それらは,進化の歴史の中では手に入りにくかった。私たちの祖先は,熟したフルーツや蜂蜜といった糖分を含む食料を探すことで,良質なエネルギー源を確保し,熟していないフルーツに含まれる植物毒素を避けてきた。石器人が食べた栄養をどうしてもほしいということなら,別に食べてもかまわない。ただし,もし石器時代にキャンディバーやソフトドリンクがあったら,当時の人々も好んで飲み食いしただろうという考えを受け入れられればの話だ。これまで,私たちがいちばん食べたい食べ物が,体にいちばんよい食べ物であったことは一度もなかった。これは,体と食生活が一致しなくなってしまったからではなく,単にキャンディバーのようなお菓子が,過去のほとんどの時代に存在していなかったからだ。
マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.46-47
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)
PR