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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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意識の役割は情報の排除

 ハクスリーはメスカリンによる幻覚状態の間,自分のズボンの折り目や本棚にならぶ本の背などを目にするたびに,「これこそ,本来の物の見方だ」という言葉を繰り返した。その体験によって,本書で言う「情報を処分した結果としての意識」について,彼は次のような見解に達した。
 「自分の体験を振り返ると,高名なケンブリッジの哲学者C・D・ブロード博士と意見が一致する。すなわち,次のような意見だ。『記憶と感覚知覚に関しては,[フランスの哲学者アンリ・]ベルクソンが提起した種類の理論は,これまで軽視されがちだったが,もっとずっと真剣に考えるのが賢明だろう。そうした理論は,脳と神経系と感覚器官の機能が,おもに排除であって創出ではないことを示唆している。人は誰もが間断なく,自分に起こったことをすべて記憶し,宇宙のあらゆる場所で起こるあらゆることを知覚できる。脳と神経系の機能は,ほとんどが無用で的外れの大量の知識に圧倒され,混乱させられたりしないよう,私たちを守ることである。さもなければ,膨大な量の事柄をつねに知覚し,記憶しなくてはならなくなる。そのようなものの大部分を締め出し,実際に役に立ちそうな,ごく少量の特別な物だけを選りすぐって残すことで,脳と神経系は私たちを守っている』このような説によると,私たち1人1人は,潜在的に<普遍精神>である。だが,私たちが生き物である以上,何としても生き延びることが務めだ。生物的生存を可能にするため,<普遍精神>は脳と神経系の狭い減量バルブを通さなくてはならない。バルブの先から出てくるのは,ごくわずかな意識のしずくであり,その助けを借りて,私たちはほかならぬこの地球という惑星の表面で生き続けるのである」

トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之(訳) (2002). ユーザーイリュージョン:意識という幻想 紀伊国屋書店 p.359-360.
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