だが,もしかしたら人間におけるトキソプラズマの影響は実際にはあり,寄生虫に感染したカダヤシの泳ぐ速さがほんの少しだけ遅くなるように,見た目にはほとんどわからないだけなのかもしれない。チェコの首都プラハにあるカレル大学のヤロスラフ・フレグルは,トキソプラズマへの感染の痕跡が認められる人と認められない人との性格のちがいを研究している。まず,大学の学生と職員の中から男女合わせた338人に,標準的な性格テストを実施した。その結果,女性にはトキソプラズマの影響は認められなかったが,感染した男性の場合には,性格が控え目で,他者を信頼しにくく,規則を守らない傾向があった。ちがいは小さいが,はっきりしている。この結果を検証するために,サンプルの規模を大きくして同じ調査をしたところ,男性では同様の結果が得られた。また女性の場合は,トキソプラズマの痕跡が認められる人には,社交的で人を信用しやすく,自分に自身をもつ傾向が認められた。
フレグルは,実験の対象をもう少し広げ,軍の徴集兵857人に同じ性格テストを実施した。今回は男性だけだが,感染者には新しい物事に関心をもたない傾向が認められ,他者を信頼しにくいという前回の結果と合致する結果が得られた。また意外なことに,知能指数が若干低い傾向もあった。フレグルらは,男女の反応の速さも調べた。これには,コンピュータ画面に黒っぽい四角が現れたときにキーを押すという,一般的なテスト法を用いた。その結果,感染者は反応時間がやや長かった。これは,ネズミにおけるトキソプラズマの影響と一致しているように見える。反応時間が遅くなると,ネズミは捕食されやすくなると考えられるからだ。
人間の場合,反応時間は別の面で重要なのかもしれない。フレグルらは,交通事故との関係も探ってみた。交通事故に関与したプラハ市民146人と,事故現場と同じ地域にすむ446人を比較したところ,事故に関与した人たちに,トキソプラズマの痕跡が多く認められたのだ。車にはねられた歩行者であるかドライバーであるかに,ちがいはなかった。なお,信号待ちしているときに追突されたドライバーなど,事故にまったく影響をおよぼしていない人たちは,分析から除外してある。事故にあうリスクは,感染の痕跡が新しい人のほうが,痕跡が古い人よりも高かった。フレグルは何も触れていないが,この結果だけを見ると,トキソプラズマへの感染を事故の言い訳にして反則切符を逃れようとする人が,そのうち出てきそうだ。特に,チェコ国民よりも訴訟好きの人々がすむどこかの国では,あり得るかもしれない。
マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.345-346
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)
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