1958年12月,イングランドのロイヤル・バーミンガム病院で,52歳の男性が角膜の移植手術を受けた。自分の角膜は,生後わずか10ヶ月の時に目の感染症にやられ,それ以来,全盲だった。手術は大成功という評価を受け,イングランド中で大々的に報道された。『デーリー・テレグラフ』紙は,その男性の視覚が手術後わずか2,3時間で機能を回復した様子について,連載記事を組んだ。
そうした新聞報道の読者の中に,心理学者リチャード・グレゴリーがいた。彼は認識にまつわる心理学に興味を持っていた。そして,同僚のジーン・ウォーレスとともに,その患者に世界はどう見えるかを研究し始めた。2人は学術文献の中では,患者をS・Bと呼んでいる。
手術前のS・Bは活動的で満ち足りており,普通,目の不自由な人がするとは思えない活動を,数多く習得していた。(目の見える人に肩を支えられながら)自転車に乗ることも,様々な道具を使いこなすこともでき,白い杖なしで歩いた。手探りで歩き回り,義兄の車を洗いながら,その形を想像するのを楽しんだ。
グレゴリーは,手術後に起こったことを,次のように報告している。「初めて目の包帯が外され,もはや盲目ではなくなった時,彼は医師の声を耳にした。そちらを向いたが,何かがぼうっと,おぼろげに見えるだけだった。声を聞いていたから,それが顔にちがいないとは思ったが,よく見えなかった。彼には,私たちが閉じていた目を開けた時のようにすぐには,物のあふれる世界が見えなかった」
しかし,それから2,3日で視力を回復すると,S・Bは,動物,自動車,手紙,時計の針など,かつては感触でしか知らなかったものをいくつも,難なく認識することができた。すぐに絵を描くコツを覚えたが,ときどき珍妙な間違いを犯した。たとえば,1960年代には,もうバスにスポークタイヤは使われていなかったのに,そういうタイヤのついたバスを描いた。彼が子供の頃,バスに触るのを許された時には,確かにスポークタイヤだったからだ。
S・Bが心から驚いたものはあまりなかったが,例外の1つが月だった。彼は空に浮かぶ三日月を見て,あれは何かと尋ねた。そしてその答えに当惑した。三日月というのは,スポンジケーキを4等分したような形だと,ずっと思っていたからだ。
S・Bが使ってみたいとずっと夢見てきたものの1つに,旋盤があった。グレゴリーとウォーレスが,ロンドンの科学博物館で,ガラスケースに入った旋盤を見せたが,S・Bは見えないと言う。ケースが開けられ,S・Bは目を閉じて,しばらく旋盤の上に手を滑らせ,それから一歩下がって目を開けると,こう言った。「さあ,これで触ったから見えるぞ」このように,初めのうちS・Bは,触感を通して知っているものしか見えなかった。
S・Bの話は悲劇的な結末を迎える。手術のわずか1年後,彼はすっかりふさぎ込んで真だ。世界を見て,幻滅させられたのだ。S・Bは,夜,明かりを消してじっとしていることが多かった。S・Bの話は,前もってシミュレーションしたことのないものを見るのが,いかに難しいかを物語っている。見れば信じられる,というのは真実ではない。信じるから見えるのだ。
普通の人が世界を知覚する時,様々な感覚器官から入ってくる感覚が結びついて,内面で1つのイメージになる。それを私たちは体験する。人は,1つの感覚を使って別の感覚を助ける。スピーチは,話し手が見える場合のほうが聞き取りやすい。
しかし,1つの感覚器官からの感覚データに不足があるときだけ,ほかの感覚を使うわけではない。経験という作用,ひいては意識という作用は,多くの異なるインプットを,自分が知っているものの単一のシミュレーションにまとめることに尽きる。
グレゴリーが,S・Bの事例から提起した疑問に,次のようなものがある。「子どもの時,見えるけれど触れることのできない,鏡の中のような世界で,じかに物に触れる経験をせずに育ったら,どれだけ物が見えるようになるだろう。その答えは,ほとんど見えない,であることは,まず間違いない。そういう状況で目にするのは,物体ではなく,パターンだからだ。知覚が『物体仮説』を打ち立てるために必要な,相互関係が欠如しているのだ」
トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之(訳) (2002). ユーザーイリュージョン:意識という幻想 紀伊国屋書店 p.362-364.
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