男女の混じった集まりで,男ばかりが発言するような状況に接すると,たくさんの女性——そしてコミュニケーションの研究家までも——が,男が会を「牛耳って」いる,男は女性が会話に参加することを妨げて自分たちの優位性を誇示している,と解釈してしまいがちだ。しかし,たとえ結果的に男性がその場の会話を独占する形になったにせよ,彼らは意図的に女性から発言のチャンスを奪いとっているわけではない。よく発言する人は,ほかの人たちにも平等に発言のチャンスが与えられていると考えているのだ。
その意味では,男性は女性を自分と対等に見なしているといえる。つまり,「男も女も関係なく,誰でも主役になれるんだ」ということだ。そもそも女性自身の目から見ても,男性を責めるだけではなく,自分たちももっと積極的にアンバランスを解消するような姿勢をとらなくてはならないと感じることもあるはずだ。
要するに,男女双方において姿勢を修正することが必要である。女性は,自分から会話の中に飛び込むくらいでなければダメだ。また男性も,パブリック・スピーキングに慣れていない女性たちは,公の場で男のようには気軽に発言ができないのだという事実を認識すべきだ。誰かがしゃべり終えてから,適度な間を置いて話すのが礼儀と心得る一部の女性にとって,他人の話が終わるか終わらないかのうちに,口をさしはさむといったマネはできない。
デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 pp.119-120
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