従って,音声言語が進化したのは,手の模倣的表現の自由度が上がったためではない。むしろ何か別の活動に手を使えるようになったためであろう。チャールズ・ダーウィンはあらゆることを考えていたようだ。「われわれは指をまるで精巧な機械のように使うことができる。訓練を積んだ人なら,講演で話される内容を手話に翻訳して聾の人に伝えることができる。素早く話されるすべての単語を伝えることが可能だ。その一方で,手を使えないと,つまりは別のことで手を使っていると,かなり深刻な不便が生ずる」とダーウィンは述べた。赤ん坊を抱いていたり,運転していたり,買い物袋をぶら下げていたりして手を別のことで使っていると,手を使ったコミュニケーションは困難になる。当たり前である。だが,そんなときでも話すことはできる。なお,この問題に対する手話話者の工夫は驚くべきものだ。しかし,言語に存在するさらに大切な利点は,手を使った作業で使われるテクニックを,誰かに説明することと関わるのだろう。
マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.329-330
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