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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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読み書きが差をつけた

 あるふれた言い方になるが,アタワルパやチャルクチマ,そしてモンテスマをはじめとする数多くのアメリカ先住民の指導者たちがヨーロッパ人にだまされてしまったのは,スペイン人に関する詳細な情報を得ることができなかったからである。スペイン人が新大陸にやってくるまで,新世界から旧世界を訪れたものが1人もおらず,そのためヨーロッパ人に関する詳細な情報を得ることができなかったのである。そうした事情を十分考慮に入れても,われわれの結論は,もしアタワルパの属していた社会がもっとさまざまな人間の行動パターンというものを経験していたなら,アタワルパはピサロ側をもう少し疑ってかかっていた「はずだ」ということにならざるをえない。ピサロ側もまた,カハマルカに来たときには,1527年と1531年にインカの民を尋問して得た情報しか持ち合わせていなかったからである。ところが,ピサロ自身は文字が読めなかったとはいえ,読み書きの伝統を持つスペイン側は,書物などから情報を入手して,ヨーロッパから遠く離れた場所の同時代の異文化や,何千年間のヨーロッパの歴史について知っていた。ピサロは明らかに,コルテスの成功した戦略を学んでアタワルパを襲撃しているのだ。
 要するに,読み書きのできたスペイン側は,人間の行動や歴史について膨大な知識を継承していた。それとは対照的に,読み書きのできなかったアタワルパ側は,スペイン人自体に関する知識を持ち合わせていなかったし,海外からの侵略者についての経験も持ち合わせていなかった。それまでの人類の歴史で,どこかの民族がどこかの土地で同じような脅威にさらされたことについて聞いたこともなければ読んだこともなかった。この経験の差が,ピサロに罠を仕掛けさせ,アタワルパをそこへはまり込ませたのである。

ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 上巻 草思社 pp.118-119
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