また定住生活は,余剰食糧の貯蔵と蓄積をも可能にする。いくら食料を貯蔵・蓄積しても,近くに定住してそれを守ることができなければ意味がないからである。移住生活をする狩猟採集民が,たまに数日分の食料を貯めることもあるが,近くで守れなければごちそうをとっておいても無駄である。食料の貯蔵・蓄積は,食料生産に携わらない人たちを養ったり,村や町で特別な仕事に従事する人たちを養ったりするのに不可欠なものである。そういう人たちは,移住生活をする狩猟採集民の社会にはほとんど存在せず,定住型の社会が登場してから初めて出現している。
そうした特別な仕事に従事する人たちといえば,まず王族と官僚がある。狩猟採集社会は,常勤の官僚や世襲制の王が存在しない比較的平等な社会で,集団単位や部族単位で小規模な政治機構を有していることが多い。身体が健全な者ならだれもが狩猟採集活動に従事し,1日の時間の大部分を食料獲得のために費やさなければならないからである。それにひきかえ食料の貯蔵・蓄積が可能な社会では,政治エリートが,他の人たちが生産した食料を自由にできる。税金を課すことができるし,食料生産に従事しなくてすむ。そして,自分の時間のすべてを政治活動に使えるようになる。その結果,中規模な農耕社会ではときとして首長が支配する集団が形成されるようになるが,王国が形成されるまでにはいたらない。王国が形成されるのは大規模な農耕社会だけである。農耕社会に見られる複雑な政治組織は,構成員の平等を基本とする狩猟採集民の社会よりも,征服戦争を継続させることができる。北アメリカの太平洋北西沿岸やエクアドル沿岸などでは,豊かな環境に居住する狩猟採集民が定住型の社会を発達させ,食料の貯蔵・蓄積を可能にし,初期の形態の族長支配を形成したが,そこからさらに進んで王国を作りだすまでにはいたっていない。
課税によって集められた食料は,王族や官僚以外にも食料生産以外の仕事を専門にこなす人たちを養うことを可能にした。貯蔵・蓄積された食料は職業軍人の存在も可能にするが,このことは征服戦争の遂行能力にもっとも直接的に関係している。たとえば,職業軍人を抱えていたことは,大英帝国が充分に武装したマオリ族を最終的に敗北に追い込むうえで決定的な要因となった。マオリ族も何度かめざましい勝利をあげはしたが,常時戦場に駐屯できる軍隊を維持することができず,1万8000人の英国部隊の攻撃の前に,最後は疲弊し,敗れ去っている。食料の貯蔵・蓄積はまた,征服戦争に宗教的な正統性を与える僧侶の存在も可能にする。刀剣や銃器などの製造技術を開発する金属加工職人などの存在も可能にするし,人の記憶を上回る記録を書き残せる書記などの存在も可能にする。
ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 上巻 草思社 pp.128-129
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