狩猟採集民から自分たちで食料を生産する生活への移行にこれほど時間がかかり,この変遷が徐々に進行した潜在的要因は,人が自由にできる時間と労力の絶対量が限られていることにある。時間と労力をどのように使うかについてさまざまな意思決定が下された結果として,人びとは狩猟採集生活から食料を生産する生活へと移行したのである。狩猟採集漁労民は,採餌行動をおこなう動物と同じように,いろいろな行動をするが,使える時間と労力が限られているため,どの行動にどれだけの時間と労力をかけるかが問題となる。誰よりも先に農耕をはじめた人が,朝起きて,今日1日何をしようかと考えている様子を想像してみよう。数カ月後に野菜がたくさんとれるように畑を耕そうか。今日は肉が少ないから魚介類を集めに行こうか。それとも,何もとれない可能性は大だが,もし取れたら肉がたくさん手にはいるからシカ狩りに行ってみようか。人間も動物も,採餌行動をとるときは,いくつかの選択肢の優先度を考え,どの行動に時間と労力を費やすかを無意識のうちに決めている。好きな食べ物が得られる場合や最大の収穫が得られる場合をまず最優先し,それがうまくいかなかった場合には次善の食物を入手できるように,順次,優先度の低い行動を選択していくのである。
ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 上巻 草思社 pp.154-155
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