ニューギニアとメソポタミアの肥沃三日月地帯の比較からはいろいろと教えられることが多い。まず,ニューギニアの狩猟採集民は,肥沃三日月地帯の狩猟採集民と同じように,自分たち独自の方法で自発的に食料生産をはじめていた。しかしニューギニアの農業は,栽培化可能な穀類やマメ類,家畜化可能な動物が野生種として生息していなかったために,高地に居住していた人びとをタンパク質不足におとしいれてしまった。栽培化可能であった根菜類が高地では充分に成長しない品種であったことも,ニューギニア農業の足かせとなった。とはいえ,ニューギニア人が自分たちの生活環境に分布している動植物について無知だったわけではない。彼らは,今日地球上で暮らすどの民族にも負けないくらい,自分たちが入手可能な野生植物について充分な知識を持ち合わせていた。その点を考慮すると,ニューギニア人は,栽培化に値する野生植物はひとつ残らず見つけて,試せるものは試したと推測できる。サツマイモが伝わったときにニューギニア人がどうしたかを見れば,新種の作物を自分たちのものにする能力が彼らにあったことは明らかである。今日のニューギニアにおいても,新しく伝わった農作物や家畜を真っ先に手に入れられる部族や,そうしたものを取り入れようとする意欲のある部族の人びとが,新種の作物の受け容れに意欲的な文化的土壌のなかで,そうする意欲のない部族や新しい作物を入手できない部族を犠牲にしながら,自分たちの農耕エリアを拡大している。つまり,ニューギニアの人びとが独自に誕生させた食料生産システムの展開が制約された原因は,この地域の人びとの特性にあったわけではなく,この地域の生物相や環境要因にあったのである。
ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 上巻 草思社 pp.221-222
PR