これらの事例は広く知られている。そしてわれわれは,著名な例に惑わされ,「必要は発明の母」という錯覚におちいっている。ところが実際の発明の多くは,人間の好奇心の産物であって,何か特定のものを作りだそうとして生みだされたわけではない。発明をどのように応用するかは,発明がなされたあとに考えだされている。また,一般大衆が発明の必要性を実感できるのは,それがかなり長いあいだ使い込まれてからのことである。しかも,数ある発明の中には,当初の目的とはまったく別の用途で使用されるようになったものもある。飛行機や自動車をはじめとする,近代の主要な発明の多くはこの手の発明である。内燃機関,電球,トランジスタ(半導体)。驚くべきことに,こうしたものは,発明された当時,どういう目的で使ったらいいかがよくわからなかった。つまり,多くの場合,「必要は発明の母」ではなく,「発明は必要の母」なのである。
ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 下巻 草思社 p.52
PR