この些細とも思える地理的な植生のちがいは,とてつもなく大きな影響を現代政治におよぼしている。たとえば,南アフリカの白人は,喜望峰周辺に居住していたコイサン族を素早く虐殺したり,疫病を感染させたり,追い立てたりしているので,バンツー族よりも先に喜望峰周辺を占有したと主張でき,したがって喜望峰周辺を支配する優先権があると主張できた。しかしコイサン族に優先権がある土地だからといって,白人が略奪を差し控えることはなかったのだから,彼らの主張を真に受ける必要はない。それよりもっと重要なことは,1652年にやってきたオランダ人が,高い人口密度を誇り,鉄で武装した農耕民のバンツー族ではなく,低い人口密度の牧畜民のコイサン族を相手にするだけで入植できてしまった,ということである。というのも,この白人たちが東に拡散し,1702年にフィッシュ川のたもとで農耕民のコーサ族と遭遇してから以降は,両者のあいだで激戦が繰り返されるようになったからである。そのときすでに,ヨーロッパ人は喜望峰周辺の安全な基地から援軍を繰り出せるようになっていたが,コーサ族を征服するには,175年の歳月と9つの戦争を必要とした——平均すると,ヨーロッパ人は1年に1マイル(約1.6キロ)以下のペースでしか前進しなかったことになる。もしも,1652年に数隻の船で最初にやってきたオランダ人たちがコーサ族に直面して,激しい抵抗に遭遇していたら,はたして喜望峰周辺に入植することができただろうか。
ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 下巻 草思社 p.190
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