昔,ドイツの片田舎にハンスという内気な少年がいた。父は医者だったが,医学よりも祖父が書いた詩を愛し,夜空の星に魅せられていた。高校を卒業すると町に出て,天文学者を目指して大学に通った。しかし,都会暮らしは肌にあわず,すぐに退学して騎兵隊に志願する。平和な時代だったので,1年間の兵役では,のどかな自然のなかで馬乗りを楽しめるはずだった。
ところがある朝,乗馬訓練中にハンスの馬が突然暴れだした。ハンスは,宙に放りあげられ道に打ちつけられるやいなや,馬に引かれた鋼鉄の大砲がハンスに向かって突進してきた。もうダメだ,とハンスは息をのんだ。しかし奇跡的に,すんでのところで馬たちがなんとか押しとどまった。ハンスは肝をひやしたが,大きな怪我もなく命拾いした。
ちょうどそのころ,遠く離れた実家ではハンスの姉が訳もなく不吉な気持ちにとらわれた。ハンスに何か悪いことが起きたというのだ。彼女があまりに心配するので,父親がハンスに電報を打つことにした。
その夜,ハンスはその電報を受けとる。父親から電報がきたのは初めてなので,けげんに思ったが,自分のことを気遣った姉の気持ちを知って,その日に抱いた恐怖感がなんらかの方法で姉まで届いたのだと,彼は確信した。だいぶ後になってハンスは,「これは死の危険に直面して自発的に起きるテレパシーの事例である。死を予期した私がその思いを送ると,仲のよかった姉がそれを受け取ったのだ。」(1940年の自伝)と記している。
この体験によって,ハンスの興味は宇宙の奥底から人間精神の奥底へと大転換する。兵役を終えるとすぐに大学で医学の勉強を始めたのだった。彼の言う「精神エネルギー」が,どのように姉へとメッセージを伝えたか,それを追究していこうと決心したのである。
大学での長年の努力により,ついに彼は脳波の記録法を開発する。後にアルファ波と呼ばれる種類の脳波は,ハンスの苗字をとって「ベルガーリズム」として親しまれた。心の主観的状態と脳波の関連性は,彼が最初に見つけたのである。彼はまた初期の情熱を失うことなく,200人以上の被験者にわたって,催眠状態におけるテレパシーの実験を繰りかえした。結局ハンスは,若いころのテレパシー体験をうまく説明できなかったが,現代の神経科学の基礎を築いたのである。脳波から断層撮像法に至るまでの現代の脳メカニズム研究は,ハンスの研究に端を発しているのだ。
ディーン・ラディン 竹内薫(監修) 石川幹人(訳) (2007). 量子の宇宙でからみあう心たち:超能力研究最前線 徳間書店 pp.58-60
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